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最終話 「心が集う、この世界で」

 ……奴らは絶え間なく攻めてくる。俺と妻はこの噴水の近くで身を潜め、一刻も早くこの嵐が過ぎ去るのを待つ事しか出来なかった。


 その間も、一人、また一人と無惨に食いちぎられていく。耳を塞ぐ訳にも、目を閉じるわけにもいかない。彼ら、「顔ナシ」は俺の代わりに戦って死んでいくのだ。……だが、俺の愛する妻、くるみだけはこの命に代えてでも守らねばならない。それに集中せねば――――


「カシラ! 天井がッ……!」


 顔ナシが指した先、そこを見上げると同時に崩落が始まった。連なるように、「ヤツ」が姿をあらわす。


「イノシシ……!」


 我らの体格を優に超えるイノシシが、くるみと俺に向けて落ちてくる。……最早、年貢の納め時と言う他に無い。せめてくるみだけでも、と俺はくるみに覆い被さった。……その時。


 ――――バチン、と。何かが空中ででぶつかる音が聞こえた。思わず顔を向けると、そこには白黒衣装に身を包んだ少年が居た。どこからか飛んできたのか、空中でイノシシを弾いたその直後、ありったけの散弾をぶつけている。


 いや、彼は「少年」ではない。俺はあの顔に見覚えがある。ちがう、「無ければおかしい」のだ。見間違う事などない。彼は、アイツは……!



「クロ、なのか……?」



   サイゴノセカイ

      ~異世界かと思ったら冥界でした~



「心が集う、この世界で」

咲間 黒 ――『クロ』

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド

ティア 8 ―― 戦闘状態

拡大解釈:5倍


「マヨイさん、『エビフライ』一つ」

「は?」


 困惑するリチェーネさんをよそに、マヨイさんは僕を持ち上げた。そのまま天井めがけて投げられると同時に思いっきり飛び上がった。その勢いでイノシシを体当たりで弾くと、そのまま湯水のように散弾を放つ……が。


「流石に無理……ッ!」


 めちゃくちゃな姿勢でめちゃくちゃな乱射、バランスなんてもっての他。そのまま床へと叩きつけられた。


「にしても晴れときどきイノシシなんて……なんちゅう天気よ」

「そうか、そういえばマヨイは拡大解釈法で実戦側に回されるのは初めてか」


 双剣が引き抜かれる音とほぼ同時に、鈍重な音が響く。慌てて姿勢を立て直しながら起きると、そこにはイノシシの突進を正面から受け止めるリチェーネさんがいた。


「『オーマ』の語源は英語の『Trauma』からだ。今回のように情報があれば自ずと性質も見えてくる。空から現れたのは『思いがけない出来事』、そしてイノシシは『高速で移動する物体』のメタファーだろう。つまりは……彼に起きた事故が――――」

「――――こいつを産んだ、って事ね。木製掲示板を燃やすのは後回しって事で」


 ……なら、尚更ここで仕留めないといけない。


「……跳べッ!」


 と、自分に言い聞かせるように壁を蹴る。脇差しを持った右手を固め、左手にはショットガンを持ってイノシシの脇腹を狙う。

 脇差しは深くイノシシの腹へ沈み込む。恨みの籠ったような目を向けられた気がした。――――なるほど、やはり筋肉に力を加える事で刀を抜かせないようにしたか。ではこちらも散弾で応えてあげよう。

 ――――少しばかり、ジャンプしながら。


 ンギャアオオオ!?


 悲鳴のような汚らわしい鳴き声と共に、イノシシは吹き飛ばされる。それと同時に、僕はショットガンの反動で逆方向に飛んでいた。散弾でグズグズとなった筋肉に、反動を利用した移動法。それによって脇差しは容易く引き抜かれ、イノシシは大量のリキッドを吹き出しながら二転三転し、地面へ叩きつけられた。


「一丁あがり、ってところですかね」

「ああ、だが私たちにはまだやるべき事がある」

「止めを刺さなきゃね。私やってくるわ」


 とマヨイさんがイノシシの方へと向かった。不意に背後から声がかかる。


「クロ……だよな?」


 僕は、この声を忘れることは無い。


「……ただいま、でいいのかな。お父さん」


 後ろを振り替えるとそこには初老の夫婦がいた。言うまでもなく、僕の両親だ。

 母さんが明らかに体調不良に陥っているのを見て、リチェーネさんはそちらへとかけよった。


「……これは夢、なんだよな?」


 父さんはそう問いかけた。僕はゆっくりと頷く。


「夢、だと思う。正直、僕もまだ完全には理解できてないんだ」


 というと、父さんは呆気に取られたような顔をしてからこう答えた。


「……お前がそういうのなら、そうなんだろうな。神様の茶目っ気、という事にしとこう」

「ふふっ……なにその『神様の茶目っ気』って」


 気づけば、父さんとは随分と久しぶりに話す気がする。別に年に1回は帰省してたし、本当に久しぶりだと言うわけではないが――――おそらく、これで彼らと話すのはもうすぐ最後となる、と。僕はそう直感していた。


「うげっ!」


 と、その時。マヨイさんの声と共にイノシシの身体から不気味な音が響き出す。マヨイさんが数度の瞬間移動を駆使して、イノシシから距離を取る。


 人の怨念と悪辣さを具現化したような、地の底から響く悪魔の声のような音。その音と共に、イノシシの肉体は裂け、膨張し、やがて蛹が羽化するかの如く、それは姿を表す。


 頭部に纏わりつく無数の唇、でっぷりと肥えた人の腹を身体としそこから生える足、人の腕と皮膚の皮膜で構成された、羽のイミテーション。

 蛾のような出で立ちをするも、その姿では世辞にも飛び立てるとは思えない。人の悪意だけを食らって、自らの鍛練を怠った姿。


「うんわきっっっっっしょ! 死ねや!」


 ……をマヨイさんは一言で説明し終えた。なんなら既に攻撃まで始めてる。僕は銃弾の予備数をちらと見てから、その戦闘へと加わった。



   * * *



咲間 伊種

ルド管理者 クロの父親

咲間伊種・咲間くるみ ルド


 「神様の茶目っ気」……とは言ったが、なんなんだこの神も仏もへったくれもないバケモンは……!


「伊種さん、アレの処理は彼らに任せてください。私は一先ず奥様方の容態を確認させていただきます」


 この細身に白衣を着た女性はそう言いながら隣に座ると、ガラケーを取り出した。今更ガラケーか、と喉まで出かけた言葉を呑み込む。


「あの……お名前は?」

「……今は『リチェーネ』と名乗らせていただいてます」


 彼女はガラケーの数字ボタンに119と入力し、通話ボタンを長押しした。すると、どこからともなく謎のアタッシュケースが彼女の隣に出現する。二つのロックを外し、そのケースが展開されると同時に、内部の棚が左右に広がり即席の手術キットのような物が現れた。


「こちらのツールは汎用性を考えて、製造されたものです。診断はこれより行います」


 と、彼女は言った。……正直何を言いたいのかはわからない。何かしらの気遣いなのだろうが、ピンと来ない。


 彼女はいくつかの電極を妻の右手首に装着させると、フレームのついたガラス板を、全身を写しとるようにかざした。その後しばらくして、安堵したように息を吐く。


「外傷、並びに内部損傷も見られません。バイタルも正常、おそらくは極度の緊張状態における気絶でしょう」


 すると、彼女は突然妻の左手を持ち上げると、俺の右手にあてがった。


「何をっ……」

「よく聞いてください」


 ……彼女には、有無を言わせぬ凄みがあった。眼に、宿っているのだ。数々の命が散る様を見届けてきた、その一人一人を忘れまいとする、静かで、確かな覚悟が。


「この世界では、貴方の意思や勇気――――いえ、その『心』が、全てなのです。貴方や奥様方が生を望めば、この世界も生き長らえ、死を望めば、全てが腐り落ちる。決して、諦めないでください。全ては貴方にかかっています。奥様の命運でさえも」


 そう告げると、彼女は振り返り、先のバケモノへと走り出した。自分はいつの間にか、妻の手を両手で握りしめていた。

 得も知れない恐怖、それはあのバケモノだけじゃない。ここが夢ならば、なぜこんなにも意識が明確なのか。なぜ心臓が高鳴り、暴れ続けるのか。

 そしてこの握り締めた右手に、ほのかな暖かみを感じるのか――――


 間違いなく、今、自分はこの「世界」に、一つしかない命を抱えて「生きている」、そう確信したのだ。ならば、それは妻にも言える。妻もまた、この世界で生きているのだ。


「くるみ……!」


 妻の名前を呼びながら、自分はゆっくりと妻の体を起こして、抱き締めた。そして、同じくこの世界で生きる、息子の姿を見守るためにおもむろに視線をバケモノ達へと向けた。



   * * *



咲間 黒 ――『クロ』

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド


 バケモノはうつ伏せとなり、満足そうに羽をふたふたと揺らしていた。顔面を纏う幾多の唇の端は歪み、まるでこちらを嘲笑し続けているかのようだ。


「ほっ!」

 気合いを入れながら高く飛び上がる。そして――――


「ハアッ!」

 二段目でさらに高く跳ね上がった。完全にこのバケモノの上を取ることができた。この刀で脳天を貫けば、おそらくは終わる。そう思いたいが……。


「なっ……!」

 自分の左右から何かが高速で近づいてくる。空中かつ二段ジャンプを消費した今、この状況では流石に防ぎようがない……!


 バチン、と言う音と共に僕は量端から閉じ込められた。それと同時にこれが何なのかを理解した。


「皮膜か……!」


 飛ぶための羽ではなく、攻撃から身を守る為の羽……見た目以上に奇怪で何が起こるか読めない。

 刀に持ち変え渾身の力を奮って、体を捻るようにして皮膜を切り裂く。そして一度マヨイさん達の方へと跳んで戻った。


「おかえり、まあこっちもこっちで手詰まりなんだけどね」


 マヨイさんの放つ弾丸は全てあの肉塊に阻まれていた。表皮と脂肪が余りにも厚く内蔵には届かず、その上皮膜は拳銃弾では貫けない。


「小口径弾無効か……」

 リチェーネさんが背後からこちらに復帰した。


「……聞くまでもないと思いますが、僕のショットガンも?」

「厳しいな」


 それを聞いたマヨイさんの額には冷や汗が浮かんでいた。


「……正直、想定外」


 牽制にはなっているものの、それ以上には届かない。これほどまでにもどかしいことは無い。

 その時、バケモノの顔面についた唇が笑いだす。まるで僕たちの事を嘲笑うかのように。そしてなにかを唇たちが携えた。


「マズい!」


 リチェーネさんが構えるのと同時にその唇が思い思いの方向へ針を飛ばした。その一瞬で、この針が何を意図していたのかを理解してしまった。


 身が凍りつくような気分だ。この針が射出された先は一見バラバラに見えるが、よく見るとそれらは壁や天井などに弾かれる事を前提に飛ばされていた。そして、その1本1本が集まる先は……ほぼ全て、僕の両親たちだった。


「間に合えッ!」


 言うより先に体が動いた。サルトビとニンジャの効果で思ったより体が前へと動く。場所はわかる、届く、よかった、守れる――――




マヨイ ―― 本名不詳

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド


「んぐっ!」


 針が左肩を掠めた。同時に発射されたでたらめな量の針は多角的に散っていき、その数本が私に向かって飛んできた。

 つまり、その残りは別の方向に飛んでいったと言うことなんだけど……。


「戻ってこい、おい!」


 リチェーネがそう叫びながら、大量のリキッドチューブを消費している。……クロへと。どういうわけか、あの針の殆どが彼に向けて飛んでいったように見えた。


 私が油断してた? いんやそれはない。わふるにカスタムを依頼したSyrup、中距離用の拳銃はかなり前に用意できたとの連絡を受けていた。だからいつでも受け取れたけど、使う機会なんて無いだろうと先延ばしにしていた。めんどいし。


 正直、ティア8の戦闘区域でさえも、ラブラドール・リボルバーと、ある程度の圧縮銃で事足りていた。だから、アレは私にとってはダメ押し。石橋を叩いて壊して鉄橋に張り替える、それくらい万全の下準備――――そのはずだった。


「ムイ! アイツに関する情報を!」


 所々に小さな瓦礫の山が出来つつある、かつて体育館だった場所。このちまい体だからこそ、ギリギリ姿を隠すことが出来る。


『……無理、前例が一つも無い。人工オーマなのは確実だけど……明らかにこのルド――彼と彼女の世界を刈り取るためだけに作られてる。言わばデザイナーオーマ……』

「じゃあ何!? 私達にここで終われって話!?」

『いや私が出れば全て解決する』

「あーごめん! それだけはさせたくないかなぁーッ!!!」


 実はムイはクロに嘘をついてる。本当は彼女に「実戦用インスタンス」なるものはない。だから彼女はいつでも私たちの前に立って、戦闘に加われる。でもそれは――――


『でもそれ以外に方法が……ふへ?』

「何腑抜けた声出してんの! こっちは……ほへ?」


 ……えっと、そのなんか、目の前に明らかに居ちゃいけない子がいる、ように……見えるんだけど?




咲間 黒 ――『クロ』

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド


「…………!」

 何かが、聞こえる。僕は何をしてたんだっけ?えっと、針……バケモノ……それから……。


「……起きてくれ! クロ!」


 あぁ、そうだ、僕は父さんと母さんの代わりに針を全て受けて……。瞼が、重い。でも、開けない程ではない。


「ようやく、気がついたか……」


 眼を開くと、先に視界へ飛び込んできたのはリチェーネさんだった。

 眼前のHUDが揺らいでいる。相当のダメージを受けてグリッヂのような模様が浮かんでいる。


「……正直に言う、今の君では作戦の続行は不可能だ」


 僕の胸を貫くように幾千もの針が刺さっていた。それもかなり的確に、中心を射貫かれている。


 ……そうか、これはあのバケモノの策だったのか。確実に僕を屠る為の、数手先を読んだ攻撃。両親が狙いなら、もっと散らせば良かったのだ。そうすれば僕の小さな身体じゃ庇えきれなかっただろう。してやられたのだ。


「どうして……っ! どうしてそこまでするの……っ!」


 ……この声は、聞き覚えがある。母さんだ。よかった、意識を取り戻したんだ。


「貴方には……貴方の人生を生きてほしかったのに……」


 ……やっぱ、そうだよな。母さんなら、僕の事を心配してると思ってた。


「でもね……母さん。それは違うよ」

「おい! まさかまだ戦うつもりか!」


 リチェーネさんの怒鳴り声、初めて聞いたな。でも、何も考えずに、ただ立ち上がったんじゃないんです。


「ちょっとね、『試したい事』があるんです」




ムイ ―― 【秘匿】

コロヤ所属 【秘匿】

コロヤギルド 特殊解釈室


 ナノドローン越しに戦況を見る。変異オーマは時折検知されるけど、ここまで大規模かつ明らかな殺意をもって作られたものは私でも正直言って見たことがない。


 念のためにドローンに回収機構のプロトタイプを搭載してよかったとしか言えない。と思ったのもつかの間。


「何してんの……!」


 クロが起きたかと思えば、足を引きずり、胸からトロトロとリキッドを流しながら、あの変異オーマに近づいている。無線を入れようとしたけど、多分ダメージが基幹システムにまで響いているのかオフライン状態で連絡が取れない。


 私は少し予定を変え、インスタンス一人に召集をかけようとした、その時。


「あー、やっぱりそーなんだぁ~……」


 とろけたような顔と声で、クロはそう言った。そして変異オーマは……突如として、バックステップで彼から距離をとった。一体……何が起きてるの?


 クロはよろよろと、まるで酔っぱらいのように不規則に動く。そして前へと進んでは、変異オーマを後ろへ追いやっていく……。オーマの様子はまるで何か不気味な物に出くわしたかのように動揺している様子だった。


「あれだよねー、どうやって僕たちを見てるか、気になってさ……」


 と言いながらクロは歩き続ける。変異オーマはもはや学校の敷地から飛び出していた。だけど、ここでクロはぴたりと歩みを止める。


「頭に口だけしか無いし、羽は攻撃と防御だし……だから、多分、そうなんだよね」


 と言うと……クロは、胸に刺さった針の1本を粗雑に抜き、振り払うようにして、自らのリキッドを変異オーマの顔へかけた。

 次の瞬間、変異オーマは突如としてビクリと体を震わすと、そのまま震え、顔をあちこちに移動させてはあらぬ方向へと針を放つようになったのだ。


「ほら、リキッドの匂いで探知してたんだよこの子」


 私の中に沸き上がった感情……おそらく、感情。それは恐怖に近かった。


「だからさ、今のうちに準備を終わらせとけばいいかなーって」


 そう言いながら、クロは抜き取った針でつつくように、変異オーマにちょっかいをかける。変異オーマは身を震わせると、その方向に針を射つ。だけどてんでデタラメ。当たらない。


「あは、おもしろー……なんかこの子、クオリアとかありそうだよね。今までのオーマってただ襲う、食らうだけって感じだったのに、この子は策を巡らせてきた。それも僕の行動をみて、把握して、確実に殺す為に」


 未だにクロは溶けるような声で、おぼつかない焦点で、のらりくらりと変異オーマの攻撃を躱して、自説を語り続けている。……しかも、その推論は概ね正しいと言える物、なぜならこの変異オーマ、もといコイツは――――


「誰かが操ってるんだろうなぁって。こんな、死に損なったちび助の演説に、まるで人間みたいに身体を震わせて怖がってる」


 ――――そう、おそらくその可能性が高い。背筋が凍る、とはこのような事なのだろうか。ゾクリ、と表現するに相応しい反応が、私から漏れでる。

 伊達にこの世界を理解しようと努力してきた訳じゃない。私には知識を蓄積できるための力があるし、それを人々の為に「再解釈」して「システムを構築」する、その使命がある。


 だからこそ、大量のリキッド、大量の代替実体インスタンス、大量の計算能力を持つ――――人間ではなく、『人工知能の私』だから至れるはずの推論。


 ……それに、彼はたったの数日で追い付いた。その常軌を逸した、つまりは彼の異常さに、おそらく「人間である」私が恐怖を抱いているのだろう。


「まー……ここまではやったので、後はおまかせしますよ。リチェーネさん、マヨイさん」


 クロがそう言うと、彼が残してきた血痕……もとい、リキッドの後が鈍く光りだした。


 一瞬だけ、本当に一瞬だけ。私には理解が出来なかった。彼が何を起こしたのか。しかしすぐに気づいた。ラズアドミン チェック ログ ボードアイディ。彼が勝手にテレポーターを起動させた日から今日までの履歴を遡った。そして、とある文章の閲覧ログを見つけて、思わず声が漏れた。


「……あの仕様書を隅から隅まで読んだって言うの? この数日で……5000ページを……?」


   * * *


マヨイ ―― 本名不詳

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド


「任せたって……何をさ!?」


 そう突っ込みを入れる前に、クロはその場から飛び立つと、リチェーネの元へと倒れこんだ。その直後、彼が地面に残したリキッドが……何らかの銃の形に、淡く光っている事に気付く。


「これって……?」

『……リキッドプレス』


 ムイがそう呟いた。一瞬理解が追い付かなかった。


「ハァ!? つ、つまりクロは……自分の血で地面に設計図を書いてたってこと!? そんなバカな……」

『でも……起動してる、間違いなく利用可能な回路を組んでる……』

「だとしてもこれを満たせるリキッドなんて誰も……」


 ハッと気付く。リチェーネが自動販売機を起動するまでに獲得していた、膨大な量のリキッドに。


「……私なら、これを購入して具現化できる」


 リチェーネがそう言った直後、流れ落ちるように私の口から言葉が零れる。


「……今のわたしなら、この大きさの銃でも扱える」


 クラシーガ。そうだ、クラシーガを食べてるんだ。おかげでクロくらいは余裕で持ち上げられる。

 余裕があるということは、つまりより重いものでもいけるってコトである。持ち上げさえ出来るのなら、後の操作はエンジェラネットに任せればいい。


 ……まさか、あのアホは意識を取り戻してからたった数秒で、この戦術を弾き出したということなのだろうか?


「――――っ、とにかくこれしか方法はない! 任せた!」


 リチェーネがそう言うと、容赦なくリキッドプレスにリキッドを流し込む。するとそのリキッドは、クロが落とした命の雫を辿って一つの銃火器を創り出した。


「任された!」


 生成直後、それを持ち上げた。そして、私の脳ミソに情報が叩きつけられる。

 Senva Mediator 50-50、ヘビーマシンガン。本来ヘリや戦闘機に搭載するような機関銃をそのまま個人携行用として最低限必要な機構を整えたもの。この銃が用いる50口径弾は、人間が扱う場合はその威力と反動の凄まじさも相まって、専ら対物狙撃ライフルとして用いられている。つまり、連射するなんて狂気の沙汰である。


「……ふへっ」


 流れ込んだ情報を把握して、それを軽々しく持ち上げた自分に対して、そしてこんな物を軽々しく産み出したクロの狂気に触れて……もう、端的に言って変な声がでた。


「はいはい、撃ちますよ。撃たせていただきますとも。あー……おい、そこの激キモ生命体。聞こえてるかわからんけど、まあ……」


 トリガーに指をかける。


「おまえ、今日から肉片って名乗れ」


 轟音と共に放たれた曳光弾の群れ、それはまるで流星群みたいだった。それらは速やかに、一つ残さず滞りなくつつがなく、対象へと届けられた。



   * * *



 クロの両親、その二人が起きたとある朝の事。玄関前に集う記者に対し、騒動以後初めてコメントした。


「息子とその周りの関係をこねくりまわし、勝手な物語を捏造するのはやめていただきたい」

「息子は、最後まで自分を貫き通しました。私たちから言えるのは、それだけです」


 これは、一連の報道において特に物議を醸したクロの両親の発言である。


――――――――


「……ああ、そうだよな」


 と、そのニュースを見ながら彼は一人呟いた。

 彼の名前は皆野みなの 希実のぞみ、クロの同僚でありつつ、クロの事が心の底から気にくわない人間であった。


 それは彼が文字通りなんでも出来るという、その万能に対する嫉妬から来ていた。兼ねてから彼の粗を探そうと、躍起になっていた。

 クロが死んだあと、一気に世間の目はクロに向けられる事になる。それに乗じて、彼もクロをより深く調べ始めたのだ。


――――――――


 親が子を亡くす、それも有名企業の過労死で。マスコミにとっては絶好の飯の種であり、人の不幸を燃やして楽しむ人間にとっては絶好の燃料に見えたであろう。

 ここ、現実世界では少なからずクロの死はそう思われていた。しかし、何事にも例外というものはある。


 まず報道機関は彼の勤めていた企業やその支部を徹底的に洗った。次に内通者を通してクロの評価を聞いた。最後に、探偵を雇って会社の何かしら粗がないかを調べさせた。


 結局、何も出なかった。それどころか、飛び込む報告はどこもかしこも彼への弔意と賛辞で溢れ返っていたのだ。気味が悪い程に。


――――――――


「お前は、完璧じゃなかった」


 希実はグラスを二つ取り出し、両方にウィスキーを注ぎ始めた。


 彼のような人間はより簡単にアクセスしやすく、手軽な方法を用いる。それこそがインターネットの匿名掲示板であった。


――――――――


 インターネットでは彼のアカウントを虱潰しに特定する作業が始まった。

 「お悩み相談」を得意とする、あからさまに怪しげな本人名義のアカウントが掘り出された時は祭り――炎上騒動などにより起こる、掲示板サイトの書き込み頻度増加の事である――が期待されたが、直ぐに白けた。


 やり取りのどれもが、取りつく島も無いほどに洗練され、塵ひとつも出なかったからだ。


――――――――


「だからこそ、完璧になれたんだよな。お前がそう、強く望んだから。その道を進むと決めたから」


 希実は、二つのグラスのうち一つを、写真立ての前に置いた。そこには、新人歓迎会の際に撮られた、クロの写真があった。


「俺はお前が嫌いだった。なんでもそつなくこなすからな。当たり前のように」


――――――――


 やがて、ネット掲示板とマスコミはとあるブログ記事へとたどり着く。それはクロが事故に遭ってから、そして亡くなるまでの毎日を、日記としてしたためたものだった。


 そのブログを読んだ誰もが、その内容に圧倒された。


 それを一言で表すならば、人の役に立つ人間になるための覚悟。まさにそれを具現化したような日記である。


 速読の訓練、資格の保有と知識の更新、政治スポーツ国際情勢に、いくらかのプログラミング言語の習得、それからあらゆる創作物の分析と理解、自らを悪用されない為に犯罪学を学び、護身術を習う。


 それらを効率的に行うためのルーチンを構築し……そして、これらをより効果的に使う為の心理学まで手を伸ばしていた。彼の歴史は、常軌を逸した「他人の為の」独学で埋め尽くされていた。



 「咲間 クロ」、この人間こそが「例外」だったのだ。



 日記が知られた瞬間から、世間の目はクロから逸れ始める。それは眩い太陽から目を逸らすような、あるいは理解出来ない人知を越えた化物を目にした時のような、至極当たり前の事であった。


 程なくして、彼やその周りに対する疑惑や話題は完全に無くなった。クロや周りの清廉潔白は、何故か他人の手によって完全に証明されたのだ。


――――――――


「……だが、俺には理解できない。したくもない。狂ってるとしか言えない」


 ウィスキーに口をつけ、その薫りを吐き出すように、希実はそう呟いた。


「お前の生き方は……人間を捨てて、道具になる事に他ならない。欲もなく、見返りも要求しない、純粋な善意とは、これほどまでに怖いものか」


 希実は自らのグラスを、クロの写真の前に置いたグラスへと軽く触れさせる。チン、という音が部屋へ響き渡る。


「……せめて、人間らしく。安らかに眠り続けてくれ」


 彼はそう言うと、グラスに残っていたウィスキーを飲み干した。


――――――――


 彼の葬儀は近親者のみで慎ましやかに行われた。しかし、弔電は読み上げる事すら困難な程に送られていた。会社は勿論だが、社員の個人名義で送られたものもあった。


 インターネット上でも実名で活動していた事もあり、全国ニュースで彼の死を知った人からも、悔やみの言葉が届いた。あまりにも多かった故に、会社側が専門の投稿フォームを用意する程だった。その中には海外から送られたものもあった。

 両親は改めて、クロがどれだけ人を助けてきたかを知った。


 だが、両親だけは知っている。


 彼が今も人を助け続けている事を。


 間違いなく、彼は「生き続けている」と。


 ……なぜそう思ったのだろうか? その説明の為に、時間を少し遡る。



   * * *



咲間 黒 ――『クロ』

コロヤ所属 エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド


 ……上手くいったみたいだ。正直気が気でなかった。


 理論は頭に入っていた。組み方も書き方も全部、全部この目に焼き付けていた。それでもぶっつけ本番で成功するかは別。

 そもそもあのバケモノがリキッドを探知しているかどうかも、全てが机上の空論。ただの仮定に過ぎなかった。


 でも、それでも僕は、あの行動は賭けるに値すると思ったし、何より賭けには勝てたのだから。


「……このお馬鹿」


 リチェーネさんに頭を軽く小突かれた。リキッドがほぼほぼ抜けてしまって、前みたいな転げ回るような苦痛そのものが、今や全身くまなく転げ回っている。まあ正直二回目だし慣れてしまった。


 今は、ひとまず点滴によるリキッドの注入と、若干の痛み止め剤で凌いでいる、らしい。別に痛み止めは要らなかったんだけど、リチェーネさんがどうしてもって言うから。

 傍らで、リチェーネさんが、僕のに刺さった針を1本ずつ抜いていき、適宜その傷口を医療用リキッドで塞いでいく。……これがどう作用してるかも知りたいな。


「まだまだ学ぶべき事は多そうだなー……」

 と、なんとなしに声に出た。


「お前はまず人の感情を学べ」

 と、マヨイさんからも小突かれる。


「本当にお前ってヤツは……」

 父さんから小突かれる。


「人を心配で殺す才能があるよ全く」

 母さんから小突かれる。


「今後は絶対こんなムチャはさせないからね」

 ムイさんから小突かれ……えっ?


「「「なんでここにムイさんが!?」」」


 と、どっかのコピペで見たようなハモりを3人で披露してしまった。母さんと父さんはポカーンとしてるが、まあそれは一先ず置いといて。


「んー、リッチェには悪いけど独断で。クロっちを私の傍に置くことにした」

「まあ、私は名ばかりの親だからな。別に許可をとる必要も無いだろう」

「でもおそらく考えてることは同じでしょ? むしろ私より先にそうしようとしてたんじゃ?」

「……本当に敵わんな、お前には」


 僕の預かり知らない所で、なんか僕の所有権か何かが争われてるんですけど。なんですかこれ。


「……親の前で子の取り合いしようだなんてね、かなり大胆な人たちですこと」


 と、母さんが茶化すように言う。だがその目は笑っていない。


「クロの意思も聞かずに勝手に決めないでいただけないか」


 と、父さんは鈍く突き刺すような声色でムイさんたちを牽制する。


「ここが何なのかとか聞きたいことは山ほどあるけど……まさか、あんた達クロを利用しようとしてるんじゃないんでしょうね?」


 ……こりゃマズい。母さんのスイッチが完全に入ってる。


「そりゃあクロは優しいから何でも引き受けますとも、でもこんな危ない目に逢わせて一体どういうつもりなんですか? クロを救えなかった私達への当て付けですか? 私だって彼に死んでほしくは無かったんです、だからといってこんな形で」

「ストップ、母さん」

 母さんは一度思い込むと止まらない癖がある。一種の悪癖とも言える。


「僕がここに来たのは僕がそうしたかったから」

「……言わされてない?」

「もちろん、言わされてないよ。母さんと父さんが……その、僕が死んだことで、気に病んでると思ったんだ。えっと……だから、こういう夢の中? うーんと、心の世界っていうのかな……」

「……なんとなくわかってる、ここが私達の精神を表す世界だってのは。だから、そのまま続けて」


「端的に言うと、母さんと父さんが心配だった。だから、助けに来た」


「……」


 母さんが静まると、次は父さんが口を開いた。


「本当に、そうしたかったのか?」

「……どういうこと?」


「あの日以降、クロは変わった。いや、変わってしまった。クロを救うために消費された数多くの血、それが……俺には、クロを縛り付ける鎖のように思える。クロは、クロの望む未来を生きるべきなんだ。……いや、生きるべきだったんだ」


「えっと……僕は充分に望んだ人生を歩めたよ」


「自分をこんなに犠牲にしてでもか? そこには見返りは無い……永遠の犠牲が続くだけ。それが本当に、クロの望んだことなのか?」


 周りがしん、と静まり返る。


「え、うん」


 僕はそう答えた。そしてこう続けた。


「その結果、父さんと母さんが救えた。だからとても満足してる」

「そんなに……ボロボロになってもか?」

「こっちならどうせ治してくれると思いまして。そうでしょ? 『命の恩人さん』」


 僕はそう返して、『恩人』の方を向いた。




リチェーネ ―― 【匿名化済み】

コロヤ所属 医者・エクスプローラー

咲間伊種・咲間くるみ ルド

【通知】 匿名化プロトコルによって、一部個人情報は削除済みです。


「……いつから気付いていたんだ」


 突如として投げられた言葉に、私は動揺を隠せなかった。それは、私がこの作戦に参加した唯一の理由であり、目的でもある。


「カマをかけただけです」

 ……。


「ぶふぉっ」


 吹き出してしまった。最後の最後まで彼に振り回されっぱなしだ。


「でも、確信は得られました。改めて、ありがとうございます」

「……私から返せる言葉は、『申し訳なかった』だ。君が抱いていた想いに、私は応える暇も与えられぬまま散ってしまった」


 クロの親御さんは目をぱちくりさせながら、互いに顔を見合わせている。そして、父親からおずおずと、言葉を投げ掛けられた。


「もしかして、貴女は……」

「今は、リチェーネと名乗っております」


 深呼吸をしてから、改めて伝える。


「……かつては『――――――――』と、名乗らせていただいてました」

 私は、かつてクロの手術を担当した外科医、その人だ。


「私は、この世界で、改めて彼の想いに応えていきたいのです。彼の優しさや、その死をも厭わない自己犠牲の精神には感服するばかりでございます」


 深呼吸。


「しかし、それは適切なサポートがなければ身を削り続けるだけとなるでしょう。彼がその道を、信念を持って迷わず突き進むのならば。私はそれを全力を持ってして、応えてやりたいのです」


 立ち上がり、そして、頭を下げる。


「向こうで出来なかった代わりに、こちらの世界で、彼を……もう一度、助けさせてください」


 想いを、言葉にのせて、力強く。全てを吐き出した。これは後悔でもあり、懺悔でもあり、我儘であり、そして――――決意である。


「……」

 静寂。今は何より、この静寂が怖い。


「俺は、正直クロの考えに納得してはいない」

 お父様方がそう切り出す。


「だがそれをクロが望む限りは……どうか、支えてやって欲しい」

「あなた!」

 しかしそれに続いたのは、意外な言葉だった。お母様方が思わず声を上げた。


「……俺達は無意識のうちに、クロが不幸だと決めつけてしまっていたのかもしれない」

 その言葉に、お母様方はハッとして、こう続けた。

「……確かに、そうかもしれないわね」

 そう言うとお母様方は、大きくため息をついた。


「……でも!」

 と、クロに向けて指を指す。

「心配は心配なの! 私だけじゃない、ここにいるみんながクロを心配してる。だから……約束して」

 今にも泣きいりそうな声で、お母様方はこう呟いた。


「……もう、『二度と』死なないで」

「……ええ、『二度と』死にません」

 クロはそう返した。


「でもホント、その悪い癖は治した方がいいよ」

 と、半ば呆れながらマヨイは言う。


「まー、そろそろシステムの方で無理出来ないようにするけどね」

 と、ムイが続ける。そして私は――――


「……改めて、ようこそ。ラスールへ」


 ――――と、彼に声をかけた。


 


 これから、彼はこの世界で「生きる」のだ。


 人が夢想した原始の異世界。


 人がいずれたどり着く終末の世界。


 「心」が集うラスール、その世界で。


 

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