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死の連鎖

朝の光が障子越しに柔らかく射し込んでも、屋敷の空気はどこか重苦しかった。

食堂に集まった顔ぶれは皆、昨夜の出来事に言葉を失っている。


「……佳乃さんの件、やっぱり事故じゃないよね」


ぽつりと誰かが呟いた。その一言が、場の緊張を一気に高める。


「それは……断定できないにしても、極めて不自然だ」

蓮が口を開く。手元のノートには、彼なりの簡易的な死亡推定時刻と、遺体の状態が記されている。


「胃の内容物、嘔吐の跡、そして倒れ方……。これは、かなり典型的な急性中毒の症状です」


「なんでそんなことが分かるの? 医者でもないのに」


そう問い返したのは、中原だった。彼の目はどこか疑うような光を帯びていた。


蓮は静かに答える。


「僕は……以前、警察官を目指して警察学校に通っていたことがあります。

そこで一通り、毒物に関する講義も受けました。

特にヒ素中毒の兆候は、当時の授業で印象深く覚えていたんです」


一瞬、沈黙。だがそれが、逆にその場の空気を引き締める。


「ヒ素……だって? 冗談じゃない……。そんなものをこの屋敷に?」


「確証があるわけではありません。ただ、症状と合致している可能性が高いというだけです」


「じゃあ、そのヒ素はどこから? 誰が手に入れたっていうの?」


環が怯えた声でそう言うと、誰も答えられなくなった。


(全員に可能性がある……)


蓮はテーブルを囲む面々を順に見渡す。

誰もが怯えている。だがその奥にある――**“見せたくない感情”**を彼は探っていた。



その後、蓮は一人、佳乃の部屋を再度訪れる。

警察に連絡を取ろうとしたが、電話線は何者かによって切られていた。携帯も圏外。

“偶然”とは呼べない状況だった。


ベッド脇のキャビネットから、未使用のメモ帳が出てきた。

表紙の裏に、細い筆跡でこう記されている。


「冴に話すべきか迷ってる。証拠を掴むなら、裏の物置を確かめるしかない」


(冴さんに話せなかった“何か”がある……?)


物置。屋敷の裏手にある、古い蔵のような建物のことだろう。

昨夜、誰かがそのあたりに向かって歩く姿を、ぼんやりと見た気がする。


(誰だ……あの時の影……)



午後になり、中原が荒々しい声を上げた。


「俺のノートに触ったの、誰だ!!」


食堂の空気が一変する。中原は怒りに顔を歪めながら、自分の机の上のノートPCとメモ帳をかき集めた。


「中を見た形跡がある。元に戻したつもりかもしれないけど、甘いんだよ、素人がやることは」


「なにを書いていたんですか?」

蓮の問いに、中原は渋々答えた。


「……田嶋佳乃のことだ。少し話したことがあってな。

“冴とは昔、因縁がある”って言ってた。詳しくは話さなかったが……男の話かもしれない」


「……っ」

冴の肩が微かに揺れた。


だが何も言わず、顔を伏せる。


(動機の候補者に挙がる……けど、冴がやったと断定するには早い。誘導されている可能性もある)


蓮はそう考えながらも、心の奥に小さな違和感を残していた。



夜。蓮は自室でメモをまとめていた。


◆田嶋佳乃の死因:急性中毒(状況的にヒ素の可能性高)

◆電話線切断:明確な意図

◆メモ帳の記述:「冴に話すべきか」→何を?

◆裏の物置(蔵)→何が隠されている?

◆ノート閲覧→犯人は情報収集している

◆冴の反応→ミスリードか、真相か

◆夜の足音→誰かが動いていた


(……犯人は、この中にいる)


静かな夜の中、再び微かな物音が廊下から聞こえてきた。


廊下の板が、キィと鳴った。

蓮はそっとドアを開け、暗がりの廊下に目を凝らす。


(誰かが移動している?)


微かな足音は、客間のほうへと向かっていた。

蓮は足音を忍ばせながら、距離を取ってその後を追う。


ふと、足音が止まった。

数秒後、襖の影から中原が姿を現した。


「……お前もか。ついてきたのは、俺だけじゃなかったな」


中原は声を潜めながら、ふっと笑った。


「さっき、誰かが裏庭のほうへ出ていくのを見たんだ。気になって追いかけていたんだが、見失った」


「裏庭……蔵のあるほうですか?」


「そうだ」


言葉を交わした瞬間、二人は同時に顔を見合わせる。

佳乃のメモと、冴との因縁――そこから推測される、何かが“蔵”にあるという確信。


(ただ、冴の一挙手一投足が目立ちすぎている……違和感だ。目立ちすぎるのは、誰かの意図か?)


蓮は、部屋に戻る前にわざと足を引きずるような音を立てながら廊下を歩いた。

誰かが聞いているとすれば、安心させるためだ。



翌朝。蔵にはまだ立ち入っていない。

そのことが全員にとって、無意識の圧力になっていた。


朝食の場は、昨日よりも張り詰めていた。

蓮は静かに全員を見渡す。


その視線の先で、絵里がスプーンを握りしめたまま俯いている。

顔色が冴えない。昨夜から明らかに様子が変わっていた。


「絵里さん、何か気になることがあったら話してくれませんか?」


蓮が優しく声をかけると、絵里は一度躊躇し、ふと視線を巡らせた。


「……昨日の夜、誰かが書斎に入っていくのを見ました。音で目が覚めて、廊下から少しだけ覗いたんです」


「誰が?」


「それは……よく見えなかったんです。でも、背が高くて、肩幅が広めで……」

彼女は一瞬、中原を見たようにも見えた。


「……でも、確信はないです。私の思い違いかもしれません」


「思い違いじゃないかもしれない」

口を開いたのは、元医者の館林だった。


「私は夜中にトイレに行こうとして、階段の踊り場で誰かとすれ違った。

その人、絵里さんが言った特徴と似ていた。服にほこりがついていたのも見えた」


「ほこり?」


「ああ。まるでどこか埃っぽい場所に入っていたような……」


一瞬、空気が凍る。“蔵”の存在が全員の頭に浮かんだ。


だが中原は表情を変えず、淡々と箸を置いた。


「……俺じゃない。何なら部屋に鍵をかけていた。冴も知っている」


「ええ。夜、部屋の前で話したわ。たしかに鍵を閉める音がしていた」


冴がすかさずフォローを入れる。


(完璧すぎるタイミング……中原を庇った? それとも……誘導?)


だが蓮はここで“冴が怪しい”とは口にしない。

むしろ――別の“見えない手”が状況を動かしているように感じていた。



その日の午後、篠崎蓮は裏庭に出て、蔵の外観を改めて見つめていた。

古びた木製の扉、軋む鉄の留め具、苔の匂いがする石畳。


(誰かがここに“何か”を隠した。だがそれは殺意の結果か、恐怖の産物か)


その時、蔵の裏手に動く影が見えた。


(誰だ……?)


追おうとしたが、すぐに姿は消えた。


その人物は、焦るような足取りで、蔵の裏手から離れていった。

地面には小さな足跡。湿った土に残されたそれは、絵里のスリッパと酷似していた。


(……偶然? いや、足跡がくっきり残るこの土の状態を知っていてあえて歩いた……?)



その夜、探偵の部屋の机の上に、折られたメモが置かれていた。


「この中にもう1人、嘘をついている人がいます」


筆跡は、昨日の絵里のメモと似ている。


(絵里……なぜ、匿名で警告を? それとも、これは“罠”?)


青木蓮の中で、容疑の円が大きく拡がっていた。


そしてその影は、冴だけではなく、他の者にも確かに向かっていた。


翌朝。薄曇りの空の下、屋敷の空気は冷え切っていた。

昨日の佳乃の死は、誰もが心に影を落としていた。

だが、屋敷の中では一見いつもと変わらぬ朝食の支度が進められていた。


篠崎蓮は、静かに全員の様子を観察する。

表情には、深い疑念が隠されている。


「佳乃の死因は、毒殺の可能性が高い。特にヒ素の疑いがある」

昨夜の館林の元医者としての経験が、皆の耳に新たな緊張をもたらした。


「ヒ素……そんな毒が……」


絵里が震えながら口をつぐむ。

中原は冷ややかに皿を叩きつけた。


「誰かがこんな毒を使うとは……おぞましいな」


だが蓮は、冴の様子を細かく見ていた。

彼女は何かを隠しているのか、それとも自分自身も恐怖に揺れているのか。



午前中、屋敷の者たちは誰もが警戒心を募らせ、言葉数は少なくなっていった。

蓮はふと、皆の飲み物に目を向ける。


「昨日、佳乃は何を飲んでいた?」と聞くと、絵里が答えた。


「紅茶を出したのは私です。彼女は午後に、蔵で見つけた古い日記を読んでいました。紅茶はいつも淹れていましたが、昨日は特に味が違ったと佳乃が言っていました……」


その言葉に、館林が顔を曇らせる。


「ヒ素は無味無臭で、長時間でも気づきにくい。紅茶に混ぜられていたら、気づかないこともある」



昼下がり、屋敷の外で突然、絵里が倒れ込んだ。


「な、何……?」

中原が駆け寄るが、彼女は口を押さえて苦しみ出す。


館林が急いで駆け寄り、脈を確かめる。


「これは……ヒ素中毒の典型的な症状だ」


「なんで……私まで……」


絵里はかすれ声で言うが、その目には恐怖と疑念が混じっていた。



蓮は急いで屋敷に戻り、電話をかけようとしたが――

電話線が切断されていることに気づく。


(誰かが意図的に連絡を絶とうとしている)


山奥のこの屋敷からは、携帯の電波も届かない。


逃げ場はない。

全員が、この閉ざされた空間で生き残りをかけた心理戦に巻き込まれたのだ。



夜。屋敷は静まり返り、だがどこか張り詰めた空気が漂う。

蓮は個室に戻り、机の上で佳乃の遺した日記を見つめていた。


そこには、この屋敷の過去と、因縁を示唆する記述があった。


(復讐の幕が、確かに上がったのだ)


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