第二十七話 赦し
「あんたが罪人なら、私も罪人よ」
その言葉に驚いて顔を上げた。
梅様の顔を見て、また驚いた。
悔しそうな、悲しそうな顔だった。
梅様がこんな顔するなんて。
いつも堂々として自信にあふれている人なのに。
おろおろする私をよそに、梅様は目を伏せて言った。
「そもそも私が誘わなければ、あんたがあの森に行くことはなかった」
そして、ぽつりと言葉を落とした。
「私のせいで、あんたに罪を負わせた」
「違う。私が、私の能力が」
「違わないわよ!」
怒る梅様に言葉を封じられた。
「あんたは『行かない』って言ってたじゃない。それを蘭が無理矢理同行させた」
「無理矢理なんて」
「私が誘わなければ、蘭が誘わなければ、あんたはのんきにあの館にいて、私達の土産話をにこにこしながら聞いていたでしょうよ」
「そんな」
「あんたに罪があると言うヤツは、放っときなさい!
あんたは私達に巻き込まれただけ。
『災禍』に利用されただけ。
失われた生命にまで、あんたが責任を負う必要はない!」
ハァハァと乱れた息を整えて、梅様は、今度は静かに言った。
「あんたは私を責める権利があるわ」
「そんなのない」
「あるのよ。
菊も、蘭も、守り役達も。
私が『森に行こう』て言わなかったら、こんなことにはならなかった」
そして、弱々しく笑う。
「あんたの言うあんたの罪は、私の罪なのよ」
ちがう。ちがう。
でも、なんて説明すればいいのかわからない。ふさわしい言葉が出てこない。
首を振ることしかできない。
「竹」
どうしていいのかわからないでいると、梅様に呼ばれた。
「ひとりで罪を背負うのはしんどいから。
あんたちょっと一緒に持ってよ」
――え?
「蘭にも頼んでるから。
あんたと蘭と私と、三人で分けっこしましょう」
ぽかんと開いた口をとじることができない私に、梅様は優しく笑ってくれた。
「あんたの罪も、私達で分けっこするわ」
分けっこ。
梅様の罪を、私が少しもらう。
私の罪も、梅様と蘭様が少し持ってくれる。
それは、思ったこともない考え方で、考えたこともない意見で、ぽかんとすることしかできない。
そんな私に梅様は、いつもの自信にあふれた綺麗な笑顔で言った。
「みんなでちょっとずつ分けっこして、みんなで一緒に償っていきましょう」
ぽろりと、涙が落ちた。
私の罪がなくなったわけじゃない。
私の罪が許されたわけじゃない。
それでも。
一緒に背負うと言ってくれる人がいる。
一緒に償っていこうと言ってくれる人がいる。
黒陽だけじゃない。
梅様も、一緒に罪を背負ってくれる。
私の罪を背負わせるなんて、ダメだと思う。
私の罪は私が背負うべきもの。
でも、しんどいのも、苦しいのもほんとう。
つぶされそうで、どうしていいのかわからないのもほんとう。
でも、梅様の罪も分けっこするなら。
梅様の罪も背負うなら。
私の罪も背負ってもらっても、いいの?
「――いいの…?」
「何よ。文句あるの?」
「――ない、です」
「じゃあいいじゃない」
ふふん。と笑う梅様の横で蒼真も笑っている。
いいの? いいんだ。
なんだか、全身から力が抜けた。
そんな私に、梅様はまた優しく笑ってくれた。
「あんたは『しあわせになっちゃいけない』って言うけど」
うなずく。
だって私は罪人だから。
それなのに梅様は口を曲げてこんなことを言う。
「あんたが『しあわせになっちゃいけない』て言うなら、私も蘭もしあわせになれないんだけど」
「――そんな、」
そんなの、違う。
違う、よね?
え? 私、間違ってる?
戸惑う私に梅様はそれはそれは綺麗な笑顔を向けた。
「逆に、あんたが『しあわせを得る』なら、私達もしあわせになってもいいわけよ。わかる?」
え?
え? そうなの?
おろおろしている私に梅様はさらに言う。
「あんた、勘違いしてるみたいだけど」
勘違い?
「いつでも誰相手でも、あんたが先に死ぬわけじゃないわよ?」
――息を飲むしかできなかった。
「今回のこいつみたいに、あんたが大事にしてる人間があんたより先に死ぬことだって、たくさんあるわよ」
「―――!」
言われてみれば当たり前のことだ。
なのに私は勝手に自分が先に死ぬと思ってた。
私の大切な人は私が死んだあとも元気でしあわせに長生きすると、勝手に思い込んでいた。
でも、違う。
そう。梅様の言う通りだ。
当たり前だ。
その当たり前が、私はわかっていなかった。
「私達は確かに二十歳まで生きられない。
でも、その間をどう生きるかは決まってない」
梅様は優しく言葉をつむいでいく。
「許された二十年で、懸命に生きればいいじゃない。
大事な人に出会って、大事にして、いっぱい思い出作ればいいじゃない」
許された二十年を、懸命に生きる。
そんなこと、考えたことなかった。
そんな風に考えたこと、なかった。
「誰だって、なんだって同じじゃないの?」
ただまばたきするしかできない私に、梅様は説明してくれる。
「たまたま私達は『二十年』てわかっているだけで、その人が何年生きるか、どんな道を歩むかなんて、誰にもわからない。
明日死ぬかもしれないという意味では、誰もが同じじゃないの?」
そう言われたら、そのとおりだ。
私達だって、『長くて二十年』というだけで、いつ死ぬかはわからない。
誰だって、いつ死ぬか、いつまで生きられるかわからない。
「だからこそ、『今』を大切に生きないといけないのよ」
梅様の言うとおりだ。
私は馬鹿だ。
何もわかってなかった。
ただやみくもに逃げ回っていただけだ。
「あんたが逃げ回っている間、この『半身』はあんたとの時間を奪われていることになるわ」
「―――!」
息を飲む。
私が、あの人の時間を奪っていた?
そんなこと、考えたことなかった。
そんな風に考えたこと、なかった。
「あんたが素直にこいつのところに居れば。
こいつは『半身』に満たされて、しあわせに暮らせた。ちがう?」
あの人の笑顔が浮かぶ。
しあわせそうに笑ってくれていた。
私が逃げ回ったたせいで、あの人のしあわせを奪っていた?
そんな。
そんな。
「あんたはどうなのよ。
『半身』が側にいたら、どう思うのよ」
震える私に、梅様が問いかけてくる。
そんなの、決まってる。
「……しあわせ、です。
うれしくて、満たされて、ずっと側にいたいと願ってしまう」
「あんたが逃げるということは、この男からそんな時間を奪うということよ」
それはどれほどひどいことだろう。
私は身勝手に、あの人のしあわせを奪っていた。
「側にいることが『しあわせ』なら、側にいられない状況は、『半身』に逃げられる状況は『ふしあわせ』ってことにならない?」
「……………そんなふうに考えたこと、なかった………」
梅様の言葉にうなだれることしかできない。
私はしあわせになっちゃいけないと思っていた。
私がしあわせにならないために、あの人から逃げ出した。
でも、それがあの人からしあわせを奪うことになるなんて、考えたこともなかった。
私は自分のことしか考えられなかった。
自分勝手で、独りよがりだった。
あの人のことが好きなのに、あの人のことを思いやることができていなかった。
反省に震えていると、梅様がぽつりと言葉を落とした。
「私達は、もう少しで『災禍』を追い詰める」
その声に、思わず顔を上げる。
梅様は厳しい目をしていた。
思わずゴクリとつばを飲み込む。
「蘭がいない現状、できることは封印だけ。
今度こそ、封印する」
強い意志のこもったまなざしに、うなずく。
今度こそ、封印する。
今度は失敗しない!
「その封印の中心のあんたは、霊力が尽きて死ぬかもしれない」
うなずく。
おそらくそうなる。
このちいさな身体にたくわえられる霊力では、あれだけの存在の封印となると尽きてしまうに違いない。
「この男に『半身』と共に在るしあわせを味わわせるならば、今しかないわよ」
今回の封印は多分魂を削るほどのものになる。
そうすれば、しばらく転生できない。
何度も転生してきた私達が話し合った結果、死ぬ間際の魂の状態で次の転生までの時間が決まるのではないかという説が有力だ。
魂を削ることなくおだやかに死んだときは、わりとすぐ生まれ変わる。
逆に、魂を削るほど霊力を使って死んだときには、転生までに時間がかかる。
それこそ百年かかることもあった。
今回も、この人が生きている間に転生することはできないだろう。
そして、この人が死んだら、生まれ変わってきてもそのときには記憶がなくなっている。
私のことを忘れているから、探してくれることもない。
たとえどこかですれ違っても、きっとわからない。
もう二度と会えない。
私の『半身』と、二度と会えない。
「―――!」
突然、理解した。
『今』しかなかった。
私が『半身』と過ごせるのは『今』しかない。
私、馬鹿だ。
せっかくあの人と再会できたのに。
せっかくあの人と過ごせたのに。
前世の死ぬまでの三年、側にいればよかった。
今生生まれ変わってすぐ、あの人のところに行けばよかった。
後悔ばかりが激しい波となって押し寄せてくる。
胸が苦しい。喉の奥も苦しい。
悲しい。苦しい。つらい。
ぎゅうっと膝の上の拳を握る私をどう思ったのだろう。
梅様が、優しい声で言った。
「残り時間は少ない。
だからこそ、『唯一』の『半身』に出会えた幸運を喜びなさい。
何度も生まれ変わる私達だけど、同じ人間に会えることなんて滅多にない。
そんな中で再会できた幸運を喜びなさい」
幸運を、喜ぶ。
梅様の言うとおりだ。
後悔ばかりしていても仕方ない。
今は、この幸運を喜んで、この人の側にいよう。
この人の側にいるだけでしあわせだから。
だってこの人は、私のただひとりの夫だから。
そんな私の考えを見透かすように、梅様が問うてきた。
「前世で、夫だったんでしょ」
なんで知ってるの?
あ、黒陽に聞いたのね。
うなずく私に、梅様は優しく笑って、言った。
「今のあんたは幼女だから身体を重ねることはできないけれど、側にいて一緒に過ごすことはできるわ。
次に生まれ変わったときにまた出会えるとは限らない。
もう二度と出会えない可能性のほうが高い。
だからこそ、お互いに満たし満たされてしあわせを味わいなさい」
『しあわせを味わう』
そう言葉にされると、またも不安が頭をもたげてくる。
さっき反省したばかりなのに。
それでも長年思い続けこびりついた考えは、私にからみついて離れてくれない。
やっぱり私はしあわせになっちゃいけないんじゃないかしら。
罪を償うためには『しあわせを味わう』なんてしてはいけないことのように感じる。
そんな私の柵を断ち切るかのように、梅様はきっぱりと言った。
「『しあわせ』になっても、いいのよ」
その言葉に、私を縛るナニカがゆるんだ気がした。
私はきっと間抜けな顔をしているのだろう。
梅様は楽しそうに笑っていた。
「――『しあわせ』に、なっても、いいの?」
「いいわよ」
そして、口をとがらせてこんなことを言う。
「あんたが『しあわせ』になってくれないと、私達が『しあわせ』になれないじゃないの」
わざと悪ぶって言う梅様がおかしくて、ふふっと笑ってしまった。
笑ったら、少し力が抜けた。
ああ、私、この人の側にいてもいいんだ。
ずっとはいられない。わかってる。
『災禍』を見つけて、封印におもむくまでの短い間だけ。
その間だけなら、しあわせになってもいいんだ。
「――ありがとう――」
しあわせになることを赦してくれた、背中を押してくれた梅様にお礼を言うと、梅様はにっこりと笑ってくれた。
隣で蒼真も笑っている。
「時間の許す限り、この男としあわせに過ごしなさいな」
こくりとうなずく。
梅様の言うとおり、しあわせに過ごす。
許されるかぎり、ずっと側にいる。
そばにいるだけでしあわせだから。それだけは間違いないから。
「まあ幼女相手じゃ夫としては物足りないかもしれないけど、そこは我慢させなさい」
「我慢?」
何のことかと首をかしげると、梅様が説明してくれる。
「幼女じゃ、身体を重ねられないでしょ?」
身体を重ねられない?
身体を……重ねる……?
それは、アレかしら?
ぎゅうってしてくださった、アレのことかしら?
身体がぴったりくっついて、あの人に包まれて、支えられて、すごく安心してしあわせな気持ちになった。
それのこと?
じゃあ、抱きしめてもらうことはできないの?
「そうなの?」
身内以外の男性には子供は抱きしめてもらってはいけないのかしら?
私、この年齢のときに身内以外の男性と接したことがないからそんな決まりがあるなんて知らなかったわ。
「――え? 待って。こいつ、そっちもイケるの? 変質者なの? ヤバいヤツなの?」
梅様がなにかぶつぶつ言っている。何かしら?
それよりも。
「子供の身体では、ぎゅうってしてもらったら駄目なの?」
またぎゅうってしてもらえたらうれしいなあって思ったのだけど。
なんで子供では駄目なのかしら。
私の問いかけに梅様は大きな目をさらに大きくして息を飲んだあと、大きな声を吐き出した。
「――ああ! そっち!! そういうの!!
びっくりしたー!! アブナイ奴かと思ったわー!!」
「あぶないの?」
だから駄目なの?
首をかしげたら梅様はあわてたように手を振った。
「ああ、違う違う。こっちの話。
ええと、何だったかしら。そう。『ぎゅう』。『ぎゅう』ね。
それは、抱きしめてもらうってことよね?
それは問題ないわ。大いにやってもらいなさい。
ていうか、やらせてやりなさい。
きっと喜ぶから!」
「そうかしら」
私はうれしいししあわせなんだけど。
それであの人が喜んでくださるかしら?
「そうよ。そうね。口づけ――接吻までなら、いいんじゃないの?」
「せ――」
途端にあの別れを思い出す。
あの人が智明さんだったとき。
別れの夜に、唇を重ねた。
ボンッと顔が赤くなったのがわかった。
落ち着かなくなって、わたわたしたけれどどうにもならなくて、結局両手で顔を隠した。
「――え? 夫だったのよね?」
梅様のあきれた声が聞こえる。
黙ってうなずく。
「え? 何歳のときの夫?」
「十八…」
「相手は?」
「二十八…」
「「……………」」
「……え? それで、ナニもなかったの?」
「………せ、接吻、しま、し、た」
「「…………」」
ううう。は、恥ずかしい。
二人は黙っている。
きっと、さんざん『しあわせになっちゃいけない』とか『側にいられない』とか言っておいて接吻してるのかって思ってるに違いないわ。
でもあれは別れ際だったし。最後だったし。死に際だったし。
ぐるぐるしていると二人が何かコソコソと話し始めた。
「……これ、アレよね。子供のちゅーよね」
「……それ以下っぽく聞こえるのは僕の気のせいかなぁ……」
何かしらと顔をあげると、真顔の梅様と目があった。
「……黒陽も認めた夫だったんじゃないの?」
「認めてたわよ?」
「「………」」
何かしら?
首をかしげるとまた質問がきた。
「何年一緒だったの?」
「……四か月……」
「「………」」
ああ、きっと二人共あきれているんだわ。
さっきさんざん『側にいられない』って言ってたくせに四か月も一緒にいたのかって。
恥ずかしくていたたまれなくてまた顔を伏せてしまった。
「……ちょっと、戻って黒陽に詳しく聞いてくる」
「後で教えて」
「もちろん」
梅様は蒼真となにやらボソボソ話をしたあと、「まぁあんたはあんたの好きなようにしなさい」と笑って帰っていった。
蒼真も席をはずし、また眠る青羽さんとふたりきりになった。
なんだかつかれた。
考えることがたくさんできた気がする。
ちょっと落ち着いて、ゆっくり考えよう。
眠る青羽さんの横に戻り、いつものように左手を取る。
苦しそう。
でも、側にいられてうれしい。
青羽さんの顔をじっとみながら、さっきの梅様との話について考えていった。
智明だったときの話は『助けた亀がくれた妻』をお読みくださいませ。




