I-2長い一日
ラービニ。それがこの町の名前。ここはわたしがいた世界とは全く違っているようだ。まず、国がない。赤や黄色や緑の髪の人が大勢いる。変わった形の建物ばかり並んでいる。それなのに、言葉が通じる。
家に帰りたい。元の世界に戻りたい。
お婆さんの家へ向かう道々、そればかりがグルグルと頭の中で回っていた。いつもなら、そう、いつもならもう学校に着いていて教室で昨日のテレビの話とかしているはずなのに。こんなにも学校や家が恋しいと思ったことがなかった。友達に会えないことが、こんなにも辛い事だとは思ってもみなかった。
どうすれば帰れる?
問い掛けてみても返ってくるのは重い沈黙ばかりで、答えは得られない。
気を紛らわすように首を巡らすと、今更ながらに町の美しさに見惚れた。いくつもの川が道を横切っていて、その上に掛けられた橋からは小さなボートでゆったりと流れを行き来している人達が見て取れた。川土手に花を咲かせている草花達は優雅に葉を揺らし、人々はそれにつられるように憩いを交わしたり、店の準備をしたりしている。
「さ、着いたよ」
景色と同じようにゆったりとした声に誘われて顔を正面に戻すと、わたしは我が目を疑った。
「…えっっと…あれが、家?本当に?」
やっとのことで搾り出した声は震えていた。さっきまで悩んでいたわたしがバカみたいだ。
「え〜ぇ、そうだよ。驚いたかい?」
「すごい!こんなの初めて見た!!」
大きな湖。そこに立ち並ぶ横に広がる巨大な樹木。その太い枝一本一本に小さな一階建ての家が建てられている。家に行くには、岸辺まで伸びている巨木の根が一役買っていた。根元まで伝って行くと、リフトのような乗り物で上へと上昇するようになっている。
「あの一軒一軒が部屋?」
「そうだよ。後で孫に案内してもらいましょうかねぇ」
お婆さんは穏やかに微笑むと、下から二番目にある黄色い壁の家の前で立ち止まった。
「――お帰りなさい、エナお婆ちゃん」
エナと呼ばれたお婆さんが取っ手に手を掛ける前に、若い声が中から迎え入れてくれた。
「ただいまナギ。お客様だよ。ええっと…そういえばまだ聞いてなかったねぇ」
「あ。わ、わたし、セリナ…です」
「セリナさん?私はナギ・セイムです。よろしく」
銀髪碧眼の同じ年頃くらいの女の子、ナギは温かく微笑んでわたしも迎え入れてくれた。
これからしばらくお世話になるということで、朝食をご馳走になった。ナギは、ちょっと多く作ってしまったから助かると言ってくれた。
「どう?お口に合うかしら?」
最初は具財の奇妙な形に戸惑ったが、口に入れてしまえばなんともない。むしろおいしかった。正直に笑顔で感想を言うと、
「そう、よかったわ」
彼女もほっとしたように笑った。
「けど、本当にいいの?迷惑じゃない、ですか?」
とか言いつつ、お腹のすいていたわたしは遠慮なくいただいている。
突然転がり込んで来たのにもかかわらず、二人とも優しかった。嫌な顔ひとつ見せずにゆっくりして行ってと言う。ここの人達は皆人がいいのだろうか?
「いいのよ。父と母は遠い所へ働きに行っていて、滅多に帰ってこられないの。だから、この家に二人だけでは広すぎるのよ」
「それに、ナギに新しい友達ができたしねぇ」
と、ナギとお婆さんに結果オーライ的なことを言われたけれど、やっぱり悪い気がしてしょうがなかった。
食べた後、ナギがわたしの泊まる部屋を案内してくれた。食堂兼調理場のここから枝四本分上がった所だ。
「ねえセリナ。セリナはどこから来たの?その服、見たことのない物だし…あなたの髪も、珍しい色をしているのね」
赤い丸屋根の部屋に入って窓からの眺めを堪能していると、わたしの背中にベッドを整えていたナギの声が刺さった。
「え!?え〜っと…」
どう言えばいいだろうかと返事に困っていると、
「…そう、遠くから来たのね」
首を傾げて少し寂しそうな顔をした。
ナギには悪いけど、わたしがどこか知らない所から突然やって来たと言っても、信じてもらえないだろう。
どうしてここに来てしまったんだろう。どうすれば元の場所に帰れるんだろう。
どうにも居心地が悪くなったわたしは、再び外に視線を向けた。窓の外には森と、その奥に高い塔が見える。円錐型の頂点に光るボールの付いた、クリスマスパーティーの時に被る帽子のような形の真っ白な塔。
『おいで』
「へ?」
「どうかした?」
何か言われた気がしたけれど…気のせいだったようだ。
「ねえナギ。あの塔、何?」
わたしはごまかすようにそう言った。
「ああ、タイレイム・イザーの事?」
「タイ…?」
「謎の塔って言われているわ。どうしてかは…資料館に行ってみればわかると思うけれど。興味ある?」
「うん」
資料館というのが(おそらく図書館と同じようなものだと思う)どういう所なのか知りたいし、塔も間近で見てみたい。
お婆さんに断りを入れて、私たちは資料館へ向かった。
ナギの家に来た時とは別の道を、変わった建物(ほとんどが高床式で台形のそれもある)を眺めながら突き当りを折れると、古めかしい荘厳な雰囲気の大きな建物が立ちはだかっていた。やはりこの建物も階段で一階分高くなっている。ナギに聞いてみると、ラービニではある時期になると海の水が町の中まで入って来るそうだ。まるで海に浮かぶ町のようになる。それで別名“水の都”とも呼ばれているらしい。
大の大人でも開けられそうにない大きな扉を合言葉で簡単に開けて入ると、両脇に低めの台があった。その上にはいくつかの色分けされたボタンが。
ナギが緑のボタンを押すと、目の高さに文字が現れた。読めないけれど、おそらく文字だ。そして空中にそれが浮かんでいる。
「タイレイム・イザーに関する資料はどこにありますか?」
ナギが聞くと文字が変わり、同時に、
『“う”の三階、五十六室の三十三行目です』
女の人の声で言った。
ナギがお礼を言うと文字が消えていった。
わたしは呆然とそれを眺めていた。
館内に入ると、その大きさに驚いた。国立の図書館より大きい。
目的の部屋に入り、蔵書を見つけた私たちは丸窓の前にある机でそれを繙いた。
ひとつ言っておくと、こちらでは文字のことを“紋章”というらしい。それがびっしりと書かれていたので、わたしはナギに読んでもらった。
【塔は人類が気付いた時からあった。今まで何人もの研究者が塔の謎を解き明かそうと様々な手を試みたが、塔には入り口らしき物はなく、窓から入ろうと足場を掛けても人もろとも崩れ落ちた。仕方なく穴を開けて侵入しようとするが、それを拒むように研究者達を弾き飛ばした。また、せめて外壁だけでも調べられないかと試したが、悲惨な結果に終わった。そのため、タイレイム・イザーは全てが謎に包まれているのであった。
“タイレイム・イザー”という名は、塔の壁に浮かび上がった紋章を偶然研究者が発見したものをつけた。しかし、二度と塔の壁に“タイレイム・イザー”と刻まれることはなかった。】
だ、そうだ。
結局なにもわからないらしい。わたしが元の場所に戻る手掛かりもない。
「どうする?これ以上は載ってなさそうよ」
ナギがパタンと本を閉じて聞く。と、
『ここへ…おいで』
…空耳、だろうか。誰かがわたしを呼んだ気がした。
「えっと…その、タイレイム・イザーを見に行ってもいい?
ナギはお客様の御要望に応えて、喜んで案内すると承諾してくれた。
□□□
塔には昼から行くことになった。ナギの用事を片付けていたら時間がなくなってしまったのだ。
昼食を食べながらお婆さんに塔を見に行ってくると伝えると、
「行ってもいいけど、壁に触ってはだめだよ?昔ねぇ、若い子らがふざけて壁に落書きしようとして大怪我したって聞いたからねぇ。気を付けておくれよ」
ひどく心配された。
少し休憩を取ってから、森へ向かった。いくつもの家々を過ぎ、さわさわと葉をすり合わせている木々の中へ足を踏み入れる。あまり人が通らないのか、道と言うより獣道だ。
急に目の前が開けた。
「はー…高いねー」
緑の絨毯がなびく中に堂々と、それでいて周りの景色を背景にさせないような不思議な塔が佇んでいた
「私もあまりここには来たことがないから…。久しぶりに近くで見ると大きなものね」
相槌を打ちながら足を進める。そして、
「あれ?ナ、ナギ…!」
「これって…」
驚きで、しばらく言葉が出てこなかった。高くそびえる塔の壁のちょうど目の高さには文字もとい、
「も、紋章…だよ、ね?」
「ええ。しかも、“タイレイム・イザーへようこそ”って…」
二人で顔を見合わせた。
今まで何年も変化のなかった塔が、私たちを招いているとしか思えないような言葉を壁に示している。いったい、なぜ…?
「どうする?」
「そ、そんなこと言わ――」
彼女は唐突に言葉を切ると、塔に向けなおした目でそこを凝視している。つられて見る。
「…なんて?」
「“壁に、手を触れてごらん”」
声は、緊張のためか震えていた。
固まるナギを通り越して壁に近付いた。けれど、手を伸ばそうとしたら、彼女に止められた。
「だめよ、セリナ!エナお婆ちゃんの話を聞いていなかったの!?」
「聞いてたよ。でも…」
何か手掛かりが見つかるかもしれない。わたしが元の場所に帰れる手掛かりが。
「でも、じゃないわ。もしそんな事をして怪我でもしたら?あなたにも帰るところがあるんでしょう?ご両親も待っていらっしゃるんでしょう?」
「…ごめん、ナギ。どうしてもわたし行きたい。ナギは帰った方がいいよ。案内してくれてありがとね」
「な、何を言って……いいわ。セリナが行くっていうのなら、私も一緒よ。――文句は聞かないわ」
ナギはわたしが何か言う前に押さえ込み、塔に向き直った。
ドクン、ドクンと、やけに鼓動が大きく聞こえる。
目配せして、同時に壁へ触れる。
その途端、低い機械音が鳴り響き、私たちは強い光に包まれた。




