第4話 「勇気、あるいは無謀」
おもちゃのようなパラシュートをひっさげ、眩い閃光が舞い降りる。とてつもなく高く、異様に細い時計塔を中心にして、あたり一面の広場が昼間のように白く照らされる。
僕とムイさんはその真っ白なキャンバスをゾンビたちの体液で青く染めていた。
「いやぁ大漁大漁!」
ムイさんは着ている純白のワンピースが返り血で青く染まろうと、躊躇わずに拳と頭突きで奴らを屠っていた。
「数に圧される……!」
ダブルバレルショットガンのFaN 12-5は確かに近距離では類を見ない威力で目の前に青い霧を作る。
だが欠点はそのリロードの遅さにあるのだ。二つの銃身に込められる弾薬は二つだけ。多勢に無勢とはこの事である。
単純な構造だからこそ安価に作れるのだろうか。
「ぐうっ……!」
一発食らってしまった。だらりと垂れた腕を乱暴になぎ払うだけの攻撃だが、内側に響く痛みが身体を蝕むのがわかる。
「おりゃ!」
目の前にあったゾンビの顔面が歪むと、体ごとあらぬ場所へと吹っ飛んでいく。
「こういう風に、得手不得手を把握せずむやみやたらに突っ込むのはあまり良い策とは言えないのである」
と、ムイさんはリキッドで青く染まった人差し指を立て、自慢げに語った。
サイゴノセカイ
~異世界かと思ったら冥界でした~
「勇気、あるいは無謀」
咲間 黒 ――『クロ』
コロヤ所属 エクスプローラー
ティア 7 ―― 戦闘状態
SEED値:【管理者権限により秘匿】
座標:【管理者権限により秘匿】
「んぐっ……そ、そういうのって、先に話して貰えませんかね?」
脇腹がめっちゃ痛い。ほら、お腹下した時の痛みあるじゃん、それの1.2倍くらい痛い。
「体で知らないといけないこともあるの、残念ながら。その痛みでどれくらい体力を持っていかれるのか、向こうとは違ってここだとHUDで確認できる」
体力ゲージの1割をこの痛みで持っていかれていた。……つまり、僕の体に残された猶予はあと9回。
「いい? これは現実なの。いくら向こうの常識とかけ離れているとはいえ、痛いものは痛いし、簡単に倒れちゃう。……ゲームみたいに馴染みがありすぎるのも考えものね」
そういうとムイさんはゾンビの大群に向かって罵声を飛ばす。
「おい! この耳毛大魔王が! かかってこい!」
いや、まあそれが罵倒なのかどうかはわからないけど。少なくとも大群の気を引けたのは間違いない。数十匹のゾンビがムイさんめがけて走り出す。
「やってきたなこの鼻毛魔人どもっ!」
と言いながらムイさんは逃げ回る。そのうちに大群は引き延ばされ、速度の速い者と遅い物で分かれていく。
『って感じで私が注意を引き付けて、君はこの大群を削っていく事に専念する。そうすると』
……確かに、指示通りにすると大群でさえもばたりばたり、簡単に崩れていく。
「ヘイト管理、って奴ですかね」
『そーね』
ヘイト管理とは、対人ゲームなどで使われる用語である。
機動力の高いキャラクター、あるいは防御力の高い俗に「タンク」と呼ばれるキャラクターが敵の攻撃を引き付ける事によって、その他の攻撃職などが各々の役割に集中することが出来るといったもの。
ゾンビの大群のような単純な存在を相手にする場合には相当効果が高い。
『ちなみに私が行ってる戦法はトレインとかって呼ばれるね。ショートコント、こんな電車ごっこはいやだ』
「なるほど」
『幕末オープンゲット戦法とも呼ばれてるみたいでござるな』
「それ以上いけない」
全速力で逃げることで、相手側の個体差で生じる速度の差。それを利用して、大群との勝負を実質的なタイマンに持ち込むという戦術である。
このような方法は、それ相応に広いスペースが必要だが、ムイさんは蛇行やフェイントなどを織り交ぜる事によって大群をコントロールし、最小限のスペースでこの動きを可能としているのだ。
それに加え、今の自分は例のアイスの効果によって攻撃力が増加している。
正しくはそう書いてあっただけで実際はわからないが、少なくとも自分が放った散弾の一発一発にゾンビがよろめくか、あるいは爆散していくのが分かる。
これによってトレイン戦法の効果も上がり、またリロードの時間も稼げるために相当に効率的な手段だ。うまく行きすぎて、逆に怖い。
……いくばくかして、バケモノの周りにたむろしていたゾンビは綺麗さっぱり全滅した。
「ねえ、大好きな物は最後に食べる派?」
と、呑気な声でムイさんは僕の近くへと寄る。
「……嫌いなものを最後に残して後悔する派ですね」
バケモノは今の今まで沈黙していたが、ついに戦える雑兵が居なくなると気付くや否や、けたたましい悲鳴にも似た雄叫びを上げた。
すると肥大化した左腕を乱暴にこちらへと振りかざす。僕らは咄嗟に飛び上がった。
「そんなに素早くもなさそだね」
直後に響くは地面が砕ける轟音。その後にムイさんはそう呟いた。確かに、威力はすさまじいが、その前後の隙が大きい。体を翻して、体勢を立て直す。
「となると、やはり先ほどまでと同じような戦法になるんですかね」
「そゆこと、引き付けて、刺す」
言い終わる前にムイさんは既に動いていた。バケモノの背後へと回り込むと、その無防備な背中に拳を深々と突き刺す。
バケモノはよろめき、衝撃を受けた方向へと振り返る。その動きにはどこか怨みのようなものが垣間見えた。
彼女の生意気な笑みはバケモノにとってもいけ好かないものの様で、ただひたすらに乱暴に左腕を振るう。
しかしその度に的確な回避を繰り出し、煽りに煽る。いとも簡単にバケモノは彼女の手のひらの上で踊らされてしまった。
ヒットアンドアウェイを心がけ、バケモノにダメージを与える。ムイさんが伝えてくれた、とてつもなく効率的な作業。
……だが、そんな作業の中で自分は何か、とてつもなく重大な事を見落としている気がしていた。虫の知らせというのだろうか、なんとなしに感じるのだ。
考える。轟音が響く中、腕と足と指先を動かしつつ、それでも尚考える。なんなんだ、この違和感は?
気のせいではない、確かにそこに「答え」があるはずなのだ。酸を飛ばして静かに遠距離攻撃を行えるような知性のあるバケモノが、今は我を忘れたように暴れまわっている。
そもそも遠くから狙えるのであれば、先程僕らがゾンビを処理していた時になぜその「右腕」で攻撃を行わなかったんだ?
「――――ッ!」
気付く、と同時に僕の声帯は独りでに音を立てていた。
「ムイさん! それはさっきのとは別の個体で――――」
ムイさんが振り向いたその時、僕の背後から何かが射出される音が鳴った。
「クロっ――――」
ムイさんの体が大きく視界に被さった直後、自分の意識は一瞬途切れた。
* * *
「がはぁっ!」
ゴム毬の様に跳ねる身体。地面と擦れる度、意識が歪む。
……それでも、体の節々を蝕む鈍痛が、そして何より、具体性を失った強い決意が、意識を手放すことを頑なに拒む。
霞んだ眼が捉えたのは、二匹のバケモノ。そして――――地に伏せた少女の身体だった。
「ムイさんッ……!」
おそらく、ムイさんは僕を突き飛ばし、あの「右手」の酸を全身に浴びたのだ。そこに図ったかのように「左手」の一撃を受け、僕を諸とも巻き込んで吹っ飛ばした、という事だろう。
「なんつー怪力だよ……」
自分の足を引きずりながら、ムイさんの様子を確認する。まだ息はあるようだ。
『バケモノは一匹だけである』という致命的な勘違い。それによって僕たちの状況はあからさまに悪化の一途を辿っている。
ぐったりとしたムイさんの体を壁にまで引き摺らせ、横たわらせ、そして息を整える。
さまざまな感情と想像が、頭を駆け巡る。さまざまな痛みと悪寒が、身体中を駆け巡る。意識が薄れるか、薄れないかの瀬戸際にいるなかで、僕は――――
「……それだけは」
首を吊って死ぬ両親の、残酷な幻影により叩き起こされる。
「絶対に起こさせない」
続けざまにバケモノ二匹に一発ずつ散弾を浴びせ、真っ直ぐに道路へと駆け始めた。
バケモノはこちらへと真っ直ぐ追いかけてきている。この道は決して広くはないが狭くもない。だがバケモノが二匹肩を並べるには無理がある。
逃げて、撃ち、込める。逃げて、撃ち、込める。逃げて、撃ち、込める。
より速く、より正確に、全ての神経を研ぎ澄ます。自分を機械だと考えるんだ、命令を忠実に実行する機械だと――――
轟音と共に、バケモノを構成していたリキッドが削られていく。自動販売機のある広間へと再び戻る頃には、左腕のバケモノは見るからにボロボロになっていた。
「ハァ……ハァ……!」
だがそれは僕にも当てはまる。体力ゲージがあからさまに低下しているのに気づかない筈がない。
その時、左腕のバケモノが動きを止めた。いや、正確には崩れるように膝を突いたのだ。
「……!」
遂に倒せたかのだろうか? そんな甘い考えは鼻を突く酸の臭いにかきけされる。
右腕のバケモノは左腕のバケモノの頭部を背後から地面に叩きつけると、その肥大した右腕でひたすら殴り続けた。
辺りに散るリキッドと酸、そして広がる血生臭さと鼻を突く酸っぱさの混ざった臭い。そして左腕のバケモノが動かなくなると、その死体を喰らいはじめたのだ。
胃酸が込み上げる。だが吐き出す訳にはいかなかった。ただでさえ未熟な戦闘経験をあのアイスで補っている。吐き戻してしまえばそれまでだ。
バケモノはその凄惨な食事を足早に終えると、嘶きのような、文字に起こせない雄叫びを上げた。それと同時に奴の貧弱だった左腕が、ミシミシと音を立てて膨らみはじめる。
「あぁ……勘弁してくれ」
あのバケモノは、近接の左腕と遠距離の右腕を兼ね備えた、もはや完全体となったのだ。
「クソッ!」
限界を迎えつつある体に鞭をうち、走りはじめた。その横でバケモノが撃った酸が着弾し爆ぜる。
走る先々に酸が降り注ぎ、近づこうとするなら左腕が行く手を阻む。そんな状態に対して、自分のもつ武器は近距離専門のショットガンに残り少ない弾薬だけ。
……悔しいが、打開策が思い付かない。目の前の絶望に、自然と呼吸が深くなる。
『「使えない」なんて事はないよ。武器も、人間も、あらゆることがね。適切な場所に適切な運用を行うことが大事』
その絶望の最中、ふと、彼女が言った言葉が頭を過る。
「適切な、ねぇ」
……一つ思い付いた。それと同時に、怪物に向かって走りはじめた。怪物は左腕で僕を潰そうとしてくる。ここは想定どおりだ。左腕が着弾するその瞬間に……
――――飛ぶっ!
重厚な音と共に想定どおり、左腕は地面にめり込んだ。肥大した左腕は元の体勢へと戻すのに時間がかかる。その瞬間に僕の体重をかけて左腕をより深く突き刺せれば……いや、ちっちゃな自分の体重だけじゃ不充分だ。
――――ならば、より「重い」ものをぶつければいい。
≪=====================≪
> Boot Sequence... Completed.
> Initialize... Completed.
> TRE-Mk1 were already deployed.
> Third Person Shot - TPS Mode Active.
==【TRE-Mk1】==
TRE-Mk1は、記録"Record"・蘇生"Revive"・回収"Retrieve"を目標とした、多目的ナノドローンの初期型です。現在の実装機能は記録のみです。
・この映像記録機構は主に戦闘中の状況把握及び、戦闘終了後の解析にのみ用いることを想定した物です。無断での流用は罰せられます。
>Connecting "TRE-Mk1_Camera_ThirdPerson"
>...Completed.
>「三人称視点」での記録を開始いたします。
≪=====================≪
バケモノが起こした土煙の中、クロはその煙から抜け出すように時計台を全力で走っていた。
いや、より正確には、「時計台の壁を垂直に」走っていたのだ。自身から漏れ出す青いオーラにも気を留めず、一心不乱に壁を駆け上がっている。
そしてバケモノが自分を見失っている事を確認すると、彼はその左腕へと跳び込むようにして、重力に身体を任せた。
次の瞬間、悲鳴と共に、バケモノの左腕は深々と舗装された道を貫いた。
彼は「落下によるダメージを受けない」というルールを逆手にとったのだ。自らの体重に、重力による自由落下の加速エネルギーを加えることによって、自分にかかるはずの衝撃を、全てバケモノの左腕に擦り付けたのだ。
今や、このバケモノは、杭を打たれた鰻のような物である。逃げ出すことはかなわず、ただ敵に「裁かれる」のを待つのみとなった。
彼はこの一瞬に顔面に散弾を二発撃ち込んた。そして右腕に補足されないうちに離脱する。
その笑顔が物語っていた。何故なんだ、今までどうして気付かなかったのだ、と。壁は足場に「使えない」なんてルールはない。この世界のあらゆる面は足場なんだ。あらゆる足場を用いればどの方向からでも攻撃できるじゃないか! ……と。
あらゆる角度から散弾を撃ち込んでは離脱し、撃ち込んでは離脱を繰り返す。相手はなす術もなく青い霧と化していく。何かが吹っ切れたかの様に、彼は張り付いたような笑みを浮かべ続けていた。
しばらくして、バケモノは動きを止めた。あと一発、これで決着がつく。と、その時だった。
≪=====================≪
>Replay was interrupted by USER:Rechene.
>ユーザー:リチェーネ により、再生が中断されました。
>三人称視点の再生を終了します。
≪=====================≪
「……?」
足が動かない。いや、足だけじゃない。体全てが動かない。
「……は?」
思わずその場に倒れた自分は体の回りから青い煙が出ている事に気づく。
「ごぷっ」
ふと口から何かが零れ落ちる。その液体は青く、血生臭いものだった。
「あぇ……?」
視界がぼやけよろけてその場に倒れる。その次に襲ってきたのは、恐ろしい程の激痛だった。
「――――!?」
言葉にならない金切り声を放ちながら辺りを転げ回る。自分の中身がじわじわと削り取られ、蒸発していく感覚。
この感覚には……「聞き覚え」がある。ムイさんが、あのファミレスで言っていた。
「リキッド切れ……?」
掠れた声を出す度に、焼けつくような痛みとカミソリで肉を薄くこそぎ取られる続けるような痛みが僕を襲う。呼吸が追い付かない、苦しい、血の味がする。
なんとか、視線だけは、バケモノへと、向けられた。悶え苦しむ、僕に向けて、右腕を突き付けている。逃げようにも、体が言うことを、効かない。声を上げようにも、既に喉は悲鳴に潰されている。
……活路を見いだした後の絶望は、もはや生き地獄と呼ぶのが相応しい。もはや、絶望を受け入れて、目を閉じる力さえ、僕には残されていない――――
「ストップ、さっさとくたばりな」
――――モーターの駆動音と共に突如として現れた、幾千におよぶ若草色の光線。その光線に照らされるように、自分と同じような背丈の女の子が現れる。
茶髪に逆さ帽子、そしてゆったりとしたパーカーをたるませ、気だるげにガムを膨らませながら、バケモノの右腕はおろか、肉体全てを無へと帰す。
それはあまりにも唐突で、あまりにも拍子抜けな光景だった。
「間に合った……っぽい?」
そう一言呟くと、彼女はその手に持っていたリボルバーの全てをバケモノへと撃ちきると、シリンダー自体を引き抜いて新しいものへと入れ替えた。そして僕に気付くと、途端に焦った様子をみせながらこちらへとかけよってきた。
「リキッド切れかけじゃん! どうしてこんなになるまで放っておいたの!」
ふとHUDに目をやると、HPが0を振り切っており、その上からタイマーのような物が徐々に減っていた。そして、それは「残り時間」が2分未満であることを示していた。
「ちょっとブスっとするよ」
不意に右胸に何かを思いっきり刺された。そしてその何かを思いっきり握りしめた。もはや全身の痛みに比べれば些細なものだが、お世辞にも心地よいものとは言えなかった。
胸の中に冷やっこい何かが広がっていく感覚。しかしそれと共に全身の痛みが徐々に引いていく。
「……それは?」
「お、喋れるくらいには回復したね」
彼女はそれを僕の胸から引き抜くと、僕の目の前に持っていって見せた。
「リキッドチューブ、リキッドをそのまま体内に入れる応急手当用のデバイス。正直注入リキッドに対して、回復効率がかなり悪いからあまり使いたくないんだけどね」
彼女の手のひらにはベージュ色のケースに赤色のレバー、そして無色透明で円筒状のガラスケースと……ドがつく程太い針が付いた注射デバイスが握られていた。
おそらく、このガラスケースの中に入っていたリキッドが僕の体へと入れられたのだろう。HUDを見ると、HPゲージがほんの少しだけ回復しておりタイマーも消えていた。
「……! ムイさんは……!」
「え、何? ムイがここに居るの?」
僕は彼女にムイさんへの大まかな位置を伝えた。彼女は大きくタメ息をついたあとにガムを吐き捨てると、「ちょっと動くよ」と言いながら懐から箱を取り出した。
「……それは?」
「あー、BENTよBENT」
Tuffnutsとロゴがかかれた緑色の箱。中からシートを取り出し、一粒手のひらに出すと彼女は一瞬躊躇しつつもそれを口の中に放り込んだ。うへーと唸りながら露骨に渋い顔をする。……あまり美味しくは無いのだろうか。
その後僕へと近づくと、いとも簡単にはひょいっと持ち上げられてしまった。
「……へ?」
まさか人生初の――もう死んでいるのだが――お姫様抱っこが、こちら側だとは思わなかった。気力さえあればこの真っ赤な顔面を両手で覆い隠していただろう。
彼女はいとも容易くムイさんの元へ僕を運び終えると、彼女の隣に僕をおろしてくれた。
「おーい、ムイ。起きてんでしょ?」
と言いながら彼女はムイさんへと近づく。彼女が屈んで、ムイさんへの体に触れる。
「……」
彼女はほんの一瞬だけ動揺した……ように思えた。
じっとりと湿った空気に、撒き散らされた青い飛沫。そこから放たれる、かつて生命だったものの腐敗臭。その全てが、時を止めるかのように、自分の五感全てに深く刻まれる。
「……こりゃ、嵐が来るわね」
と呟くと、少し間をおいて彼女はこう呟いた。
「ムイが――――死んだわ」