03-07 牛頭の魔人
アリムルゥネが上機嫌でリンゴを齧りつつも大通りを歩いていると、後ろから呼びかける声がある。
子供のものだ。男の子だろうか。
「なぁ姉ちゃん」
「……」
彼女は、無情にも無視した。
まぁ、口が塞がっているという理由もある。
「姉ちゃん、アリムルゥネの姉ちゃん!」
ここまで言われて振り返る。
「ん? 誰かと思えばウシュピアじゃない」
それは見た顔だった。
「姉ちゃんは今度はいつ闘技場に出るんだ?」
とんでもないことを聞いてくる。
「え? 闘技場? ……当分そんな予定はないけど」
「そうなのか? 姉ちゃん強いのに」
正直、アリムルゥネは照れた。
「あはは、強くない強くない、師匠なんかと比べたら、まるで月とスッポン……」
アリムルゥネは言葉を濁しつつ、そそくさと先を急いだのだった。
◇
「アリムルゥネ殿は闘技場に興味がおありか」
とは、飲んだくれのジョニエル司祭。戦の神の司祭様である。
「一度感じたら病みつきになるあの興奮、ああ、俺ももう少し若ければ」
「司祭様は今でも現役で出場しているくせに」
「なにおう!?」
酔客にジョニエル司祭が噛み付いた。
「おっと危ねぇ、ジョニエル司祭の相手はその名も高き"群狼の"に任せるぜ。邪教団を壊滅させたってな。聞いてるよ、ご活躍は」
「……」
知られたくなかった活動がもう知られている。
つまり、どこにいても逃げ場はない。
一生、あの教団から狙われるのだ。
もしくは、今日dんと全面対決して、叩き潰すまで!
と、椅子から立ち上がってガタンと引き倒し、拳を上に握り締めると野次馬が言う。
「お、"群狼の"は二回戦もやるのかい? いいカードになりそうだ。俺はもちろん、ジョニエル司祭をぶっ倒した、あのガイアリーフが鍛え続けている"群狼の"に賭けさせてもらうぜ?」
「おー。いいねぇ。相手は何だい?」
とんでもないことを言い出す。
「俺はミノタウロス辺りとの決闘を見てみたいな」
アリムルゥネはあまりの相手に噴出した。
牛頭の魔人、ミノタウロス。
迷宮の支配者。
さまよえる孤高の狩人。
はち切れんばかりの筋肉に、自分の体がぺしゃんこにされる予感がしてならない。
「そいつは凄い。でも、"群狼の"は負けてしまうんじゃないか?」
「いやいや、俺は勝つと思うね、絶対」
「よし、賭けよう。俺はミノタウロスに銀十八」
「渋いね。俺は"群狼の"の勝利に銀十五だ」
勝手に始まってしまう前哨戦。
架空の賭けは、勝手に盛り上がる。
◇
──そして。
「師匠」
「なにを泣いている? アリムルゥネ」
「だって、闘技場……」
架空のカードは。架空でなくなってしまった。
興行主の話に、ガイアリーフが丁度良いか、と飛びついたのだ。
「ああ、もうカードは決まっている。勝て。アリムルゥネ。さもないと、一文無しになる。俺たちは」
「そんなぁ」
ガイアリーフは全財産をアリムルゥネの勝ちに賭けたようである。
待ったなし。
後にはもう引けない。
◇
長い金髪を風に流しながら、アリムルゥネは革鎧一つでいた。
ここは闘技場。
彼女は今、小さな盾と小太刀を一本だけ持たされ山の様な巨漢と対峙している。
『まあがんばれ』
そう言ってガイアリーフに突き離された二度目の闘技場。
武器と防具がまともとは言え、なにしろ相手が相手だ。
一撃食らったらば、はい、さようならともいえる相手なのだ。
それはミノタウロス。
牛の頭を持った、筋骨隆々の大男。
正直、涙目である。
だが、勝利のためには気持ちを切り替えなくてはならない。
勝つのだ。いや、すでに勝った。勝っている。勝ってしまった後だ。勝利して当然、なにしろ、何度も勝利を収めたのだから。
との、自己暗示。
──ううう、怖い。
自己暗示のやり直しを何度も済ませ、今まさに、大観衆の喚声が待ち受ける中ミノタウロスの檻が開く。
◇
物凄い暴風が来た。
両手斧の破壊力が凄まじい。
今までアリムルゥネが立っていた場所が大きく抉れている。
アリムルゥネは距離を取る。
距離を取って、小太刀で滑らす。
刃と刃が鳴った。
アリムルゥネは刃を滑らせると同時に土を大きく蹴り上げる。
Fるわれた大斧が作った大きな隙にアリムルゥネの小さな体が潜り込む。
そして、顎に小太刀の一撃、下に切り裂く。
血が舞った。
赤と白、闘技場を彩ると、大歓声に包まれる。
ミノタウロスは激しく怒り、右に左にと大斧を振り回してはアリムルゥネを引っ掛けようと大立回りを演じていた。
アリムルゥネも無傷ではいられない。
先ほどの離脱の時に、大斧の柄で胸を激しく突かれている。
痛みが走る、アリムルゥネ。
そのダメージは足に来ていた。
大旋風のミノタウロス。
跳んで蜂のように小手を指すアリムルゥネ。
だが、次第にアリムルゥネの動きが鈍って来る。
疲れからだろうか。
そしてついに、アリムルゥネの足が止まった。
撃。
ミノタウロスが自らの血で染まった大斧を振りかぶる。
そう、自らの手首から流れ出ている血で染まった大斧を振りかぶったのだ。
アリムルゥネは後ろ脚で蹴って跳ぶ。
ミノタウロスは宙を眺めた。
太陽と重なる。
アリムルゥネの紫電の一撃!
斧が振り下ろされた。
闘技場に沸き起こる悲鳴。
いや、闘技場の地面に大斧を握ったままの手首が、ボトリと落ちていた。
大地に降り立ち、反復するアリムルゥネの第二撃。
彼女は小太刀を引いた。
牛頭の下にある首に添え、小太刀の刃を引いたのである。
血飛沫が上がる。
闘技場が割れんばかりの喚声に包まれるまであと数秒、ミノタウロスの体は仰向けに、どうと倒れた。




