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第1話 「冥界、及び異世界転生」

 木にひっかかった風船に、その下で泣きじゃくる子供。

 とてつもなく既視感のある光景に黒い影が割り込んだ。


「大丈夫? 何かあったの?」


 彼の名前は咲間さきま くろ。背丈は隣の子供と比べても多少高い程度で、顔も童顔であったが、そのちまこい身体に不釣り合いなスーツと革靴を着こなしていた。


「ぼ、ぼくの、ふーせん……」


 震えた声と共に木にひっかかった赤い風船を指差す。その時。


「あ!」


 指された風船が、まるで逃げるかの様に枝から外れてしまう。……と思ったのもつかの間。


「はぁっ!」


 クロはいつの間にか木を昇っており、空へ跳び、風船の紐を掴んでいた。


 空中で一回転してから着地すると、その紐をかつての持ち主であった男の子へと渡した。


「はい、どーぞ」

「あ、ありがとう、ございます」


 彼はおずおずとその紐を受け取った。クロはハンカチを取り出すと、彼の涙を拭った。


「……ほら、元気出して。次は気を付けようね」

「あ、ありがとうございます! おにーさん!」


 そう言いながら走り去る男の子を見ながら、クロはバツが悪そうに愛想笑いを浮かべた。




 クロはまるで小学生のような体つき、顔つきであったが、実際には今年で二十歳を迎えた成人男性である。

 なぜこのような姿なのか。それは、彼の過去に由来するらしいのだが……あまり本人は語りたがらない。




「今日もよろしくおなしゃーす」


 と、彼は雑に挨拶を済ませた。


「はいよ~」


 という、ゆったりとした女性たちの声が返ってくる。彼はタイムカードに打刻を済ませた。

 彼の仕事は庶務である。基本的な雑務は勿論、清掃や備品管理に電話の対応など様々な事を任されるが、いまいちパッとしない仕事とも言われたりする。

 そんなポジションを、誰もがドン引きするほどに希望して彼はここへと就職した。その結果、会社の状況は一変する事となった。


 備品は完璧に整理され、会議室は会議前には必ず塵一つ残さぬ程に磨かれ、切れた蛍光灯は30分も経たないうちに入れ替えられ、それでもなお余った時間でトイレや窓をも磨きあげ……同僚の庶務曰く、「仕事泥棒」との評価を得るに至った。

 その結果、会社の作業効率はじわじわと上がっていき、業績も伸びるようになった反面、流石に一人で働き過ぎだと逆に注意を受ける事となったとか。


 現在、彼はオフィスにて手のかかる書類整理をしながら、空いた時間で庶務の同僚を手伝うというスタイルでやっている。……手のかかる仕事の筈なのに、空いた時間が出来ているのはもはや諦める他ない。




 そんな様子を見た男はボソっと呟く。


「……気に食わねぇんだよな」

「なにが?」

「クロだよ、クロ」

「なんだ、希実のぞみ、自分の書いたプログラムが動かないからって八つ当たりか?」

「んなわけ」


 と、そこに何枚かの書類を抱えたクロが通りすがった。ちらり、と希実のパソコンを見ると彼は口を開いた。


「五行目のここ、大文字になってるせいで動かなくなってそうですね」


 希実は些か不服ながらも、言われた通りの修正を加え、再度プログラムを走らせた。すると、今までの不具合が嘘のように、通常に動作し始めたのだ。


「……どうも」


 希実はバツが悪そうにそう応えた。


「いえいえ」


 クロは短くそう返すと、再び作業へと戻っていった。


「ほら、お前の悩みの種を潰してくれたじゃないか。アイツの何が気にくわないんだ?」


 と、希実をおちょくるような声が投げ掛けられる。


 希実はそれを聞くと、机の上からマグカップを持ち上げ、中身のコーヒーを啜ってからこう答えた。


「……アイツの全てが完璧すぎるところだ」




 このように彼の完璧な働きぶりを見ると、誰もが「どうして庶務に?」と一度は聞くらしい。


 すると彼からはこう返ってくるのだ。


「僕は、人助けが趣味なんです」




 さて、そんな人助け大好きな彼の職場は警察でもなければ消防でもない。ましてや病院なんて大それたものでもなければ、製薬会社なんて大企業でもない。ごくごく普通の食品系企業である。彼はそこの庶務として働いている。意外に思えるかもしれないが、食事は人に取っては欠かせないもの。食事に関わることで一度により多くの人間を助けられるというのが彼の考え方である。




 ちなみに先の詰め詰めな段落に書かれた事について覚える必要は一切ない。

 何故なら彼は今日、この世界に別れを告げるからだ。



「……へ?」


 それは彼が買い出しの為に、会社の自動ドアを潜った直後の事だった。


 彼の眼前に広がる光景。例えどんな人間だろうとそれには困惑せざるを得ないだろう。

 目の前に広がるはありきたりな受付などではなく、広々とした草原だったのだ。


 彼の歩みと共にその身体中をめぐる自然の香り、無限を思わせる青空、そしてさんさんと光る太陽。

 長い間、彼の記憶の底に埋もれていた、開放された世界。彼は思わず息を呑んだ。


 だが程なくして、彼は自分が置かれた状況を改めて理解する。

 踵を返して戻ろうとするも、振り返りざまに見るその光景は、歩みを止めるには充分すぎた。




 「かつての世界」が自動ドアのように閉じていく。合間から見える景色には地に伏せた「彼自身」と、そこに集まる人々がはっきりと見えた。




 そして、彼はもう二度と「そこ」には戻れないと、直感した。




   サイゴノセカイ

      ~異世界かと思ったら冥界でした~





「冥界、及び異世界転生」

咲間 黒 ――『クロ』

散開転生者

現在地不明




「あー……」


 正直、僕はまだ目の前の光景を受け入れられずにいた。人生何が起きるかわからない、とはよく言ったものだけども、これはそれを遥かに越えている。


 とにかく、自分は今草原のど真ん中に居るのだ。そしてその草原の周りは更に、森に囲まれている。


「いやーまさか……都会で遭難することになるなんてね。へへ」


 なんて嘲りながら、手頃な岩を探した。運が良いのか悪いのか、そんなに苦労しないで見つかった。

 僕は鞄に忍ばせていた、丸くて黒い石を手に持つと、大きく息をすってから、思いっきり岩にぶつける。すると、設計通りに砕けてくれた。


 黒曜石を使った打製石器。それは人類原初の刃物。


 こういう不意の遭難時に使うために設計した物だけども、秘匿性の高い刃物を携帯していたことに変わり無くて。……正直職務質問される度に良心にちくちく来てました。本当にごめんなさい。


 次に鞄からペンケースを取り出して、中のステープラーに手を伸ばした。ステープラーから金属パーツを外すと、このために用意した鍵穴の形をした突起が表れる。

 それを即席の黒曜石刃に嵌め込み挟んで、ビニールテープでぐるぐると巻き込んで固定して、テープを歯で千切る。

 仕上げにマルチツールからヤスリを取り出して、刃の部分を気持ち程度に磨いて……と、ほら。即席ナイフの完成。


「うん、いいね」


 雑草くらいなら簡単に切れる。刃物があるというだけで、サバイバルの難度はぐっと下がり、安心感はぐっと上がる。


 サバイバルの難度は下がったと言えど、未だに油断は出来ない。小動物とか蛇とか、なんかそういうのならこのナイフでどうにか出来る。

 だけどまだ足りないものが二つもある。火と水だ。火はどうにでもなるとして、まずは水を探したい。


 でもその為には森に入る必要がある。遭難した時って、その場で動かず救助を待つという方法を推奨されることも多いけども……。

 まあ、ここに来た経緯が経緯だし、何よりも……ね。


「青い血、かー……」


 ナイフを作っている最中に親指を軽く切っちゃって。でも傷口から出るのはそういう、人外じみた血液で。ちぱっ、と舐めてみたけどそこは変わらず鉄分のお味。

 これだけで自分が「異世界転生」した、と判断するのは充分だと思う。いや、正確には転移だろうか。


 まあどちらにせよ、断わりもなくこんな僻地に飛ばされたのなら、元凶が何にせよ……まあ、まともな救助は期待できないと思った訳で。

 そんな考えを巡らせながら、森を散策して早1時間。


 この腕時計が無事なのは心強かった。時間がわかるのはもちろん、それ以上に思い出の品を失くさなかった事が不幸中の幸いだった。


 不幸中の幸い中の不幸として、この一時間森を探してみたけど、水の気配は一切しない。目視はもちろん、音もしなければ匂いもしない。


 というより、どこかこの森に不自然さ、違和感を覚えていた。不気味だ。生命の気配ですら感じない。虫は鳴かないし動物の足跡や糞尿も見当たらない。

 本当に「森」という存在が、ただここにあるだけ。木々のさざめきだけが響いて、他には何もない。何度でも言おう、不気味だ。


 しかし、そんな時間も決して無駄ではなかった。大体3時間程歩いた結果、なんと僕はついに「水源」へと辿り着いたのである!


 ……そう、自動販売機に。


「確かに自動販売機は水源っちゃ水源だけどさ~! そうじゃなくてさ~! ねぇー!」


 膝を地面に付け文字通りに頭を抱えながら天を仰いだ。今まで気を張っていたのがもはや馬鹿馬鹿しい。せめてこれくらいはさせてくれ。


 自動販売機と言っても日本の様々な物が買えるそれとは違い、海外式の古めかしくアンティークで、商品一つに特化したものだった。これはどうやら日本酒の酒樽をモチーフにしているらしい。


 背面の四角いプラスチック製のパーツには「SAKE」の文字と、走る忍者の様な丸いアイコンがぷっくりと盛り上がっており、それらを白熱電球の暖色光が、背後からほんのりと彩っていた。


 ねじり鉢巻のような装飾と左右から飛び出るちまっこい木槌からデザイナーのお茶目さが伝わってきてすごくムカつく。


 肝心の本体は、酒樽を前から押し潰した様な楕円形。上面に硬貨投入口や電子カード決済端末のような物があり、前面には「極上一献」「純米大吟醸」と力強い筆文字を脇に、中心には「猿飛清汲」なる文字が描かれた、ラベルを模した白銀色のパーツが鎮座していた。


 最後の四文字だけ馴染みがないけど、それ以外は意味がわかる。この異世界でも、例に漏れず日本語が使われているらしい。これがわかったのはとても素敵な事だ。


 それと同時に、この異世界の文明レベルが根本からわからなくなった。はいはい素敵素敵。助けて。


 なんて自動販売機の前で途方に暮れていると、不意に「彼」から声をかけられた。


『サ~ルトビセ~イク~♪』


「うっせぇ! ぶちとばすぞ!」


 自動販売機に歌で煽られるなんて滅多に出来る経験じゃないぞ。出来れば一生経験したく無かったけど。ってか歌う機能要らんだろ、なあ。


「……あれ?」


 自販機のラベルパーツが開いてる事に気づいた。おそるおそる前に引いてみると、中には瓢箪を模したボトルが入っていた。もしかしてここが受け取り口なのだろうか。


「『お子さま向けの甘酒タイプです』……ってやかましいわ」


 ボトルの前面には自販機にもあった忍者のアイコン。背面にはなんかすごく見た事のある成分表示。


●分類:Perk-a-Billity●品名:甘酒●原材料名:甘酒(米、米こうじ、食塩)、パークリキッド、リーチングリキッド●内容量:500ml●賞味期限:該当せず●保存方法:自由●販売バン:ポン●製造バン:ポン


サルトビ・セイク

機能表示(一口のみで発動)

●移動速度上昇

 ニンジャのごとき素早さを得たいときに。

 これを飲めば並大抵のオーマは貴方に追い付けません。

●二段ジャンプ

 憧れの二段ジャンプが貴方の足に。

 高所を取ってド腐れ外道どもを一方的に屠ってやりましょう。


●開戦後はすぐにお飲み……


 ……になんか明らかにおかしい物が紛れ込んでいる。移動速度上昇はどうでもいいけど……二段ジャンプ? うーん……二段ジャンプねぇ……ふーん……。


「なむさんっ」


 と言いつつぐびりと。喉が乾いてたのもそうだけど……僕の中に残る小学生男児が二段ジャンプの魔力に抗えなかった。あとあたりまえだけど甘酒で喉は潤せなかった。

 息を整えて……よし。


「ほっ」


 まずは一段。


「はっ!」


 次に二段……! まさか本当に二段ジャンプ出来るなんて!


「ぶべっ!」


 そしてその勢いで自動販売機に顔面から激突した。痛い。もうやらない。


『……いやー、派手にいったねー。聞こえてる?』

「ふぇ?」


 声が響く。ただこう、はっきり聞こえないというか、トランシーバー並みの音質というか。


「えっと、一応聞こえてます。えと、どちらにいらっしゃいますか? あいにく、僕からは視認出来なくて……」

『これはご丁寧にどーも。自販機の上だよ』


 と、言われて素直に顔を上げると、そこにはワンピースを着た青髪の少女が、足を組みながら座っていた。


 ……ただし、幽霊のように半透明な姿で。


「うわぁあぁあああぁあっっっ!」


 腰を抜かしながら高速で後ずさり。そして後頭部に木の幹がごつり。

 晴れて顔面と後頭部が平等に怪我を負ったのでした。つらい。


『そんなに驚かなくても』

「そう言われても」


 と言いながら立ち上がる。彼女はいつの間にか自動販売機から降りていた。


 背丈は僕よりすこし低く、透き通った青色の髪に、これまた青色のリンゴをかたどった髪飾りがしてある……ようにみえる。というのも、彼女の姿は半透明な上に、どうもノイズだらけに見えるのだ。


『ひとまず、状況だけ説明するね。今の君はちょーヤバい状況』

「すごい、この上なく分かりやすい」

『そう、だからなるべく早くここから抜け出す必要があるの。協力してくれる?』


 と彼女は言うと、先ほどの自販機を指差した。程なくして自販機のちょっと上に青い光球が現れると、その光は四角い小さな何かにまとまって、自販機の上にぽとりと落ちた。


「えっと、これは?」


 と、それを手に取りながら彼女に問いかけようとした。


『……』


 その一瞬。ほんの一瞬だけ。彼女の蒼い瞳には、無機質で鋼鉄のような冷たさが宿っていた。

 その小さな瞳に、諦めと決意、不安と覚悟。相反する感情が彼女の中で渦巻いている様にさえ見えた。

 不思議な感覚だ。僕もそんな彼女の瞳に気圧されつつも、見惚れてしまっている。


『……ん、ごめんね』

「あっいえ! 大丈夫です!」


 ……戻った。何かあったのだろうか?


『すっごく申し訳ないんだけど……』


 と言いながら、彼女は自販機へと向かうと、筐体を小突いた。


『サ~ルトビセ~イク~♪』


 ごとん、という音と高らかな歌声と共に再び自販機のロックが外れる。


『これ、もう1本飲んでくれない?』

「えっなんで」




「うっげ、お腹たぷたぷ……」

『ごめんね、これでもまだ無理してる状態だから……移動しながら説明するね』


 彼女がそう言うと共に、突如として眼前に文字が現れる。


【Loading the Simplified-Angelaverse-Network-Interpreter】


 それが数秒だけ表示されると、視界の左上から右下にかけて、順に何かが描写されていく。程なくして、それがいわゆるHUDの役割をしているのに気づいた。


「簡易的で悪いけど、無いよりマシだから」


 と、気づけば彼女の声も若干クリアになっている。


「ははは……まるでゲーム画面みたいですね」


 なんて冗談めかして言ってみると。


「そりゃそうよ。『見るだけで理解できる画面』を考えていくなら、行きつく先はゲームのそれと大して変わらないものよ?」


 と、帰ってくる。彼女によると、あの飲み物を経由する事で、僕の脳ミソと彼女の間に一時的な通信回路を開いているらしい。


 ……この世界がファンタジーなのか現代なのかで揉めている所に、唐突なサイバーパンクで殴られた気分である。


 ともかく、この異世界では自分の常識が通じにくい世界だという事を身に沁みて理解した。正直、調子が狂う。




 そして今。僕は彼女の指示通りに移動しながら説明を受けている。

 自動販売機を離れた時点で彼女の姿は見えなくなってしまったが、代わりに無線で会話をしている状態だ。


 彼女が喋っている時はHUDの左上にある、彼女の事を示す、青色リンゴのアイコンがちょっと光る。ゲーム用のボイスチャットみたいな。


「それで、これはなんなんでしょうか?」


 と、先ほど出力された「四角い小さな何か」を持ちながら問いかける。


 真っ黒なプラスチック製でスマートフォン程の大きさだが、それよりかはかなり分厚い。右下には回転できそうなグリップ型の部品、左下には7セグメント、要するにデジタル数値表示器が3桁分ついている。その数値は256と表示されており、これが何を意味するかは今のところ全然わからない。


「そのグリップを開いてみて」

「えっと、こうですかね」


 と、開いた瞬間に僕はこれの正体に気づく。グリップに隠されていたトリガー、そのグリップも開いた状態で固定される事で「ピストル」としての形になったのだ。


「……ピストル、ですか?」

「そう。ピストル」

「あの、銃なんて僕撃った事無いんですけど」

「日本じゃ撃つこともないからね」

「……日本を知ってるんですね」

「そりゃもちろん。あ、それはShiranui 8Bit。初心者向けの拳銃で、狙いをつけて引き金を引くだけの簡単設計だよ」


 試しに近くの木に向けて照準を合わせてみると、HUDに「照準の合わせ方」が映し出された。さながらゲームのチュートリアルだ。


「『先端の突起を手前にある二つの突起にはめこむ様に構える』……ね」


 そしてトリガーを引く。カチっというスイッチの音、更に何かが蒸発するような音と同時に青色のレーザーが放たれた。

 ……着弾点である木は、まるで抉られた様にへこみ、焦げていた。


「どう? 初めて銃を撃った感想は」

「おも、おもも、おもちゃじゃない……」

「そりゃそうよ」


 撃つまで、というか撃った後に焦げ跡を確認するまで銃型の護身グッズかと思っていた。大袈裟な光で目をくらませて逃げるものだとばかり。そもそも撃ったのに、反動がまるで無かったのだ。


「こ、ここ、こ、怖い……ひ、人を殺さなきゃいけないんですか……?」

「そこは安心して。なぞのいせかいぱわー! で人間には当たらない様にしてるから」

「え、じゃ何の為に」

「うわぁ急に冷静になるな」


 なぞのいせかいぱわーも気になるっちゃ気になるけど、人を撃たないなら何の為に銃なんて……あ。


「つまり、モンスターとか、ゾンビとかですかね」

「正解。そういう人間に敵対する生物を、この世界ではまとめて『オーマ』って呼んでるの」

「素直にモンスターで良いじゃないですか」

「理由は色々あるけど、一番は学術的な定義付けかな。この世界は『向こう側』と地続きだから分けないとと面倒。って感じで、研究者がつけた名称が定着しちゃって」


 あー……まあ、悲しいけどそういうこともある。仮として定義していた物が定着し、後々の研究で真逆だったなんて判明した事例もある。

 ……ただ、今の会話で一つ、気になった言葉があった。


「……ところで、『向こう側』とは?」

「あっ! えっと……うん。君の、その、生前の世界」

「……」


 まあ、なんとなくそんな予感はしてた。彼女の声からも「やってしまった」という気持ちが伝わる。

 でもこうやってはっきり言われると、悲しくなる。やっぱり、僕は死んでしまっていたんだ。


「……ごめんね」

「謝らないで下さい。貴女のせいではないので、責任を感じる必要はありません」


 でも、むしろそう言われて吹っ切れた気がする。そうかぁ……やっぱり異世界転生なんだなぁ、と。


 色々な人と話題を合わせるために、僕は色々な本や漫画を読んだ。その中にはもちろん異世界モノもあった。


 だから、ここに来たときから覚悟はしていた。していたはずなんだ。


「……でも、でも。でぎれば、もっと。もっと人の役に、立ちたがっだ……!」


 堪えているのに、涙が溢れてくる。銃を持たなければならない程に、いつでもモンスターに襲われかねない世界。

 視界の確保は大事だ。大事だと、わかっているのに……。


「……今、何か食べたい物はある?」


 と、彼女から質問される。


「特に、何も……」

「本当になんでもいいの、奢ってあげる。だから……」


 希望を捨てないで欲しい、と彼女は言いたかったのだろうか。消えゆくような声色と、彼女の気遣いに、僕は応えなければいけない。そう思った。


「たらこソースの……スパゲッティが食べたいです。気負いしないような、ごく普通のファミレスの、ごく普通のスパゲッティ」

「わかった、ちゃんと覚えておくよ」

「ありがとう、ございます……それと、もう一つ」

「なぁに?」



「甘酒で、喉がぺとぺとです……普通のお水を下さい……」

「……その、それに関してはマジで本当にごめん」





 彼女のナビゲートによって、ついに僕は森を抜け出した。抜け出した先にはなんと繁華街があった。


 ……一応言っておくと、街に続く道ではなく、繁華街そのものがあったという事である。


 森を抜けたらビルがドン。いきなりステーキでさえも、こんな入店と同時に顔面にステーキを叩きつけるがごとき所業はしないだろう。

 大自然と現代的な街が当然のように隣り合っているのだ。


「なんというか……やっぱりちぐはぐだなぁ」

「面白いでしょ?」

「そうかなぁ」


 そもそも、異世界の街と聞いて即座に中世ヨーロッパ風の建物たちを思い浮かべるのは、もしかすると悪い癖なのかもしれない。

 繁華街とは言うものの、実際のところは閑散としていた。この街では何があったのだろうか。電気も通っているようには思えない。


「……おえっ」


 と言うのも、あちらこちらに青い液体が飛び散っていて、腐敗臭を放っているからだ。明らかに何かが起こった後、としか形容しようがない。


「あと少しだから、頑張って」

「頑張ります」


 彼女に励まされつつ、程なくして集合場所である噴水らしきの前へとたどり着いた。

 周りがビルだらけなのに、噴水の周辺だけめちゃ広い。目立って分かりやすい。


「それで、ここからどうすれば」

「その前に」


 と、彼女は僕の言葉を遮った。


「いい? 私達は貴方を絶対に助ける。だから最後まで……諦めな……で欲しいの』


 雑音まみれの通信……接続が切れかけているのは容易に想像できる。これはちょっと、しんどくなるかもしれない。


『いい、通信が切れる前に大事な事を言うから良く聞いて』

「……はい」


『その銃は撃ちきった時に、上に嵌め込んである四角い青色のパーツが砕け散って音がなる。そうしたら、グリップの内側にある替えのパーツを同じところに嵌め込めばまた撃てるようになる』


「上というと、狙う時に覗く場所ですかね?」

『そう』


 見ると、前後の中間にちょうどそのパーツが確認できた。正方形の小さいパーツ。グリップの内側を覗いてみると、確かに、3個程の替えパーツがある。


「確認できました」

『えらいっ』


 えへへ。……じゃなくて。


『あとはその噴水の青色の水晶に触れれば、あとは噴水が勝手にやってくれる。でも、起動したらかなりの音がでて、オーマ……モンスターも誘き寄せちゃうの』


「大体何秒くらい耐えればいいんですか」

『……大きく見積もって1分』


 銃の横にあるデジタル数字を確認する。予想が当たっていればこれが残弾数のはずだ。


「255発……さっき一発撃ったからやっぱりこれが……」


『多く思えるかもしれないけど、油断しないで。当たらない事もあれば、一発で倒れない事もある。君は訓練を積んでない一般人という事を絶対に忘れないで』


「……はい」

『あとは……幸運を祈って――――』


 彼女の言葉が届く前に、通信は途絶えHUDは消えてしまった。




「すぅー……はぁ……」


 深呼吸するも一人。……あぁ、一人ぼっちが実はこんなに苦しいものなんて、知りたくもなかった。


 呼吸を整える為に、噴水を背もたれにしながら地べたに座る。くりぬいたように開けた場所に、噴水と僕だけ。多分、この静寂も、始まってしまえば潰えるものなのだろう。


 噴水自体は特に何も言うことはない。陶器製のオーソドックスなヤツ。「枯れた噴水」とは聞いてたけど、寂れているようには見えない。むしろ、新品同様に真っ白できれいな状態。

 噴水の縁には何個かの青い宝玉がはめ込まれていた。どれかに触れば事が始まるのだろう。深く呼吸を整えながら立ち上がって、おもむろに、触れる。


『ゲート解放のリクエストを送信しました。』

『注意:圏外です。エンジェラネットの機能が一部制限されているため、リクエストが正常に送られていない可能性があります。』

『管理者権限により、受諾されました。』

『ゲート解放までの推定時間:60秒。』


 無機質な音声と共に、淡々と読み上げられるシステムメッセージ。それと共に、噴水が起動し青い液体を循環させ、吹き出し始める。

 そして、明らかに周囲の空気が淀んだのがわかった。


『警告:敵性存在の接近を確認。リキッドの回収による起動加速を試みます。』


 機械音声と共に噴水の周りに現れたのは、大量のゾンビ達だった。


「……やるかぁ」


 腕時計のアナログな円盤をタイマー用にセットして、銃を構えた。




 この噴水の周りがなぜこんなにも開けているのか、その理由がわかった。囲まれる事が分かりきっていたからこそ、視界を確保できるように作られていたんだ。


 ただ、まあ、どう見てもこの量は一人で対処するのを想定していない。動きはノロマだと言え、明らかに数が多い。


 それに加えて――――


「火力が足りない……!」


 このピストル、確か8bitって名前だったっけ。明らかに威力が足りてない。10発当ててようやく1匹倒れる。

 しかも手ブレで何発か外しているから、それを加味すると実際の必要弾数はもっと多くなる。見た目に違わず緊急用、という事だろうか。


「ならばッ!」


 僕は「狙う」事を止めて「撒く」事にした。幸いにも当たったときの衝撃はバカに出来ないらしく、動きを止めることは出来るのだ。


 つまり、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たなんとやら。頭を撃つより胴体の方が的がデカイぶん当たりやすい。


 ……もちろん、弾はみるみると減っていく。そうか、その為にこんなに弾があったのか……と妙に納得している自分がいた。


「――っ!」


 パチンッ、と音を立てて青色のパーツが排出された。弾切れ、つまり弾の補充をしなければならない。


 心の中では常に冷静を保っている。そのつもりなのに、体は言うことを聞いてくれない。


 手が震えてグリップから替えを引き抜くのも苦労する。へこみも正方形なのに、何故か上手く嵌まらない。


 時間と共に強くなる腐敗した血の臭い。ヤツらがこちらへと近づいているのはわかっている。

 だからこそ速く済ませなければならないのに――――


「しまっ――――」

 力みすぎた。手からピストルが弾かれ、ゾンビのもとへと滑り込んでいく。


 咄嗟にベルトから、最初に作ったナイフを取り出して構える。腕時計を見ると、残りは30秒。だがヤツらはもうすぐそこまで来ている。


「クソッ!」


 牽制のつもりで1匹を切り払う。よろめき、後ろに数歩下がるも決定打にはならない。


 冷や汗が流れる。鼓動が早まる。でも、僕は止まれない。止まっちゃいけない。


「くっ!」


 数匹を切った所で、後方のゾンビに気づく。つまりは逃げ道を完全に潰されたのだ。


 そして、それに気を取られた僕は、前方のゾンビが腕を振り上げた事に一瞬だけ気付くのが遅れた。


「――――かはっ!」


 鈍重な一撃を、左腕で受け止めようとした。その時、僕の目にはしっかりと、腕時計が砕け散った瞬間が映った。


 その勢いで吹き飛ばされ、顔面から地に伏せる。壊れた時計が指し示した、残り時間は、20秒。


「くっそ……」


 左腕の激痛、おそらく骨がやられたのだろう。右腕でどうにか這いずろうとしたが、この軽い体重でも、ろくに進めやしない。


「はぁ……はぁ……」


 もう、なす術はない。全て出しきってしまった。


「はぁっ…………はぁっ…………」


 呼吸が浅くなりながら、右腕の力を振り絞って、体を仰向けにする。あの世の癖に、なんて立派な青空だ。


「ちくしょう……」


 まぶたが、自然と落ちて行く。まるで二度目の死を受け入れるかの如く。

 頭は冴えているのに、体が追い付かない。僕は彼女に、諦めないと約束したのに。


「あぁ……くそっ、名前すら、聞けてねえじゃんか……」


 今更ながら気付く。あんなお人好しの名前すら聞けてない……。あの世で死んだらどうなるんだ? 消滅するのか?


「ははは……」


 涙がこぼれた。泣いているのは体の痛みなのか、心の痛みなのか、もはやそれすらもわからない。


「あー……」


 青く、ただひたすら青い空を見て、僕はゆっくりと目を閉じ――――


『起動プロセス完了。ゲートを展開します。』

「……え?」


 その言葉に思わず顔が噴水へと向く。無機質な機械音声と共に、噴水の上に先ほどまで流れていた青い液体が集う様子が見える。

 液体が集まる度に空間が歪んでいき、次の瞬間――――


 弾けるように、色とりどりの光が飛び出した。

 いや、光じゃない。なら鳥か? 飛行機か? スーパーマンか?


 ……いや、人間だ。まるで型にはまらない、十人十色と言う言葉が痛いほど相応しい、人間達だ。


 礼服を着こなし整った白ひげを蓄え、サブマシンガンで武装した執事。サングラスを付けヘッドホンを首にかけながら、ニヒルな笑顔と共にレコードをぶん投げてゾンビを切断するDJ。黄と赤の衣装を身にまとい独特なポーズと共にゾンビ共を粉砕する赤髪のピエロ……など。明らかに戦闘向けでない服装の人間さえ混じっていた。


 でも、その瞬間だけ、自分が命の危機に晒されている事でさえも忘れていた。個性の氾濫、押し寄せる情報という波、それを処理し続ける快感に、流されるがまま。



 あちらこちらで爆発がおきたり瓶が割れたり爆音で音楽が流れたりと騒がしいが、そんなことより窮地から脱したという事実を未だに受け入れられなかった。


 と、気を抜いたほっぺにひんやり冷たい物が当たる。


「ほら、お水」


 先ほどの少女がそこにいた。彼女の顔をみた瞬間、緊張の糸がぷつりと切れた。両目から涙がこぼれ落ちる。


「お疲れ様。本当に良く頑張ったよ。そのおかげでちょっと早めにゲートを開けられたからね」


 彼女の手のひらが優しく涙を拭う。胸の中がほわっと優しく、暖かくなる。

 長い間忘れていた感覚。目を閉じて、僕はそれをしっかりと噛み締めるように……


「ふんぬぬ」


 ……してる間、彼女は、間抜けな声と共に僕の体を引きずって、噴水を背もたれにするように起こした。

 

 彼女が差し出したペットボトルは、一口で2/3も減ってしまった。


「左腕、大丈夫?」

「あ、ええと……動きはしますけど、下手したら骨にヒビか何か入ってるかもしれないですね」

「なるほど、治療の準備をしとくね」

「ありがとうございます」

「いやいや、こんなの当たり前だよ~」


 なんて、ちょっとはにかみながら嬉しそうにそう言う。


「ここに来る人って、みんなこんな経験するんでしょうかね」

「いんや、君みたいなのが特別」


 彼女は僕の隣にちょこんと座った。


「たまーにあるの、こういうこと。私たちが想定してる範囲の外側からこっちに来ちゃう人。特に君みたいな、通信圏外の場所にそういう子が出ると焦っちゃうのよね」

「通信圏外……」

「この世界だとここで通信が途切れるとね、最悪死に至るから。だからまず先に安定した通信を確立する必要があったの」


 そんなに。だから甘酒をあんなに飲まされ……てか、本当に危機一髪だったのか。僕は。


「あ、そーだ。すっかり聞き忘れてた」

「えっ、何ですか」

「君、名前は?」

「……忘れてた僕が言うのも何ですけど、普通こういうのって最初に聞くものですよね」


 そういうと、僕と彼女は不意に目があってしまう。そのきょとんとした顔。


 多分、僕も同じような顔をしていたのだろう。ぷっ、と彼女が吹き出すと、僕もそれにつられるように、二人で大笑いしてしまった。


「あはは……僕は、咲間 黒です。あなたは?」

「私はムイ。クロって呼んでいい?」

「どうぞご自由に、ムイさん」


 その後は銃声が響きゾンビが掃討される中で、何をするでもなく、二人並んで事が終わるのを待っていた。


「……この世界って不思議ですね」

「そう?」

「みんな、どことなく生き生きしてるんですよ。まるで、この状況を楽しんでいるかのような……」


 青い血にまみれながら。怪物と相対しながら。それでも彼らは不敵な笑みを絶やさない。恐れを知らず、無邪気に踊る。


 これまで僕が見てきた、この何もかもがアンバランスな「世界」。もっと、この世界を知りたい。そう思った時、不意に自分の口が動いた。


「……この世界って、一体何なんですか?」


 それを聞いた彼女は、クスリと笑ってから立ち上がって、こう答える。


「ここは心の終着点、最後の世界」


 彼女は右手を僕に差し出しながら、こう言ったのだった。


「ようこそ、ラスールへ」

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