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3、彼の本性

「ねえ、イルオラ。顔色悪いわよ」

 ノーマが椅子にもたれてうなだれているイルオラに近づいて声をかけてきた。

「そう? 練習がキツいからかしらね」

 予想以上に練習は大変だった。練習が始まって一週間経ったが、練習場での演技と歌練習をし、その後にルロクの屋敷でまた練習。

 しかもどちらの指導も大変で──とりわけルロクの指導は鬼のように厳しい。

 今まで素敵だと憧れていたあの優しい顔はただの上っ面で、彼の本質は妥協を許さず意地悪ばかりする鬼役者だ。

 しかし、自分の演技が下手なのはよくわかっているので、大きな声で文句も言えない。彼の練習も邪魔しているだろうし、先輩として指導してくれているのだから感謝しなくてはいけないのだろう。

「それにしたっていきなり態度が変わりすぎだと思うわ」

 思わず愚痴が出ると、ノーマが聞き取れなかったらしく、尋ねてきたが「なんでもない」と流した。

「イルオラ」

 そこへ、上っ面の皮が厚いルロクお得意の笑顔を浮かべてやってきて──実際はいまだに本性を知ってもドキドキするが、それを抑えつつ、イルオラは椅子から立ち上がった。

「練習の時間だよ」

「わかったわ」

 ノーマが羨ましそうにこちらを見るが、一度くらい変わっても全く構わないイルオラはノーマこそ羨ましい。

「じゃあね、ノーマ」

 ルロクに手を引かれながら友人に別れの挨拶をする。

 強引ではない丁寧な足取りでイルオラを馬車へと乗せる仕草は、一週間経った今でもまだ心音が早くなる。

 これで中身がああではなかったらどれだけ良かったことか。


    ***


 きゅ、と靴の滑る音がして、イルオラは見事に尻餅をついた。

 ルロクはにこやかな笑顔で手を差し伸べ、立たせてくれる。

「君は何度同じところで転けたら気が済むのかな?」

「……気をつけます」

「気をつける、は昨日も聞いたよ。口ばかりの言葉じゃなくて成果を見せてくれないかな」

 舞台で場面を変えるときに大勢の役者達がステップを踏みながら移動する。

 しかし、イルオラはこの移動のステップを何度も間違えて転んでしまうのだ。俯いていると、苦笑したルロクが優しく頬を撫でてくれる。

 だけど彼はイルオラを見つめるだけで、何の言葉も発さない。やがてルロクを離れて手を叩いた。

「ほら、もう一度」

「ええ」

 ルロクの叩く手拍子のリズムに合わせながら一つ一つステップを踏むが、その間にも「姿勢が悪い! 君のその外見はただの見せ物で、本当は老婆なのか?」だの、「顔の向きはそっちじゃなくて正面! これは昨日も言ったよ」と嫌みをたっぷり含んだ叱責が次々と飛んでくる。

 その日の練習が終わる頃には疲れ果てて、イルオラは椅子に座り込んだ。

 ようやく全部の踊りを覚えた。

 あとは大根役者と呼ばれる理由である演技を覚えれば良い。

 歌は元々得意なので問題ない。

「ようやくステップを覚えたね。台詞も完璧だったよ」

「ありがとう。ルロクのおかげだわ」

 厳しすぎるので心から感謝はしたくないが、覚えられたのは彼のおかげだ。

 素直に礼くらいは言おうと思った。


    ***


 練習を始めてから一週間と数日。この日ようやく実際に舞台で練習をする事になった。

 最初から演奏も合わせて通しでやってみるのだ。役者や奏者もこの日の為に一週間頑張ってきたのだからその成果を見せる。ライトや小道具、セットも使って完璧に本番のつもりで全員に気合いが入った。

 幕が上がり、脇役の役者達が緊張した顔で演奏と共に演技を開始した。

「やだわ、凄い緊張する! 台詞飛ばないかしら」

 ノーマが舞台袖から見ながらそう言う。イルオラも彼女と同じ気持ちで、たとえ本番ではなくても、通しでやるのは初めてなので緊張していた。

「あら、七光りさんだわ」

 すると背後から声がして、振り返ればディーノの妻役であるレオーネがいた。

 くるくると巻かれた金髪を上部で縛りあげた彼女は、いつもより更につり上がった目でイルオラを見てあざ笑っていた。

「レオーネ、何かご用?」

「別に。ただ親の名前を使ってるだけの無能な子が嫌いなだけよ」

 親の名前はイルオラが望んで使ったわけではない。隠していたのを周りが勝手に調べて広めただけだ。

 しかし、演技についてはルロクから大根役者の称号をもらっているし、ステップだって先日ようやく覚えれた所だ。

 だからイルオラが無能だと言う評価はあながち間違ってはいない。

「ルロク様に近づくだなんて、とんだ娼婦ね。これだから庶民は嫌なのよ」

 たしかレオーネは下級貴族の出だ。

 貴族でもないただの庶民が嫌いで、しかもルロクと一緒だから気に食わないのだろう。

「庶民が有名人の仲間入りできたのだから、もしかしてあなたの母親も娼婦なのかしらね?」

 自分だけではなく母まで蔑まれ、怒りが全身を駆け上った。

 気に食わないのは仕方ない。だが、亡くなった母まで引き合いに出してくるなんて。

 イルオラが怒りにまかせて反論しようとして口を開いた時──隣から大きなため息が聞こえた。

 驚いてそちらを向き、そこにいた人物の名前を無意識に口にする。

「……ルロク」

 彼はちらりとこちらへ視線を向け、すぐにレオーネにいつもとは違う真剣な目を向けた。

「イルオラが無能だって? 女のひがみはみっともないよ。君は彼女の演技や踊りや歌にも、何一つ勝てやしない」

 てっきりレオーネに味方するのかと思ったが、違ったらしい。

 しかし、いつもあんなに皮の厚さを思う存分利用しているというのに、いいのだろうか。レオーネはもちろん、ノーマや近くにいた脇役達までびっくりしている。

 レオーネはやがてルロクに言われた事をようやく理解し、羞恥に顔を染めて肩をふるわせていた。そして思い切り息を吸って怒鳴った。

「この淫乱女!」

 それはきっとルロクに言われたショックからイルオラに怒鳴ったのだろうが、ルロクの顔から一気に表情が消えて、侮蔑を含んだ冷たい視線をレオーネは浴びた。おまけに彼女は忘れていた。──今は、一週間の出来を見せるための演技練習中だったことを。

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