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IV-8新たな出会い

 ナギの愚痴をウェーアに止められて、私たちは再び歩き出した。

 目指すは、深い谷間をひたすら進んだ先にある三つ目の目星。どうして二つ目を飛ばしたのかというと、ウェーアがそこには居ないだろうって言ったから。道すがら、通るには通るんだけど、見ていくだけ無駄だからと半強制的に素通りさせられた。

 だったら、最初からそこにいると言ってくれれば手間が省けたのに・・・。

 やがて、怪しげな雲が湧いてきた。まだ日没には早いけれど、日が落ちたときのように辺りが暗くなる。

「これは・・・長引きそうだな」

見計らったようにポツポツと降ってきた。

「あそこで雨宿りしようか」


 谷の斜面にポッカリ口を開いた洞窟に逃げ込むと、さらに雨脚が増した。

 ナギがペンライトを取り出して、中を照らし出す。入り口に比べて奥は広い。

 火を点ける道具を探していると、火なら俺が出すよと、すぐに何かを取り出してスイッチをつける。その瞬間、パッと暖かい光が灯る。彼は手に、取っ手のついた六角形の板を持っていた。その上に真っ赤な炎が揺らめいている。

「なにそれ?どうなってんの?」

「どうなっていると聞かれてもな・・・」

彼は困ったような顔をして、それを地面に置いた。

「私も、見たことがありませんよ?」

ナギも興味深そうにそれを観察した。ナギが知らないという事は、こちらにもそう出回っている物じゃないのかな。

「・・・父の作ったものだ。色々と新しいものを作るのが好きな人だったからな。――ああ、この音消しもそうだ」

ウェーアは濡れたマントや帽子を取りながら教えてくれた。

「音消し?あぁ、耳センのこと?」

「ミミセン?あ〜、耳にふたをするやつだ」

 呼び名が違うと、結構面倒くさいなぁ。

「それより、これの構造を教えていただけませんか?」

「いや、だからな―――」

ウェーアの困った声は、バケツの水をぶちまけた音にかき消された。

 

 すごい雨・・・。


 わたしは横壁に移動して、ナギの質問攻めを眺めながら深く息を吐いた。

 二人とも元気がいい。ナギもこんなに長く歩いたことなんてないはずなのに、ケロリとしている。それに比べてわたしはヘトヘトだ。

「この炎は?普通のものとは違いますよね?」

「あー、それはだな・・・」

ウェーアが助けを求めてわたしへ視線を送る。

 わたしにどうしろっての。

 と、思うのが先か、彼の顔から苦笑いが掻き消え、鋭く引き締まる。



 ―――ヒュッ



 何かが炎の明かりにきらめいた。次いで、カッとその何かが刺さる。

 そう、わたしの真横に。

 

 体が、石になった。


 視界ギリギリに何かがいる。

 今まで質問していたナギが、口を押さえて悲鳴を飲み込んでいた。


 ―――ドサッ


 真横のそれが、落ちた。

 体中が心臓みたいだ。ドクドク脈打つ心音が、警鐘に聞こえる。


 見ちゃだめ!


 わかっているのに。見たって絶対いい事なんかないのに・・・。

 それなのに、わたしはそろりそろりと眼球を動かして――


「――っきゃあああああぁぁ!!」


 甲高い悲鳴が洞窟の中で反響した。

 小さな人の顔。長く絡む髪。額のナイフから流れ出る緑の液体。銀色のギラついた双眸(そうぼう)。クモのような手足に、巨大なサソリの針のついた尾。

「セリナ、そこにいない方がいい。どうやら狙われているようだ」

ウェーアの落ち着いた声が呼んでいる。けれど、わたしは答えることができなかった。

「セリナ?」

どうしたと、もう一度呼ぶ。わたしは必死にこと切れている生き物から視線をはがして、

「・・・ぁ・・・」

声が上手く出せない。怖くて体がガクガクと震えていた。

「あぁ、すまない。もう少し早く気が付いていれば、君に怖い思いをさせずに済んだんだが・・・」

ウェーアが察して来てくれた。彼は、座り込んだままのわたしを地面からはがしてくれた。わたしはウェーアのせいじゃない、と首を振ることしかできなかった。

「ウェーアさん、あれは・・・」

「マンティコアの幼児期だな。まだ体が小さいし、身体機能も発達していない」

一メートルはあるあれで、まだ小さいなんて。

「マンティコア・・・確か、暗がりなどに潜んで、迷い込んできた人や動物を襲う生き物でしたよね?」

「正解。付け足せば、そいつらは常に集団で行動し、俺たちはその暗がりに転がり込んできた格好の獲物、という訳だ」

ウェーアはわたしをナギと火の近くに座らせ、暖をとりながら悠長に言う。

「じゃ、じゃあ、早く逃げなきゃ。こ、子供がいるって事は、大人もいるんでしょ?」

 こんな所、一刻も早く出たい!


「・・・少〜し、遅かったな」


「へ?」

彼は不意に火にかざしていた片手を上げると、空中で何かを引っ張るしぐさをした。すると、さっきまで気持ちの悪い頭に刺さっていたナイフが彼の手に収まり、一瞬の停滞もなく放たれる。銀のきらめきは、吸い込まれるようにナギの後ろに忍び寄っていたマンティコアの目に刺さった。

「――――――――!!!」

異界じみた叫び声にわたしは全身が総毛立ち、耳を塞いで視界を締め出した。けれども、断末魔の叫びを消し去ることはできない。

「囲まれたか」

言葉に顔を上げると、ウェーアがナイフをしまって細身の長剣を抜くところだった。

「目、瞑ってろよ。見てて気持ちのいいものでもない」

そう言って、周りを見回した彼は舌打ちをした。周囲には、何十匹ものマンティコアがジリジリ距離を詰めてきていた。

「ったく、どうしてこう運がないんだ」

「セリナ」

ナギが、ぎゅっと抱きついてわたしの顔を埋めさせてくれた。

 

 空気の振動によって全てが伝わってくる。どれも、嫌な音・・・。


 ―――シューッ  シューッ  シューッ


 ふと首筋に生々しい息が掛かった。

 わたしの、すぐ後ろに・・・


 ―――ギイイイイイイイィィ!!


 鼓膜が破れるくらいの、耳障りな叫びが耳元で響いた。

 思わず振り返ったわたしは引きつった悲鳴を上げる。子供とは比べ物にならないほどの大きさと醜さだ。

「ナギ、セリナを」

ウェーアはそれの胴体を踏みつけると、剣を(かか)げた。ナギはわたしの頭を抱くと、自らもぎゅっと目を瞑った。

 鋭い、無機質な音共に、人の声にも似た叫びがこの場を満たす。

 もう一度、肉を切る音がして、わたしの後ろにいたものは動くのを止めた。




 静寂が訪れた。

 やっと、静かになった。

 「もうしばらく、そのままでいてくれ」

 顔を上げようとしたら、ウェーアが頭を撫でて止めた。

 ゴソゴソ、ズルズルと後片付けをする音がする。


 ひどい奴だ。勝手な人間だ。

 

 イトレス・スビートとは違って、マンティコアの対しては不思議と罪の意識はなかった。同じ人間を襲う生き物なのに、見た目や印象で悪いと思わない。ただ、気持ち悪い、怖いだけだ。

 他の人はこういう時、どう思うんだろうか。

 自己嫌悪に陥っている間にも、雨は依然として振り続け、気温も一段と下がった。


 「どこか怪我はないか?」

 気遣わしげな声が、そっと上から降ってきた。

 ギクシャクとナギの腕から顔を上げると、ゆっくり首を振る。

「私も、大丈夫です」

「そうか・・・。雨はまだ続きそうだ。今から移動するのは逆に危険だから、今夜はここに泊まるしかない。明日は早めに起きて、他の場所を探そう。・・・眠れそう、か?」

 辺りにはテラテラと濡れた、緑の液体がそこら中に残っていた。


 ナギは肝が据わっているというか、神経が図太いというか・・・すぐに寝息を立てて夢の世界へと旅立って行った。反対に、わたしは寝付けなくて、地面を打つ雨音をずっと聞いていた。

 しばらくすると、前にも聞いたことのある音がし始めた。

 ごろりと寝返りを打ってそちらに目を向けると、一つの影が目に入る。

「あ」

炎に照らし出されていたのはウェーアだった。上着を脱いだ彼の背中がゴソゴソ動いている。

「何だ?人がせっかく寝てからにしてやったのに・・・」

「残念、寝ていませんでした。・・・何してるの?」

「別に。起きているだけだ」

味気ない返事。冷たい奴だ。


 ――ビリッ


「・・・・・・?あっ!もしかして、また怪我した?」

やっと思い出した。イトレス・スビートと戦った後に傷を塞いでいた、テープのようなものだ。

「・・・なんともない」

 嘘つき。

 衣擦れの音をさせて、ウェーアはずれていたマントを肩に掛けた。深紅の止め具が炎に反射して、幻想的な揺らめきを醸し出す。

 わたしはそろそろと近付いて、傷の具合を確かめることにした。どちらにしろ眠れそうにないし、手伝いたい。

「君は・・・どうしてそう、詮索好きなんだ?」

肩越しに振り返りながら呟く。顔は、迷惑そうにしかめられていた。

「せっかく人が心配してあげてるのに、なんでそういう事言うかなー」

そう口を尖らせながら、彼の斜め後ろを陣取る。

「こっちは君たちに気取られないようにと気を――」

フツリと、言うのをやめて目をそらしてしまった。

「気取られないように、何?」

「いや、その・・・・・・なんでもない」


「ウェーアってさ・・・なんか、全部一人で抱え込もうとしてない?」


不意にそんな言葉が出てきた。言ってから、“ああ、そっか”なんて納得している。

「いつも何でも決めてくれてさ、私たちは楽なんだけど・・・ウェーアはどうなの?どうして自分一人だけでやろうとしちゃうの?私たち、そんなに頼りないかな・・・」

「・・・いや」

そんなことはない、と呟く声がする。

 こっちに顔を向けていた。氷のような無表情だ。けど・・・、それはいろんな感情を無理矢理押し込めているよう。

「・・・・・・ひとつ、聞いてもいいか?」

ささやく声は、低く掠れていた。

「何?」

わたしは彼の表情に戸惑っていた。どうして、無表情なのにこんなにも苦しそうなんだろう。


「大切なものを失った時、どうすればいい」


「え?」


「感情で動いてはいけない。私欲を持ってはいけない。常に最善をつくし、犠牲の最も少ない道を選べ。我々は人々のために存在し、人々のために身を削る――。全て、全てその通りだ。間違いはない。だが・・・・・・俺、は・・・」

 何のことかはわからない。けれど、痛いほどに彼の苦しみが伝わってきた。たぶん、感情を殺そうとすればするほど、ひしひしと伝わってくるんだろう。


「ウェーア・・・・・・泣きたいの?」


「俺が・・・?」


「だって、苦しそう」


「・・・苦しい・・・」


「泣きたい時に泣ける強さって言うのも、あると思うよ?それで気持ちを切り替えれるんなら、いいんじゃないかな」



「――――――」



「ん?」

 ふわりとマントがなびいて地面に落ちた。金髪が顔の横で震えている。

「ウェーア?」

 返事はない。

 

 熱い雫がパタパタと落ちていく。

 

 片手は指が白くなるほど強く、わたしのズボンを握り締めていた。

 慰めようとその手に触れてみると、逆に掴まれた。


 痛い。


 けど、我慢しよう。


 せめて、ウェーアの気持ちが治まるまで・・・・・・。


 


 雨は、そんな彼の感情を洗い流そうとますます強くなっていった。


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