XII-12白銀の島
「準備はいいか?」
「ええ。―――セリナ?」
「ちゃーんと持って来たよ」
わたしは手提げカバンから、テンペレットでお世話になったフーヌ・ネヨホを取り出した。
実は昨日カバンの整理をしていて、ネヨホがどこかへ飛んでいってしまわないように、カバンの肩紐にくくり付けていた。部屋に戻って来た時にそれを見つけたのだ。これがあれば、きっとどんなそよ風でも捕まえられる。
「ん。じゃあ開けるぞ?」
2人で頷くと、ディムロスは書斎の窓を開け放った。
ふわりと、冷たい風が体を撫でる。手から離れたネヨホは、反対側で開けられていたドアに吸い込まれていった。ほとんど重さのない不思議な種は、時折壁にぶつかり、時に落ちそうになりながらものろのろと私たちを導いた。
やがて、
「ここ、1階だよね?今どの辺?」
「……ちょうど家の中心辺りだな」
「先ほどは1番奥でしたよね?まさか、元へ戻っているということは……」
「いや、その心配はない」
ネヨホが直角に折れた。見失わないうちにさっと角を覗く――と、ゴォォっと強風が髪の毛を引き千切らんばかりに吹き付けた。
「ご到着〜か」
吹き戻されたと思われるネヨホを掴んだディムロスは、おどけた調子で作戦成功を告げた。
「本当にここでよろしいのでしょうか?」
ナギは不安そうに彼を振り仰ぐ。もし間違えていれば、また始めからやり直しなのかな……。
「おそらく。風はここで止まってるしな」
「じゃあ……どうするんだっけ?」
「ええっと……あの、赤い何かの行じゃないかしら?――ほら、両角の上に何かあるわ」
ナギの指す方向に目を向けると、暗がりに黒い塊がある。近付くと、赤い3つ目のガーゴイルっぽい像だった。
“8つの絳が出会う時、重い扉は開かれる”
詩には確かそう書かれていたはずだ。
「かっこいいなー。あれ?けど、あと2つ足りない」
「何言ってるのセリナ。ここにいるじゃない」
さも当たり前のように言う彼女は、私たちの後ろに佇む彼に視線を送る。そっか。ディムロスの瞳も絳色だった。
「ディムロスさん、あの像と目の合う場所へ移動していただけませんか?」
彼は頷き、数歩下がった。この辺りだなと小さく呟くと――
「――わっ!?」
何の前振りもなく、床に穴が開いた。現れた瞬間を目撃して飛び退いたからよかったものの、気が付かなかったら真っ逆さまだと思うとぞっとしない。
「重い扉は開かれたり、だな」
「……底、見えないね」
「ああ。相当深いようだな」
「まさか、ご自分の家にこのような仕掛けがあるとは思ってもみませんよね」
私たちは恐る恐る穴を覗き込み、口々に感想を漏らす。光も届かない、真っ黒で大きな穴だ。
「これ、降りなきゃいけないの?どうやって行く?」
「これには何も書かれてないな」
いつの間にか取り出した赤表紙本をめくるが、すぐに閉じてしまった。
「梯子のようなものは置いていませんか?」
「どれだけ深さがあるのかわからないんだぞ?それに、あまり時間もないようだ」
「え……?」
見ると、大きな口を開いていた穴が、段々と小さくなっている。
「まあ!どうしましょう!まさか、閉じてしまうと2度と開かないとは言いませんよね?」
「わかり兼ねる……が、とにかく今行かなければ開かなくなる可能性は――」
「じゃあ」
わたしは顔を上げて、すっと立ち上がった。その後を2人の視線が追う。
「こんなところでぐずぐずしてる場合じゃないよね」
笑みが込み上げるのを止められず、ナギとディムロスの手を掴んで立たせた。
「せ、セリナ?」
「おいちょっと待て。いくらなんでも――」
「――問答無用!」
大きくジャンプして穴に飛び込んだ。
「きゃあぁぁぁぁぁ〜!!」
耳元でゴウゴウ唸る風音に混ざって、ナギの悲鳴が聞こえる。
始めはスカイダイビングでもしているように、ものすごい風圧を受けながら落下していたが、次第に緩やかになり空中を漂う程度になった。
「どういう仕組みなのでしょうか、これは」
「さあな。――それよりセリナ。もしあのままの速さで底に着いていたとしたとしたら、どうするつもりだったんだ?死んでいたかもしれないんだぞ」
怒られた。まあ……確かにそうだ。
「けど、そうならなかったし……もしそうなってもディムロスが何とかしてくれたでしょ?」
「まあ……いや、しかし……」
ナギは言い淀む彼を見て首を横に振る。ちょっと笑っていたようだけど……どういう意味だろう。
「だがな、セリナ」
溜息を吐くと彼は、起用に手首を捻って逆にわたしの手首を掴んで続けた。
「今後、今回のように何も言わず道連れにするようなことがあれば、本気で怒るからな」
言ったら止められると思ったから言わなかったんだけど……
「はぁい」
胸の内は明かさず、直に返事をしておいた。
やがて、さらに落下速度が落ち、私たちは難なく着地することが出来た。そこは、青白く発光する壁と、アーチ状の穴がたくさんある部屋だった。
「どの穴へ行けばいいのでしょうか」
「導き手の導くまま」
ディムロスが答えると、まるでそれが合言葉だったかのようにネヨホが1つの穴に吸い込まれた。
ほんのり明るい穴の中を、ネヨホを追っていくと一層広い空間に出た。
「あれは……」
広間の向かい側には、大きな円形の扉。近付くとギザギザの割れ目上に、丸く光るものがあった。目の高さにあるそれを、ディムロスが覗き込む。
「古代紋章だな。“唱えよ、運命の開始者”とある」
「何を唱えればいいの?」
「んー……それしか書いてないからな……。とりあえず知っている単語から試すか。翻訳してやるから」
「でしたら、関連性のあるものの方がよろしいですよね」
例えば?と問うと、精霊さんの名前とか。と返ってきた。それならと、順を追ってディグニさんから。
「属性は?」
「水です」
「アーソーポス」
ああ、ゲンさんの昔話に出てきた名前と同じ気がする。けれども扉は何の変化も見せない。
「じゃあラルク!」
「フラジア」
――……だめ?
「ルシフさん」
「アイオロス」
――無反応。
「ノーム!」
「ゲーノス」
――ピクリともしない。
「ウグトさん――木です」
「クシュロ」
――物音一つしない。
「闇は?」
「ハーディス」
――いい加減、反応してくれないかな。
「光の精霊さん」
「ヘーリオス」
…………
……………………
「「う〜ん」」
他に何かあったっけ?
「あーっと……オーケアニテス!――だめぇ?」
「他は……ウーラノス――違う。ワグナー……でもないか。あとは――」
「「アルケモロス」」
いきなりすうっと扉が斜めに口を開いた。
「あー……すまない。訳し間違えたようだ」
眉間にシワが寄っていた。本当に、自分に厳しい人だ。
「いいじゃない、開いたんだから。ね?」
「……そう、だな……」
少しうれしそうに、ディムロスは笑った。
扉の向こうは、さらに奥へと続いていた。そこに、また扉がある。
「何て書いてあるの?」
「“力を解き放て アライオス”」
またまた眼の高さにある紋章を解読すると、ナギがあの風の力のことですかと確認した。
「そのようだ。退がっていてくれ」
前に出た彼は、凹んだ箇所に手のひらを押し当てた。
目の前でまじまじと見るのは初めてだった。ナギはわたしが気を失っている間に見たらしいんだけど……。
止まっていた辺りの空気が急に動き出し、ゴウゴウと背後から前方へ――ディムロスの所へ集まっていく。そして次の瞬間―――!!
練り上げられた風が、爆発的に打ち出された。
扉で跳ね返ってきた爆風によって体がふわりと浮いたけれども、重い地響きと共に再び音もなくなった。
「怪我はないか?」
地面にへたり込んでいたので心配されたんだろう。せっかくなので差し出された手を握り返して立たせてもらった。
「平気。でもびっくりしたぁ。どうやったらあんなこと出来るの?」
「どうやってと言われてもな……。気付いたら出来てたんだ。感覚的なものだからよくわからない」
「ふうん……」
「それにしても―――」
そこで、彼はたった今開けたばかりの扉の向こうを少し離れたここから見据える。
「何も見えませんね」
ナギがわたしの脇から顔を出した。
「いや」
否定されて、わたしはよくよく目を凝らして闇の彼方を凝視する。すると、一箇所だけ淡い光を発しているのを見つけた。光に近付くと、意外と近くにあった。闇と薄明かりの協会にそれはあった。円盤型の乗り物のようだ。手すりがついてる。誰ともなく乗り込んだ私たちは、一言も発しなかった。行くしかないのだから、逡巡しても致し方がないとわかっていた。
円盤に乗り込むと、低い機械音をさせて、何の衝撃も与えずに動き出した。手すりの手触りは、今まで触れたことのないものだった。金属でも石でもない。妙に温かみのあるモノでできている。
次に、周りを見渡したが、依然として何も見えない。入ってきたばかりの扉さえ見えなくなってる。思ったより早く動いてるみたいだ。けれども、これだけ見事に真っ暗だと、どの方向に進んでるのかわからない。素肌に風が当たる感触はないし、ディムロスが持ってるネヨホも動かない。それなのに、動いているという感覚はあった。
ふと、その感覚が唐突になくなった。
「……止まり、ましたよね?」
ポツリとナギが自信なさそうに尋ねた。
「ああ」
「それで?」
「ん?」
ぼんやりと闇に溶け込んでいってしまいそうなディムロスの顔を見上げ、首を傾げた。
「入り口を見つけました。扉を2つ開けてここまで辿り着きました。その次は?ここに来れば、光と闇の精霊の居場所がわかるんでしょ?」
『半分正解で、半分不正解です』




