ON THE BORDERLINE 5 奥様達(予定含)の会話 1
時は少し遡る。
ハワイにエイリアンが搭乗していると思われる墜落機体が運び込まれ、本多とアレックスが縄文土器型エイリアンに対峙。
そして、通信が不安定となり、崖下に滑落したエイリアンの機体に接触しているらしいとわかりはじめた、その頃に。
ジェシカ・マーガレット・ミシガン交渉官は、ある人物とチャットをしようとしていた。ちなみに、アメリカ海軍提督の実の娘である彼女は、普段は有名すぎる父の名を名乗らず、母方の名字を名乗っている。それでも、職場でもその他でも有名すぎる事実として、すでに知られてしまってはいるのだが。
尤も、職場はアメリカ海軍でこそないが、連邦捜査局所属の交渉チームだ。
FBIで人質などが発生した事案に対応して犯人等と交渉をする。
そうした仕事をしている以上、結局は組織内で生きる際にも、父の名前が関係してこないわけがないのだが。
それはともかく。
いまジェシカはその仕事の一環として、FBIが臨時に設けた施設内部にいた。FBIはそのハワイ支局に専用フロアを確保して機密情報に対応できるようにしていた。
機密対象は、エイリアンとの接触に関するすべて。
つまり、エイリアン対応の為に作られた、今回専用の隔離室だ。
しかも、一度入室すればこの事案が終了するまで解放されることはないというおまけつき。マスコミが嗅ぎつけることを考えれば、これでもまだ甘い対応かもしれないが。そして、確実に、いまも外を伺うだろう各国のエージェント。
隔離は必要な手段だろう。
期間限定チームが此処には集められ、その一人としてジェシカは交渉役として呼ばれていた。
尤も、エイリアンとの交渉などどうやってやるのか、まったく見当もつかなかったが。この人選には、彼女がつい数時間前にアレックス・ローズの婚約者となったことが関係していないとは言い難いだろう。
――アレックスは、言語学者として、そして情報分析官としてこの件に呼ばれているようだけど。
エイリアンとの交渉を考えるとすれば、言語学者をチョイスするのは必然だろう。そして、それだけでなく情報分析官としてのローズは有能なことで有名でもある。
――…とても、抜けてたりもするんだけどね、…。
どうにも心配な恋人を考えて、溜息を吐く。
――さて、切り替えて交渉に入らないと。
冷静な瞳で、モバイル・パソコンと向き合う。
職場の一角、パーティションに区切られた空間で。
「ハロー、はじめまして」
緊張しているのは気のせいではないだろう。仕事で人質を取った凶悪犯の立て籠もりを説得する交渉をするとき以上の緊張感があった。
――それもそうね?はじめての人物で、…――プロファイルが不明。わかっているのは、本多一佐の妻であるということだけなんだから。
緊張しておもうのは、それだ。
エイリアンとの折衝――いずれ、其処までの対応が焦点となるかもしれない案件。つまりは、信じられない話だが、この現代に本当に地球上にエイリアンが訪れたというのだから。実際に、こうして集められていても、もしかしてジョークだと誰かがサプライズ!とかいって現れたりするのではないかと思うくらいだ。
真面目にエイリアン対応なんて仕事をしている最中に引っ掛けのサプライズ!なんてされたら、…――――。
――本当、その方が信じられるけど。
冗談でフロア閉鎖も何もかもしないとはわかっていても、やはりこの状況は冗談のようだ。何しろ、いまハワイ沖合で進められているビッグイベント――日米合同演習さえもが、単なるカモフラージュだというのだから。
盛大なジョークだわ、…と。集中しないとね。
「―――――…」
相手のパソコンから、タイムラグがあり、応答が届き始めている。
モバイル画面の隅に、相手の使用しているパソコンが使うOSと、通信に使っているブラウザの情報があがってくる。
タイムラグは、相手の発信環境からくるセキュリティ・チェックを通る為の必然らしい。
――難しい相手だわ。
特殊な環境にある為、対応はチャットに限られること。
カメラは使えない為、顔をみることも声をきくこともできない。
相手の心理を読む為の条件が非常に狭すぎる。その上、相手の使用言語は日本語。母国語が英語でないということは、今回のチャットで使われる英語に使用される単語分析に、通常のプロトコルが使用できないということだ。
――難しいわ、本当に。
相手の情報は少ない。事前情報がほぼないのだ。
エイリアン対応に集められたエキスパートの一人、本多一佐。
その情報を集めることがジェシカに課せられた任務だった。
緊張して、相手の打ち込む文字列をみる。
その単語の選び方、あるいは語順。そのくせに含まれる人格と現在の心理状態。
英語が母国語ではない相手の中でも、日本語が母国語の相手は本当に難しい。
それでも、分析手法はある程度は確立しているのだが。
文字列が、意味を成す。
言葉が、画面に形作られていく。
相手は、日本に住む女性。
本多一佐の妻。
理由は、簡単だ。
本多一佐がアレックス・ローズと共にエイリアンに接触したという報告があがった為。
本多一佐の人物像を掘り下げる必要ができた。
何故、二人が突発的に事前に決められた予定と異なる場所と時間でエイリアンと接触することとなったのかはまだ不明だ。その行動原理を知る為に、情報を深める必要が出来ていた。
――本当に、あのバカ、…いえ、仕事をしましょう。
あのばかのプロポーズを受けたのは、まだ丸一日も経っていないときなのだけれど。これがアレックスだけなら、多分、暇になって散歩にでも出ただけだわ、と言い切れたのだが。
ともあれ、彼女の役割は簡単だ。
交渉人としての能力を使い、アレックス・ローズの婚約者として「本多一佐の妻」と会話しその人物像を探ること。
無論、本多一佐の人物プロファイルは既に情報部などが手に入れていた。
それでも、エイリアンとの接触という一大事には、その人物像に関してより深く多様な情報源が必要とされたのだ。
それに、伝え聞いた内容が本当なら。
何しろ、アレックスと一緒にエイリアンと先行接触してしまったらしい本多一佐は、――――。
ジャパニーズ・ニンジャ、と。
映像解析班がいっていたのを漏れ聞いてしまったが。
確かに、ジェシカがこの交渉に当たって事前に見ることのできた解析中の映像はそういいたくもなるものだった。
多分、映像のもとはアレックスが持っている映像記録機器。
そして、それに映っていたのは、ハリウッド映画もかくやというシーンだ。
―――エイリアンの宇宙船?に乗って、――…。
何か、黒い杖を振るだけで、エイリアンの宇宙艇、或いは飛行艇を停止させた、としか思えない映像で。
”これは特撮じゃないの?”とは、ジェシカがその映像をみたときいったことだ。
現実とは思えない身軽さと、黒杖を無造作にエイリアンの宇宙艇らしき機体に突き刺して、それにより機体が墜落していく映像は。
それが特撮でなく、解析中の映像が本当なら「エイリアンが搭乗していた機体」を動作不能に追い込んでしまったのだから。
――クレイジーな話だわ、…。自衛隊所属の佐官として、情報分析官だという以上にそれほど特異な情報は伝わってきていなかったのに。
分析するには圧倒的に情報が足りない。
エイリアンとの接触に関連して、どのような情報も精査し集めていく必要があった。だから。
彼女と、話す必要がある。
本多一佐の妻。
そこから、本多の情報をできる限り入手する必要がある。――――
ハロー、コンニチワ。
そして、言葉が形作られた。
ニホンゴデモ、イイカシラ?
ホンヤクソフトヲ、ツカウワ
その最悪な言葉に、ジェシカは無意識に眉を寄せていた。