第一話「正しき衝動」
本作品に登場する組織や思想、食文化に関する描写は、あくまで物語上のフィクションです。
現実におけるヴィーガニズムやその他の特定の思想・価値観を否定・貶める意図は一切ございません。
作品の舞台設定およびキャラクター同士の対立は、あくまでフィクションとしてお楽しみいただき、
多様な価値観が存在するという一つの可能性としてご覧いただければ幸いです。
夜の闇を裂くように、鈍い閃光が路地裏を照らし出した。
石畳に倒れ込んだ男の口から、低いうめき声がこぼれる。周囲には獣の血肉が残した生々しい匂いが漂い、濃厚な気配が鼻を突いた。
男は“ミートイーター”――動物を“食料”としか見ず、肉を奪うことを当然の権利だと信じている人間だ。
「……ふざけやがって……なんだ、その銃は……」
苦しげな吐息を漏らす男をじっと見つめる青年の名はセルディ。
彼はS.A.L.T.という組織に属している。正式名称は「Sanctum for Animal Life & Tolerance」――動物と人間が共存し、互いの命を尊重し合う社会を目指す団体だと謳われているが、その実態は過激な“啓蒙”を行う側面もある。
セルディの手には、漆黒の金属で覆われた“ヴィー銃”が握られていた。
撃たれた相手は次第に肉の味を忌避するようになり、動物を殺す発想を根こそぎ失ってしまうという、不思議な代物だ。
この銃はいったい、どういう理屈で動いているのか。
S.A.L.T.のメンバーに尋ねても、はっきりした答えは返ってこない。
ただ「動物を守るための啓示の道具」として、厳重に管理されていることだけは確かだった。
一説によると、人間の食肉に対する欲求を“化学的かつ精神的”に塗り替えてしまう力があるという。
肉の匂いを嗅ぐだけで吐き気を覚える者もいれば、ある日突然肉を口にできなくなる者もいる。
けれど、“獣を殺す”ことへの抵抗感が異常なほどに増すのは共通らしい。
あるいは、魂を奪う呪いの武器だと言う者さえいる。
男が短剣を放り出し、苦悶の表情で石畳を叩いた。
セルディは構えを解きながら、声を落として告げる。
「動物を犠牲にするのは、もうやめたほうがいい。あんたもわかってるだろ」
その言葉に反発するように、男は恨めしそうな視線を向けた。しかし、すでにヴィー銃の影響がじわじわと広がっているのか、言葉を続ける余裕はなさそうだ。
小走りで路地の入口から駆け寄ってきたのは、同じS.A.L.T.の仲間であるリナ。淡い茶髪を肩で束ねた、小柄で元気な雰囲気の女性だ。年齢はセルディより下だが、加入した時期が早いこともあり、一応先輩として扱われている。
「お疲れ、セルディ。こっちも片付いたから、様子見に来たんだけど……大丈夫そうだね」
リナは男を見下ろし、靴先で短剣を遠くへ蹴り飛ばす。
「助かった。こいつも、これでしばらく何もできないだろう」
「うん。ミートイーターは、あたしたちが放っておくわけにはいかないからね。……次の仕事もあるでしょ? ここは手早く済ませて、早く拠点に戻ったほうがいいよ」
ヴィー銃をそっとホルスターにしまい、周囲の人気を確かめる。時刻は深夜に近い。裏通りとはいえ、あまり長居は無用だ。
足元を見ると、男は完全に力を失ったように蹲っている。激しい痛みや苦しみというよりは、意識が曖昧になっているようだ。
「……行こう。あとは先遣隊が回収してくれるだろう。そんなに時間もないし、動物が襲われるのを防ぐには急がないと」
リナの肩に視線をやると、彼女は軽くうなずいて笑みを浮かべる。
「うん。さ、さっさと行こ。動物たちを守るためにね」
路地を抜けると、先に倒れた男の獣臭い血の匂いが遠ざかり、冷たい夜風だけが体を掠めていく。セルディは微かな胸の奥の痛みに気づいたが、立ち止まるわけにはいかない。
S.A.L.T.――“Sanctum for Animal Life & Tolerance”。博愛と生命の尊厳を掲げるこの組織がなぜ、動物を救う手段として“ヴィー銃”という強制力を使うのか。
完全に納得できているわけではない。けれど、躊躇すれば今この瞬間にも、どこかで無防備な命が奪われているかもしれないのだ。
――疑問を感じても、自分自身がここへ来た理由を忘れるわけにはいかない。
強引でも、不完全でも、“正義”を貫かなければならない――そう信じるしかなかった。