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4、婦人

 レオーネはすぐに呼び出され、それ以降は姿を現さなかった。

 聞いた話によると、上の人達が話し合って降板になったらしい。その一週間の出来映えを見せる舞台を使った練習は、客席に監督の他にランニーニ氏も来ていたらしく、酷く彼女の気に障ったという。

 レオーネの代役は脇役の中でも演技の評価が高いノーマがやることになった。ディーノの妻は特に台詞は多くなかったので、レオーネがいなくても上手く進んだ。

「ディーノ、わたしはあなたの元を去るわ」

 イルオラは覚えた台詞をなんとか口にするが、やはり気持ちが上手くついていかない。

 やはり演技は苦手だ。しかし、踊りはルロクの指導のおかげで、足取りが羽のように軽かったのに驚いた。

 そして、同じ舞台でディーノを演じているルロクに、急に申し訳ない気持ちになった。

──いままであなたのレッスンが嫌だなんて贅沢言ってごめんなさい。

 得意の歌を歌いながら彼を見つめて精一杯感謝した。あのハードな練習のおかげで、わずか一週間で体が思うように動かせるのだ。

 ルロクに、後できちんと謝ろうと思った。


    ***


「ごめんなさい」

 開口一番に切り出した。舞台袖で言われたルロクは、目を見開いて驚いている。

「あなたのレッスンが厳しすぎて嫌だなんて思ったこと、凄く反省してるの。台詞だって覚えれたし、ステップだってきちんと出来たわ。……全部あなたのおかげ」

 憧れのルロク像が壊れて、しかも重なるキツい練習で、彼を嫌っていた。

 だけど決して厳しくしたいわけだったのではなく、イルオラが舞台で恥をかかないようにしてくれた。

「あなたは、やっぱり優しいわ」

 こんな不出来な自分意あれほど熱心に付き合ってくれたのだから。憧れのルロクとは違うけれど、彼自身がなんとなくわかってきた。

 お礼をこめて微笑むと、ルロクが片手で顔を覆ってしまう。表情は伺えないが、耳まで赤い。

「そんな可愛い事を言わないでくれ」

 手をどけてルロクは困ったようにこちらを見つめてくる。初めての褒め言葉に今度はイルオラが驚いていると、ルロクが苦笑してイルオラの手を握った。

「君に素質がなかったらわざわざ演技の指導なんてしないし、そもそも名前だって覚えていないよ」

 確かにルロクに一目惚れをしたイルオラはずっと彼と会わなくても彼の事を覚えていた。

──彼も、同じように思ってくれているということ……?

 急に胸の動悸が早くなって、顔が真っ赤に染まった。

 ルロクはそんなイルオラの額に軽い口づけをする。更に顔が赤くなり、ルロクに抗議の声を上げようとするが、背後から声をかけられて、言葉が喉の奥へ押しやられた。

「あら、やっと二人に会えたわ」

 ふくよかな体型をした中年女性がにこやかに話しかけてきた。

 今回の演目ラツェーテの主人公であり作品の作者でもあるディーノの娘コンスエラ・ランニーニ氏だ。

「両親の役をやってくれる二人に会いたかったのよ」

「光栄です、ランニーニ婦人」

 すぐにルロクが笑顔をランニーニ氏に向ける。

「こんな綺麗な人達に演じてもらえてこちらこそ光栄だわ」

 にこやかな笑顔を返されて、イルオラが緊張で固まっていると、ルロクが背中を手で軽く押した。

「イルオラ、質問がしたいと言っていたね。せっかくの機会に聞いてみたら?」

 そうだ。ランニーニ氏に会ったら聞く、と一週間前にルロクに提案されていた。

 イルオラは両手を握りしめ、そっとランニーニ氏に尋ねた。

「あの、少しお話を伺ってもよろしいでしょうか」

「構いませんよ。どうぞ。わたしが答えれることなら答えるわ」

「ありがとうございます。えっと、婦人の両親というと、別れた後に二人は再開出来たということでしょうか」

 現に娘が伯爵家を治めている。

 ディーノの娘として認められたのなら二人は会えたのではないか。

 期待に胸を踊らせて尋ねる。──しかし、ランニーニ氏はゆっくり首を横に振った。

「残念だけれど、別れた後は会えていないわ。父のディーノが向かえに来たのは母が病気でなくなって喪が明けてから。母と別れてから五年経っていたの」

「五年も……」

「母はわたしを産んでから体調が悪くなってね。二年は耐えたものの、三年目には息を引き取ったわ」

 思い描いていた終わりとは違う結末に、イルオラは唖然としてしまった。

「母はね、いつも父の事を話していたわ。死ぬ間際までずっと。でも父との再開は叶わなかった」

 セレーナも待っていたのだ。自分の命が消えるその日まで。

 イルオラは涙がこみ上げてきた。

 なぜ二人は会えなかったのだろう。会ってほしかった。再開して、娘と三人で今度こそ幸せになってほしかったのに。

「ごめんなさい。泣いたりして」

 ハンカチをルロクから渡され、イルオラは涙を拭う。

 ランニーニ氏は気を悪くした感じはなく、ただ共感して泣いてしまったイルオラを温かい眼差しで見つめている。

「わたし、絶対このラツェーテを成功させます。婦人に恥じないようなセレーナを演じてみせます」

 決意を固めてそう言うと、ランニーニ氏はにこやかに微笑んだ。

「ありがとう。嬉しいわ」

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