ON THE BORDERLINE 6 NASA 1
――厄介だわ。
そう思うのは、本多一佐の妻が翻訳ソフトを使用すると告げてきたこと。
当然だが、翻訳ソフトにはそれぞれのくせがあり、そのフィルターを通ってしまった言葉は、本人の持つ特性や心理状態を容易にマスクする。
言葉のチョイス自体が本人ではなくなるのだから当たり前のことだ。
「わかりました」
肯定の返事をチャットに打ち込む。こうなれば、どの翻訳ソフトを使用しているかを解析して参考にするしかない。これで、本人が意識しない部分での言葉遣いから心理状態などを推測できるチャンスはかなり減った。
ガードが堅いわ。
流石というべきなのか。相手が英語を母国語としていない以上、当然予想されることなのだが。
画面に翻訳された言葉が並び、意味を持つ。
「ホンダガ、オセワニナッテオリマス。」
日本の典型的な挨拶から始まった会話に眉を寄せる。
感情の予測がしにくい抑制されたタイプ――。
分析を仮に進めながら、ジェシカは彼女との会話を進めていた。
本多静――本多一佐の妻である彼女との会話を。
その頃、NASA。
教授が、アレックス達との会話に起きている遅延に気付き計測を始めていた。
「開始してくれたまえ、…――そうだね、ノイズはみられないが、どうもタイムラグがみられるようだ。映像と音声を記録はしているね?ああ、よかった。それを突き合わせて記録を検証しよう。一律に遅延が起きているようでもないが、あちらの反応が遅れる間と、映像からわかる位置を推測してみよう。クリス?どうしたね?」
生き生きと職員達に指示していく教授――NASAに所属し、火星へ人類を送る計画の中心的存在の一人である――に、後ろから控えめに声を掛けたのは。
クリストファー・ローズ少将。
鍛えられた細身の体躯に、宇宙軍の制服がよく似合う。アメリカ合衆国に設けられた宇宙軍は実際に戦力としては存在していないが。それでも、空軍から移籍してきたローズ少将が持つ権限はかなり高い。そして、アメリカの火星計画の中心的な存在でもある。
エイリアンへの対策については、実質かれ、クリストファー・ローズ少将が指揮を執る立場だといってもいいだろう。
淡い金髪に蒼瞳と白い肌の典型的なエリート将校であるクリストファーは、そして、エリートだとしても規格外に若い。
弟であるアレックスと殆ど外見で変わりのない年齢にみえる。そして、実際には年齢は7才しか離れてはいない。アレックス・ローズ少佐も情報将校としてかなりな出世頭ではあるが、兄のクリストファーの急激な昇進に比べればまだかわいいものだといえただろう。尤も、それには止むを得ない事情が存在しているのだが。
実をいえば、つい最近までクリストファー・ローズは昇進を断り続けていた。根負けして、ある意味仕方なくいまの地位に就き、少将へと昇進したのだが。
「…断っていたけれど、こうなると権限からしても昇進しておいてよかったようだね。教授、きみの推薦で弟殿を入れたけれど、今回の事態はどれほど予測していたのだい?」
淡い金髪に蒼く穏やかな瞳の美形として知られるクリストファーが教授に訊ねる。
それに、痩せて険相といっていいような教授が頓着せずに正面のスクリーンに投影されている、現地から弟――つまり、本多一佐が送ってきている、遅延した映像をみながらいう。
「その通りだね。だから、はやい処、昇進を受けてしまいたまえといっていただろう。きみの出来ることの範囲が広がることは大変この際にも有用だね。…やはり、仮説の段階だが、どうも遅延はエイリアンと仮定している存在の飛行艇を中心として起きているようだね?」
教授の問い賭けに、本多一佐からの答えがまだないことに、その時間を計りながら何事か計算して教授がいう。
それに、嘆息して。
「楽しそうだね?教授、…―――弟殿が心配ではないのかい?」
首を傾げて問う少将に、教授が振り向かずにあっさり言い切る。
「誰の心配をするのだね?あれは、殺してもしなないくらいには丈夫なものだよ」
「…―――ちょっと気の毒になるね?」
「それをいうなら、きみの弟さんもこの場にいるのではないかね?あちらの映像はきみの弟さんからのものだろう」
正面画面は二分割されていて、左に本多一佐から送られてきているのだろう、機内を映した映像が流れ、右にはその様子を少し離れた処から映しているとおぼしき映像が届いている。
尤も、それらの映像が動く速度は、再生をときにゆっくりとしながら、あるいは止めながら行っているような速度が一定しない妙なものだ。
「この再生速度が先方から送られてきている映像そのままのものだね。ときどき、はやくなったり、それまでよりも遅くなったりしているようにみえるが」
音声らしき音が届き始め、その間延びした音を教授が指示して再生速度を変えさせる。
「…――――これでみえるか?」
本多一佐らしき声が問うようにようやく再生速度を変えて聞こえた音声。
「…弟はどうやら、浦島太郎になっているようだ」
それに、目を細めて教授がいう。
その言葉にどんな感情もみえないが。
「――そうか、…。かなりな遅延だね」
職員から渡されたタブレットを受け取り、クリストファー少将がこれまでに解析できている音声と映像の遅れを確認する。
「そうだね、…。概算だが、――例えば、ブラックホールの中心に行くに連れて時間の遅延が起こることはよく知られた現象だが、それに近い現象が起きているといっていいだろうね。それに」
「それに?」
クリストファー少将が、タブレットを職員に返し顔をあげて教授をみていう。
教授が、正面に映された両方の画面を見比べながら。
「重力偏差が起きていると思えるね。―――…アレックス君の送ってくれた先の映像で、我が弟が無茶をして機体を落としていたものがあったが」
「ああ、…まるでニンジャのようだったね?」
ニンジャという言葉に肩を竦めてから。
「あれはおそらく、重力異常が起きていたのだろうね。相手となったエイリアンの動きと攻撃したらしき光線の速度を仮に測ってあるのだが」
教授の言葉を無言でクリストファーが待つ。それに、画面をみつめながら。
「もし、この重力偏差がエイリアンと仮定しているかれらの生まれ故郷の環境再現といったテクノロジーからきているとしたら、あくまで仮定だがね?」
少しばかり、不思議な微笑みにも似た表情を痩せた頬に浮かべて教授が告げる。
「かれらの生存環境では、重力はかなり地球に比べて小さいものになるに違いないと思えるね。特に、かれらの乗ってきていたものだろう宇宙艇らしきものを中心にこの歪みが生じているようにみえることを考えると」
本多の跳躍と、その後、黒杖の一振りで機能停止にまで追い込まれてしまったとみえたエイリアンの機体。
「つまり、地球上にいま七箇所、エイリアンの機体により重力偏差が起きている場所が存在することになるね。…――その内一つの動作を弟がおかしくした、というようにはみえるが。…重力異常を生み出す現象にまで、機能停止は及んでいないようにも思えるが、…」
最後の方はなにか考えながら呟くようにしていい、改めて何事か計算を始めたような教授をみて、クリストファー少将が少し離れる。
そして、教授のみる正面のスクリーンとは別に映し出されているモニタ映像をみる。
地球――その地図上に七箇所。
エイリアンの機体が現れた箇所が記されていた。
何故か、環太平洋をピンで留めるようにして七箇所が。
地球人類が初めて遭遇するエイリアン。
かれらが、何故、この七箇所を選択して現れたのか?
人類はまだ、その理由をしらない、―――――。