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I-3長い一日

 気のせいだろうか、タイレイム・イザーの方で何かが光ったような気がした。

 農業を営んでいるトーマは、どうにも気になってそちらへ足を運んだ。

 いつも通りだ。いつ見ても変わらない、きれいに生えそろった草の上に大きな白い塔が佇んでいる。

 ただの見間違いだ。はっきりと光った所を見たわけでもないし、今まで何の変化も見せたことのなかった塔だ。きっと、これからもそんなことはありえないだろう。

 そう自分に言い聞かせ、(きびす)を返して畑に戻ろうとした矢先―――



 ―――ドンドンドンドンッ!!

「なんでい!うっせーな!!誰か黙らせてきやがれ!!」

ラービニの科学研究所の(かしら)、ユーン・ウィーゼルが口汚く怒鳴った。すると、すぐに助手の一人が面倒くさそうに扉へ向かう。そうしないと無論、聞きたくもないお叱りを頂戴してしまうからだ。

 だが彼は次の瞬間、あたかも頭の雷が落ちた時のように耳を塞ぎたくなった。

「た、たたたい、たいへっ…大変だぁ!とと、塔が、塔がぁー!!」

扉を開けた途端、これだ。助手はユーンといい勝負の剣幕と声のでかさに思わず顔をしかめた。

「よーぉ、トーマ。なーに慌ててんだ?塔がどうした?お前ん家の畑にでも突っ込んで来たか?」

トーマの慌て振りに嘲笑いながら尋ねると、つられて何人かがケタケタと笑う。だが、当のトーマは何も耳に入らないらしく、青ざめた顔でツバを飛ばしながら、何か伝えようとまくし立てる。しかし、如何(いかん)せん他者には理解のできない言葉の羅列にしか聞こえない。

「ま、まあ落ち着けって。な?」

言いながら、気の利く科学者見習いが飲み物を手渡した。

 トーマが落ち着いた頃を狙って、ユーンが口を開く。

「で?塔がどうしたってんだ?トーマ」

この男、生まれてこの方まともな口の利き方をしたことがない。いつも喧嘩腰の口調なので、慣れている者はなんとも思わないが。

「あ、ああ。それなんだがよう。さっきぃ、おらが一息入れようとぉ茶ぁ〜取りに行った時だっただぁ。目の〜隅の〜方でぇ、何かがこう〜ピカーっとぉ光ったんだぁ」

「それで?」

ひとつひとつを思い出すように、そしてひどい訛りで声を潜めるトーマに先を促す。

「そ、そそれで、気になって、その塔――タイレイム・イザーの方が光ったようだったからぁ、そっちに入ってみたんだぁ。そうしたら………」

 今や、部屋にいる全員がトーマの言葉に耳を傾けていた。

 皆が皆、緊張して次の言葉を待つ。

 研究所の中は水を打ったような静けさに包まれていた。今、誰かがごくりとツバを飲み込めば、全員の耳に届くことだろう。

 トーマが再び口を開いた。自分を落ち着かせるようにゆっくりと大きく息を吸い込み、

「か、壁にぃ、もも、紋章にが刻まれただ!!」

「は?」

「だ、だからぁ!塔の壁に紋章が刻まれてただっ!!」

「「…………」」

先程とは違う沈黙が訪れる。なぜか涙目になっているトーマの荒い息遣いだけが、虚しく響いていた。

 俄かには信じられない。だが、もしかすると、もしかするかもしれないという希望を抱く者が多かった。が、

「ガーッハハハハハハハ!!冗談はよしやがれトーマ!今までなーんもなかった塔だぜ?どんだけ年が経ってもシミの一つさえ付かなかったやつだぜ?今更なんだってんだ!そんなこたー、あるはずねーだろが!!」

「そそ、そんな!おらは確かに見ただ!こ、“ここに近寄るな、立ち去れ”って書かれてただ!!」

「はははっ!バッカじゃ――…おい、今何つった?」

ユーンは言いかけて、眉をひそめた。トーマがわざとらしく声を落として繰り返す。

「“ここに近寄るな、立ち去れ”ってぇ刻まれてただ」

再び静寂が訪れる。

「…もし、」

ユーンが珍しく静かに切り出した。

「もし、お前ぇの言ってる事が本当なら、今塔では何かがされているってー事だよな」

またまた珍しく、理に(かな)ったことを口にする。そんな彼を見て、研究所のその他大勢は戦慄(せんりつ)にも似た驚きを覚えた。心配そうに窓の外を見やる者まで出る始末だ。

「そ、そうなんか?」

「たぶんな。お前ぇだって、見られたくないことやってる時に誰か来たら追っ払うだろ」

「もし、そうだとしたら…塔は今、何をしているんでしょうか」

「んなもん知るかっ!!」

やっと普段のユーンが出てきた。なぜか周りの者がほっと安堵する。

「なぁ〜頼むだぁ、来てくれよぉ。このまんまじゃおらぁ、おちおち仕事もできねえだ。頼むよぉ〜。なぁ〜、なぁ〜」

「だーっ!うっぜえな!わーったって!行きゃぁいいんだろ!?ったく、さっさと離しやがれ気色ワリイ!!」

白衣の裾を掴んで駄々をこねる大きな子どもの手を払うと、ユーンは立ち上がった。

「ほ、本当だな?行ってくれっだな!?」

トーマも犬のように喜び、椅子から飛び上がった。

 ユーンとトーマ、強制連行の科学者二名は早速タイレイム・イザーへ向かった。

 「…助かった」

「ああ、しばらくはゆっくり自分の研究ができるな」

「行きたかったのなら、最初からそう言えばいいのに」

「ねー」

 年に一度、あるかないかの昼間の静寂(しじま)に、他の科学者と助手達はほっと息を吐いた。


 「―――!?」

 驚愕に、全員が身を震わせた。

 きれいに生えそろった草原の中にそびえる塔の前に着いてすぐの事だった。その訳は、

「“そこにいるトーマという男に言ったはずだ。ここに近寄るな、立ち去れと”だとぉ!?」

ユーンが叫んだ。

「ななななん、なんでおおらの、おらの…」

「と、塔がぼっ僕達のことを見ているって事でしょうか」

皆、口々に疑問をぶつけ合った。

 変化することのなかった塔が、なぜ突然紋章を刻んだ?

 なぜ、塔がトーマの事を知っている?

 なぜ、我々を待ち構えていたかのような反応を見せた?

この塔には、頭脳があるというのか…

「お、おら帰らせてもらうだ!」

「ど、どうします?」

「調べるなんて言いませんよね?」

皆、言いながらすでに逃げ腰だった。

 言いようのない恐怖が彼らを蝕んでいく。

 「調べるに決まってんだろ!!―――って、おい!わしを置いてくな!!」

 一目散に逃げて行く彼らの後ろには、真っ白な壁に“早く帰ったほうが身のためだ”と、刻まれていた。




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