第二章 憑依型の分類と比較
■分類に挑戦
憑依型の中でも大きく分けて、2つに分類できます。第一章でも触れましたが、役者タイプと観客タイプ。
この違いは、視点の違いです。
・役者タイプ:キャラ視点(一人称)
・観客タイプ:引いた視点で起きていることを観察(三人称)
ちなみに、プロット設計型(脚本家+舞台監督)は、神視点。
ここからは、これらを深掘りすることで、分類として成立させたいと思います。
まず役者タイプ。恐らく『憑依型』という言葉の語源になっている代名詞的なモデルタイプかと考えますが、私はこれになります。
特徴としては、キャラになりきるので、五感情報が非常に多い。温度、匂い、音、視界に映るもの、生理現象などなど、そのキャラがその場面で感じる(内側から)であろう情報がじゃんじゃん流れ込んできます。そのため、描写が生生しく体験的になりやすい。
対して観客タイプは、客席から見える(外側から)キャラの表情や仕草、周りの動きなど、舞台全体を見渡せます。そのため、シーンの構成や配置が自然に整いやすい。
どちらも脳内で物語が展開されているのは共通していますが、視点の違いで得られる情報の種類や量・密度が異なります。
簡単な例えをすると
・役者タイプ「なんだか寒くなってきたな」
・観客タイプ「あの人、寒そうだ」
ちなみにプロット設計型だと「ここで寒がらせてやろう」となります。
そして、その情報を活かした描写は、読者への没入感にも影響していると考えています。
役者タイプが書いた小説を読むと、その場面に放り込まれた感覚や、キャラ個体への没入感が強い。
観客タイプが書いた小説を読むと、その場面の空気を共有しつつ、全体を眺めている感覚になる。
プロット設計型は、作者の意図が見えてしまい(もしくは説明臭くて)、没入感が浅い。
※これは優劣や批判ではなく、描写の違いによって生まれてしまう現象の差の説明です。
ここで、整理すると
・役者タイプ:「具体的認知」体験者であり一人称視点
・観客タイプ:「観測的シミュレーション」観察者であり三人称視点
・プロット設計型:「メタ認知的制御」操作者であり神視点
これが、私なりの分類になります。
■プロット設計型との比較
ここで、誤解を恐れずに言うと、私は以前からプロット設計型の作家さんに対して、「100ページのプロットを作る時間があるのなら、100ページの小説を書いたほうが早いのに」と思っていました。
嫌味でもなんでもなく、真面目にそう考えていました。なぜなら、自分はプロットがなくても脳内の妄想を文章にするだけでしたし、それが普通のことだと本気で思っていたので、どうしてそんな回りくどいことをするのだろう?という感覚だったんです。
だから、プロットの必要性をなかなか理解できませんでした。
でも、プロット設計型の作家にとって、プロットは作品の土台であり、もっとも重要なものなんですよね。プロットをしっかり作りこまないと、物語の完成度が下がってしまうんですよね。そのことを最近まで知りませんでした。
そして、これって逆も言えると思うんです。プロット設計型にとって、憑依型の執筆スタイルは理解不能だと。「どうしてプロットなしで書けるの?」「キャラが勝手に動くってどういうこと?」と。
また例え話になってしまいますが、両者を音楽に例えると
・憑依型:ジャズ(即興、アドリブ、楽譜要らず、個性の塊。但し、基礎がしっかりないとできない)
・プロット設計型:クラッシック(譜面を忠実に演奏。個性が出しにくい)
この二つって、目指すものが違うんですよね。
ジャズは、自分の個性をむき出しにして、その場の空気と一体感を作り上げることが目標。クラッシックは、作曲家が作った譜面を元に、再現することでの完成度が目標。
だから、お互いを見た時、着目点や論点がどうしてもズレてしまうんです。
憑依型とプロット設計型の場合は、さらに互いに理解不足のままの状況が変わらないので、結果として互いの執筆スタイルの批判に繋がる危険性を、はらんでいると考えています。
しかしです。ジャズとクラッシックは対立していません。相互理解ができているのです。
要は、なにが言いたいかというと、根本的に構造や目標の違いがあるのだから、両者を同列に並べて優劣をつけるべきではなく、同じ音楽を奏でる(物語を紡ぐ)ものとして、住み分け程度に済ませるべきかと。




