05-04 五歳でも知っている
彼は叫んだ。途端、胸を突く鈍痛に咽たが。
「防御は消極的目的に終始せず、積極的目的に移行するためのものである!」
彼は階下から聞こえる騒がしい喧噪や楽の音の他、床下からの板張りの床の隙間を縫って零れる光に気づき、彼は寝台を揺らして飛び起きたのである。
汗にまみれた包帯と、油紙の下に潰した薬草が彼の傷口を塞いでいる。
身を動かせば痛みが走り、彼の傷は未だ深そうである。
咳き込めば、鉄錆の味が混じる。
彼は右手の平を傷口に当てると、戦の神に祈った。
途端、彼の掌が淡く輝きだす。
彼は深呼吸して、痛みが消えたことに感謝しつつ、再び目を瞑った。
◇
「声が……司祭の声……」
「目を……たんじゃ……のか?」
「治療を……見に……?」
暗い部屋に灯されたランプを持った人物が入って来る。
ランプは一人の人物を映し出していた。
光が揺れる。女である。
「……ジョニエル司祭?」
影は規則的に胸を上下させる人物を見下ろし、ポツリとつぶやいた。
「寝てらっしゃいますね……」
影は掛布団の乱れを直し、静かに部屋を出て行った。
◇
今日もまた、雨である。
リンゴが置かれた机の脇で、素振りをする彼女がいた。
アリムルゥネである。
リンゴが三つ、投げられる。
一つ目を跳ね上げ、二つ目を軽く押し、三つ目を掴む。掴んだ三つ目にリンゴが落ちてきて、綺麗に二つ重なった。
絶妙のバランスでリンゴを支えつつ、ブツが飛んできた扉方向を見ると、ガイアリーフが立っていた。
「師匠?」
「なかなかやるようになってきたな、アリムルゥネ」
「いやぁ、それほどでも……えへへ」
照れて見せると頭を指でつつかれた。
いつの間に接近を許したのだろう。
まだまだ、アリムルゥネはガイアリーフに及ばないのだろうか。
そんな思いが彼女の脳裏をよぎる。
「ガイアリーフ、弟子に追い抜かれる日も遠くなさそうですね」
「そんなことは無いと思うが、確かにアリムルゥネも良い線を行っている」
「……えへへ……」
ついつい耳の先が垂れるアリムルゥネ。
「あらあら、誉められて顔を赤くして」
「私も剣士としての私を見てもらいたいです!」
オルファは無言で笑った。
「メシにするぞ、二人とも」
「いただきます」
「はい、師匠!」
◇
ハーバシルが肉の塊をガイアリーフたちの卓に運んできた。
「お前達にも分け前だ。味見をしたが、淡白で美味かったぞ?」
謎肉が置かれた。
湯気を立てる謎肉の塊は、甘酸っぱい香りのするソースが絡めてあるようだ。
「なんの肉なんだ?」
「オオトカゲの肉だ。連中の中に、腕の良い元漁師がいてな。解体した肉を持って帰って来てくれたんだ」
「それを買いつけたわけか」
「そういうことだ」
と、そこにジョニエルがやって来る。
「昨日は迷惑をかけたようだな」
「なに、手当てが間に合って良かった」
ガイアリーフが応じる。
「ええ、私は自分の信仰が消えていないことにホッとしました。あまりにも魔法の効きが悪くて、奇跡が消失したかと思ったものですから」
「感謝する。特に毒の対処は厄介だったろうに」
「強烈な毒が仕込んでありました。あのダークエルフ……とにかく、解毒が効いて良かったです」
「ありがとう」
オルファは何気に信仰の危機を覚えたらしい。
「ドラウグル―スと言ったな、確か」
「魔王の側近、ドラウグル―スか。厄介な相手だ」
ガイアリーフは覚えていた。有名な相手である。五歳の子供でも知っている。
悪いことをすると、ドラウグル―スに攫われるよ、などと言われて育つのだ。
「そんな大物が、どうしてフォルトの街を狙うのでしょうか」
「いや、俺は逆にそんな大物の名を騙る敵が本当にいるのか、という方に興味があるんだが」
ガイアリーフの言葉にオルファの目が点になる。
「相手が正体を隠していると?」
「ああ。いくらなんでも、魔王の側近は無いだろう」
アリムルゥネも含め、四人は考え込んだ。
アリムルゥネの握るリンゴがコロコロとジョニエル司祭に向けて転がる。
「でも、あのラウトと名乗る男が現れてからというもの、あの迷宮の危険度が増し、極端に強い吸血鬼は現れ……ろくなことはなかったではありませんか」
「偽者だとしても、あの剣技、あの魔道、普通じゃありません!」
ジョニエル司祭が掴んだリンゴが砕けた。
「そうは言うが、アリムルゥネ、あのダークエルフを倒せば、堂々と妖精騎士を名乗れるぞ?」
「が、頑張ります……」
破砕されてしまったリンゴを見て、アリムルゥネは実に悲しげな顔をする。
「返事が小さいな?」
「頑張って倒します!」
席を立ち、リンゴの破片を拾いながら、アリムルゥネは訴えたのである。
ガイアリーフもジョニエル司祭も、笑ってそれを見ていた。
「まあ頑張れ。大丈夫だ、俺たちも手伝う」
「そうだな。魔王の側近の名を騙る人物だ。いくら"群狼の"が強かろうと、荷が重かろう。兵力の逐次投入は、原則として許されないのだからな!」
と、皿に伸びる手があった。
「お肉、美味しいですよ?」
白々しくも、微笑みつまみ食いを隠すオルファ。
「ん? 食べていたのか一人で!」
「抜け駆けは禁止です、オルファさん!」
「いただくとするか、うん、美味い」
彼らは次々に啄んだ。
彼らの口の中に広がるソースの味。その程よい酸味と甘さがお肉の味を引き立てていた。




