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12階層から14階層。 そこは、ゴブリン種からオーク種へと主役が切り替わるエリアだ。 初心者ダンジョンとはいえ、深層に行けばそれなりの強敵が現れる。特にオークは、初心者がパーティーを組んでようやく1体を狩れるかどうかという相手だ。 装備、連携、そして物資の補給。それらが整って初めて挑める相手――のはずだった。


「――収納ストレージ


賢が短くつぶやくと、巨体のオークが音もなく空間に吸い込まれた。


『現在、オークの死骸32体、ホブゴブリンの剣45本、その他素材多数。収納領域使用率はまだ15%です』

「これだけ狩っても、鞄の重さが変わらないのは反則だな」

『物理法則への干渉に成功している証拠です』


賢は軽く肩を回した。 疲労はある。だが、それは心地よい運動後のようなものだ。 本来なら、オークを1体倒せば、その巨大な牙や肉を持ち帰るために一旦帰還を余儀なくされる。往復の時間と体力が、探索者の稼ぎを制限する「壁」だった。

だが、賢にはその壁がない。 狩りたいだけ狩り、拾いたいだけ拾う。 それはもはや探索ではなく、一方的な「回収作業」に近かった。


「お願いします」

「はい、神谷様ですね。……えっ?」


受付の女性が、トレイに出された大量の魔石と、数本の鉄剣を見て声を上げた。 Fランクダンジョンの、それも午前中の成果としては異常な量だ。


「これ、ホブゴブリンの魔石……それに鉄剣の切断面、これ本当にFランクの装備で切ったんですか?」

「ええ、まあ。運良く脆い個体に当たったみたいで」


賢は曖昧に笑って誤魔化す。 周囲の探索者たちがざわつき始める。「あいつ、またか」「ソロだろ?」「どうやってるんだ?」という視線が背中に刺さるが、賢は気づかないふりをして現金を受け取った。

本日の成果、5万4千円。 高校生の日当としては破格だが、命の対価と思えば安いものかもしれない。


「さて、飯にするか」


賢はロビーの端にあるベンチに座り、コンビニで買ったおにぎりの包装を剥いた。 午後の実験プランを頭の中で組み立てながら、一口かじりついた――その時だった。


「ねえ君。それ、美味しい?」


不意に、隣から声がした。 気配がなかった。MIの警告音すら鳴らなかった。 賢が驚いて横を見ると、いつの間にか一人の男が座っていた。

だらしない猫背。無造作に伸びた黒髪。あくびを噛み殺したような眠たげな目。 服装こそ高価そうな探索者用ジャケットだが、着崩しすぎていて威厳の欠片もない。


「……はあ。まあ、普通のおにぎりですけど」

「そっか。俺も腹減ったなぁ」


男は賢の手元を覗き込み、そしてふと、視線を賢の『指先』に移した。 眠たげだった目が、一瞬だけ、カミソリのように細められる。


「君さ。さっき換金所に出してた『鉄剣』。アレ凄かったねぇ」

「……見てたんですか」

「うん。スパッと一刀両断。まるで豆腐みたいに綺麗だった。あんな芸当、普通の『剣術スキル』じゃ無理だよね。よっぽどいい『腕』か、あるいは――」


男が、賢の顔を覗き込む。


「面白い『理屈タネ』があるのかな?」


心臓が跳ねた。 この男、ただの世間話をしに来たわけじゃない。 賢は平静を装い、首を傾げる。


「ただの偶然ですよ。剣道の経験があるんで、刃筋が良かっただけです」

「ふゥん。偶然、ねぇ」


男は興味なさそうに天井を仰いだ。 そして、無防備に足を組み直しながら、何でもないことのように呟いた。


「俺さ、クラン『旭日きょくじつ』の我妻あがつまっていうんだけど」


ドクリ、と周囲の空気が凍りついたのがわかった。 ロビーにいた他の探索者たちが、一斉に息を呑んでこちらを見ている。 賢でも知っている名前だ。 『旭日』の副団長にして、Sランク探索者。我妻あがつま れん。 「居眠り鬼」の異名を持つ、国内最強の一角。


(なんでそんな怪物が、こんなところに……!)

『警告。対象の魔力反応、計測不能エラー。推定危険度、S+。即時撤退を推奨』


MIが脳内でけたたましく警報を鳴らす。 だが、逃げられない。蛇に睨まれた蛙のように、体が動かないのではない。動けば「食われる」と本能が理解してしまっている。

我妻は、ヘラヘラと笑いながら、賢の肩にポンと手を置いた。


「そんな警戒しないでよ。今日はたまたま視察に来ただけ。そしたらさ、面白い『原石』が転がってるじゃない」


置かれた手。 ただ乗せているだけなのに、万力で固定されたかのように動けない。


「ねえ、ウチ来ない? 君なら、いきなり一軍でも――」

「お断りします」


賢は即答した。声が震えないように腹に力を入れる。


「僕はまだ学生ですし、ソロでマイペースにやりたいんです」

「……そっかぁ。即答かぁ」


我妻は残念そうに肩をすくめた。 そして、置いたままの手で、賢の首筋あたりを指先でツツッと撫でた。

ゾワリ。 賢の全身の毛穴が開いた。 殺気だ。 純度100%、触れれば死ぬと錯覚させるほどの濃厚な死のイメージが、指先から流し込まれた。


(――ッ!?)


賢の脳裏に、首を飛ばされる自分の映像がフラッシュバックする。


『魔力膜、自動展開――』 (ダメだMI! 発動するな!)


賢は歯を食いしばり、MIの防衛本能を意志の力でねじ伏せた。 ここで魔術を使えばバレる。 ただの高校生として、恐怖で硬直する演技を続けろ。


「……う、わぁっ!?」


賢は数秒遅れて、悲鳴を上げてベンチから転がり落ちた。 尻餅をつき、怯えた目で我妻を見る。


「な、何するんですか……!」

その反応を見て、我妻はキョトンとし、すぐに破顔した。


「あはは、ごめんごめん。ちょっと虫が止まってたからさ」


我妻は立ち上がり、ポケットに手を突っ込んだ。 その目は、もう笑っていなかった。


(……今、反応を遅らせたな? 普通の新人なら失禁してる。反射神経の良い奴なら反撃しようとする。でもコイツは、『耐えた』)


恐怖を演技し、能力スキルが暴発するのを理性で抑え込んだ。 その胆力。そして、Sランクの威圧を受けてなお、壊れない精神回路。


(面白い。今はまだ「卵」だけど、中身はとんでもない化け物かもしれないね)


我妻は、これ以上深追いしなかった。 無理に殻を割れば、中身が腐ることもある。


「驚かせて悪かったね。君、いいよ。すごくいい」

「は、はぁ……」

「今の勧誘は忘れて。でもさ、もしもっと強くなって、このFランク(ぬるまゆ)じゃ退屈になったら、俺のところにおいでよ」


我妻はヒラヒラと手を振り、ロビーの出口へと歩き出した。 周囲の探索者たちが、モーゼの十戒のように道を開ける。

去り際、我妻は背中越しに一言だけ投げかけた。


「あ、そうそう。君のその『理屈』、俺は嫌いじゃないよ」


我妻の姿が見えなくなると、ロビーの空気が一気に弛緩した。 賢はベンチに手をつき、荒い息を吐いた。


「……死ぬかと思った」

『心拍数180。アドレナリン分泌過多。……賢、対象は君の能力スキルに気づいた可能性があります』

「いや、確証までは持たれてない。ただ、『何か隠してる』ことはバレた」


賢は震える手で、残りのおにぎりを口に押し込んだ。 味なんてしなかった。 だが、今のヒリつくような緊張感は、ダンジョンの魔物からは得られないものだった。


「……上には上がいる。わかってたことだけど、実感が湧いたよ」


Sランク探索者。 今の物理演算魔術でも、あの「理不尽」に勝てるイメージが湧かない。 質量や速度といった物理法則を超えた、何か別の力が働いているような感覚。


「もっと、データを集めないとな」


賢は立ち上がる。 恐怖で足がすくむどころか、その目には新たな解析対象を見つけた研究者の色が宿っていた。 午後の探索。 賢の足取りは、午前中よりもさらに慎重に、かつ貪欲なものになっていた。


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