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VII-5罠

□□□



 特に何もなかった道が、唐突に終わりを告げた。


 視界一杯に広がる白と緑のコントラスト。


 緑は樹海。白は花。

 雪のように白く、羽根のように柔らかな花が一面に咲き乱れていた。


 純白の花を手に取り、なんてきれいな花なんだろうと溜め息を漏らす。と、不意に誰かに呼ばれた気がして、後ろを振り返る。そこには、女の人と男の人が並んで立っていて、背景にはあまりにも見慣れた建物が。


「お父さん!お母さん!」


 わたしは子供みたいにはしゃいで、2人の元へ一目散に駆けて行った。


「お父さん、帰って来てくれたの?もう、単身赴任とかしない?どこにも行かない?」

お父さんは笑顔で頷いてくれた。

「お母さん、ほら!きれいでしょう?お母さんにあげる!!」

お母さんは、まあありがとう、うれしいわ。と、その花を受け取ってくれた。それから、もう1人にはしないよ。ずっと一緒に暮らしていこうねって言ってくれた。


 わたしは2人に促されて、我が家に帰って行った。


 わたし、元の世界に帰れたんだ!!




 あたたかい食事

 あたたかい会話

 あたたかいお風呂

 真っ白なシーツに、ふわふわの布団

 


 わたしはずぶずぶと、深い眠りに入った。




 朝になった。


 小鳥のさえずりが心地よく響く、気持ちのいい朝だ。


 朝食を食べに行くと、おはよう、早いのね。と支度をしているお母さんが言う。

「うん、だって学校あるでしょ?これ以上寝てたら遅刻しちゃうよ」

そう言ったら、お母さんと、食卓に着いて新聞を読んでいたお父さんが顔を見合わせて笑った。そして、もう学校なんて行かなくてもいいんだよ。と言った。

 わたしは驚きと嬉しさで叫んでいた。

「本当!?本当に行かなくてもいいの!?」

 ああ、もちろんさ。と新聞を置いてニッコリと答えてくれた。

 友達も呼べばすぐに来てくれるよ。欲しいものも買ってあげるよ。けど、一つ約束してくれるかな。家の囲いからは出てはいけないよ。とても危険だからね。

「うん、わかった!絶対に出ない!!」



 ―――それから、夢のような日々が続いた。



 楽しい友達。好きな本。おいしい食べ物。面白いゲーム。自由な時間。やさしいお父さんにお母さん。

 

 囲いの外に出ようなんて、一度だって考えなかった。皆優しくて、いつも笑顔で、喧嘩もなくて…。時間が経つのも忘れるくらい。





 ずっとここにいるんだ。ずっとここでくらせるんだ。





  『それで本当に幸せなのかい?アルケモロス』



 突然、ここにいる誰のものでもない声がした。

「だれ?」

わたしが聞くと、周りの皆は不思議そうにわたしを見た。


  『私は私さ。いつも君の傍にいる。――けれどもアルケモロス。君は本当にそれで楽しいのかい?』


「わたしはそんな名前じゃないよ!わたしは……わたし…は?」


  『そうだね、忘れてしまうのも無理はない。だって、君の周りの人達は誰も、君の名前を呼んではくれないから。――いいかい?アルケモロス。君はそんな偽りの友達や家族といて、本当に幸せなのかな?君の名前も呼んでくれない人達と一緒にいて』


「そ、そんなの、あなただって同じじゃない!わたしはここにいたいの!邪魔しないで!!」


  『…私は君の名前を知っているよ。今はまだ、教えることができないけれど、ね』 


「どういうこと?」


 わたしは友達の輪から抜け出して、庭の囲いに手を掛けた。


  どうしたの? 誰と話しているの? 一緒に遊ぼうよ。 囲いから出ちゃダメだよ。


 みんなの声が、わたしを引き戻そうともがいていた。


  『君は、ただ優しく接する親が本当の両親だと思っているのかい?子供の言うことを、唯々諾々と聞くだけの親を。親という者は、自分の子供に対していい事、悪い事、世の中の事を教えて、時には厳しく叱ったりするのではないのか?君を大人へと成長させるために、君が自立できるように。君の成長を温かく見守るものだろう?』


「で、でも…」


  『そこの友達はどうだ?ただ君の話に合わせて、笑って、遊んでいるだけじゃないか。君は彼らの名前を知っているか?何が好きで、何が嫌いなのか知っているのか!?互いに何も理解していない者を、君は友と呼ぶのかい?』


「わ、わたし…は」


  『現実を見ろ、アルケモロス!目を覚ませ!君はこんな所で埋もれているべき存在じゃない!――たとえ、現実は厳しくとも、その中にある幸せを見つけることが出来るんだ。君達人間は。とてもすばらしい事なんだよ。だから――だから、こんな偽りだらけの幻想に浸っていないで、こっちへおいで…』


「……幻想……」


 後ろを振り返ってみた。

 今まで優しそうに見えていた皆の笑顔が、貼り付けられたものに見えて、ひどく気持ちが悪かった。



  行かないで! ずっとここにいて! どうしたの? 囲いを越えちゃだめだ!!


 わたしを行かせまいと、必死に笑いの仮面をつけた人達が蠢く。その人達がとても醜く、とても悲しい人達に見えた。


「――あなた達は、誰?」


  『…さあ、夢から覚めよう。囲いを越えておいで。もう、自分の名前は思い出せるよね、アルケモロス?』



「わたし、そんな名前じゃない。わたしは――セリナだよ」



 キッと前を見据えて言い返した。


 どこからか、温かい、本物の笑い声が聞こえた。


 囲いを超えると、ふっと体が軽くなって―――







「・・・・・・・・・・ん?」


 何度か目を瞬かせて、辺りを見回した。

 


 夕焼け空。オレンジがかった雲。優雅に舞う鳥。


 上体を起こすと、あれほど綺麗に咲いていた花は、一つ残らずしおれていた。





 やがて、全てが土に還る。



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