一茜の歌集(にのまえあかねのうたノート) 出雲
最初は古語ですがあまりお気になさらず。
作者の好みです。
やまと歌は、すさのをのみことと申す神の、出雲の国に下り給いて
八雲立つ
出雲八重垣
妻籠めに
八重垣作る
その八重垣を
という歌をのたまはしける後に始まれり。されば、歌を好ける者の出雲をゆかしく思うらむことは、いとことわりなり。
されば、文月の徒然さに誘われ我、出雲に行きけり。
まず、鳥居に拝せむと思えど、今はそれを新たに作らむとしけるところなれば、なすこと能わず。
手水舎の柱に、かく書きたる板かかりたり。
うまれこし
本をも知らで
魂の
ゆくすえとおく
まどうははかなき
本殿を拝まむとて、かねて設けたる5円玉を持って、今立ちたる雲をすさのをのみこと君も御覧じけむかしと思いつつ、各社を拝む。
思いしよりその数多ければ、かく多くの御神の集きにける尊きところなんめりと思いたり。
それの終わりたれば暑き中、つとをみむためにも、フラペチーノを買いたり。
ん?フラペチーノ?
いやそれは古語にできないんです。
☆☆☆☆☆
さて、全て古語で日記を書くこともできなくはないですが、ニーズは少ないと思うので止めます。ミスも増えると思いますし。
冒頭の軽い説明します。
日本で初めて作られた和歌はすさのをのみことがヤマタノオロチを討伐してクシナダヒメを助けた後に、
「妻をしっかり柵で囲って大切にしよ〜♪」
という和歌を詠んだことからはじまります。
現代感覚からするとなんか変ですが、多分当時としては大事にされてるんでしょうね。たぶん。
まあそんなこともあって一茜(作者本人)は出雲大社に行ってきました!
お賽銭箱がたくさんあり、それだけありがたい場所なんだなって思いました。
さて、今回のメインテーマは出雲大社の手水舎の看板に立て掛けてあった和歌です。
なんと現代語訳も作者も解説もなかったので、母(古典好き)を除いた家族はスルーでしたが、茜的にはお気に入りだったのであってるかどうか責任取れませんが、茜にできる精一杯な解説と返歌を書きます。
(訳)
自分の魂が生まれてきた場所を知らないで死んでしまい、死んだ後に再び魂となった時にどこに帰ったら良いか知らないで魂のままであてもなくさまようのは悲しいよね。
いつの時代に作られたかは分からないですが、少し輪廻の考え方が見られます。「生まれ来し本」は出雲大社のことなのでしょうか。いろいろ伝説の起源ですから、日本のはじまりと言っても過言ではないと思います。
さて、そんな和歌なのですが、茜も刺激されて和歌を詠みました。
今もなお
行く末知らず
魂は
ここにや侍る
天にや侍る
《荒い訳》
今でも私たちは死んだ魂の行方を知りません
あなたの魂はここにいらっしゃいますか?それとも帰る場所を見つけて天界にでもいらっしゃるのでしょうか?
死後のことを考えることは『駄論』だと言われたりします。まだ生きれることについても考え終わってないのに無駄な考えを……という理由です。
でも考えちゃいますよね。
他いろいろ巡りました。出雲大社楽しかったです。
皆様に31文字の魔法がかからむことを
少し前お月見でしたね。私、買った月見団子を3時のおやつに食べたんですね。
結果分かります?月見るの忘れてました(涙目)