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第三話「壊された平穏」

夜の帳が降り、村はいつもと変わらない静けさに包まれていた。セルディは寝床で目を閉じ、眠りに落ちようとしていた。家畜たちの低い鳴き声が遠くから聞こえる。どこか穏やかで安心感に満ちた音だ。


だが、その平穏は突然の叫び声によって引き裂かれる。

「火事だ! 牛舎が燃えてる!」

耳をつんざく声とともに、どこか遠くから火の手が上がる。セルディは弾かれたように起き上がり、外へ飛び出した。


夜空を赤く染める炎。村の中心にある牛舎が燃え上がり、轟々と音を立てている。村人たちは総出で水桶を運び、消火に奔走しているが、火勢は収まらない。煙が空を覆い、息苦しいほどの熱気が辺りを満たしていた。


「セルディ、ここは危ない! 下がっていろ!」

隣人が叫びながら消火作業を続けている。腕には火傷の跡があり、額には汗が光っている。


「どうして……こんなことが……?」

セルディは混乱しながら炎の向こうを見る。動物たちの悲鳴のような鳴き声が聞こえる。村の誰もが家族同然に思っていた家畜たちが、この火事の中で苦しんでいるのだ。


「牛が……何頭かいなくなってる! ヤギもいない!」

誰かの叫び声が聞こえる。セルディの胸がぎゅっと締めつけられる。動物たちはただ火事に巻き込まれただけではない。何者かによって、この混乱に乗じてさらわれたのだ。


村外れの暗がり。セルディは逃げる二つの影を見つけた。誰かが動物を連れ去っている。セルディの体は無意識のうちに動いていた。


「待て! 返せ!」

叫びながら必死に走る。夜風が顔を叩き、足元の小石が飛び散る。息が切れるのも構わず、セルディは闇の中を駆け抜けた。


ようやく村外れの小さな倉庫で二人の姿を捉えた。馬車に動物たちを詰め込み、急いで縄を締め直している男たち。


「やめろ! 動物を返せ!」

セルディが声を張り上げると、二人は振り返る。一人は背が高く、もう一人はずんぐりとした体型。どちらも荒々しい雰囲気を漂わせている。


「なんだ、ガキが追ってきたのか」

背の高い男が薄く笑う。「兄弟、どうする?」

「命令どおりだろ。ガキには手を出さない。ただ、余計なことすりゃ痛い目見るぞ」


セルディは怒りを抑えきれず、動物たちに近づこうとした。だが、背の高い男が前に立ちはだかり、拳を振り上げる。

「うるせぇ! 邪魔だ!」


殴り飛ばされたセルディは地面に転がり、体中に痛みが走る。必死に動こうとするが、体が言うことを聞かない。視界がぼやけ、遠くで聞こえる男たちの声も次第にかすれていく。


「この家畜どもは、食うために持っていくんだよ。おまえらの村じゃ肉なんて食わねぇんだろうが、俺たちには大事なもんだ」

「さっさと行こうぜ、兄貴。時間がねえ」


男たちが馬車を走らせる音を最後に、セルディの意識は闇に沈んでいった。


翌朝、村は静寂に包まれていた。消火活動は終わったものの、牛舎の跡は焼け落ち、家畜たちの姿も戻らない。悲しみに暮れる村人たちの間を歩きながら、セルディは拳を強く握りしめていた。


「こんなこと……二度と起きてほしくない」

つぶやいたセルディに、祖父が首を振る。

「そう思うのはわかるが、動物たちを救えなかった事実は変わらない。忘れるんだ。ここで静かに暮らしていれば、また平穏は戻る」


「……忘れる? こんなことがあったのに?」

セルディは祖父を見上げる。「次もまた、誰かが動物たちを苦しめに来るかもしれない。そのときまで黙って見てろって言うの?」


祖父は眉を寄せ、何か言いかけてから口を閉じた。


「僕は黙ってられないよ」

セルディは震える手で拳を握りしめた。「今のままじゃ、また同じことが起きるかもしれない。もう……誰にもこんな思いをさせたくないんだ」


少しの沈黙のあと、祖父が短く息をつく。

「……マーシャの手紙、か」

セルディは小さくうなずく。以前村を訪れた旅人マーシャが、自分に宛てた言葉を思い出す。

——外の世界を知りたくなったら、いつでも訪ねておいで。——


「あの地図の場所へ行ってみたい。この村も、動物たちも守る手段を知りたい」


祖父はそれ以上何も言わなかった。ただ、寂しそうな目で少年の背中を見つめていた。


その夜、村から離れた草原の一角。

チンピラ兄弟が馬車を止め、ローブをまとった依頼主を待ち受けていた。


「兄貴、本当にこんな金額もらえるのか?」

「ああ。この“()()”の対価だって言ってたからな。まったく変な連中だが、こんだけくれりゃあ文句はねえ」


やがて、ローブをまとった人物が闇の中から現れる。顔も年齢も分からない。

「ご苦労だった。任務は成功したようだな」

革袋が差し出され、兄貴分が中を確認する。

「へへっ……いいじゃねえか。これだけありゃしばらく遊んで暮らせるぜ」

「な、兄弟!」


しかしその直後、背の高い男が呻き声を上げて膝をついた。胸には短剣が深く突き刺さり、血が滲む。


「兄貴……! おい、何してやがる!」

弟分が叫び、飛びかかろうとするが、次の瞬間には喉を裂かれ、声も出せずに崩れ落ちた。

夜風が吹き、散らばった硬貨がじゃらりと音を立てる。



二人の遺体と革袋は、草原に無造作に放置されたままだった。

依頼主はその場を振り返りもせず、闇の中へ消えていった。静寂の夜は、すべてを覆い隠していくようだった。

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