02-02 あなたの名前は
黒マントを着、フードをすっぽりと被ったアリムルゥネは、露店で買ったリンゴを食べながら、南北に走る大通りをぶらりぶらりと歩いていた。
右に左に店先を覗きながら歩く彼女だったが、ふと耳に飛び込んできたのは喧嘩の騒々しい声。
人だかりを押しのけて、アリムルゥネは野次馬根性丸出しで見に行った。
見れば、一人の男の子が商店主から殴られようとしているところだった。
男の子の身なりはボロボロで、着の身着のまま、薄汚れた貫頭衣を腰のところで縄で結んで止めている。
地面にはパンが転がり、そのロ店で扱っている商品と似通った形をしていた。
おおかた、貧民の子供が商店主からパンを盗もうとして捕まったのだろうと思われた。
「この盗人め! こうしてやる!」
男が唸りを上げて拳を振り下ろす。
アリムルゥネは考えるより先に体が動いていた。
小太刀の鞘で、男の拳をポンと押したのだ。
すると、男の拳は男の子の顔から外れてあらぬ方向へ。
男は当然、アリムルゥネに怒り始めた。
その間に男の子は犬が拾おうとしていたパンをくすねると走り去ってゆく。
「おい、待て小僧!」
男はアリムルゥネを恨みがましい目でぎろりと睨む。
「あのさ、これで足りる?」
フードを取ったアリムルゥネが男に握らせたのは数枚の銀貨。
男の手に銀貨を押し付け、手を重ねて、そのふくらみが男の手を押し潰すように。
そして目線は上目遣いに男の目をじっと見つめる。
微笑んだ。
男もつられて微笑む。
「あんた、神殿関係の人かい?」
「違うんだなそれが。私はアリムルゥネ。騎士を目指してるの」
「ほう。人助けか。慈善事業も大概にすることだな」
アリムルゥネは男にパンをいくつか押し付けられる。
目を丸くする、アリムルゥネ。
「釣りだ。これじゃ、代金引いても多すぎら」
伏し目がちに言う男に、
「ありがと」
と、残してアリムルゥネはフードを被りなおし、人ごみの中へ去って行った。
◇
南北に走る大通り。
アリムルゥネは露店でもらったパンをかじりながら、南北に走る大通りを歩く。
行き交うは人の波。
だが、アリムルゥネはその中に、彼女を追う気配を感じた。
心もち、急いで歩いてみる。気配も追ってくる。
今度は止まってみる。気配が寄って来る。
アリムルゥネは危険を感じ、駆け出した。
だが……なにか違和感。
違和感の正体は、自分から正体を明かすのだった。
「待ってよ姉ちゃん!」
アリムルゥネは、はた、と立ち止まる。
「なに?」
先ほどの少年であった。
「……さっきはさ、ありがと。俺、ウシュピアってんだ!」
「ウシュピア? ……ずいぶんと珍しい名前」
アリムルゥネは聞き直す。
「俺の名前さ! 俺を取り上げた産婆の婆が、この子は将来王侯貴族になるよ、偉くなるよ、って言って、昔の立派な王様の名前を付けてくれたんだ! 姉ちゃんは?」
アリムルゥネは少し考えてから答えた。
「アリムルゥネ」
「ありむ……なんだって?」
繰り返す。
「アリムルゥネ」
「姉ちゃんだって難しい名前つけてもらってるじゃないか」
憮然とするウシュピア。
「エルフ語よりも古い言葉から付けたんですって。人間には発音が難しいかも」
それから、また少し考えて。
パンを取り出した。
「食べる?」
「食べる食べる! 白パンなんて久しぶり! あ、でも下町に住む、あいつらにも食わしてやりたい……」
「あいつら?」
どこにでもある話の予感がした。
「仲間がいるんだ! 大きな戦争があってさ、父ちゃんも母ちゃんもいないんだ、俺たち」
「そう」
ただ、無感情に頷く。アリムルゥネだって、同じようなものなのだから。
でも、全部渡した。
沢山のパンを見たこの子の笑顔が、あまりにも眩しかったからである。
でも、リンゴは渡さない。
アリムルゥネの好物なのだ。
◇
「……どこで聞いた、その話」
とある司祭についてのお話だ。
親切な司祭がいるという。
「下町。下町の男の子から」
ウシュピアのことである。
「貧民街か。そんな場所には出入りするな」
「はあい、師匠」
投げやりなアリムルゥネがいる。
「不服そうだな」
「だって、下町は私の故郷みたいなものですから」
ガイアリーフは無視した。
忘れた方が良いことだってある。
だが、全く不必要な知識というわけではないだろう。
あまり、根を詰めて問い詰めるのはよしておくことにした。
「そんな司祭がいるのだな」
「はい」
どこにでもある話だ。
とある優しい司祭が、本当に善意から貧しい子供たちに施す。
字を教える。計算を教える。簡単な教育を施す。
本当に、どこにでもある話だ。
強い意志と、揺るぎない信仰心と、明るい未来への確信。
それを持った者だけに許される境地。
そして、行動。
ガイアリーフは、その司祭のことを素晴らしい人物だと思ったのである。




