02-04 女神の使徒
アリムルゥネは露店で買った瑞々しいリンゴにかぶりついていた。
「リンゴうんまうんま」
と、足を延ばした先は下町である。
フォルトの街の表通りを一本入り、城壁の二枚目と三枚目の間、貧民窟へと入って行く。
路上に寝転ぶ人々、走り回る子供たち。
いろいろな人がいる。
アリムルゥネは真っ黒なマントに、深々とフードを被り、小太刀の重みを確かめながら歩みゆくのであった。
◇
で。
「あ、エルフの姉ちゃん!」
出会ったのはいつぞやパン売りから助けた子、ウシュピアであった。
「"群狼の"アリムルゥネ!」
アリムルゥネは指差された。
「知ってる訳ね?」
「知らないもんか! みんな噂してる。強いエルフがいるって」
ウシュピアは笑いに笑う。
「そう?」
「だって、この街ではエルフは一人で出歩かないよ!」
だ、そうである。
◇
アリムルゥネとウシュピアは並んで歩く。
「俺は王様になりたい! こんな小さな町じゃなくてさ、もっと大きな国の、もっと都市をいっぱい持ってて……」
「すごい夢だ」
「そうさ! 俺は凄いんだ! ……姉ちゃんは? 姉ちゃんの夢は?」
少年は語り、年上に理解を求める。
「私は……騎士、騎士になりたい」
「騎士? 王様じゃなくって?」
母は妖精騎士だった。だからアリムルゥネも騎士を目指す。
「じゃあ、ウシュピアが王様を目指すなら、そこで雇ってもらおう」
「良いぞ? 姉ちゃんなら強いし大歓迎だ!」
冗談を言い合った、昼下がりである。
◇
アリムルゥネはリンゴを齧る。
「うんまうんま」
日も落ちそうな頃。
ここは下町貧民街。
歩くのを止めると、足音も止まる。
歩き始めるとまた足音がついてくる。
アリムルゥネは食べ終わったリンゴの芯を後ろに投げた。
一人の男の近くにそれは落ちる。
野良犬が近づいて食べ始める。
アリムルゥネの後ろに突然現れた、その僧服姿の若い男は彼女に声をかける。
赤髪碧眼。どことなく、猫を思わせる引き締まった体つきをしている。
「あなたの事を子供たちが少し噂しているのを耳に挟みました」
振り返ったアリムルゥネ。
「あなたは?」
「ランディス。レイノーラ様の司祭です。"群狼の"アリムルゥネ。あなたは騎士になりたいそうですね。お止めなさい」
「え?」
にこやかな笑みの裏の意外な言葉に、アリムルゥネは驚く。
「あなたには素養がありません、ここらで終わりにしておきなさい」
「そんなことない! 師匠は見込みがあるって!」
怒りをあらわにするアリムルゥネ。
「ならば一つ、、試してみますか? この私と刃を交えてみなさい。あなたの希望を打ち砕いて差し上げましょう。止めるなら今です。──私は強いですよ?」
刃を黒く塗った短剣が二本。いつの間にか司祭の両方の手に握られていた。
アリムルゥネは小太刀を抜く。
ミスリル銀の輝きが、夕日に映えた。
司祭ランディスが動いた。
小太刀を前に構えるアリムルゥネに、ランディスは恐るべき動きで背後を取る。
背中で膨れ上がる殺気に小太刀の刃が背後へ回る。
二本の短剣と小太刀が交差する。
アリムルゥネは股間を蹴り上げた。
ランディスは跳ぶ。
跳んで、跳ねて、回転して、着地。
アリムルゥネも距離を取る。
大通りまでの距離を計算し始めた。
──視線を逸らす。隙。
ランディス司祭の短剣が舞う。
小太刀が短剣を弾き、左の短剣が脇を狙う。
アリムルゥネは民家の壁まで跳んだ。
壁を蹴っては首を狙う。
小太刀と二本の短剣が交差する。
気力と気力の勝負。
力勝負でじりじり押されるアリムルゥネ。
騎士の戦いはここまでた。
アリムルゥネが飛び道具を使おうと、ナイフを求めて懐に手を入れようとした時──。
「姉ちゃん! ランディス!」
ウシュピアが再びアリムルゥネの前に現れた。
アリムルゥネは肩で息をする。
玉のような汗が、首筋を伝って降りていた。
「なかなかやりますね。ですが、今は運が良かったということをお忘れなく。ウシュピア。アリムルゥネさん。また会いましょう」
「お断り」
ランディスは短剣をどこに隠したのか、初めからそのような物はなかったかのように涼しい顔をしている。
「姉ちゃん? あー! ランディス、行っちゃうの!?」
「ウシュピア。もう遅い時間です。早く休みなさい。それでは、さようなら」
そして彼は、現れたときと同じく突然に、そして一陣の風のように二人を残して去って行った。
「ウシュピア。あの人誰?」
「ランディス? 優しいよ? 時々食べ物もくれる。字や計算も教えてくれるんだ」
慈善家であろうか。しかし、殺気に溢れた先ほどの姿はまるで──。
「あー、そう言うのじゃなくって、あの人、司祭様なんだ?」
「女神レイノーラの司祭様だよ。凄い奇跡も使えるんだ」
女神レイノーラ。
遥か神話の時代、魔王を倒し神への位階へ登り詰めた英雄神である。
聖女様、と単に言った場合、このレイノーラを指すことが多い。
今では多くの民衆に、身近な英雄神として親しまれている存在である。
「……怖い司祭様もいたものね」
「優しいよ?」
「そうだね」
答えるアリムルゥネに、やっと笑顔が戻っていた。
日が落ちる。
怒らないうちに……怒られるだろうが、アリムルゥネは黄金の羊亭へと戻ることにしたのである。




