1-4 はい、進めて
【CASE7 幼馴染ジュスティナ】
「相場を調べてからお支払いすればよかったわ……」
ジュスティナは自室のドレッサーの前に座り、レオポルトから渡された小さな箱を台座に置くと、軽く息を吐きつぶやいた。
ジェンティリアン辺境伯領へ赴任していたレオポルトが帰還したと聞き、ジュスティナは急いでクリサルトン侯爵邸へ向かった。
ジュスティナが行儀見習いの侍女として王城で働き始めたころ、レオポルトの辺境への赴任が決まった。せっかく彼の近くに来られたという喜びも束の間、再びレオポルトと離れることになったのは残念でならなかった。だからこそ、レオポルトの帰還を聞いたときのジュスティナの喜びは一際大きかった。
駆け出さんばかりのジュスティナを、執事は慣れた様子で出迎えた。
「お嬢様、お帰りなさいませ。レオポルト様はお戻りですよ」
ジュスティナは笑顔でそう伝えた彼に「わかったわ」と返し、急ぎ足でレオポルトの自室へと向かった。レオポルトの部屋の前に立ち、呼吸を整え扉をノックする。
レオポルトの落ち着いた声に迎えられ、ジュスティナは胸の鼓動を抑えながら部屋に入った。レオポルトはソファーに深く座り寛いでいた。
「レオポルト様、任務お疲れ様でした。無事に戻られて何よりです。お父様たちはお元気でしたか?」
「ああ、辺境伯も夫人もご健勝でいらっしゃる。ハリーも相変わらずだ」
「そうですか。両親も兄も変わりないようで安心いたしました」
ジュスティナは笑顔の表情を崩すことなく挨拶を述べ家族の様子を尋ねたが、そのとき、テーブルに並べられたたくさんの釣書に気づき、心の中は穏やかではなかった。
幼い頃から兄妹のように育ってきた自分たちだが、ジュスティナはレオポルトを兄だと思ったことは一度もなかった。
ジュスティナはレオポルトが自分をどう思っているのか知りたかった。レオポルトの目に映る自分は、ただの妹でしかないのかと……。しかし、それを尋ねる勇気はなく、ずっと言い出せずにいた。
(レオポルト様はあの中から結婚相手を選ぶのね……。それなら、レオポルト様がご婚約される前に、たった一夜でいいから愛されたい……!)
この国では処女性はさほど重視されず、恋愛には自由が許されている。そんな背景もあり、王城で働く侍女たちの間では、レオポルトは『愛の対価で甘い夜に誘う男』として、多くの女性たちに求められていると噂されていた。
そのとき、ある人物から『本音を語る魔法のキャンディー』をもらったことを思い出したジュスティナは、従者に指示をして準備を整えた。
「これ、本当に食べたら効果があるのかしら……?」
夜が更け、辺りが静まり返った頃、ジュスティナは用意された客間のベッドの上で、上質な紙に包まれていた小さな雪玉のようなキャンディーを指で転がしながら、つぶやいた。
(いいえ、迷っている時間はないわ。明日にでもレオポルト様の婚約が整ってしまうかもしれないもの……!)
ジュスティナは心を決め、キャンディーを口に入れた。その甘さが広がった瞬間、胸の奥からじわりと熱が湧き上がり体中に広がった。不思議な感覚に包まれ、意識が少しぼんやりとしてくると同時に、僅かな迷いさえも消えていった。
ジュスティナは薄い夜着にガウンを羽織り、レオポルトの自室へ向かった。もう遅い時間だ、彼は寝ているかもしれない……。そう心配したジュスティナだったが、レオポルトは意外にもまだ、起きていた。
「お慕いしています。どうかわたくしと一夜を共にしていただけませんか」
キャンディーのおかげで、ジュスティナは胸の内をスラスラと話すことができた。レオポルトは目を見開いたまま凍り付いたかのように静止していたが、すぐに我に返りジュスティナを部屋へと迎えた。
レオポルトはジュスティナを慈しむように大切に、とても丁寧に愛した。レオポルトの優しい手の感触、温かい呼吸、甘い言葉。すべてが夢のように感じられ、ジュスティナの心に深く刻み込まれた。レオポルトの腕に包まれた瞬間、世界が二人だけのものに変わった。
ジュスティナはあの夜のことを少しも後悔していない。キャンディーをくれた人物に感謝し、そして何よりも自らの勇気を称えたい。あのときの決断が、これからの人生を確かに豊かなものにしたのだ。
反省点としては、相場を知らずにお金を用意したことで、レオポルトに余計な気を遣わせてしまったことだ。
その漆黒の輝きは、あの夢のような一夜の、熱を帯びたレオポルトの瞳を思い出させる。
ジュスティナは鏡に映るブラックオパールのイヤリングを見つめた。
***
【CASE8 女性騎士セラフィーナ】
執務室を出たセラフィーナは、次第に足取りが速くなり、最終的には全力疾走に近い速度で女性更衣室へと駆け込んだ。バタンと扉を強く閉じ、そのまま後ろ手で押さえながら扉にもたれかかった。
「はぁ、はぁ、あれでよかったんだよな……!?」
肩で息をしながら呼吸を整え、セラフィーナは問自答する。
第四騎士団では近々潜入捜査が行われる。そのための準備が着々と進められていた。捜査の一環として、セラフィーナはいつもの騎士服を脱ぎ、華やかなドレスに身を包んでいた。当日に備え、装いに問題はないか確認していたのだ。
さっきの自分は普段通りにできていただろうか。セラフィーナはランバートへの罪悪感を抱きながら、小さな声でつぶやいた。
「あのとき、あれをわたしが食べていれば……」
セラフィーナは混乱した頭をかきむしり、天井を見上げた。
部の名門であるラトラーリオ伯爵家に生まれたセラフィーナは、幼い頃から剣術を学び、当然のように騎士養成学校へ入学した。
初回の訓練では各々の実力を把握するための模擬戦が行われることになった。
「ランバート・サーペンタインだ。剣術は不得手ではない。手加減しなくていいぞ」
セラフィーナの相手は同い年の伯爵令息だった。
「ああ、わかった」
そう答えたセラフィーナだったが、彼女は自分の剣技に自信を持っていたため、手加減しようと考えていた。
しかし、それが驕りであったことにセラフィーナはすぐに気づかされた。ランバートの剣技は凄まじく、セラフィーナが本気で挑んでも、互角に戦うのがやっとだった。
「凄いな、ここまで手こずったのは久しぶりだ」
肩で息をするランバートだったが、その呼吸には余裕があり、彼が全力を出していないことは明らかだった。
「セラフィーナ・ラトラーリオだ。わたしこそ久々に本気を出したよ」
セラフィーナが息を切らしながら笑顔で手を出すと、ランバートは一瞬の間を置いてからその手を握った。
それからセラフィーナとランバートは、お互いを良きライバルとして意識し合うようになった。セラフィーナが訓練や授業の課題に苦戦することがあれば、ランバートは必ずと言っていいほど手を差し伸べた。
「セラフィーナ、もう少し力を抜いてみろ」
ランバートのアドバイスはいつも的確だった。そのおかげでセラフィーナは何度も困難な訓練を乗り越えることができた。
それはセラフィーナだけでなく、周囲の仲間たちに対しても同じだった。セラフィーナが別の学生と組んで訓練していると、ランバートはさりげなくそばに現れ、彼らの改善点を鋭く指摘してくれた。
そうしていつしかセラフィーナとランバートは、お互いを『セラフィ』、『ラン』と呼び合う親友になっていた。
騎士養成学校を卒業した二人は、揃って第四騎士団に配属された。着実に実績を重ねていき、ランバートは副団長に、セラフィーナは副司令官に昇進した。
昇進してからもお互いの立場を理解し、きちんと公私の区別をつけて親友として付き合っていた。
しかしあの日、親友と思っていたのは自分だけだったと、セラフィーナは気づかされたのだ。
「これ、本当に食ってもいいんだよな?」
訓練場から戻ったセラフィーナは、第四騎士団執務室の自分の席に座り、机の引き出しに入れっぱなしだったそれを取り出した。
セラフィーナがある人物からもらった上質な紙に包まれた小さな雪玉のようなキャンディーは、『本音を語る魔法のキャンディー』という代物だったが、彼女は効果について懐疑的であったため、そのまま放置していた。
今日の訓練場は強風の影響で砂埃がひどく、セラフィーナは少しだけ喉に不快を感じ、その存在を思い出した。
セラフィーナが包み紙を剥がそうとしたとき、ランバートが咳をしながら訓練場から帰ってきた。
「今日は一段と砂埃がひどいな。喉が痛い」
「この時期は風が強いからな。キャンディーあるけど食うか?」
セラフィーナが自分より喉の調子が悪そうなランバートにキャンディーを渡すと、ランバートは包み紙を剥がし、それを口に入れた。
「セラフィ、俺はお前が好きだ」
突然そう言い出したランバートは、なぜか驚いた表情を浮かべていた。だが、セラフィーナは特に気にすることもなく、親友の好意に素直に喜んだ。
「ははっ、キャンディーくらいで大袈裟だな。うん、わたしもだ」
セラフィーナが軽く笑うと、ランバートは驚いた表情を決意に満ちたものに変えた。
「違う、俺にとってお前は大切な存在なんだ」
「なんだよ改まって。わたしにとってもランは大切な親友だ」
セラフィーナが「うんうん」と頷くと、ランバートはふぅっと大きく息を吐き、彼女を強く見つめた。
「セラフィ、本当はずっと伝えたいと思っていたんだ。しかし、お前の反応次第では後悔することになるかもしれない、そう思うとどうしても言い出せなくて、これまで心に秘めていたんだ。だが、なぜか今、どうしても伝えたくなった。俺はお前が好きなんだ」
この瞬間セラフィーナは理解した。キャンディーの効果は本物で、ランバートが本気で自分に想いを寄せていたのだと。
「セラフィ……」
ランバートは熱のこもった声でセラフィーナの名を呼んだ。しかし、セラフィーナは気づかない振りを続けた。
「だから! わたしもランがす、好きだって。親友というか心友? みたいな? これからもよろしくな! んんっ……わたしも喉の調子がおかしいな、うがいしてくるよ」
セラフィーナは席から立ち上がり、ランバートの肩をポンポンと叩くと執務室を出て行った。
セラフィーナはそれ以降も気づかないふりを続けた。今までの関係性を壊したくなかったからだ。しかし、それは真剣なランバートに対して申し訳ないと思っていた。
(いつまでも逃げ続けるわけにはいかない……)
セラフィーナが左手首に嵌められたブレスレットを見つめながらどうするべきか考えていたとき、彼女は自分に向けられた視線を感じた。
「セラフィーナ、どうしたの?」
「エヴァリーナ……」
ロッカーの陰からセラフィーナに声をかけたのは、第二騎士団所属の事務官であり、友人のエヴァリーナだった。
「いや、少し困ったことになってな」
「実はわたしも困っていて……」
「「…………」」
俯く彼女たちの間にしばらくの沈黙が流れたが、二人は同時に顔を上げ見つめ合った。
「相談してみる?」
「そうだな、相談してみよう」
「「ルシーナに」」




