第2話 とりあえず休んで相談したい
「町だなこれ……」
滋賀がぼそりとつぶやく。目ざとく拾った瀬川はちらりと視線を送るがすぐに戻し、返答ではなく漏れ出たように「これはすごいなぁ」とこぼした。
というのも、現代日本に慣れ親しんだ彼らにとって、自然由来の素朴さを感じさせる建物は華美に映ったからである。煉瓦づくりや、丸太で組まれたログハウスのような家々は見ているだけで飽きない。資料集や絵画でしか見たことのないような町並みだ。
「……見られてる?」
「見られてるね」
門をくぐってすぐからこちらへ向かう視線が絶えない。不躾な者はジロジロと頭から靴まで見てきたり、良識のある者でもさっと一瞥程度に目を向ける。それほど黒髪黒目が珍しい、あるいは衣服が馴染みのないものなのだろう。実際、二人には町を行く人々の衣服が民族衣装かなにかのように見えるのだから、逆もまた然りということだ。
「ケモミミ……!」
「おお、獣人……ていうやつか?」
人々の中にはときどき、獣の体躯をしつつも二足で歩行する者もいた。この世界でなんと呼ばれているかはともかく、日本では「獣人」と称され、ファンタジーにおいて親しまれてきたそれに近い。何が失礼に値するかまったくわからないので、二人ともお互いに聞こえる程度の音量ではあったが、一種の感動のようなものを覚え少し気分が高揚する。
とはいえ、おちおち眺めてもいられない。記憶や状況の整理のため、二人は座れそうなところを探し始めた。
「ない」
十分から十五分ほど町を歩き回るが、座るところは一切見つからず、収穫といえば町に入ったときよりもさらに注目を集めたことくらいだ。公園でもあれば、と思うものの、そんなものはなく。広場には人がいたものだから、結局二人は門の近くで話すことにした。
「公園すらない、ってどうやって遊ぶんでしょうね、子供たち。遊具もないっぽいし」
「まぁ広い町だからどこかにはあるのかもしれないけど、住民に聞こうにも怪しまれるしなぁ。おっさんにはわりと辛い距離だったしちょっと休みたかったけど」
瀬川がふぅ、と疲労の滲んだ息を吐く。道に迷ったわけではないが、直線距離でも、案内板から町までけっこうな距離があった。30過ぎのおっさんとしてはなかなか辛いものがある。
んん、と伸びをして手首足首を回す。とりあえず、と瀬川は滋賀に向き直り話を進めることにした。
「えーと、滋賀くんは女子高生……だよね。俺と面識はないはずの」
「そうです。瀬川さんはフリーター、ですよね。あとは……青菜が苦手って」
「うん、まずさっきの道中の話は大丈夫だな、あとはもうちょっとここまで来る途中の記憶でも蘇らせられればいいんだけど」
「うーん……」
二人で腕を組み記憶に集中する。しかし、思い出せそうな気配はなく、駄目か、と肩を落とした。
「過去は無理ならあとはこれからですか」
「まずは……そうだな、ここ、どこだと思う?」
「そうですねぇ」
外国、という線はとうに潰えた。まず自分らの話す言語が通じる時点でおかしいのと、先ほどの案内板に書かれた都市名に町名。日本ではないが、読めないはずの他言語が一瞬にして日本語に変化したのにも関わらず、町の発展進度は古めかしい、と感じる程度であるあたり、科学の発展した他国のうちのどこか、とも考えづらい。つまり、ここは地球じゃない、というのが二人で話し合った結論だった。
「最終的に地球外……突拍子もなさすぎませんか」
「むしろ地球上のいずれかって考える方が無理があるからなぁ。もうわけがわからないけどどっか別の惑星って思ったほうが自然な気がしてくる」
「わかります……けど火星はまだ人が住めないはずだし、近くの惑星にこんな文明が発展しているところがあれば、わたしたちが知らないはずないですよね……」
「少なくとも太陽系ではない……かもしれないな」
二人そろって空を見上げる。青い天井にふわふわの綿が浮かび、一つ大きな灯りが見え隠れする。こちらでは太陽、と呼んでいるのかは定かではないが、よくよく空を見渡してみると、なんだか地球のそれとは多少の違いが見られるような気もしてくる。
「はぁ〜、どうしてこんなことに……帰りたい」
「はは……」
目のあたりを覆って肩を落とす滋賀に瀬川が苦笑いで応える。ネット環境の整備された現代日本で成長してきた滋賀にとって、携帯電話の一つもない今の状況というのは非常に落ち着かないものだった。
「そういえば、スマホは?!」
「あ、俺のもない」
門番の前で見せたように、ポケットには端末どころか、ティッシュの一つすら入っていない。滋賀は嘘だろ、と呟き、とうとうしゃがみこんだ。
「落としたってのとも違うような……写真とかメールとかさぁ……」
「考えてみると俺も、コンビニバイトしてたんだから制服着てたはずなんだけどなぁ」
瀬川も自分の服装を見渡す。バイトに行くために道中で着ていたはずの、いつも通りの普段着だ。
「ここに来る前の記憶がないのとも関係あるとか」
少し暗い顔はしているものの、落ち着きを取り戻した滋賀は気を取り直して立ち上がり、瀬川に推測で答える。
「それは……かなり蓋然性が高いね」
「まずはそこを思い出す、というか記憶を取り戻すのがとりあえずの目標になりますか」
「そうなるな。じゃあ何はともあれ、俺たちがここにとっては異星人?である以上、共通認識は固めておこうか」
「共通認識……あ、設定のような?」
「そうそう、それそれ」
ひとまずいろいろな謎は置いておいて、二人は自分たちの『設定』固めに取り掛かる。門であった少しのいざこざのように、怪しまれたりしてはいらぬ問題が起こりかねない。何か言い訳を考えようということになり、町を覆うようにしてそびえ立つ壁に背中を預けながら、思考錯誤しながら言葉を交わし合い、二人はいくつかの設定をつくり出す。
一つは、出身を『田舎村』にすること。名前は諸事情で言えないことにする。田舎であるから、衣服もここいらのものとは違うと言い張れるし、物の相場や常識であるはずのことを知らなくても、田舎者だと馬鹿にされるくらいで済むだろう。
一つは、二人の関係性を、村を出て旅をする未成年と、その保護者とすること。滋賀の親に頼まれて護衛をすることになった、という設定だ。
一つは、名前は言わず、名字を名乗ることにすること。魔術というものが存在する以上、実名を簡単に明かすのは良くないかもしれない、とは滋賀の意見だ。なにが正解かもわからない舞台であるため、瀬川は用心に越したことはないと頷いた。
「——とまぁ、こんなところか?」
「怪しまれるにしても、口裏を合わせておけばとりあえずは大丈夫かな、と思います。まさかここじゃない別のところから来た!とか言っても通じるわけがないだろうし」
「俺たちも信じ難いしなぁ」
ふと、瀬川が困ったような表情を浮かべる。滋賀がどうしたのかと問うと、歯切れが悪そうに話し始める。
「いやね、さっき門の、ロウさんだっけ?に言ったなぁと思って」
「何を……あ、記憶喪失」
「うん」
生憎二人には地理の利がない。あの場ではああ言うしかなかったが、よく考えずともあまりにも都合が良すぎる。見渡す限り、周りは多少の草花と、遠くに見える山くらいだった。とはいってもどこまでも平坦というわけではないだろうから、どこかしらに近隣の村や町へ通ずる他の道があったかもしれないし、しかし案内板に二つしか書いてなかったことからそんな道など存在しないのかもしれない。記憶がないと言ったのは、一応その場の最善の選択だったのだ。
「……言い張るしかないですよね、とりあえず地図か何かでも手に入れないことには」
「そうだね……」
いろいろと話しているうちに、少し空が薄暗くなってきた。はっと滋賀が目を見開く。
「宿……!」
「あー、……どうしようか」
瀬川も滋賀も所持品が何もないし、さらには金を持っていたとしても通貨が使えるとは限らない。むしろ、日本銀行券がやりとりされていると考える方が不自然だ。
「野宿ですか」
「いや、何か売るものでもあればあるいは」
「質屋とか探してみますか……」
「あ、そういえば、座るところを探していたときにそれっぽいのがあったかもしれない」
「マジですか!」
「たぶんね」
あまり自信のなさそうな顔をしてはいるが、とりあえず、と本格的に夜の帳が下りる前に二人は目的の場所へ向かってみることにした。そうして歩いている最中にも奇異の目線は止まず、二人は居心地の悪い気分を味わいながらも、なんとかそれらしき店へ辿り着く。
「たしかにそれっぽい……」
滋賀がそう漏らしたのも頷けるというもので、店の外装には通貨らしきマークがどどんと大きく書いてあり、書いてある言葉も「なんでも買い取りいたします」「質を担保にお金をお貸しします」といかにもだ。
「どことなく怪しいけどそんなのこっちもだしなぁ……背に腹は代えられない、入ってみようか」
「はい……」
瀬川に促されてともに歩み入る。と、すぐにようこそ、との歓迎の声が聞こえた。
「こんにちは!む!その服……!」
小柄な、獣耳を付けた男の子が二人へ近づいた。年齢は滋賀の3つほど下の、小学生から中学生くらいだろうか。毛に覆われた体躯は狸に似ており、経路は濃いめの茶色、といったところだ。明るい声でひょこりと出てきたかと思えば、すぐに視線を二人の衣服へとずらして興味津々に鼻を鳴らしている。
「あ、あの……」
「こら、さいち」
と、今度は奥から凛とした声が響く。姿を見せたのは少年と同じ耳と尾を持った初老の女性で、見た目はまだまだ若いものの、佇まいやその声には威厳があった。怒鳴り声ではないが、さいちと呼ばれた少年はビクリと肩を跳ねさせ、どこか別のところを見ていた目を正気に戻す。
「お、おばあちゃん」
「すみません、うちの孫が失礼をして」
「ああいえ、構いません。どうもこの服はここじゃ物珍しいようですし……」
「ええ、ええ、長いことこの店をやっておりますゆえ様々な品を見て参りましたが、そのような形や色合い、着こなしは初めて拝見しました」
言葉遣いは非常に丁寧だが、側に寄った少年の肩をがっちりと掴む女性の目も先ほどの少年と同じく、価値を見定めるような鋭い色を宿していた。入り口を入ってすぐに横並びになっていた二人は何もかもを見透かされるような視線に竦む。
「ああ、す、すみません。孫に説教できませんね、言い訳ではないのですが、本当に珍しいものですから……」
二人の様子に気がついたのか、女性は慌てて取り繕い、笑みを浮かべる。二人が少し警戒を緩めたのを確認し、奥へどうぞ、と促す。
店の奥には円卓と丸椅子がいくつか置いており、女性は向かい合うように四つの椅子を二つずつ並べると、お座りください、と声をかける。それでは、と二人が座ったのを確認すると、少年に閉店の看板をかけさせるよう言いつけるとともに女性は座った。
「閉店にしてしまっていいんですか……?」
「そうですね、常連は事前に連絡をくれますし、新規のお客様はあまり訪れませんので構いませんよ。お二人は何か事情があるようだったので」
女性の目元に刻まれた皺が深くなる。柔らかな笑みに加え、やっと座れたというのもあり、滋賀と瀬川は知らず安堵の息を漏らした。
滋賀は瀬川の、瀬川は滋賀の目を同時に見てコンタクトをとる。ある程度なら話そう、という意思を交わしたあと、滋賀が話を切り出した。
「実は——」
滋賀が大元の話をしつつ、細かなところは瀬川が補完して進めていく。ざっくり話をまとめると、こうだ。
名前は諸事情で言えないが、田舎の方の村から旅に出た自分と保護者の瀬川は、気がつくとこの町マロワと中央都市ラムの中間あたりにある案内板の近くに立っていた。村を出てからの記憶がなく、困っている。通貨も村のものとは違うようで、無一文であり、何か買い取ってもらえないか、と。
「この服は村で着慣れていたもので、飛び出すように出てきたので一般的な服がよくわからなくて。大事なものなので服自体はお売りできないんですけど……」
「……俺の服は大丈夫ですが、他に着替えがないので一張羅ではあります」
滋賀が身につけている衣服は学校の制服である。日本に帰還したあと、つつがなく学校生活を送るためには必要不可欠であり、値が張るものなので迂闊に売却はできない。その点瀬川はシャツにズボン、といった安物の普段着であるので売り払っても問題ないが、代わりの着替えがないと全裸になってしまう。不審者として目立つことは論外だった。
「なるほど、話はわかりました。そうですね、じゃあこの子にお金を渡して服を買って来させますので、セカワさん……ですね、その服をお売りいただいても構わないでしょうか?」
「!それはありがたいです!」
札をかけ戻ってきていた少年の頭に手を置き、女性が提案する。滋賀と瀬川はそれぞれありがとうございます、と礼を言い、少年が服を買いに行く間、値段などの相談をすることにした。
全然話が進まなくてすみません。筆も進行度もスロウです。もっとテンポよく書きたい。




