XI-3高く古きものの島
やはりその声は、木のざわめきの混ざった不思議な声だった。
声の持ち主が、枝の上に姿を現す。霧は、いつの間にか薄れていた。
長く、木の枝のような髪の毛に木肌の体。青々とした葉を身にまとい、男だか女だかわからない顔をしている。
「あーえっと…こんな所からで悪いんだけど、こんにちは。わたしはセリナ、でそっちがナギ」
「セリナ、あなたのん気に紹介している場合じゃないでしょう?まずは敵なのか味方なのかとか、このツルを解いてくれないかとか、そういう事を聞きなさいよ」
「あ〜。だ、そうですが?」
ウグトは枝の上に立ったまま、しばらく何も言わずに私たちを眺めていた。
森はシン……と静まり返っている。次の言葉を、固唾を呑んで待っているかのようだ。
『また、クシュロを刈りに来たのか』
「また……?」
何のことだかさっぱりだ。
『クシュロパゴスなれば、たとえ子供なりとも生かしては帰さぬ』
言っている事はわからない。けど、ウグトは明らかに私たちを敵視している。綺麗な顔を憎々しげに歪め、鋭く睨まれた。
な、なにか…なんでもいいから言わなきゃ!でも、何を……?
「さ、さっき、わたしがツルを切ろうとしたのは確かだよ。けど、私たちはクシュロパゴスなんかじゃない」
出た言葉は、自分でも驚くほど話を理解した上で発しているような言葉だった。
『証拠はあるのか。クシュロパゴスではないという証拠は』
「私たちの荷物を調べてもらってもかまわないよ。こんな立派な木を切れるような道具は持っていない。火は明かりや食事の時にしか使わないし、短剣は身を守ったりする時にしか使わないよ」
『…………』
「納得できない?」
ウグトはしばらく黙って下を見ていた。あまりにも長くそうしているので、目線を追って地上を見ると、私たちの荷物を片付けている所だった。
『……所持品だけでは判断しかねる。人間は危険な生き物だ』
「そんな人ばかりじゃないんだけどなぁ」
「お願いです!信じてください!」
私たちにクシュロ(=森の木)を傷付ける気はないと、いくら説いてもウグトは耳を貸さなかった。
『口では何とでも言えよう。――お前達を試す。来なさい』
途端に、動きを奪っていたツルが緩んだ。当然、吊るされていたのだから、
「「ああぁぁぁぁぁ〜〜〜!!」」
ドロッピングアクション全開ですよ。
ボスッと、枝や葉の障害物のおかげで大怪我することなく…落ちることができた。ただ、服が破れたり傷ができてたり、青あざができた程度ですんだ。
落ちたショックに呻いていると、今まで感じなかった突き刺さる視線に気付いた。1つや2つばかりじゃない。それこそ、360度木々の数だけ目があるようで、ぞっとしない。
「…試すって、どうやって?」
鋭い気配に気を配りながら、慎重に腰を上げて尋ねた。
『審判にかける』
試すと言ったのに、審判…?どういう意味だろう?色々詰問して、真理を引き出すつもりだろうか。
『ついて来なさい』
ウグトは木の根の足をゆっくりと動かしだしだ。足運びはそう速くないのだが、歩きにくいでこぼこ道をするすると進む。わたしとナギは再び深まる霧の中、脱出の希望を見失わないように急いで後を追った。
「ねえ。あなた、木の精霊だよね?」
『……………』
「私たちの話を聞いて下さい」
『聞くことなど何もない』
ウグトはやはり耳を塞ぎ、これ以上何も聞きたくないと、足を速めた。
多少距離が開いても、精霊の姿は霧に紛れることなくハッキリ見て取れる。まるで、霧の方がウグトを避けているようだ。
やがて、私たちの周りからも乳白色の膜が引き、急に視界が開け、
「「―――っ!?」」
目の前にそびえる、巨大な老木に目を奪われた。
ナギの家が建つ湖の木よりも、もっともっと大きく、もっともっと年を重ねてきた木だ。
初めてハッキリと周りを窺えるようになり、ここが森の中心だと悟った。足元には幾万本もの根がはびこり、表面はコケで覆われている。
『審判の間』
老木の根本で立ち止まったウグトは、背景に溶け込んで見える。
「ここで…何?尋問とかするの?」
ウグトは答えず、すうっと右手を真っ直ぐ上に伸ばした。そして、それが前――つまり私たちの方へ振り下ろされ――
「っ!?きゃあぁぁぁぁぁ!!」
「ナギ!?」
蛇のごとく、かつ素早く伸びてきたツルは、あっという間にナギを捕らえて高く持ち上げた。
「何すんの!ナギを降ろして!!」
手の届かないツルを諦め、ウグトに掴みかかった。けれども木の精霊は何も反応しない。喚いている間にも、ナギは老木の“ウロ”に入れられてしまった。
ナギの、助けを求める声が唐突に途切れる。
わたしは空ろな目をして固まってしまったウグトを放って、虚へ駆け寄る。
「ナギ!ナギ!?返事して!!」
ツルはマユのように彼女を包んでいた。荷物も取り上げられているわたしは、素手でツルを引っ張りながらナギを呼び続ける。しかし、
『審判中だ。静かにせよ』
グッと肩をつかまれ、伸びてきたツルに元の位置へ戻された。ついでに動きも封じられ、なすすべもなく再び光をなくしていくウグトの瞳を睨みつける。
やがて―――
『よかろう』
精霊の呟きと共に、マユが次々に解かれていった。わたしは、未だに宙吊りにされたままだ。
「ウグト!ナギは大丈夫なの!?怪我してないよね?死んでないよね?」
『…………』
相手は無言のまま、裁決の手を振り下ろした。
・・・
木立のざわめきが耳をくすぐり、私は目を覚ましました。
いったい、何があったのでしょうか。私はいつの間にか広場の真ん中で横になっていました。
「セリナ…?」
そういえば、ウグトさんは一歩も変わらない位置にいらっしゃるのに、彼女の姿が見えませんでした。まさか…セリナも私と同じようにあの中へ……。
「ウグトさ――」
腐葉土に手を付き、真相を確かめようと声を掛けた時でした。私は木々のただならないざわめきに思わず身を縮め、言葉が詰まりました。
風が吹いている様子はありません。今まで体験したことがないのでよくはわかりませんが、“殺気立った”とでもいうようなざわめきです。
ふと、古く大きな木の穴に、大きなマユのような塊があることに気が付きました。
私はピリピリとした空気の中、ゆっくりと歩き出しました。周囲に立ち並ぶ木々から、あるはずのない突き刺さるような視線が投げられます。
「ウグトさん」
石のように固まっていた精霊さんがぎこちなく動き、空ろだった目に光が宿りました。
「セリナを返して下さい」
『………』
「私たちは世界の消滅を防ぐために、あなた方精霊を尋ねてワグナー・ケイを集めています。どうか、力を貸して下さい。セリナを開放して下さい」
心のないような瞳を半ば睨みつけ、私は返事を待ちました。
『……あの娘はアルケモロス。生かしておく訳にはいかない』
返ってきた答えも、やはり心のないものでした。
「なぜですか!?セリナは何も悪いことはしていないはずです!なぜそのような事を―――」
『アルケモロスは我々に災いをもたらす。すぐにでも処分しなければ、取り返しのつかない事になりかねない』
「ですが…もしそうだとしても、セリナを元の世界へ戻さなければ、2つの星は消えてしまうのですよ!?あなたも、この森も、死んでしまうのですよ!?」
ウグトさんは相変わらず無表情に佇んでいます。私は精霊さんが何も言わないのを見て取り、
『我々は生きるために行っている』
口を開いたところで、上から被せられました。
『お前たち人間は生きるために生き物を殺して糧にしているだろう。生きるためには犠牲が必要だ。ならばなぜ、我々が狩る側に回ってはいけない』
「それは……」
『我々は生きるために大地から様々なものを吸収――すなわち命を奪い、お前達に必要な空気や土を作っている。だが、お前達は我々に何を与えている?何を返している?お前たち人間は奪ってばかりで何も返してはくれない。恩を仇で返すとはこの事だ。そんな人間に怒りを覚えぬ方がおかしい』
「そ、それは…そうかもしれませんが……」
『自然(我々)を破壊す人間を、我々はあえて今まで目を瞑ってきた。そのうち気付くと思っておったが……。忘れるな。我々にはお前達が太刀打ちできない程の“力”を持っている。それこそ、一振りの“力”で何千人、何万人もの命を奪うほどのな』
「…………」
『機は熟した。我々は人間を消していくことにした。アルケモロスの記憶を覗き、ますます生かしておく訳にはいかなくなった』
「セリナの、記憶…?」
ウグトさんは私の問いに、背後にある老木を指して言いました。
『あれは私の本当の姿だ。この体はただの作り物に過ぎない。人間の言葉を扱うには、この姿を取らねばならん。人間に、我々の言葉が解せるはずがないからな。そして私は、対象を包み込む事で、その者の記憶・身の回りで起きた出来事、または過去の出来事を視る事ができるのだ。―――人間の危険性は我々の想像を遥かに超えていた。よって、我々はまず、アルケモロスを排除する』
「!?そ、そんな!止めて下さい、お願いします!セリナは…セリナは私の大切な友達なのです!アルケモロスだからなんて関係ありません。お願いします、お願いします!!」
『……我々も、理不尽な理由で何度も友を失った。当然の報いだ。それに、これは我々の生死に関わる問題だ。すでに世界では異変が起こっている。心当たりが無いとは言わせぬ。これからもっと酷くなっていくだろう。何もかも、人間のせいなのだ!アルケモロスも、人間も、これ以上存在すべきではない!!』
ウグトさんの一際高い叫びに、森全体が賛成の声を上げました。
もう、諦めるしかないのでしょうか。
たった一人の大切な友達も救えず、私は、人間は自然に滅ぼされてしまうのでしょうか。
「…セリナ…」
あなただったら、どうやって止めるの…?




