VII-9罠
朝になった。
昨日の慌しさが嘘のように静まり返っていた。
朝食の準備が終わりそうなころ、ウェーアを起こしに行った。
「ウェーア?」
彼は上着を鼻の上まで引き上げて丸まっていた。体を揺すっても無反応。
「おーい」
そっと上着をめくっていく。現れた寝顔は、心なしかぐったりとしていた。昨日大活躍だったから疲れたのかな。
「起きてよー」
面白半分に、頬を突く――うるさそうに払われた。仕方なく、また大声で怒鳴って起こした。
「もう少しましな起こし方をしてくれ」
散々言われてるから、もう小言も気にならない。けれど、眠たそうに目をこするウェーアを見て、わたしはふと首を傾けた。
「何か…顔赤い?」
「そうか?」
「ちょといい?」
熱を測ろうと手を伸ばすと、彼はさっと身を引いてしまった。
「あ。いや、その…」
視線を外して口ごもる。
どうしたの?って言う前に、ナギに集合を掛けられたので結局聞き出すことは出来なかった。
乾いた服や靴を身につけて、ドロギョンの出てこない道なき道を歩いていた。
空はいつの間にか、重く圧し掛かるような灰色になっている。頬を撫でる風も生暖かく、一雨来そうな天候に気分が重い。
このままファタムを出てしまえば、ノームに何かされる心配はないのだけれども、そういう訳にもいかない。わたしとナギは、まだ目的を果たしていないからだ。
出発する前にフォウル兄妹を帰らせようとしたんだけど、駄目だった。わたしとナギが色々理由を作っても、ウェーアが突き放すように言っても、最後まで一緒に行くと言って聞かなかった。なるべく他人を巻き込まないように(もう充分巻き込んでいるけど)したいのに…。
そういう過程で、皆それぞれの思いを秘めながら、何も言わずに足だけを動かしていた。
――と、
『あーもう!どこに行ったんだなあの動物食い人はぁ!何でこうも簡単にオイラの仕掛けを突破して行くんだな!?』
どこからか、くぐもったノームの声がして、私たちは彼の姿を探す。そして、
『ああ!!いい加減、ムカつくんだな!!!』
と言う言葉と同時に、ウェーアの足下から土が勢い良く爆発した。
「……ああ!?ルニアーパゴス発っ見!なんだな!!」
低い呻きの後、モグラのごとく登場したノームは第一声に吼えた。すると不意に、前方で小さな鞘走りの音がして――
「こ、のムジナ…1度ならず2度までも人様に――」
「ちょ、ちょっと待ってよウェーア!タンマタンマ!!何してんの!?」
わたしは慌てて彼のマントを掴んで止めようとした。けれども、剣を振りかざし、今にもノームを真っ二つにしようとする行為までは止められそうにない。
「ひ、ひえぇぇぇぇぇ!!や、やややっぱり、おまお前、お前達はそそ、そういう奴らだったんだなぁ!?」
ノームは怯えてパタパタと後退りする。
「誤解ですノームさん!ウェーアさんも落ち着いて下さい!!」
ナギが前に回りこんで暴走する危険なウサギを押えた。
「放せ!俺にも矜持と言うものが――なっ!?フォウル!貴様何を!?」
ウェーアの体がいきなり宙に浮いた。アルミスさんがウェーアを持ち上げて、肩に担いだんだ。
「アルミスさんナイス!――じゃなかった、ありがと!!」
わたしは息を切らしながら上を見上げた。まだウェーアは暴れてる。…まー放っておこう。
「へへへ〜ん。いい気味さね。ずーっとそうしてるさ、赤目菌」
ロウちゃんは意地悪く笑ってウェーアを見上げた。彼女は思いっきり睨まれたけど、そ知らぬ顔で頭の後ろに手を組み、そっぽを向く。
「ええ〜い!!どろぎょん、そいつらをコテンパンにするんだな!!」
唐突にノームが叫んだ。と、同時に足下から泥人形が飛び出す。
しまった!
――って思ったときにはもう遅かった。わたしは思わず身を固めて、視界を締め出す。そして――
□□□
急に、ウェーアさんを落とさないようにしていた腕が弾かれた。かと思うと、肩が軽くなり、自分の目の前で濃い緑の外套が翻っている。
ウェーアさんが自分の肩から飛び降りたんだと気付いたのは、彼が1体のドロギョンを袈裟切りにしてからだった。彼は斜めに切り下げた勢いを殺さず、別の1体へと鋒鋩をめり込ませる。胴を真っ二つにしたそれは、弧を描いて左から迫っていた別の泥人形の肩口に吸い込まれた。
速い。そして見事な剣捌きだ。素人目にもわかるほどの強さだと思う。自分よりは腕力はないだろうけれど、彼は技術で充分に補えている。
ウェーアさんはあらかたドロギョンを片付けると、動けないでいたノームへと足を向けた。
「ひえぇぇぇぇ〜!!ややや、やめっ…!お、オイラをこっ殺すとたたた大変な事に〜い!!」
命乞いをする声にやっと我に返ったセリナさんが止める前に、ウェーアさんは剣を振り下ろし――
「ウェーア!!」
「気絶させただけだ。そう騒ぐな」
ノームは剣の腹で強い衝撃を受けて、地面に投げ出されていた。同じように、まだ残っていたドロギョンも崩れて土に還っていった。
□□□
良かった。タンコブできてるけど、ちゃんと生きてる。
わたしはそれを確認すると、ウェーアへと視線を移した。
「ここまでする必要はなかったんじゃないの?」
「じゃあ、どうすれば良かったんだ?」
咎めたわたしが逆に聞かれたので、しばらく考え、
「例えばさ、こう…取り押さえて縄で縛って、猿ぐつわ噛ませるとか」
言ったら、苦笑いされた。
「どうかした?」
突然痛そうに顔をしかめたので尋ねると、
「いや」
やっと聞き取れるぐらいの声で答えて、顔をそらした。
「それで、このノームさんはどうなさるのですか?」
誰ともなくナギが尋ねる。彼女もわたしと同じようにノームの具合を見に来ていた。
「とりあえず、安全な場所へ移った方がいいんじゃないですか?また泥人形を出されても困りますし」
ついさっきまでウェーアを担いでいたアルミスさんも、こっちに来て屈み込んだ。そして、伸びているノームを見て何かを呟く。聞き間違いじゃなければ、“かわいい”って言ったような…。
「持ってくんならあたいが持ちた〜い!いいでしょ?兄さ」
アルミスさんが頷き、ナギがフォウル兄妹を見て微笑んだ。
「ドロギョンさんの出てこられない安全な場所、と言いますと…昨日の所でしょうか」
「いや別に…根の大きく張った木のしたなら、どこでもいいはずだ」
ウェーアがボソリと言うと、そうなのですかと驚いた。
…気のせいだろうか?ウェーアの声が掠れて聞こえる。
「なんでそう、ハッキリ言えるのさ」
「智能水準の差だ」
面白くなさそうに言うロウちゃんに、これまた面白くなさそうにさらりと返した。
「あたいは水の話なんかしてないさ!!」
「意味が違う。――移動するなら、こいつが起きないうちにさっさと行こう」
またさらりと返したウェーアに続いて、私たちは草原から雑木林へと向かった。




