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第2話 「ラスール、それは『最後の世界』」

「ラスール……ですか?」


 彼女の手をとりながら立ち上がる。全然聞き覚えの無い単語に、大雑把で抽象的な解説。うーん……なにもわからん。


「私達はこの世界でずっとオーマと戦ってるの」

「……なんでですか?」


「……えっ、その……趣味?」

「え?」


 こんなちぐはぐな会話を遮るように、背後の噴水からなんかの音が聞こえた。何かが弾けるような、そんな音。

 噴水を見る。いつの間にか青色の光がレーザーみたいに空に向かって伸びていて、泉の水がほんわりと光を帯びていた。


「まあ、色々聞きたいことはあるだろうけど、詳しくは向こうで」


 と、彼女は噴水へと飛び込んだ。

 僕の手をがっしりと掴みながら。


 うわーっ! とかいう暇もなく噴水にどぽん。反射的に目を閉じてしまった。そのまま肺に空気を貯めつつ耐えていると、手をくいっと引っ張られた。ムイさんに繋がれた方の手だ。


 ゆっくりと目を開くと、いつの間にか僕たちは、噴水から延びる光に沿うように空を飛んでいた。

 いや、飛んでいるというより、浮かんでいるような。水の中で、クラゲの振りをしながら水面へと浮かび上がるような、そんな心地よさ。


 幻想的な光景に、思わず口が開いて、こぽぽと空気が漏れ出した。不思議だけど、この光みたいな、水みたいな何かの中だと呼吸はできるみたいだ。

 彼女は僕にウインクを送った。柔らかい笑顔を僕にむけて、「――――怖がらなくていい」って。


 ……多分そう言ってる。だって水の中だもん。全部こぽこぽって感じで台無しなんだもん。



 空から見る景色。それはまるで……迷彩柄のようだった。先ほどの森や街はもちろん、和風、洋風、機械に中世など様々な街や風景が境界線を作っていた。

 一つ一つがまるでバラバラなのに、その一つ一つが綺麗で、幻想的で……なんだか、愛おしくて仕方がない。

 光に沿うようにそのまま上がり続け、雲へと突入すると、風景は一変したのだった。



   サイゴノセカイ

      ~異世界かと思ったら冥界でした~



「ラスール、それは『最後の世界』」

咲間 黒 ――『クロ』

エンジェラバース在住者

コロヤギルド 医務室



「……はい、初期設定終わりっ」

「んぐっ」


 注射針を引き抜かれる一瞬の痛みに顔が歪む。僕は今、ムイさんに連れられてどこかの医務室にいた。


「どう? HUDの調子は」

「うーんと、まあ、多分大丈夫です」


 目に映る光景。今まで見ていた素っ気ない風景に、今はゲームでしか見ないような、体力ゲージやマップなどの情報が付加されている。


 なんというか、異世界転生といえばゲーム画面! ……みたいなところはあるけど、ここまで綺麗にシステム化されていると、なんというか、こう、そういう物なのかと納得してしまう。


「じゃあちょっとテスト用の画像を送るよー……ほい」

「……なんで二宮金次郎像が宇宙へ打ち上げられるコラ画像なんですか」

「うん、ちゃんとレシーバーに画像デコーダーも問題ないね」


 ツッコませる事で確認を取りにきたかー。なんか負けた気分。


「それじゃ、散歩しながら運用テストと洒落こみましょか~」


 と、彼女はコンピューターの電源を落としながらそう言った。


「またテレポートですか……?」

「またテレポートですわよ?」


 僕は今までテレポートなんて無縁だと思ってたし、自分がテレポート酔いに弱い人だとも知らなかった。当然と言えばそれまでだけど。

 だからこそ、初めてのテレポート先が医務室で良かったと思う。最悪の場合、僕は色々な所に色々な物をぶちまけていた所だった。それがこう、公共の場とかだったら目も当てられない。


「んぬっ!」


 って喉に気合いを入れないと、多分次こそは胃の中の蛙が大海を知ってしまう。


「……うりゃ」

「うひゃっ」

 あの脇腹突っつくのは卑怯だと思うのムイさん。


 一瞬の眩い光の後に、地に足がつく。ムイさんのイタズラにもどうにか耐えて、ゲロゲロとなる事だけは免れた。


「うっげ……気持ち悪い……」

「その様子だと慣れるまでしばらくかかるかもね」


 と言いながらムイさんは歩みを進める。その度に、こつ、と硬質な音が響く。このとても広大なテレポートパッドには青いガラスのような素材が使われていて、とても綺麗だ。このガラス細工の中身には電子回路の様な、呪文のような、そんな何かが彫り込まれている。そして何よりも、数多くの人間がこの板を踏みつけているはずなのに、何故か傷の一つも付いていない。

 ちなみにどうしてこんなにテレポートパッドのレビューが細かいかと言うと、胃に全神経を集中しつつ、現実逃避をするために地面を見続けているからである。うげげ助けて。


「どう? 落ち着いた?」

「ええ、まあ、なんとか……次やったら泣きますよ」

「ぐへへ、ごめん」


 改めて顔を上げる。見るのは二回目だけど、それでもこの光景は圧巻。


 見た目こそRPGによくあるような、木造建築のギルドホール。でも円形の広場に、とびきり高い天井、それに映し出された地図らしきもの、空中に浮かぶホログラム。

 部屋の中心に鎮座する機械に、それを囲むように配置された受付、時折響く何かのアナウンス。それらが全て一体となり、得もしれぬ雰囲気を醸し出している。


 まあ端的に言うなら中世様式と電脳空間をまぜこぜにして2で割ったような、そんな光景だ。


「独特だなぁ……」

 と、ぽつり本音をこぼす。


「おーい! 早く来ないと置いてくよー!」

「えっ」


 ちっさ。豆粒じゃん。あ違うめっちゃ離されてんのか。……え、この5秒くらいで? え?



「あの……ムイさん……」

「なぁに?」


 ムイさんは、とっても無邪気で、まるでウサギのように、ぽんぽこぽんぽこ、ぽんぽこぽんぽこと、弾むように歩んでいる。いやー、微笑ましい光景ですね。


「着いていくだけで……過労死しそうです……」

 人間って、追い込まれると本音が出るものなんですね。また一つ勉強になりました。


「バッテバテだね」

「スーツは、動き、にくいん、ですよ……ふう」


 ようやくムイさんの歩みを止めてくれた神様に心の底から感謝しながら、その場で腰を落ち着けた。

 そもそもこのホールが広いのが悪い。直径1kmくらいあるんじゃ? いやそれは流石に盛り過ぎか。


「じゃ、服を買いに行かなきゃね」

「あの、もう少し、歩く速度を、落として貰えませんか……」

「……善処します」

「なんですか今の間は」

 絶対善処しないやつだこれ。


「普段テレポートばっかり使ってるとせっかちになっちゃうんだよね」


 ……確かに。テレポートが使えるなら、それしか使わなくなりそうな気はする。……あれ、もしかして気を遣われていたのか。


「とゆーわけで。受付のおねーさん。エレベーターおねがい」


 と言いながら彼女は円柱形のエレベーターを指差した。ここはギルドホールの中央、どうやらここが何かしらの受付らしい。


「ん、あいよ」


 受付の人はボタンを幾つか押してドアを開かせた。受付の机も同じように左右へ別れて収納されると、そそくさとエレベーターのドアから離れていく。

 その途中に、お姉さんから小さな声で語りかけられる。


「君がムイの言う『新人』か?」

「えっと、おそらくそうです」

「忠告しておくが、アイツ……ムイは今、妙にテンションが高い。巻き込まれ無いようにと言いたかったが……まあ、御愁傷様ってトコで」


 ……不穏な忠告を貰った僕は「一体どうしろと」と内心に思いながら、ひきつった顔でエレベーターへと乗った。




 暫くエレベーターに揺られていると、程なくして外に出た。


「……あれ? 外? 一階じゃなくて?」


 そう、外に出たのだ。扉の先は、一階ではなく街に続いていた。


「こういうのはね、なぞのいせかいぱわー! のおかげって事にしといた方が気が楽だよ」

「なんかテレポートとは別の気持ち悪さが……」


 後でちゃんと説明したげるから~、とムイさんはからかうように僕の手を掴む。それはもう、もぎゅっと。


「ほら、案内してあげるっ!」


 と、彼女は子供らしい満開の笑みで僕を引っ張っていった。自動販売機の時に見せた顔とは正反対の眩しい笑顔に、いつの間にか僕も頬を緩ませていた。


「異世界ってもっとこう……」

「古めかしい場所だと思ってた?」

「まあ、はい」


 広告にショーケース、そしてデジタルサイネージ。先程退出したタワーにあるのは、この街で一番大きなスクリーン。まるで新宿や渋谷みたいな繁華街のそれである。


「ふふ。ようこそ、コロヤへ。ここは色んな文化が集う街、バンの一つだよ」

「バン、ですか」

「そ。地上の街と区別をつけるために、ここみたいな空中都市をバンって呼んでる」


 そういえば、ここに来る時も空に浮いていたような気がする。


「……まあ半分ウソなんだけど」

 その言葉に僕は古典的な「ズッコケ」を披露してしまった。


「いやぁ、例外があったり……なかったり……そもそも『空中都市』って表現が厳密に言うと間違ってたり……」

「その、つまり、かなり噛み砕いてるって事でしょうか」

「そそ。分かりやすさ第一主義なのだ。正確性処刑主義とも言う」

 ……言わない。



「さ、ここがファッション街だね」


 目の前には原宿顔負けのファッションストリートが連なっていた。レディースやメンズは勿論、靴やベルトだけの専門店もある。中には「靴紐専門店」や、「ヘアピン専門店」なるものもあった。


「面白いでしょ?」

「ええ、確かに……」

「でも私が紹介したいのはこっち」


 これまた腕をぐいっと引っ張られ、ムイさんに連れられるがまま店へと入る。その直後に一瞬残像の様なものが店中を駆け巡ると、ムイさんの手元に衣服が数着出現していた。


「ほら、こんなのとか似合うんじゃないかな!」

「え、あの、僕この世界のお金持ってないんですけど……」

「今回は私の奢りだから! 気にしない気にしない! 早く着替えちゃって! ぐへへ!」


 と、差し出された服を持たされ、半ば強引に試着室へと運ばれた。




「……あの、ムイさん」

「んふふ、なぁに?」


 試着室を開けて、ムイさんに目で訴えかける。


「んきゃーっ! かわいいーっ!」


 ふりふりなスカートに大きなリボン。髪留めにはハートがあしらわれており、とても可愛らしい。まるで何処かのお姫様が着るような素敵なドレスだ。


「分かっててやってますよね?」

「……?」

 わー、めっちゃ良い笑顔で首を傾げおる……。


「僕は男なんですけど」

「知ってる!!!!」

 この満面の笑み! 悪魔め!


「ってかちゃんと着替えてから言ってくれるの好きー」


 ……と、こちらを見てにまにま。


「も、もう二度と着ませんからね!」

「いや? これは私からのプレゼントと言うことで受け取りたまえ? 有無は言わせんぞ?」

「……うむぅ」

 なんかもう、服を選ぶだけで前途多難な気がしてきた。


「とゆーわけで」

「というわけで、じゃないんですよ」


 一応動きやすそうな服は調達できた。紙袋いっぱいのふりふりフリルなキラキラドレス、それにかわいいリボンにカチューシャなどと一緒に。


「全部律儀に試着してくれなくても良かったのに~」

 とまたもやにまにま。

「……うむぅ」

 正直楽しかった事を否定できないのが悔しい。


「んで、クロっちが選んだのはモノクロファッションってやつ?」

 ムイさんは紙袋の中から、僕が選んだ服を取り出す。黒いロングコートに白い長ズボン。味っ気も飾り気もないのがお気に入り。


「いや、なんとなく選んだだけですよ」

「何となくにしちゃ良いセンスだと思うんだけどなぁ」

「……帽子も良いですか?」

「ちゃっかりしてるね」

 と、黒帽子に青いリボンが結ばれた物も買ってもらった。


「……ところで」

「なぁに?」

「いつもこういう事してたらお財布大変になるんじゃ」

「あー、今回は想定外の事態だったからね。そのお詫びも兼ねて」

「なるほどー」

 僕はそう言いつつ、紙袋の中からふりふりドレスを取り出した。


「……ごめんなさい半分は趣味です」

 よし。素直でよろしい。



 この後も僕はムイさんに連れられて色んな場所を回った。このコロヤという街には新しさと、懐かしさの両方が同居していた。


 向こうにファッションストリートがあるならば、こちらには昔ながらの馴染みのある八百屋や駄菓子屋が集まる商店街、そちらには秋葉原じみた電気街がある。

 ……そしてあちらには全く馴染みの無い武器屋が集まっている。


 中心のギルドタワーを基準に、放射線を描くように道が敷かれ、その道によって異なる商店街が作られていた。


「銃……これも実銃なんでしょうか?」

「そだよ、オーマを狩る為の実銃。……オーマって覚えてる?」

「モンスターの総称でしたっけ」

「んー、まあ、大体そう」


 日本じゃとても考えられない光景、下手したら外国でもこんなでは無いのではなかろうか。

 実銃のセールスを行う人々からは当たり前の様に「威力」や「制圧力」に「バトルデザイン」など、他の生命を奪うことをエンターテイメントとしてしか捉えていない言葉が飛び出す。

 ただ、自分もオーマに囲まれた時は……躊躇する事さえ出来なかった。自分はこれから先、その考えに染まらなければ生きて――


「ふみゃっ」

「こーら、そんな固い顔しないの。考えすぎだよ」


 ムイさんにほっぺをむにーっと引っ張られて現実に戻された。


「すみません、悪い癖で」

「気持ちはわかるけどね」

「…………わかる、とは?」


 ちょっと意地悪な問いをした、と自覚はしていた。ムイさんの言葉は自分への気遣いであり、実際に理解しているという意味では無いからだ。


「撃たれる側の事、多分それでしょ?」


 ……そう、思っていた。


「もしかして、ムイさんって心が読めたりします?」

「うんにゃ、ぜーんぜん。でもここに長く居ると、勘が働くようになるんだよね」

「あはは……」


 なんだか気恥ずかしくなって、ムイさんに引っ張られたほっぺをさすって、なんとなく誤魔化した。

 すると「彼女」は突然、僕の前に立って、その場でくるりと回りこちらを向いた。そして、笑みを浮かべながらこう言った。


「今日は一日、この世界の仕組みについて教えてあげる」


 夕焼けに照らされた彼女の髪は、透き通るように輝いていた。体躯に見合わないその神秘的な姿は、どこか自分より格上の存在なのではないか、と、そう思わせる程の何かがあった。


「……あの」

「なぁに?」

「ムイさんって……一体何者なんですか?」

 おずおずと、気圧されながらも、そう質問する。


「どっからどう見ても幼気でとっても可愛らしい少女、でしょ?」

 と、ムイさんは顔を綻ばせた。……やっぱり、格上の存在とか、そういうのじゃないのかも。


「えっと、まあ、そうですね」

「えへへー」

 ……と、その場はなんとなく誤魔化した。自分の熱を帯びた頬と共に。



「そういや、ここの通貨は『リキッド』なんですね」

「そーね、lqと書くのだ」


 ムイさんに連れられて、僕は今「シジゴ商店」と呼ばれている駄菓子屋にいた。小さい店に広がる、小さな世界。


 お菓子の一つ一つが趣向を凝らしたパロディ品だったり、ちょっとしたおもちゃも置いてあれば、いつのものかもわからないくらい昔のおもちゃが雑多に飾ってある。

 昔ながらの駄菓子屋には、それにしか無い独特の雰囲気がある。その雰囲気がとても好きだ。


 見るかぎり、この「リキッド」は日本円と同じくらいの価値を持つようだ。そしてどのようにやり取りをするかと言うと……。


「ロッタ、会計おねがーい」

「おひょっ、久しぶりじゃのうムイ嬢……」


 ムイさんの髪留めと、ロッタと呼ばれたおばあちゃん店主の指輪が青く、にわかに光る。


「ほら、品物じゃ」


 どうやら、あの端末で電子マネー的なやり取りををしているようだ。自分もそろそろムイさんに奢られてばっかりなのは……あまりよろしくない。


「あのっ」

「ひょ?」


 ロッタさん、彼女はその黒ローブに妖しげな雰囲気をまとわせた、駄菓子屋より占い師の方が合いそうな、そんな年をお召しになった女性だった。


「はじめまして。私は咲間クロと申します。まだこちらに来て間もないもので、そのような金銭をやり取りする為の端末を持っていないのです。不躾ながらお伺いしたいのですが、その端末はどちらで手に入る物なのでしょうか?」


 と、最大限に無礼が無いように、キッチリカッチリと質問した。

 すると、ムイさんはロッタさんと目を見合わせると互いに笑い合った。


「えっ、えっ……?」

「くふふ……ごめんごめん」

「駄菓子屋はそんな気を詰める場所じゃないんじゃぞ? 気楽に構えていいんじゃ。気楽に、気楽に」


 ……言われてみれば、僕はまだスーツのままだった。そんな風貌の人間が駄菓子屋で仰々しく挨拶するのは……言われてみれば相当シュールな光景だったのかもしれない。


「ちょうどここがその為の場所なの。そして彼女こそがその『端末』の設定をしてくれる人」

「おひょん、改めて。ロッタじゃ。よろしくな」


 ロッタさんは飾ってあった玩具の一つを押し込んだ。すると、数ある陳列棚の一つが壁へと動き、地面に地下への階段が現れた。


「お、おぉ……」

「ふぇっふぇっふぇっ、好きじゃろ、こういうの」


 と、ロッタさんに続いて僕とムイさんも階段を下る。灯りも乏しく、薄暗い中を下り続けるという事は、否応なしに不安を掻き立てられる。もしかしたら、これから行われる事は、何か邪な事なのでは無いか……と。


「そんなに緊張しなさんな。隠し階段はただの趣味じゃ。特に深い意味などありゃせん」

「えっ」

「ふぇふぇふぇっ!」


 陽気に鼻歌を歌いながら下るロッタさんに、ムイさんはこう続けた。


「クロっち、覚えておいて。この世界のなんと10割は趣味でできてるの」

 それ100%じゃん。


「そうじゃ、完全なる趣味なのじゃ! いくつになろうと秘密基地はわくわくするものじゃて! ひゃひゃひゃひゃーッ!」

 それはそれで本当に彼女に任せて大丈夫なのかという、別の怖さが再び顔を見せてくる気がした。


 階段の先には、円形の部屋があった。壁は棚となっており、様々な姿形をした「情報端末」が綺麗に並べられていた。

 端末はどれも陶器のように真っ白でいて、青い照明に染められ、それでいて気品を放っている。もはや圧さえ感じられる。


 ロッタさんはその部屋の中心にある椅子に座って、口を開いた。


「して、どの子にするかの?」

「と、言われましても」

「そういや説明してなかったね」


 ムイさんはとてとてと音を立てながら、展示されている端末のうち二つを手に取った。トランシーバーのような端末と、スマートフォンのような端末。

 そのうちスマートフォンの端末を掲げるようにすると、こう続けた。


「向こう側にはスマホはあったよね?」

「えぇ、まあ、はい……なんなら持ってます」

「じゃあ開いてみて」

「えっと、ここって圏外……じゃないんですかね?」

「あ、それが分かってるならもう大丈夫」


 それを聞くと、今度はトランシーバーの端末をスマホの端末と同じくらいの高さに掲げて、ふたつをこつん、と軽くくっつけた。


「向こう側と同じように、この世界でも端末同士を通信させるためには『ネットワーク』と『認証』が必要なの。認証は……まあ電話番号みたいなものかな」

「ネットワークと認証、ですか」

「それで……あの甘酒、覚えてる?」


 僕がこの世界に転生した後、彼女にお腹がたぷたぷになるまで呑まされたそれである。


「もうしばらくは甘酒飲みたくないです」

「ほんとごめんね……あれは回線の確保に必要だったんだよね」


 そう言えば、あの時出てきたHUDも今のそれと比べると随分簡素だった気がする。


「甘酒で通信回路を開いたんでしたっけ」

「正確には、君に甘酒を呑ませることで一時的な『認証』を与えた、って感じ」


 認証は電話番号、だったっけ。


「つまり、転生したての僕には電話番号が登録されてなくて連絡が取れなかった、と」

「うんうん」

「甘酒を飲むことで、電話番号を登録した、と……」

「大正解っ!」

「……なんで甘酒で?」

「あー……」


 ……なんとなくこの次に聞く言葉がわかった気がする。


「……なぞのいせかいぱわー! って事で」

「やっぱりそうなるんですね!」




「それで、今のクロっちには私が改めて認証をしておいたの。だからあの時より分かりやすいHUDになってると思うんだけど、どう?」


 医務室での「初期設定」はその為だったのか。


「ええ、認証の質でこんなに変わるんですね」


 ムイさんはそれを聞くと、んむーと言いながら渋い顔をした。


「認証の質というより、回線の質かな」

「回線、ですか……携帯のギガとか、通信制限みたいな」

「そうそう。あの時は通信制限の時みたいに送れるデータが少なかったのが、今はちゃんと設定したおかげで安定して大容量のデータが送れるようになったの……こんな風に」

「……なんで二宮金次郎像がマツケンサンバを躍りながら銀行強盗をライトセーバーでシバき倒す動画なんか送ったんですか」

「うん、ちゃんとストリームにコーデックも問題ないね」


 ツッコませる事で確認を取りにきたかー。なんかめちゃくちゃデジャブ。




「じゃあ、ネットワークってなんですか?」

「ネットワークは端末同士をつなぐ為の仕組み。ここで動いてるのは『エンジェラネットワーク』っていうの」

「エンジェラネットワーク?」

「そう、名前にも意味はあるけど今は考えなくていいよ」

「それで、エンジェラネットワークに繋ぐと何が出来るようになるんでしょうか」


 と聞くと、ムイさんはぐいっと僕の方へ歩みを寄せた。


「んふふ、何もかも」

「何もかも、ですか」

「ここで生きるなら何もかも。テレポートも、買い物も、銃の調整に戦闘も。ネットワークに繋がったサーバーが補助してくれる」

「ふむ……」


 裏を返せば、この「エンジェラネットワーク」が使えなければ僕は何も出来ないという事になる。つまり、相当の権限がこのネットワークに握られているということになる。

 自分としては正直あまり好ましくは思わない。……思わないのだが。


「この世界は趣味で出来ている、ですか……」


 この世界にはその重苦しさを、何故か感じないのだ。一人一人が自分のやりたいことを行い、それでいて崩壊していない。


「言い換えるなら、『この世界は限りなく自由』だとも言えるの」

 と、ムイさんは話した。


「今の話を聞いて、エンジェラネットに不信感を抱くのも自由、そしてそれを拒むのも自由、私はそう考えてる」

 ムイさんは少し俯いて、どこか儚げで寂しい表情をしながら、話を続ける。


「エンジェラネットは他の人々の生活を快適にするための物だから、それが使えない場所はもちろんそれなりの苦労をする」

 そう言うと、彼女は改めて僕の目を見据えると、こう続けた。


「でも君がその選択をするなら、私は否定しない。むしろ君が必要なら、支援したいな、って。そう思ってる」

 ゆっくりと、落ち着いて、諭すような声。そんな声につられるように、僕も自然と口を開いた。


「ムイさんって……」

 小さく息を吐いてから、すこし間を置いて……。



「ド真面目な話もできるんですね」

「なんだとーっ。きさまーっ。ほっぺ揉んだろかーっ」




「おまたせロッタ」

「別に言うほど待っとらんわい」

「おみょみょみょ……」


 ムイさんめっちゃほっぺ揉んでくるじゃん。しかも僕の肩に乗りながら。え、まさかこの状態で話進めるつもり?


「して、ムイ嬢の持ってきた様な携帯電話のような端末もあれば……この子みたいにゴーグルタイプの物もある」

「おみょみょみょみょ」


 と、ロッタさんは棚からメガネのような形の端末を手に取った。


「んぐーっ! そろそろほっぺ揉むの止めてくださーい!」

「じゃが……ワシが気になるのはこれじゃな」


 ムイさんをどうにかして引き剥がすと、今度はロッタさんに左腕を指差された。


「見たところ、その腕時計は明らかに壊れておる。ワシゃ時計屋じゃない素人じゃが」

「……ええ、そうですね?」

「じゃが、代替品がいくらでも手に入るような、あまりお高くない物の様にも見える」


 余計な世話、というのはこのような事を言うのだろう。少しばかりイラっと来た。


「ええ、ええ。それがなにか?」

「ならば……」


 ロッタは懐からUSBメモリの様な何かを取り出した。


「おそらく、それは思い出の品か、とにかく大切な何かではないかね? あいにくワシは修理こそ出来んが、その時計に『身に付ける理由』を付加することはできる」

「……つまり?」

「このチップを時計に差せば、それを端末に変えられるという事じゃ。悪い話では無かろう? ……おっと」


 僕は数秒前の自分を恥じた。頭に血が昇って、彼女なりの気遣いという可能性を無視してしまった。


「いや、別に外さなくても良かったんじゃが……まあ、よかろうて」


 ロッタさんはそのチップを、僕の時計に押し込んだ。

 まるで、こう、なんというか、糖衣コーティングされたマシュマロに指を埋めるような、奇妙な感触の後に、時計にチップが吸い込まれていく。そして全体が一度だけ青色に淡く光った。


「おひょ、端末化に成功したぞい」

「ありがとうございます」

 僕は時計を左腕に巻き直した。


「うわっ、クロっち早業~」

「長い間ずっと一緒にいましたからね」


 と、言い終わった直後。眼前のHUDに妙な文字列が表示された。


「『ELIe接続完了』……?」

「問題は無さそうだね、さすがロッタ」

「ひゃひゃ、もっと褒めてもええんじゃよ? ところでこの子にはどこまで説明しておるのかえ?」

「さっき教えたこと以外はまだなーんにも」

「なら想起操作での説明がいいかの」


 彼女らが話す横で腕時計をちこちこと弄り回してみる。ベゼルを回してみたり、竜頭を引いたり押し込んだり、これまた回してみたり……。でもうんともすんとも言わない。


「あの、これってどう使うのでしょうか」

「そう、丁度それについて話しておったんじゃ。ひとまず『ラン エリー』と心の中で唱えてみなされ」

「ふむ?」


 ラン エリー……とな?


「わわっ」


 腕時計から一瞬だけ風が吹き出したような気がした。飛び出してきたのはいわゆる、「ステータス画面」だった。……正確には、メニュー画面の方が近いかも。


「ここからネットワークの色々な機能にアクセスできるの、覚えておいて」

「ふむふむ」

「端末を変更したいならワシを頼りなされ、ひひひ……」


 とロッタさんが言うと、石がズリズリと擦れる音と共に、地面にくだり階段が現れた。


「あれ、ロッタは来ないの」

「丁度別の客が入ってきたところじゃ、なぁに、二人だけでも帰れるじゃろ?」

「ロッタさん、お世話になりました」

「ひゃひゃ、『これからもご贔屓に』じゃて!」


 僕はロッタさんに頭を下げると、ムイさんと一緒にその階段を下った。



 階段を下ると、先程の駄菓子屋についた。この世界では空間を歪ませる慣習でもあるのだろうか? 駄菓子屋についてから端末室を出るに至るまで、僕たちはただただ階段を下っていただけである。


 ……それにしても。

「はぁー……」


 メニューの「状態」タブを見て一人で落ち込んでいた。いわゆるステータス画面というヤツである。

 だがそこには一切のスキルも何も存在しなかった。


 ……ラノベなら一見ゼロでも隠しステータスが、なんて事がよくあるが、ここは現実。そんな甘い期待はしない方が良い。


「それは装備の確認に使うメニューだから今は意味ないよ」

「えっ」

「ほら、武器とか持ってないでしょ?」


 ……なるほど、そういうタイプのステータス画面なのか。スキルじゃなくて装備で強化していく、そんな感じの。


「えっと、済ませなきゃいけない用事は済んだし、良い時間だし……」


 外は既に夜の帳が落ちていた。駄菓子屋が存在する、この商店街セクションは既に半分程の店が閉じ始めていた。


「ご飯食べに行こっか」


 そう言って、再びムイさんは僕の手を握った。


「あ、はい」


 僕はその手を握り返した。不思議な世界に不思議な少女。僕は少しずつではあるけど、それでも確実に、この第二の人生に期待を持ち始めていた。



「どう?」

「んぐ……まだ慣れないですけど……まあ……最初に比べたらマシには……」


 なんと、端末にはテレポート機能がそのまま搭載されている。なるほど、そりゃそればっかりになるわけだ。……ラン エリー。


「ここは『コロヤギルド』って建物だったんですね」

 現在地の名前や詳細な地図もこの端末から見れる。凄く便利。


「そ。ここはコロヤの中心みたいな扱いだね。まあ実際中心だし」

「にしても、どうしてここへ? ご飯なら外でも食べられそうな場所がありそうなものですけど」

「んーへへへ……」

 と、言いながら、ムイさんは妖しげな笑みを浮かべて僕に画像を送ってきた。

「……え」




 死線を潜り抜け、非常識な常識を頭に叩き込み、僕はようやくこの場所に来た。


「我ながらナイスなチョイスだと思わない?」

 と、ムイさんはにまーっと笑みを浮かべる。


「ええ、間違いなく、本当に……」

「……うん、まあとりあえず入ろっか」

 と、ムイさんについていこうとした時、自分の頬に雫が流れていくのに気づいた。


 ここはイタリアンを中心としたファミリーレストラン……生前、気に入っていたそれである。

「まさかこちらにもあるなんて……」

「ここの創業者が『この世界でも向こうと同じものを味わえたら、ここに来た人々の心を支えてくれるんじゃないか』って言ってね……それに賛同した人々がコロヤのフードコートで同じ店を展開してるんだ」


 特別な何かがあるわけでもなく、至って普通の接客に案内。席にはメニューがおいてあり、横には紙ナプキンと調味料、それからキッズメニューがある。


 ちょっと手に取ってみると、こちらでもお決まりの「子供泣かせの間違い探し」があって、クスッと笑ってしまった。


 価格は、相変わらずどれを見ても500lq、600lqと手頃。それに加えて……。


「あった……!」


 シチリア風たらこスパゲティ。僕はいつもこれを大盛りにして、タバスコをすこし垂らして食べていたのだ。


「食べたいものは決まった?」

「はい! ……というか、もう端末持ってますしこれ以上奢られるのはなんというか」

「うーん、まだそれの説明はしてないからね。まだ使えないよ?」

「えっと……じゃあ、貸しということでここは一つ……」


 それを聞くと、ムイさんは長い髪の毛を前へと垂らし、両手を前にだらしなく突き出すと、おどろおどろしくこう言った。


「貴様が貸しを返さぬのなら、その時は血で贖って貰うぞ……」

「……?」

「……もうちょっとリアクションくれたっていいじゃん」

 ぶー、と頬を膨らましながら、ムイさんは髪を整えた。


「え、その、健気だなぁ、って」

「んむー……それってどういうこと?」


 えっと、なんか、かわいいなぁ、って思ったんですけど……さすがにそれは面と向かって言えない……。




 メニューと向き合い、互いに料理を決め、ウェイターを呼んで注文した。料理を待つまでの間に、聞きたいことを聞いておこうと思った。


「リキッド……というのがこの世界の通貨単位なんですよね? でも今まで硬貨とか、紙幣とかは見てない気がするんですよ」

「お、なかなか鋭いね」


 ムイさんはそう言うと、髪をかきあげて、先程のおふざけで外していた、青い林檎の髪飾りを着けてからこう続けた。


「それじゃ、『なぞのいせかいぱわー』の一端について、教えてあげる」




「そもそもリキッドって言うのはね、私たちを動かす原動力なの。心臓から、私たちの体に流れて満たされていく青色の液体……それがリキッド」

「それって……」

「そう、『向こう』でいう血液と大体同じね」


「えっとつまり、血液が通貨という事なんですか?」

「それはちょっと違うかな」


 彼女はどこからともなくいくつかの小物を取り出した。


「このキャンディも、弾薬も、プラスチックのキーホルダーも、元を辿るとリキッドから作られたもの」


 飴に金属にプラスチック、どれもこれも元の世界じゃ似ても似つかぬ原料からつくられている。


「そして……」

 と言うと、ムイさんはからかうような微笑を浮かべて、僕の体を指差した。どくん、と心臓が何故か大きく脈打ち、息が詰まる。


「君や、私達の身体も、リキッドから出来ているの」

 僕は呼吸と整えながら、ムイさんの話を聞き続けていた。


「リキッドは、私たちの世界に存在する最小単位……加工すれば何にでもなれる。だからこそ、リキッドは加工品に対する通貨としての役割をも持つの」

「えっと、つまり通貨というよりは、『原料と加工作業代』の物々交換に近いんでしょうか」

「飲み込みはやくて助かるよ~」

 といいながら、ムイさんは小物をどこかへと仕舞った。


「身体を流れているリキッドは、血液というよりは燃料みたいなもの。私たちも体内のリキッドを消費して、そのエネルギーで活動してるの」


 つまりリキッドは通貨でもあり、材料でもあり、血液でもあり、エネルギーでもあり……。


「えっと、リキッドってなんていうか、いわゆる万能物質とかそういうものなんですか……?」


「そーね。でもみんなそんな事は知ってるし、補給方法もわかってる。だから『余程の事』が無い限り、奪い合うような事もない」

「余程の事……あるにはあるんですね」

「この世界も、場所が変われば常識も変わってきちゃうのよ。悲しいけどね」

 と、ムイさんは眉を落として諦観するような、物憂げな表情を浮かべた。


「んでリキッドが硬貨としても紙幣としても存在しないのはその管理の難しさからなの。リキッドを一種の『エネルギー』として『解釈』したあと、そのエネルギーをそのまま無線で送る方がスマートに済む

「解釈、ですか」


「テレポートとかもそう。私たちの肉体はリキッドで作られてるから、そのリキッドを『電気信号』として『解釈』することで、通信するような感覚でテレポートできるようになるの」


「な、なるほど……」

「これが『なぞのいせかいぱわー』のうちの一つ、『再解釈』」


 確かに、聞いてみるとそんなに難しい話ではない。リキッドが何にでもなるのなら、電線や電波のようなありきたりな技術でさえも、一瞬で魔法に変わる。


「そして体内のリキッドを補給する方法といったら……」


「お待たせしました、こちらビーフステーキセットと、たらこスパゲティの大盛です」


「そう、おいしい食事だね。えへへ、私びふてき~」


 彼女の目の前に5枚ほどのステーキと山盛りのご飯がおかれる。僕の目の前にはたらこスパゲティの大盛がおかれた。

 いつものように、席に置いてあるタバスコを少々垂らして、全体に馴染ませるように混ぜていく。


「極論だけど、例えばこのステーキナイフとかを食べてもリキッドは補給できる。でも普段食べないものは体がよく吸収してくれないの。むしろ消化に多くのリキッドを使っちゃって、結果はマイナスになるなんて事もある」


 なるほど、と言いながらふと気になったことを何気なく質問する。


「リキッドが無くなるとどうなるんです?」

「消える」


 この瞬間ムイさんの声、いや「彼女」の声が、そしてその瞳が、突如として無機質に変わる。この瞳には見覚えがある。あの時、自動販売機の前で見せた、あの瞳。


「この世界の全てがリキッドで出来ている、それは私たちも例外じゃない。体内に貯めておいたリキッドが無くなると、身体を構成するリキッドが消費され始める」


 彼女はステーキにナイフを突き立てると、薄く、薄くスライスした。


「身体から肉体がまるで巻き紐が如く徐々に剥ぎ取られていく感覚。苦痛に呻く時間は恐ろしく永く、首ひとつになろうとも意識を閉じることさえ許されない」


 彼女は淡々と説明を続ける。当たり前のように、惨たらしい言葉を紡ぎ続ける。


「……んまぁ、そんなことは滅多に起こらないけどね~」


 と、彼女……いや、ムイさんはいつもの調子に戻ると、薄切りステーキと山盛りのご飯を口にかっこんだ。ハムスターのようにほっぺが膨らみ、もちもちと揺れ動く。


 自分もたらこスパゲティを一巻きフォークに巻き付けると、口へ運んだ。刻み海苔の風味に、ぷちぷちとたらこが弾けていく心地よさ。それをタバスコの辛みと酸味が引き立ててくれる。


「どう? おいしい?」


 両ほっぺにご飯粒をつけながら、ムイさんは柔和に微笑む。


「……ええ」


 僕はいつの間にか絶え間なく涙を流し続けていた。生命の危険、新たな常識、そして何も知らない世界。

 その中に一つだけ、たった一つのこの料理が、この世界に希釈されつつあった自分を、やさしく元に戻してくれるようで……。


「とても、満たされます」

 と、だけ。そう言った後は互いに何も言わずにフォークとナイフの音だけが不格好なリズムを刻んでいた。




 互いに腹ごしらえを済ませた後、空になった皿を前に、ムイさんは再び話を切り出す。


「『向こう』でどんな仕事してたの?」

「特に言うことのない、至って普通の会社員でしたよ」

「ふーん……」


 ムイさんは顔を少し曇らせた。髪の毛の先をちょいちょいと弄ってから、僕にこう質問した。


「……最期はどうだった?」


 顔をそらしながら申し訳なさそうに、ささやくような声で呟いた。


「正直……僕も良くわかってないんです。会社の扉を潜ったらこの世界にいて、しかも後ろには地面に伏した自分が居て。体と魂が別れた、みたいな漠然とした事実だけしか感じ取れなくて」

「そっか」


 しばらくの間、気まずい空気が僕たちを満たした。その沈黙は、ムイさんの一声で破られる。


「安心した」

「……どうしてですか?」


「こっちに来る人にはね、こう、色んな人が居るんだ。向こうに居るのが辛くて堪らなくて、苦しみながら命を絶った人。事故にあった人、殺された人……。少なくとも、君が受け止めきれない苦しみを抱えてなくて、よかった」

「……まあ、やり残した事も特に無いですしね。とにかく全うな会社に入る努力だけして……あとはまあ、趣味の人助けくらい?」


 ふと、ムイさんの顔を見る。


「……もし生きてる内に貴方みたいな人と会えてたら、何か変わってたのかもしれないですね」


 と、愛想笑いを浮かべた。ムイさんは寂しそうな顔をしながら、僕の言葉にこう答えた。


「無理に変わる必要は無いよ。いままでも、

それにこれからも」

「これから?」

「そう、これからも」


 ムイさんは窓にかけられていたカーテンを開けた。そこから見える夜景は、想像より遥かに綺麗だった。


 まるで宝石の様にビルの窓から疎らに漏れる光。建物に取り付けられたデジタルサイネージに、光輝く看板たち。

 都会の喧騒そのものが、絵の具として黒いキャンパスを彩る。

 人の営みがこのような景色を作り出すものなのか……と、初めてのボーナスでお高めのフレンチレストランに行った時を思い出した。

 

「なつかしいでしょ?」


 ふと、ムイさんから言葉をかけられる。


「まだ1日も経ってませんけど、ね」

「ふふっ」

 ムイさんは柔和な笑みをうかべながら、夜景をながめていた。


「この世界は自由なの。どんな選択肢だってとれるし、誰も咎めはしない。自分がやりたいことを探していくといいよ」


 自由。自分は、死後の世界にそんなものは無いと思っていた。


 厳格なルールと共に閻魔大王に裁かれ、天国だろうが地獄だろうが、そういう「型」にはめられて、抜け出せなくなるとばかり思っていた。


「……でも、流石にお金は工面しなきゃ行けないよなぁ」

「ん、そこも当面は問題ないんじゃないかな」


 と、彼女は呆気なく答える。僕の腕時計に触れながら「オルタラン アトム」と呟くと、HUDにATMの操作画面のような物が現れた。

 おそらく銀行口座のようなものだろうか、そこには……約6000万リキッドもの大金が振り込まれていた。


「そっそんな! こんな大金受け取れません!」

「……しー」


 取り乱した僕を、目を細めながらいたずらそうな笑みで宥める。


「これはね、君が今までに受け取ってきた感謝、気配り、そして親切心……そういうのが積み重なった結果なの。言うなら冥銭みたいなものね」

「え?」


「ふふふ、リキッドはね、お金でもあるしエネルギーでもある。……でももっと大切な事はね、リキッドは、精神、『心そのもの』なの」


「それはどういう……」


「人が死んだらね、その魂は各々の信じる道を辿って行くことになる。そして精神、つまり心は、この『ラスール』に送られるの。君の体は精神そのもの、だからこそ、リキッドそのものなの」


 改めて、自分の口座に目を落とした。そこには簡易的ではあるが、明細が記されていた。


 風船を取ってくれた、愚痴を聞いてくれた、道案内してくれた、優しくしてくれた……どれもこれも、僕にとっては日常だった事。そのどれもにリキッドが付加されている。


 ふと気になった。僕が最初に感謝されたのはいつなのだろうか、と。明細の一番最初を貪るように手繰り寄せた。


『君が産まれてきてくれたこと +2,000,000lq』


 これは……両親が僕を産んだときに受け取ったものに違いない。その時、思わず自分の目から涙がこぼれていることに気付いた。


「ごめんよぉ……!先に、逝っちゃってよ……ッ!」


 今初めて、「自分が死んでしまった」、「親を残してしまった」という事実を、ハッキリ自覚してしまったのだ。


 もう二度と、親の顔を見られない、声も聞けない、親孝行もできない。その無力感からか、それとも後悔からか、涙が……とまらない。


 ムイは僕の隣へと席を移すと、靴を脱いで席に上がり、涙が止まらない僕を優しく抱き締めてくれた。


「やっぱり、君は優しいね」

「……貴女には負けますよ」


 そのまま数分ほど、その腕の中で微睡みかけた。その時、ハッと気づいてしまった。急いでムイさんを引き剥がす。


「ぷみゃっ、どしたの」

「いや、あの……僕、二十歳なんですよ」

「うん、知ってる」

「……そちらのご年齢は?」

「あー……」


 僕はこの出で立ちでもあくまで成人男性なのであり、ムイさんの年齢によってはこう、なんというか、とても大変な事をしでかした可能性がある。


「うーん……享年基準にしても、ラスールでの生活を加味するにしても……そもそも私の場合どう考えればいいんだろ……」


 と、なにやらぶつぶつ呟いた後、こう答えたのだった。


「ま、私も二十歳らへんって事でどうよ?」

「いや僕に聞かれてもですね?」




 この日はギルドホールの休憩室を借りて、体を休めることにした。


 ……ラン エリー。布団にくるまりながら、僕は腕時計を起動した。

 この時計は、僕が二十歳になった記念に両親から受け取ったプレゼントだった。今は時計としてではなく、端末として新たな人生を与えられた。まるで、僕みたいに。


 端末の画面はステータスだけでなく、ネット検索や、それを通じて様々な情報を閲覧することができた。

 そして、そのおかげで、僕がこれからやらなければならない事がハッキリした。

 布団から体を起こし、買ってもらったロングコートを身につける。既に時刻は深夜の3時を回っていた。


 ……でも、それですら僕が隠れて動くのにうってつけの時間だった。

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