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WEA横浜支部を出たあと、神谷賢はそのまま地下鉄に乗り、目的地へ向かった。
横浜にあるFランクダンジョン——新人探索者の通過儀礼とも言われる洞窟型のダンジョンだ。
地上に出ると、周囲は完全に“ダンジョン都市”の雰囲気だった。
WEAのダンジョン入り口の建物が大きくあり、その周辺に飲食店、装備店、シャード買取所、初心者向け講習場。
建物の壁には探索者以外の広告も掲げられ、人の動きにはどこか活気と緊張感が混じっている。
(……初めて来たけど、思ったより普通の街だな)
賢は鞄の中を確認する。中にはWEAで受け取った初心者装備一式。
その中で一番手に馴染むのは、やはり刀だった。
鞘から少しだけ刃を覗かせると、冷たい光が揺れた。
量産品だが、剣道の延長で扱いやすい。
『武器バランス、問題なし。賢の筋力値なら、この刀が適正です』
MIの声が脳内に響いた。
それは相変わらず無機質な調子だが、どこか安心する響きだった。
「行くか、MI」
『はい。初期ダンジョンの推奨ルートをナビゲートします』
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ダンジョンの入り口は、洞窟のような穴だった。
近くの警備員が新人探索者を誘導している。ダンジョンの入り口で受付を済ませる。
「身分証提示お願いしまーす。……はい、神谷賢くんね。初挑戦?気をつけて」
彼女は軽く手を振って通してくれた。
洞窟の中に足を踏み入れると、空気が一瞬で変わった。
湿った土の匂い、わずかな冷気、そして背筋に感じる圧力。
命を失う可能性がそう感じさせる。
(これが……ダンジョン。普通の洞窟とは違う感じだな)
賢は刀の柄を握り直す。
『前方5メートル。小型魔物の反応を捕捉。おそらく……スライムです』
「スライムか。初戦にはちょうどいい」
薄暗い通路の先で、ぬるりと青い影が動いた。
直径30センチほどの、ゼリーの塊のような魔物。
ゆっくりと跳ねながら近付いてくる。
見た目は可愛い。
だが、油断すれば脚にまとわりついて骨折させられる危険生物だ。
『接敵まであと4メートル。初戦闘なので、最適行動を提案します』
「聞いてる」
『スライムは衝撃に弱く、切断にはやや耐性があります。
賢の腕力なら、踏み込みを深くしての横薙ぎが最適です』
(なるほど。……やってみるか)
賢は息を吸い、体勢を低くした。
剣道で何度も繰り返した動作——だが今日は、本物の魔物が相手だ。
スライムが小さく跳ねた瞬間、賢は踏み込んだ。
「——はっ!」
袈裟切の一閃。
刀身が青い身体を裂き、衝撃が内部を揺らす。
スライムはぶるりと震え、次の跳躍をする前に崩れ落ちた。
そのまま光粒となって消滅する。
『撃破確認。おめでとうございます、賢。初戦闘、成功です』
賢は小さく息を吐いた。
「……思ったより、いけるな」
『賢が冷静すぎるだけだと思います。大半の新人は初戦で叫びますから』
「そうなのか?」
『はい、統計上——』
MIが淡々と解説を始めるのを聞きながら、賢は刀についた痕跡を軽く払った。
(まだ最初の一体だ……ここからだな)
賢は洞窟の奥へ、ゆっくりと歩き始めた。
昼過ぎ。
神谷は汗で湿った前髪を指で払いつつ、三たびスライムの群れと対峙していた。
「──っ!」
刀を横薙ぎに振る。膜が裂ける音とともに、スライムがぐしゃりと潰れ、淡く光る魔石が地面にころりと転がった。
『討伐数:本日6体目。魔石回収を推奨します』
MIの無機質な声が耳元から響く。
「わかってる」
拾い上げた魔石をポーチに放り込みながら、小さく息を整える。
今日はドロップ運がまずまずだ。魔石は七割ほどの確率で落ちると聞いていたが、体感でもそれくらいだろう。
そして──次のスライムを探して踏み出そうとしたところ、
「……ん?」
消えたスライムの中心に、魔石とは違う“透明度の高い結晶”が残っていた。親指ほどの大きさで、淡い銀色の光を帯びている。
「MI、これ……魔石じゃないよな?」
『未記録の物質。スキルシャードである可能性があります。詳細鑑定は受付にて可能』
「──スキルシャード……!」
思わず息を呑む。
入門者が初日に拾えるような代物ではない。これは、もしかすると運がいいのかもしれない。
慎重に拾いあげ、小さな巾着袋に入れると、神谷は探索終了を決めた。
『本日の活動は基準値を超過しています。帰還を推奨』
「……そうだな。初日は無茶しないって決めてたし」
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夕刻。支部ロビーは帰還した探索者たちで賑わっていた。
神谷は列に並び、やがて自分の順番が来る。
「お疲れさまです。本日の買い取りですね?」
受付の女性が笑顔で言う。
神谷はポーチを差し出した。
「スライム4体分の魔石です。それと……これも」
例の透明な結晶を取り出すと、受付の女性が目を瞬いた。
「……これは、シャードですか? 一度、裏で鑑定士に確認させていただきますね」
「お願いします」
彼女は丁寧に結晶をトレイに置き、奥の扉へ姿を消す。
しばらくすると小さな話し声がし、さらに数分後──
戻ってきた受付の女性は、先ほどより少しだけ驚いた表情をしていた。
「お待たせしました。こちら……錬金術(Alchemy) のスキルシャードだそうです」
「錬金術……?」
思わず聞き返す。
「はい。戦闘向きではありませんが、とても珍しい生産系スキルです。需要も高いですよ」
女性は会計に移る。
「魔石4個で、買取総額は800円です。本日の成果としては十分ですよ。初日でここまで取れる方はなかなかいません」
MIが静かに補足する。
《想定日収:500円前後。本日は平均値を上回っています》
「おお……ありがとう」
神谷はレシートの金額を見つめ、じわりと実感が湧いた。
初めての探索で手にした800円の現金と、思いがけず出会ったスキルシャード。
アパートに帰り着いた頃には、外はすっかり暮れていた。
靴を脱ぎ、荷物を置くと、神谷はすぐにテーブルへ向かう。
バッグから、昼間拾ったスキルシャードを取り出した。
淡い銀光が部屋の照明に反射し、宝石のように揺らめく。
「……これが、錬金術」
受付の女性は、薬草を材料にポーションを作るスキルだと言っていた。
確かにその認識が一般的だ。ポーションは需要が高く、作れるなら副業として十分食べていける。
だが──MIは別の可能性を示していた。
『補足。錬金術(Alchemy)は魔力操作系スキルに分類されます。物質の性質・構成を魔力により変換可能。一般的認知より自由度は高いと推測されます』
「魔力で……性質を変える?」
神谷は眉を寄せた。
世間の常識では、魔力はスキル発動の“燃料”のようなもので、特別な動作ができるわけではない。身体強化やスキル起動のために使うものであり、“魔力そのもの”を扱う技術など存在しないはずだった。
『本スキル取得により、対象者は魔力の直接操作が可能となります』
「それ、かなり非常識じゃないか……?」
『現行の一般常識との乖離を確認。ただし記録上、稀少スキルの多くは一般認知と実態に差があるものが多いです』
──つまり、錬金術の本質はまだ世間に知られていない。
神谷は小さく息をつき、シャードをそっと握りしめた。
「……よし。使ってみるか」
シャードは掌の中で、ゆっくりと溶けるように光へと変わった。
光粒子が皮膚を通り抜け、身体の内側へ流れ込んでいく。
次の瞬間──
『スキル:錬金術を取得しました。MP消費による物質変換が可能です』
スキルシャードが手の中で光を失い、静かに消えた。
その瞬間、神谷の内側に何か“回線”が増えたような感覚が生まれた──気がする。
だが、はっきりとは分からない。
「これが……錬金術を手に入れた感覚、なのか?」
『スキル登録を確認。錬金術は習得済みです。ただし、物質変換・性質変化には練習が必要です』
「だよな……やっぱすぐ使えるわけじゃないよな」
神谷はため息をつき、椅子に座って掌を見つめた。
魔力が流れているはず……だが、まったく実感がない。
『魔力は血流とは異なり、意識しないと感知が困難です。まずは“流れを探す”訓練をしてください』
「どうすればいい?」
『呼吸を整え、掌に意識を集中。微弱な温度変化や圧力の感覚を探してください』
言われるままに、神谷は深呼吸し、目を閉じた。
静かな部屋。
外の雑踏もここまで届かない。
時間がゆっくり流れる。
(……何も感じない)
10分。
20分。
30分。
同じように姿勢を保ち続けるが、何も掴めない。
『継続が必要です。平均的な初心者の魔力感知には、最短でも一〜二時間必要です』
「結構かかるんだな……」
時計を見ると、すでに7時前。
神谷は水を飲み、再び椅子に座り直した。
──その後も、ひたすら集中。
指先の微かなしびれ、体温の変化、血流の鼓動。それらをひとつずつ切り分けようとする。
「……ん?」
一瞬だけ、手のひらの内側を、温かいものが通ったような気がした。
だが気のせいかもしれない。
掴みかけては消え、また探し続け、時間だけが過ぎていく。
『魔力認知率、微増を確認。訓練を継続してください』
「微増……体感じゃ全く分からないよ」
『主観との乖離は正常です』
気づけば、一時間以上が過ぎていた。
ちょうどそのとき──
「賢ー、そろそろご飯よー!」
リビングから母の声が響いた。
「あ、今行くー!」
魔力の感覚は、結局つかめなかった。
だが、何度か“何か”を感じた気がする。それだけでも、無駄ではないはずだ。




