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触手の勇者様  作者: 三つ編み触手
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旅立ち

エッチな触手は出てきますがエッチな描写はありません。ありませんたら。

凝固した樹液のような半透明の固体に覆われた岩肌。

どこまで続くのかも分からない長大な洞窟の通路を、宙に浮いたピンクの光球が怪しく照らしている。

見るものによっては巨大な生物の臓腑を連想するであろうその空間こそ、かつては栄華を極めたとある種族最大の都だ。


「ただいま戻りました、父上」


凜とした女の声が抽象的で奇怪な文字が刻まれた洞窟内壁で反響する。

その声に反応して、静まり返っていた洞窟内に湿り気のある音が産まれた。

ウジュルウジュルと何かが這うような音と共に洞窟の暗がりから姿を現したのは、この世界において蛇蝎の如く嫌われる存在。


――太古から世界に息づく、最も古き魔法生物とされるもの。触手生物だった。


現れた触手生物は無数の粘液に濡れた赤い触手を地面に這わせ、己を呼んだ者に触れた。

絡み合う触手と触手。

先端を二度突きあわせるのは触手生物伝統の挨拶である。


「無事なようでなによりです」


声の主もまた触手生物だった。

だがその姿はシンプル極まりない赤い触手生物とは異なり遥かに多彩かつ異様だ。

蛸の胴体に似た柔軟な袋状の物体から赤、青、緑、黄、紫、黒等の様々な色の触手が伸びている。

色だけではなくその形状も多種多様である。

疣があるもの、先端から細い触手が無数に生えたもの、槍のようなもの、針を備えたもの、眼がついたもの、口が付いたもの。

自らの茎を咥え込んだウミユリと形容できるような、一般的な触手生物とはかけ離れた姿だった。

触手を絡ませあう二体の触手生物は、同じ種族とは思えないほど形態に差があった。


赤い触手生物の触手が複雑にくねる。

もう一体とは違い原始的であり発音器官をもたない彼は、こうして彼ら【知恵ある触手族】特有の触手言語でしか意思を伝える事が出来ないのだ。


『よく戻ってくれた、我が息子よ。して、どうであった?卵は?苗床は?』


絡ませた触手の上でくねり話しかけてくる父の触手に、彼の息子である触手生物、【一族の繁栄】……自身の苗床だった人間の言葉に直せばヴォル=ウジュラと名づけられた若者は表情を曇らせた。

常にゆっくりとくねりながら待機していた触手の動きが鈍ったことを空気の振動で感じ取ったのか、ヴォルの父である【知恵ある触手族】における最も偉大な始まりの触手ウジュラは息子と同じように触手を萎れさせた。


「報告します。この触手迷宮から最も近い場所に居たメスは、私が赴いた時には既に……力尽きておりました。何者かに体液を抜き取られていたのです」

『おぉ、なんたることか。かのメスは触手の張りもよく、粘液も豊かで気性の穏やかな良き娘であったのに……』


触手をわななかせ悲しみを露わにする父と同じく、ヴォルもまた悲しみと怒りを隠せなかった。


現在、この世界に残された高等触手生物である【知恵ある触手族】の雄はヴォルとその父ウジュラのみである。

そして雌もまた数を激減させ、その総数は分かっているだけで十にも満たない。

知恵を持たない近縁種の下等触手生物は未だ世界に溢れているが、それは人間にとっての猿に近いものであり繁殖の対象にはなり得ない。

一億年を越える長き歴史を誇る【知恵ある触手族】は今、絶滅の危機に瀕していた。


歴代最悪と謳われた魔族の長【呪いの魔王】が人間の勇者に率いられた主要種族の勇者達によって打倒されたのが約千年前。

勇者歴が採用されてから初めて経験する長き平和が、人間やエルフ、ドワーフ、竜人、そして魔族らにどんな影響を与えたのか、ヴォルには良く分からない。

だがなんにせよ、彼らは【知恵ある触手族】を精力的に狩り始めた。

雄はただ殺されるだけだったが、雌は生きたまま切り刻まれその体液を略奪された。

ヴォルはその事実を父から伝え聞いただけだったが、繁殖可能な身体になり、一族繁栄の為に近場の雌に求愛する旅から帰って来た今では胸に抱く感情の大きさが違う。


かつては美しかったろう若い雌が、全身を切り刻まれて萎れているのを見て怒りや悲しみを抱かないなどありえない。

必死に守っていただろう卵が外気に晒されて無残に萎れてるだけではなく、鳥や獣に喰い荒らされている凄惨な光景を見て触手が煮え立たない触手の雄などいない。

【知恵ある触手族】の雌は一生の内に一回しか卵を産めない。

それゆえに彼女達の卵に掛ける愛情は海より深く山よりも高いとは最も古い触手である父の言葉だ。

それを知るからこそ、卵を信頼できる雄に託す事も出来ずに惨殺された雌の無念がどれほどのものだったのか想像できてヴォルは悔しかった。


「父上。私は悔しいです。なぜ、私達平和を愛する【知恵ある触手族】がこのような迫害を受けなければならないのか」

『息子よ。お前の気持ちはよくわかる。されど、他種族を過分に憎んではならん。我らは彼らの身体を借りねば増える事の出来ぬ生き物。彼らとて我らに怒る権利はあるのだ』

「しかしこれはやり過ぎです!」


【知恵ある触手族】の繁殖は独特だ。

雄が雌に求愛し、雌が雄を卵を預けるに足ると判断した場合卵の受け渡しが行われる。

卵を受け取った雄は、卵を孵化させるのに最適な苗床……つまり他種族の身体を探し、あの手この手で拘束し卵を植え付けるのである。

そして卵が孵化するまでの間、甲斐甲斐しく卵と苗床の世話をするのだ。


男女分け隔てなく苗床になりうるが、男だろうが女だろうが、自分の体を拘束され他種族の繁殖の道具にされては怒るのは当然だろうとヴォルも思う。

しかし一部の昆虫のように卵を産み付け孵化と同時に苗床となった者の命を奪うわけではないので、こちらを絶滅させるほど怒らなくてもいいのでは……とも思うのだ。


『我らが苗床にどれほどの気遣いをし、敬意を持って接したとしても苗床たちには苗床たちの理がある。考えてみよ。我らの雌を人間の雄が誑かし、その麗しの卵を持ち去ったと聞けば、我らとて良い気分ではあるまい』

「たしかに、それは」

『であろう?それに、異界の触手を身に宿すお前ならば、他種族の気持ちも我ら古き触手よりも推し量れよう。ゆえに憎まず、怒れ。己を奮い立たせ雌を守り繁栄を目指せ。新たなる時代の触手であるお前ならきっと成し遂げられる』

「……」


ヴォルは目玉のついた触手で己の身体を見る。

【知恵ある触手族】の雌の内、もっとも多種多様な触手を持つ雑種中の雑種たる母が残した卵が、苗床である人間の女の中で最古の触手である父が放った最後の精液と結びついて産まれたのが自分だ。

ゆえに母の触手を受け継いで生まれながらにして同胞がかつて獲得した様々な形状、能力をもつ触手だけを備えて産まれる運命だった。

だが、産まれる前。人間の女の中で孵化の時を待っている時、父であるウジュラは自身の子に禁術をかけた。

それはウジュラの無限とも言われた生命力を枯渇させ、それだけではなく様々な代償を支払って起こした奇跡であり禁忌。

詳しくは教えられなかったが、結果としてヴォルの体には異界の恐るべき触手が宿った。

金属で出来た触手、スライムのような触手、得体のしれない薬物を合成する触手、言葉を発する触手……数えられない程の、【知恵ある触手族】が一億年かけても得る事が出来なかった膨大な種類の触手がヴォルの身体には宿っている。

そして、同時に異界に住む人族に似た種族の知識と思想も。


『息子よ。此度は残念だった。だが、まだこの世には信頼に足る雄を待ち続ける雌が残っている。迷宮を旅立つのだ。そして雌を探し、大いに恋をし、愛を育み、子をもうけよ。それがお前の使命』

「されど父上。私はこの世のものでは無い触手を持つ雄です。このような異形の私を受け入れてくれるのでしょうか?」

『お前はどのような雌の前に出しても恥ずかしくない立派な触手男子だ。なに、案ずる事は無い。目新しい触手を持つ雄は得てして雌にモテるものよ、ふ、ふははは……』


陽気に触手をくねらせ笑う父の姿に、ヴォルはその新緑色の瞳を過剰に分泌された粘液で曇らせた。

触手の先端に力が籠っていない精彩を欠いた動き。それは我が父親の命がもうすぐ尽き果てようとしている事を否応もなく思い出させる。

死の淵にいる父が、自分の悩みを聞き空元気でも明るく振る舞い励ましてくれている。

この父親の愛に息子である自分はどう応えればよいのか?


「……父上がそういうのであれば、心配はいらないようですね。であればもはや私に憂いなし。父上、ヴォルは往きます」


震えそうになる声を律し、声だけでなく触手言語も使って決然と宣言する。

そんなヴォルに父であるウジュラもまた同じように応えた。


『往くがよい。汝の触手に尽きる事なき潤いがあらんことを』


世界にたった二体の触手生物の雄は絡み合った触手をするりと解いた。

若き触手、新たな時代の触手であるヴォル=ウジュラは洞窟の出口へと向かう。

洞窟の壁に刻まれた触手文字は一族が長い歴史の中で蓄積した種族別触手堕ちマニュアルだ。

先達が残してくれた微に入り細を穿つ性知識の極致を復習しながらヴォルはしっかりとした触手捌きで進む。


「山のように苗床を抱えて、必ずここへ帰ってまいります」


こうして【知恵ある触手族】最後の雄となったヴォル=ウジュラの一族を絶滅の危機から救うという重大な使命を帯びた、他種族の雌や雄をヌルヌルでグチャグチャの触手地獄に引きずり込む旅が始まった。







生まれ故郷である触手迷宮を旅立ってから三日。

ヴォルは【知恵ある触手族】が盟約の森と呼ぶ森林地帯に居た。

触手の雌が生き残っている可能性が高い場所で触手迷宮から二番目に近いのがここだ。

その名の由来はヴォルが産まれるずっと昔、この森に住むエルフと【知恵ある触手族】との間に盟約が結ばれたからだという。


エルフと言えば触手を嫌う種族として有名だし、触手側からしても克服しがたい弱点である魔法を得意としている苦手意識のある種族だ。

その二種族間で一体如何なる出会いがあって如何なる盟約を交わしたのか?それは父であり教師でもあったウジュラからは教えられていない。

かわりに教えられたのはエルフの特徴的な長い耳を如何に刺激すれば性的快感を引き出せるのかについてだ。

ヴォルとしてはエルフと触手の歴史に興味があったが、突如興奮しだした自分の体から生える異界の触手群に気を取られ質問の機会を逃していた。

なぜ異界の触手はエルフや雌の話などになると興奮しだすのだろうか?そして雄の話になると何本かを除き萎えるのか?突然自分の意思とは関係なく肉体の一部が反応してしまうその謎は今も解けてはいない。


ヴォルは新緑の眼玉触手をぐるりと回し周囲を見る。

巨大な幹を持つ巨木があちらこちらに生えているが、天に広げられた枝葉に何者かが手を入れているらしく優しい木漏れ日が森の中に差し込んでいる。

光が差し込んでいるにもかかわらず下生えは殆ど無い。地面に生えているのは分厚い地衣類と控えめに葉を茂らす低木ぐらいだ。

誰かが手入れをしているのは明らかで、そしてその誰かとはエルフなのだろう。

もしもエルフに出会ってしまったらどうしよう?苗床用に一人ぐらい確保しておくと雌に巡り合えた時に求愛が有利になるかもしれない。

そんな事を考えながらも、ヴォルは無数の触手が飛び出ている袋状の触手――ヴォルは四次元触手と呼んでいる――から新たな触手を露出させる。


それは一見してみると巨大なシダ植物のようだが勿論そうではない。

ヴォルはその触手で宙を薙ぐ。そして暫しバサバサと振り回した後、全身の触手をうっとりと波立たせた。


(美味い!)


一人きりなので声を出す必要はない。

ヴォルは無言で空気中に含まれる魔力素の味を称賛した。

多くの種族に誤解されている事だが、魔法生物の一種である触手生物の主食は他種族の体液ではなく周囲を取り巻く環境に含まれた微量の魔力【魔力素】だったりする。

先ほど出したのは空気や水中の魔力素をシダ植物のような大きな表面積で捕らえる一般的な捕食用触手だ。

無論他種族の体液も触手生物にとっては食べ物なわけだが、頻繁に摂取できないそれは一種のご馳走だ。普段は誰にも迷惑が掛からないささやかな糧で生きているのである。


(なるほど。こんなに良い場所ならば一族の皆が集まるのも頷ける)


豊富かつ上質な食料がある場所はそれだけ人気のスポットになる。

父から聞いた話では、かつてこの森の一角では夥しい数の【知恵ある触手族】が色とりどりの捕食用触手を咲かす光景が見られたという。

触手の花園とでも言うべきその光景は、ヴォルが産まれるずっと前のこと。今はたった一体だけが触手を振っているだけ。

昔と今の違いに哀愁を感じるが、ヴォルの心は意欲に燃え立っていた。


(今は私だけでもそう遠くない未来、この森を子供達で一杯にしてやる!)


森を触手で埋めつくすという夢を胸に抱いたヴォルは、さしあたりここまでの移動に使用したエネルギーを補給するためにシダ触手を振り回す。

さて、この森を埋めつくす量の子供を孵化させるには何人のエルフが必要になるのだろうか?

ヴォル的には健康なエルフであれば雄でも雌でもどちらでもいいので数の確保は楽なはずだ。

病弱な触手生物は絡みつく力が弱かったり麻痺毒や媚薬の濃度が薄かったりするので筋力が強い傾向にある雄を狙うのはリスクが高い。

しかしヴォルは至って健康かつ逞しいと言ってもよい立派な触手男子だ。

雄の苗床の扱いについても熟知しているし、例え竜人やドワーフの雄であろうとねじ伏せて嬌声を上げさせる事が出来る自信がある。

種族的に筋力が乏しいエルフなんて雄も雌も似たようなものだ。


そんな各種族の雄が聞けばとっさに尻を押さえたくなるような事を考える事数十分。

ふと、ヴォルの触手の表面が何者かの話声を捉えた。


(エルフだろうか?)


ヴォルはシダ触手を音も無く袋触手の中に引っ込めると近くにあった大木の影に身を潜めた。

どの種族からも自分の一族が警戒されている事実を知っているからこその行動だった。

ヴォルは細心の注意を払いながら目玉触手を地面や木に沿わせながら話声の元へと伸ばした。

天を覆う巨木の枝葉の隙間から現場を垣間見れば、そこには武装した青肌の男女の姿があった。


(……魔族だ!)


青肌。そしてよく見れば黒い白目に金の瞳孔。

原色かつ無駄にカラフルな肌や眼は魔族の特徴だ。

それ以外の形状は人間とそう変わらない魔族という種族は、人族に聞かれれば烈火の如く怒るらしいが完全に人間の上位種である。

長い寿命に丈夫な体、高い身体能力と膨大な魔力。

戦士としても魔法使いとしても優秀な、苗床にするには最高だがリスクも最高な素敵種族。

何時かは苗床にしてみたいと思っていた憧れの種族だが、なぜこんな所に?ヴォルは違和感を感じていた。


父から伝え聞いた話では、現在に至るまでの三千年とすこしぐらいの間、魔族は人間、エルフ、ドワーフ、竜人等のいわゆる南方主要種族に対して敵対姿勢を取っているらしい。

暦として勇者歴が採用されてからというものの、魔族と魔族が率いる北方主要種族は南方主要種族とずっと戦争状態なのだ。


魔王を自称する魔族の最高指導者がその時々の勇者に打倒されると停戦交渉が行われ、次の魔王が登場するまでつかの間の平和が訪れるわけなのだが停戦は停戦だ。

いずれ戦争をする相手を自分の陣地に入れさせる訳は無く、しっかりとした取り決めによって北と南の世界は完全に分断され隔離されているのだという。

だが、目の前の魔族が居るこの盟約の森は南方主要種族の領地内に位置している。

父の話では千年前ぐらいに歴代最悪と名高い【呪いの魔王】が人間の勇者とエルフの勇者によって打倒され、それからはずっと停戦が続いているという。

となればこれは妙だ。

ヴォルは嫌な予感を感じながら二人の会話を盗み見る。


「なぁ、おい。その肉分けてくれよぉ。何とか酒は勝ち取ったがつまみが無くちゃ片手落ちだぜ」

「嫌よ。これは私の配給分。分けてあげる理由はないわね」


片手で槍を担ぎもう一方の手で小さな酒樽を抱えた魔族の雄が、如何にも強そうな弓を背負った魔族の雌に肉の無心をしているようだ。

ヴォルの敏感な触手が雄の呼気から放たれる酒精を感じ取る。どうやら既に相当飲んでいるらしい。


「俺が気持ちよく酒を呑めば、それだけ戦力アップでお前が勇者に殺される確率が下がるぜ?」

「そうかもね。でも考えてみなさいよ。この広い森で、私らの担当エリアに勇者が来る確率ってどの程度のものよ?」

「おいおい魔王軍の自覚が足りてないんじゃないかその発言。もっと真面目にやれよ」

「うっわ!理由がどうあれ作戦行動中に酒飲んでる人に真面目にやれとか言われた!」


勇者、魔王軍。

仲良くじゃれ合っている二人の魔族を眺めながら、ヴォルは嫌な予感が当たったことを確信した。

魔族が停戦条約に反して南方領地に居る理由。それは停戦が取り消され戦争が再開されたからに他ならない。

戦争再開となれば大陸各地で熾烈な戦闘が繰り広げられる事は容易に想像できる。

各種族が平時と比べて警備も警戒心も厚くなるだろうし、そうなれば嫌われ者の触手生物であるヴォルも行動しにくくなる。


(魔王軍はこの森に布陣しているのだろうか?)


話を聞いた限りではどうもそうらしい。

そして勇者の襲来を予期し防備を固めているようだ。

つまり、そう遠くない未来にこの森で魔王軍と勇者の戦闘が勃発するという事だ。

これはヴォルにとって非常に良くない事態だと言える。


勇者と言えば南北の主要種族ごとにただ一人だけ産まれるとされる特異個体。

その戦闘力は異常の一言であり、種族的な性能で優位に立つ魔王軍を相手に個人で渡り合える程の強さだと聞く。

そんな勇者と魔王軍の戦闘。巻き込まれれば命の危機だ。


(だけど、ここには一族のメスがいるかもしれないんだ。ここで逃げるわけにはいかない)


【知恵ある触手族】の雌は雄と違って活発に移動する事はない。

その生態はサンゴに近く、若年期にここぞと決めた場所に根を張り、あとは同じ場所で周囲の栄養を蓄積しながら成長する。

卵を産めるほどに成長すれば自力での移動は不可能だ。


父が教えてくれた生きた雌の残っている場所は他にもあるが、今もそこで生き残っている保証はない。

一つ一つ、近場からしらみつぶしに確認していかなくてならない。


(なんとかして戦闘が始まる前に雌を見つけ出さなくては)


ヴォルは音も無く目玉触手を引っ込めると細心の注意を払いながら、魔王軍がいる森の奥へと忍び込んでいった。







太陽が傾き薄暗くなった森の中でヴォルは途方に暮れていた。

木陰から覗かせる目玉触手の先には如何にも精強そうな部隊単位の魔族達。

その部隊は森の中にある小高い丘を囲むようにして展開されており、その防備には触手を差し込めそうもない。

つまり穴がないという事だ。


(なぜ、よりにもよってここに魔族が?)


魔族が防衛しているあの小高い丘は自然に作られたものでは無い。

アレこそがヴォルの目的地であり、成熟した触手の雌が作り上げる【触手塚】と呼ばれる巣なのである。

触手塚から微かに匂ってくる雌特有の性欲を誘う香気、どうやら中にいる雌はまだ存命らしい。

卵を産める成熟した雌がそこにいるというのにそれを阻むように布陣する魔族の精鋭たちに殺意が湧くが、あれだけの戦力相手に単身で挑んだところで返り討ちにあうのはまず間違いない。

父から教わった触手生物の戦い方というのは如何に相手の虚を突いて絡みつき無力化するかの勝負だ。

奇襲をかけ、媚薬や麻痺毒で行動力を奪った後に絡みつき完全に拘束する。それは一対一だから通用するのであって敵の数が多ければ無力化しきれずに殺されてしまう。

雌は大切だが、それ以上に大切で貴重なのはヴォル自身だ。今や生殖行為の出来る触手のオスはヴォルしかいない。

もしも殺されたり去勢されたりすれば一族はそこで断絶する以上、勝ち目の薄い多数対一の戦いは避けるのが賢明だろう。

触手生物は平和を愛する種族。無暗な殺戮は自らの滅びを招くことをヴォルは教えられていた。


(警備が手薄になるまで待つか。ここは一端出直そう)


そう判断して、ヴォルはひとまず森の外縁部へと退避する。

辺りはすっかり暗くなり、木の上へ触手を伸ばせば空に月がのぼっているだろう時刻だ。

とりあえず魔族に発見されにくい安全な場所へ、と思い移動して来たわけだが、これからどうすればいいのか妙案が浮かばない。

このまま時間を浪費していては、やがて勇者が来て森は戦場になってしまう。

勇者というのはなにかと派手な戦いをする傾向があるらしく、周囲へ及ぼす被害の程は軍隊にだって劣りはしないそうだ。

実に勘弁してほしい。もしもそんな派手な戦闘に巻き込まれでもしたら身動きの取れない触手の雌はまず間違いなく死んでしまうだろう。

やはり無理をしてでも、あの警備を突破するべきだろうか?


(……ん?)


物思いに耽るヴォルの耳――粘膜だが――になにやら甲高い金属音が舞い込んできた。それと、なにか争うような切羽詰まった声。

これはまさか、と思いながらも現状を打開する切っ掛けを掴んだかのような感覚を得たヴォルは音のする方へとウジュルウジュルと忍び寄った。


……そこでは、魔族と人族の戦士達による殺し合いが繰り広げられていた。


「くっ!」


破壊跡の残る地面には四人の人族の死体。喉元に穴が開いた騎士、矢が心臓に突き刺さった魔法使い、首を跳ね飛ばされた僧侶、糸まみれになって苦悶の表情で倒れる野伏。

誰もが強そうな装備で身を固めているが、それらは持ち主を守り切ることは出来なかったらしい。

無事に二本の足で立っている人族はもう一人しかいない。


自分が産まれた苗床である人間の女騎士が身に着けていた鎧と同じ材料、軽量かつ高い硬度と粘りを持つ白金鋼製の厳つい鎧を身に着け、手には魔法杖の先端に槍の穂先がついた奇妙な武器を持った騎士風の戦士だ。

鎧と同じく白金鋼製のフルフェイス兜を被っているため顔は見えないが、先ほど聞いた苦悶の声からして年若い固体なのだろう。


「で、どうするよ人間の勇者様?あんたの支援魔法は確かに凄かったが、もう守ってくれる護衛は居ないぜ?」

「もう一度言うけど、降伏するなら命までは奪わないわ。勿論暴れないように色々するけど、死ぬよりはずっとましよ?もう一度考えてみてもいいんじゃない?」

「断るっ!」


勇者と呼ばれた騎士は当然だとばかりに降伏勧告を蹴った。

魔族二人が困ったような顔でため息をつく。


「なぁもう少しぐらい考えるとかしろよ。仲間を四人瞬殺されたばっかりだろお前」

「王国軍相手にしてる二軍の連中とは違って、私ら一軍は魔王様から直接加護をもらってるの。これ、分かるかしら?この森に居る魔王軍は全員強化されてるって事よ。私ら二人に壊滅させられる程度の力でどうにかできるとか思わないでもらいたいのだけど」

「私は断ると言ったぞ!魔王は南方種族を根絶するとほざいた!私は人間なんだぞ!私一人だけが助かったとしてそれが何になる!」


魔族になんて絶対に負けたりしないという強い意思を感じさせる勇者の叫び。

それを聞いていると何故だか知らないが異界の触手が妙に疼く。

破壊衝動的な何かが異界の触手からヴォルに逆流してくるが、それこそそんな欲求になんて絶対に負けたりはしない、である。

触手生物的には苗床に対して性的興奮を覚えるのは、人間がゆりかごの木枠に対して欲情するレベルの変態的行為なのだ。


異界の触手、マジナイワ―……などと思いながらヴォルは興奮する異界の触手を四次元触手から二本露出させた。

そして。


「なら仕方ない。生け捕りが上策だが、死んでもらったってこっちとしちゃあ問題はないんだ」

「逃げられるなんて思わない事ね。もう増援がすぐそこまできてるんだから」


などと言いながら槍と弓を構える魔族の無防備な襟目掛けて触手を差し込んだ。



「オッホオオオオ!?」

「ンヒィィィィィ!?」


完全に不意打ちを食らった二人の魔族の口から嬌声が迸る。

サヨナラグッバイまた来世。

君たちの死因は周囲への警戒不足が招いた唐突なテクノブレイクだ。

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