第ニ十六話 お説教
時折蒼真に様子を確認してもらいながら、青羽さんに霊力を流す。
青羽さんは意識が戻らない。熱も下がらない。
ただ苦しそうに荒い息をするだけ。
それでも、側にいられることが、うれしい。
手をつないでいられることが、お顔を見ていられることが、うれしい。
青羽さんがこんなに苦しんでいるのに、こんなふうに喜んでいる自分はひどい人間だと思う。
こんな最低の私では、青羽さんにふさわしくないと思う。
それでも、青羽さんを――私の『半身』を求めてしまう。
自分でも、どうしていいのかわからない。
幼い身体の私では青羽さんを支えられないから、薬は蒼真が飲ませてくれた。
私の仕事は、霊力を送ることと、時々水を含ませた布を口に当てること。
「早く元気になりますように」そう願って、霊力を送る。
半月ほど経っただろうか。
やっと青羽さんの意識が戻った。
一瞬だったけど、うっすらとだったけど、確かに目が開いた。
涙がでそうなくらいうれしかった。
またすぐに眠ってしまったけれど、回復の兆しに私はただただうれしかった。
一瞬だけど青羽さんの瞼が開いたと蒼真に告げたら、すぐに梅様が来てくれた。
梅様は今は五歳。私と一歳違いの幼い身体だけれど、以前と変わらずテキパキと仕事をこなす。
幼い身体でもあれだけできるなんて、本当にすごい人だと思う。
「意識戻ったって?」
「うん」
「ちょっと診るわよ」
そう言って、かけていたお布団をべりっとはいだ。
――あれ? なんか、違和感が……?
青羽さんの身体をを清めるのも着物を替えるのも、蒼真がやってくれている。
身体のちいさい四歳の私には青羽さんを支えることさえできない。
「竹様ー。交代だよー」と言って、夜は蒼真が診てくれている。
そのときに身体を清め、着物を替えてくれているらしい。
私は眠らせてもらっている。
「長丁場の看病になるからね。
ちゃんと食べて、ちゃんと寝ないと。
病人増やすようなことしないでよ?」
初日に蒼真にそう言われたからだ。
だから、私は知らなかった。
いつも左手を握って、左側にいたから、わからなかった。
梅様は霊力を流したり身体に手をかざしたり、私にはよくわからないことを色々としていた。
「ん。順調じゃない?」
その言葉にほっとした。
「腕の傷はどうなった?」
「そっちも順調だよ。診る?」
「診る」
テキパキと蒼真が青羽さんの着物を脱がす。
え!? 脱がすの!?
ちょっと待って、と退室しようと腰を上げて――
な に ?
梅様と蒼真が見ているのは、青羽さんの右腕。
なんで うで が ない の ?
シュルシュルと布を取り、二人は傷口を確認している。
順調だとかこれならとか、なにか話しているけれど、理解できない。
なんで青羽さんの右腕がないの?
なにがおこっているの?
理解できない。
わからない。
なんで。なにが。なんで。
「――なんで、うでが、ないの…?」
ぽろりとこぼれた言葉に、二人は驚いて、しまったという顔をした。
「――むしろなんで気づいてなかったのよ…」
「竹様だからねぇ…」
ボソボソとなにか言ってる。なに?
梅様が「ちょっと待ってなさい」と言うので大人しく診察が終わるのを待つ。
じっと座っていても、胸がざわざわと落ち着かない。
やがて元のように青羽さんに着物を着せ布団をかけて、梅様と蒼真が私の前に座った。
二人共、真剣な顔をしている。
「――よく、聞きなさい」
そして梅様が青羽さんの状態を教えてくれた。
濃い瘴気に侵されていたこと。
全身真っ黒に焼け焦げて、人の形をした消し炭のようだったこと。
骨も内蔵もぐちゃぐちゃだったこと。
右腕が肘から千切れていたこと。
――そんなの、聞いてない。
私が聞いたのは、青羽さんが立派に戦ったこと。
戦いで霊力を失ったこと。
そんなに酷い状態だったなんて、聞いてない。
「――特級の浄化陣を五つ叩き込んで全身を浄化して。
勾玉のチカラを最大限に使って全身を再生させた。皮膚も筋肉も内臓も。
そこまでしても腕の傷の瘴気は取り除けなくて、傷口が膿んで腐っていった。
だから腕の瘴気がどこまで浸透しているか見極めて、斬った。
これでもなるべく長く残したつもり」
梅様の勾玉。
前の世界にいたときからずっと使っている、特別な霊玉。
霊力を込めることによって対象の再生力に影響を与えると聞いている。
赤い霊力は再生力を加速させる『超再生』
白い霊力は再生力を奪い滅する『超破壊』
過ぎた薬は毒になる。
毒は使い方次第で薬になる。
梅様は必要に応じてその使用量を加減して、治療に、退魔にあたっている。
特級薬師の梅様の使う治癒術の何倍も、何十倍もの効果のある勾玉のチカラ。
その『超再生』を最大で使わなければならないほどの状態だったなんて。
そんな。
「ほとんど壊死していた皮膚と筋肉の再生。加えて骨折と内蔵破裂、残ってた筋肉もあちこち断絶していたのを全部治した。
それだけの負担を強いたから、ただでさえ生命力に影響を与える治療をしたから、反発が予想されて霊力までは補充できなかった」
梅様がひとつひとつ説明してくれているみたいだけど、何を言っているのかわからない。
言葉がアタマにとどまってくれない。
「私達が診たときには霊力も枯渇寸前で、いつ死んでもおかしくなかった。
身体は治したけど、霊力まで一気に戻したら逆にこの男が保たなくなる。
だから、霊力はゆっくりじっくり入れて戻さないといけない。
再生した身体をなじませるのにも霊力がいるしね。――わかる?」
わからない。理解できない。
なのに私はこくりとうなずいていた。
「――黒陽に聞いたわ」
梅様がひとつため息をついて、私を見て、ちらりと青羽さんの方を見て、言った。
「この男、あんたの『半身』なんだって?」
こくりとうなずく。
そんな私に、梅様と蒼真は顔を見合わせたあと「はぁぁー」と大きなため息をついた。
なに?
二人は軽く首を振って、また私をじっと見つめて言った。
「金属性と水属性で相性もいいし、『半身』なら、より霊力が馴染むでしょう。
この男に霊力を注ぐのは、あんたしかできない。
この男を助けたいなら、あんたが霊力をゆっくりと注いで、満たしてやるしかない。
わかる?」
今度はわかった。
こくりとうなずく。
「治療に時間がかかることはわかっていたから、結界を使ってこの館と外界は時間の流れを変えてある。
この館では半月経ったけど、外界ではまだ二日経ったところよ。
豊臣にもあれから動きはない。
まあ気長に、ゆっくりやんなさい」
これで話は終わり。と言いそうな梅様を「あの」と声をかけて止める。
一番聞きたかったことの答えをまだもらってない。
「――なんで、青羽さんの腕がないの…?」
「だから」
「私のせい……?」
二人は黙ってしまった。
やっぱり、そうなんだ。
「私が、黒陽の言うとおりにあの『禍』を滅しなかったから…?」
だから、青羽さんは右腕を失った。
「私が青羽さんに霊玉の浄化をお願いしたから…?」
私のせいで、青羽さんは右腕を失った。
「竹」
「私が余計なことをしたから、青羽さんは死にそうなほどの傷を負ったの?」
「竹」
「私がいたから、青羽さんを巻き込んだの?」
答えてほしい。
教えてほしい。
私が悪いのか。
私のせいなのか。
梅様は答えてくれない。
口をぎゅっと引き結んで私を見ている。
蒼真はただ黙ってうつむいている。
尚も言葉をつむごうと口を開いたら、梅様がずいっとちいさな手のひらを出してきた。
待て。と示され、口をつむぐ。
梅様は私をじろりとにらんできた。
怒ってる。
やっぱり、私のせいなんだ。
「――聞きなさい。竹」
梅様はきちんと座り、手も膝に戻した。
つられて私もきちんと座る。
首がうなだれてしまうのが情けない。
「――この、馬鹿!」
大きな声にビクリと首がすくむ。
そんな私に、梅さんはさらに雷を落とす。
「何もかも自分のせいにするのをやめなさい!
あんたが抱えたって、世の中は変わらない。
事態もかわらない!
あんたが疲弊するだけよ!」
その言葉の強さに、息を飲む。
私が疲弊する、だけ?
「あんたのせいかもしれない。
でも、あんたのせいではないかもしれない。
もちろん、無責任に結果は知らないなんてのは論外よ。
でも、あんたみたいに何もかも抱える必要はない!」
抱える?
私、が? 何を?
「目をひんむいてよく見なさい。
よく考えなさい。
あんたはいつを生きているの!?」
いつ? いつって、何?
話が早すぎてついていけない。
頭がぐるぐるする。
何? 何?
そんな私に構わず、梅様はどんどんと話を進める。大きな声で叫ぶ。
「あんたが生きているのは『今』なの!
『過去』でも『未来』でもない!
起こったことに囚われてぐずぐずするのがあんたのすべきこと!?
起こるかもしれないことを恐れて逃げ回ることがあんたのすべきこと!?
違うでしょ!!
あんたのすべきことは、『今』を見ること!
今現在、起きていることを受け止めて、今、対処すること!
後ろばっかり見るんじゃないわよ!
未来を恐れて逃げ回ってんじゃないわよ!
『今』に立ち向かいなさい!」
梅様の言葉を反芻する。
私はとろいから、いっぺんにいわれてもすぐに反応できない。
梅様の強い視線を受けながら言葉を咀嚼する。
咀嚼して、考える。
自分のせいにするのをやめる。
抱えなくていい。
『今』に立ち向かう。
今、起きていることを受け止める。
今、対処する。
梅様の言うことは、わかる。頭ではわかる。
でも。
「――だって」
でも、ココロが納得しない。
「私がいなかったら、青羽さんは霊玉を手にしなかった。
私が守護石を作ったのを見て、真似したら霊玉がきたんだもの」
そう。私のせいで。
「私がいなかったら、青羽さんはこんな目にあわなかった」
私がいなかったら、青羽さんは霊玉守護者にならなかった。
戦いにおもむくことはなかった。
死ぬほどの傷を負うことも、腕を失うこともなかった。
私がいたから。
私のせいで。
「そうして『半身』に出会うことなく、平凡に暮らして平凡に死ぬの?」
思ってもいなかった考えに、頭が固まった。
思わずうなだれていた頭をのろりと上げる。
梅様は眉を上げて、蒼真は眉を下げて私を見ていた。
「私はまだ『半身』といえる相手に出会っていないから本当の意味ではわからない。
でも、色々と話は聞いてた。
『半身』っていうのは、唯一なんでしょ?
かけがえのない存在なんでしょ?」
黙ってうなずく。
そんな私に、梅様はあきれたようだ。
「そんな存在に会えるなんて、どれだけ幸運か、わかってんの!?」
きょとんとする私に、梅様はまた怒鳴った。
「わかってないでしょ!?
『ただひとりの人』に出会えるということが、どれほど奇跡的なことか!」
――それは、確かに。
誰もが『半身』に会えるわけじゃない。
会えない人がほとんどだ。
そうだ。会えただけで、すごいことなんだ。
指摘されて、改めて出会えた喜びに胸が震える。
「あんたはどうなの!?
『半身』に会えて、うれしくないの!?
しあわせじゃないの!?」
そんなの、決まってる。
「――うれしい……。
会えて、うれしい。
側にいるだけで、しあわせなの」
「ならなんで相手も『そう』だとわからないの!?」
その言葉にハッとする。
そうなの?
この人も、そう感じてくれている?
突然、智明さんの言葉が思い出された。
「貴女の側にいるだけでうれしい」
あの人はそう言ってくれていた。
梅様の言うとおりかもしれない。
智明さんの記憶のないこの人も、私が側にいるだけで、しあわせを感じてくれるのかもしれない。
そうなの?
この人も、そうなの?
そんな私の迷いがわかったのだろう。
梅様が諭すように言った。
「『半身』に会えずに、何も知らずに平凡に過ごすのもいいでしょうよ。
でも、『半身』に出会う喜びは、『半身』と一つになる幸福は『何物にも代え難い』て聞いてるわよ。
違うの!?」
「……ちがわない、です」
そう。ちがわない。
「この人といるだけで、しあわせ、なの」
でも。
「でも、私は、しあわせになっちゃいけないじゃない」
苦しいのをおさえて、梅様に訴える。
梅様は、顔をしかめた。
蒼真は悲しそうな顔で黙っている。
「私のせいで、私が『災禍』の封印を解いたせいで、たくさんの人が死んだ。
たくさんの人のしあわせを奪った。
そんな私が『しあわせ』なんて。
許されることじゃない。
私は罪人らしく、罪をつぐなって生きていかないといけない」
だから、会えない。
側にいられない。
私は罪人だから。
『しあわせ』になっちゃいけないから。
ただうなだれるしかできない私の耳に、梅様の声が届いた。
「あんたが罪人なら、私も罪人よ」




