招待状
それは、何でもない招待状から始まった。
和風の屋敷、閉ざされた山奥、そして集められた“選ばれた人々”。
明るい探偵が笑い、元医者が静かに推理し、誰かが殺され、誰かが隠す。
本作は、ミステリーとサスペンスが交錯する物語です。
物語の中に伏線が張り巡らされ、登場人物たちの“思い”や“秘密”が、静かに、しかし確かに浮かび上がっていきます。
殺人の動機とは?
正義とは?
復讐とは?
最後まで読んでいただけたなら、その問いに、あなたなりの答えを持ってもらえるはずです。
五月の光が差し込む編集部の一室。
青木蓮は机に広げた原稿用紙に目を落とし、ペンを持つ手を止めた。
28歳。痩せてはいるが、筋肉の線がしっかり見える細身の体。
彼の鋭い目は、日常の些細な出来事も見逃さない観察力の持ち主だ。
「また今日も、表のニュースばかりか……」
独り言をつぶやきながら、彼はかつての夢を思い出した。
警察官になることを目指しながらも、道を断念し、マスコミの世界へ身を投じた過去。
「だが、事件の真実はいつも表に隠れている。俺が見つけてやらなきゃな」
そんな彼のもとに、一通の封筒が届いた。
和紙の封筒は、封が丁寧にされていて、開ける前から柑橘系のさわやかな香りが微かに漂った。
「なんだ、この匂いは……?」
蓮は鼻先に封筒を近づけ、深呼吸をした。
差出人の名は「藤堂冴」。まったく見覚えのない名前だ。
封を切ると、中には整った筆跡で書かれた招待状があった。
⸻
青木蓮様
あなたの洞察力と観察力を試す機会を提供します。
私の屋敷にお越しいただければ、隠された真実を目の当たりにできるでしょう。
住所を記しましたので、どうかお越しください。
⸻
蓮は一瞬考えた。
だが、心の奥底で刺激されるものがあった。
「俺の力が、試される……か」
翌朝、青木蓮は眠い目を擦りながら身支度を整えた。
普段は都会の雑踏に揉まれているが、今日はいつもと違う静かな空気が彼の胸をざわつかせていた。
「この招待、ただの遊びじゃない。何かがあるはずだ」
彼は小さなボストンバッグに最低限の荷物を詰め込み、最寄り駅へ向かった。
電車に揺られながら、窓の外に広がる緑の山々に目をやる。
やがて列車は都市部を抜け、田舎の景色に変わる。
家々はまばらになり、深い森が迫ってきた。
「まさか、こんな山奥とはな……」
バスに乗り換え、細い山道を蛇行しながら進む。
空気は澄み、湿った土の匂いが鼻をくすぐる。
辺りに人の気配はほとんどなく、ただ鳥の鳴き声だけが響く。
数十分後、深い森の中に忽然と姿を現したのは、歴史を感じさせる巨大な和風屋敷だった。
黒い瓦屋根は苔むし、木製の外壁は時を経て色褪せている。
長い石畳のアプローチの両脇には、苔むした石灯籠が立っている。
蓮は息を飲んだ。
「ここが、あの藤堂冴の屋敷……」
重厚な木製の引き戸を押し開けると、ほの暗い玄関に冷たい空気が流れ込んだ。
どこか柑橘系の香りが微かに漂い、蓮はそれが招待状の封筒の香りと同じだと気づいた。
屋敷の奥から、既に数名の人影が見える。
玄関をくぐると、広い畳敷きの大広間が目に飛び込んだ。
そこにはすでに9人の男女が集まっていた。
蓮は一人ずつ顔を見渡した。年齢も職業もバラバラだ。
皆、どこか影を背負っているように見えた。
「まるで、ここに集まった誰もが何かを隠しているみたいだ」
その中の一人、初老の男性が蓮に軽く頭を下げた。
「青木さんですね。ようこそお越しくださいました」
彼は元医者で、穏やかな口調だが、どこか神経質な様子があった。
蓮はすぐに観察眼を働かせ、彼の指先のわずかな震えを見逃さなかった。
他の招待客もまた、それぞれ独特な雰囲気を持っていた。
柔和な女性、物静かな青年、そして一人だけ落ち着かない様子で辺りを窺う男もいた。
そこへ、静かに戸が開き、藤堂冴が現れた。
彼女は凛とした佇まいで、華やかな柑橘系の香水の香りを纏っている。
その目は冷静で鋭く、まるで全てを見透かすかのようだ。
「皆様、改めましてようこそ」
その声は低く、しかし一言一言に重みがあった。
「この屋敷は、私の先祖から代々受け継がれてきたものです。
しかし、その歴史の裏には誰も知らない秘密が隠されています」
場の空気が一気に張り詰める。
「今宵、その秘密を巡る物語が始まります。
どうか、皆さんそれぞれの立場で真実を見極めてください」
そう告げると、彼女はゆっくりと大広間の隅にある古い箱を指さした。
蓮はその箱をじっと見つめた。
蓋はわずかに開き、埃が舞っている。
どこか匂い立つような、懐かしくも不穏な空気がそこから漏れていた。
「この箱が、鍵……か」
蓮の胸の中に、興奮と不安が入り混じった。




