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IX-1常磐の風の島

 ロウちゃん、アルミスさん、そしてウェーア。彼らと別れて今までにない苦しさを胸の奥で感じながら、わたしはナギとルシフの風の膜に包まれ、約一日がかりでテンペレットに着いた。

 テンペレットは風の精霊(ルシフ)の住む島とだけあって風が多く、カザグルマや大きな風車がいたる所に目に付いた。

 ルシフは私たちを人目のつかない所に降ろすと、“すぐに戻ってくるからうろついてて”と言い置いて、どこかへ消えてしまった。なので、草むらから抜け出した私たちは、彼女が戻って来るまで町の中をうろつく事にした。

「ここも大きな町だね」

「ええ、本当に。風がとても気持ちいいわ」

話しながらお店を覗いていると、

「あ、ナギナギ!これなんかど―――にゃっ!?」

突然ドンッ!と背中に衝突されて、危うく陳列棚に顔を突っ込みそうになった。そしてすぐに、肩が異様に軽くなっていることに気付く。


「・・・ああっ!?――待てこのドロボー!!」


 叫びながら、背の低い男を追って、全力疾走した。

 後ろでナギの声がしたけど、今はそれどころじゃない。

 必死に逃げきろうとする男と、必死に取り返そうと追うわたしの町中レース。

 テンペレットの人々は、あ然と遠巻きに見物していた。

「あーもう!誰か、その人捕まえて!泥棒!!」

って言っても、そうそう助けてくれる人なんているはずもない。

 やっぱ世の中冷たいね〜。

と、思っていたら、肩越しに振り返った泥棒の前に長身の人影がすっと出てきた。盗人はその人に気付くと、“どけ!!”と怒鳴りながらも突進していく。


 ぶつかる!!



――と思ったら、そいつは派手にスッ転んだ。

 何が起こったのかはわからないけれど、とりあえず長身さんが起き上がろうとした泥棒を踏み付けて、わたしのカバンを取り返してくれた。そして、やっと追いついたわたしに鞄を手渡し、濃い青い目で微笑む。――淡いウェーヴの掛かったエメラルドグリーンの髪を無造作にまとめた、貴族風の格好をした男の人だった。

 「ま、待ってください!!」

 何も言わずに立ち去ろうとする男を、ナギが息を切らせながら引き止めた。男が振り返ると、何も言わないわたしに代わって、お礼を述べる。その人は、“偶然通りかかっただけだから”と優しく言い、“急いでいるので”と肩幅の広い背中を翻して人混みの中に消えていった。

 泥棒は、駆けつけた牢番人さんに連れて行かれた。

「素敵な人ね。気品があって、優しそうだわ」

ナギは男の後ろ姿を眺めながら感歎していた。

「そう、かなぁ?」

「まあ、どうしてそんな事を言うの?良い人じゃない。私はてっきり、見とれていて何も言えないのかと思ったのに」

わたしが言葉を濁すと、ナギが問い掛けてきたので、

「う〜ん…なんか、上手く言えないんだけど…変な感じがした」

感じたままを伝えると、変なのって笑われた。


 しばらくして、ルシフが迎えに来てくれた。今の出来事を話しながら彼女の後についていく。もちろん、他の人にはルシフの姿を見ることが出来ないから、2人だけで話しているように見せかけて。

 広い道から、どんどん狭い小道へ導かれていった。前方には森がある。

『ここだよん』

ルシフが立ち止まった頃にはもう、ずでに町のざわめきは途絶えていた。

「え?ここだよって、ルシフ…」

彼女は私たちをからかっているのか、示す前方には周りと同じ木々の景色しかない。

『ありゃ?ケイ持ってても、これは見えないのかな?けどけど、とにかくここがあたしん家!玄関!!』

と、大手を振って再び進む。すると、ルシフの体が溶けるように消えてしまった。思わず目を見開き、驚く。

 目配せしあった後、わたしがおずおずと彼女が消えた辺りに手を伸ばすと――


――ぐいっ


「ぅわ!?」

『ほらほら何やってんの?早く入ってよぅ』

消えた腕をいきなり引っ張られて、わたしは踏鞴を踏みつつ、全身をナギの前から消した。

「うわぁ〜」

 景色が一変した途端、いろんな意味で驚いた。

 広々とした空間には、様々な家具やら服やら…物という物があちこちに浮かんでいた。それを除けば、普通の人間の部屋とそう変わりはないんだけど…

「…ルシフってさ、片付け苦手でしょ」

『あははは〜。いやあ、お恥ずかしいわぁ〜』

「では、まずはお片づけからですね?」

いつの間にか入ってきたナギも加わって、私たちは仕事に取り掛かった。


『おっ疲れー!!ごめんね、お客様に掃除させちゃって〜』

ルシフは斜め上にあるキッチンから、お茶とお菓子を持ってきてくれた。そう、斜め上から。

 彼女の家には多方角に床がある。例えば、今わたしのいるソファーから右手に、斜め上から見えるタンスがある。そこへ行きたいと思ったら、目的地へ向かって軽くジャンプすればいい。すると、そこの重力に引かれてタンスと平行に立つ事が出来る。物と物の間が無重力になっているので、地上にいながらも宇宙空間を味わえた。

 初めは気持ち悪かったけれど、慣れてしまえばそうでもない。

 ウェーアがいたら、さぞかし喜んだ事だろう。


○○○


 今日はルシフの知り合いに会いに行く事になった。

 何でも、ワグナー・ケイを持っていないのに、彼女の姿が見える人間らしい。ものすごく稀にだけど、そういう人がいるのだそうだ。


 森を抜けて市場の喧騒から離れた物寂しい丘の上に、その家はあった。

『人との付き合いが苦手な奴でねー。その割によく喋るから面白いよ』

「えっと…ちょっと、いいかな?ルシフ」

『うん?』

「あれ……何?」

わたしは古びた家の前にあるそれを指した。それは球体の、これでよく崩れないなと感心させられる、アンバランスに詰まれたモニュメントだった。それぞれに紋章が刻まれている。

『ああ、あれ?時々替えるんだよ。今回は積み木にしたんだ。結構良いじゃん』

 こんな、子供が無理矢理接着剤でくっ付けたような物を作る人って…。これは、誰が見ても引くなって思った。

 帰りたい気持ちを強めつつも、妙に感心しているルシフに導かれ、玄関の戸を叩く。

「……出てこられませんね。お出かけでもしていらっしゃるのでしょうか?」

一分ほど待ってみても、中で誰かが動く気配は感じられなかった。

 それにしても、こんな手入れもされていない家に、本当に人が住んでいるのか…。外から見る限りは、無人の廃屋にしか見えない。窓もカーテンもぴっちり閉められていて、屋根のカザグルマだけが虚しく時間の流れを教えてくれた。

『ん〜、そうそう出かける事なんてないしー。たぶんまたハイっちゃってるんでしょ。一応声掛けたんだから入っていいよ!あいつ、そういう事気にしない奴だし!』

と、勝手にドアを開けて入って行ってしまった。

 私たちは、ボーっと立ち尽くしている訳にもいかず、彼女の後に続いた。

『たぶんここだよ。――おーい!あっそびに来ったよーん!!』

ガラリと開けた扉の向こうで、猫背の男が何かをしていた。声と音に反応する事なく、その人は錆びた色の後頭部を見せたまま、目の前の何かに没頭している。

 何だろう?と、3人でそろりそろり、近づく。


「「『…………………』」」


 言葉を失った。

 何か、粘土のようなもので形を作っているのだが…それが何なのかさっぱりわからない。生き物のような、ただの泥の塊のような…。

『…おーい!!戻ってこーい!!』

「――うっひょ〜〜〜〜!?」

「うわっ」

ルシフが突然耳元で叫ぶと、彼はようやく変化を見せ――

「だ、大丈夫ですか!?」

――彼は驚いて、後ろざまに椅子ごと倒れこんだ。しかも、必要以上に暴れ、周りの道具を飛び散らかしながら。


 片付けを手伝いながら自己紹介を済ませ、私たちは勝手に入ってきた事をわ詫びた。彼はフルと言う名前らしい。

「いいよいいよ。僕集中しちゃうと周りが見えなくってね、音も遮断されちゃう訳だから誰かが入ってきても全然わからなくて、つまり泥棒に入られても全然気付かないんだけど、どうせ盗む価値のある物なんか無いから入っても来ない訳で、誰がいつどんな風に入って来ようが僕は全く気にしないんだ」

「はあ…」

「僕はね、自称テンペレット1の芸術家で40過ぎても結婚できなかたって有名で、よく馬鹿にされていたからここで1人暮らししている訳だけど、死ぬまで一生自分の好きな事をしてやろうじゃないかって思って始めたのはいいんだけど、意外とお金が掛かる事につい最近気付いてどうしようもないから食費削って芸術に詰め込んでいるから、悪いけどお茶も出せないんだ」

「い、いえ、お構いなく」

「ありがとう。そう言ってくれると嬉しいよ、やっぱりルシフが連れてきてくれたお友達だけあるね、だってちゃんと僕の話を聞いてくれるし礼儀正しいし、そういえば君達もルシフが見えてるみたいだね、びっくりしたでしょやっぱりいきなりこういう子が現れた時なんか。僕も初めて会った時はね――」

と、フルは独特な喋り方でルシフと初めてあった時のエピソードを話し始めた。何しろ、聞き取りにくい早口の上に、変な抑揚を付けるものだから、何て言っているのかわからない。

 「――あ、あのさ、ちょっといいかな?1つ聞きたいんだけど…ディムロスって言う人、知ってる?」

 ほんの僅かな一息を聞き漏らさず、弾丸トークを始める前に口を挟んだ。

 ウィズダムに行けばわかる事だろうけど、他の島の人の意見も聞きたいしね。フォウル兄妹やウェーアには、聞くの忘れてたし…。

「ディムロス?あのディムロス・リーズのこと?そりゃぁ知ってるよ!だって彼は世界一のエウノミアルって言われてるし歴代最年少で仕事を受け継いだっていう噂だし、しかもかなり頭が良くって天才だって言う人もいるし会った事のある人達の評判もいいし、きっと背が高くってきりとした顔立ちで優しくて人格も立派な人なんだろうな、僕なんか足下にも及ばないよ。あっ、けどこういう美術系なら僕も負けないよ、ナギ君の後ろにあるの――そうそれ、僕が1年前に作ったものなんだけどどう?すばらしいだろう?自分でも結構気に入ってって――」


 また始まってしまったので、後の方は聞き流した。

 聞く限り、ディムロスと言う人はかなり人望が厚いみたい。あくまで噂の上で、だけど。けど、もし噂通りの人だとしたら、私たちの話を快く聞いてくれるだろう。

 フルの話を右耳から左へと通しながら、わたしは理想のディムロス象を作り上げていった。


 かなりの時間が経って、やっと開放された私たちは、町をグルっと散歩してから家に帰った。



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