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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王

作者: 南下八夏

あるかわいそうな子供の話。

 とある国のとある(まち)路地裏(ろじうら)で、一人の孤児(こじ)がゴミ箱を(あさ)っておりました。

 孤児は小さくてやせっぽち、汚いボロボロの服を着ていました。ぼさぼさでべたべたの髪の間から、大きな目だけが美しく光っておりました。

 臭くて汚い子供を目にした大人たちは、顔をしかめて足早に通り過ぎていきます。

 孤児には守ってくれる大人も、優しい友達も、温かい家も、何にもありませんでした。

 だから、自分で食べ物を手に入れなければなりません。けれど、お金を(かせ)ぐには幼すぎましたので、仕方なく、レストランのご主人が裏路地のゴミ箱に捨てた残飯(ざんぱん)の中から、食べられそうなものを探してこっそりといただいていたのでした。

 孤児がゴミ箱に頭を突っ込むようにして食べられそうなものをポケットに詰めていると、急にレストランの裏口が開き、レストランのご主人が出てきました。でっぷり太ったご主人は、孤児に気づくと恐ろしい形相(ぎょうそう)になり、拳を振り上げて怒鳴(どな)りつけました。

「てめえ、また来やがったのか! 汚えクソガキが! 今度こそはぶちのめしてやる!」

 孤児は(あわ)てて逃げ出しました。幸い、ご主人は追いかけては来ませんでした。その代わり、ぶつぶつと恐ろしいことを呟いています。

「水をかけても殴っても、しつこくうちの店にたかりやがる。ゴミに毒でも仕込んでしまおうか」

 レストランのご主人に限らず、この街の大人たちにとって、孤児はネズミかそれ以下の存在でした。誰も味方をしてくれません。

 孤児はいつも一人ぼっちで、いつも空腹で、いつも(みじ)めでした。

 レストランから随分(ずいぶん)離れた街の片隅(かたすみ)、昔燃えてしまってそのまま誰も片付けていない小さな家の残骸(ざんがい)で、孤児はようやく一息つきました。今にも崩れ落ちそうな廃墟の、瓦礫(がれき)の隙間が、孤児のねぐらでした。

 かろうじて雨はしのげますが、冷たい風がぴゅうぴゅうと吹き込むので、孤児はいつも小さな体をさらに小さく丸め、今にも消えそうな自分の体温を必死に守っておりました。

 孤児はねぐらまで戻ると、ポケットに詰め込んだ今日のごはんを取り出しました。

 ソースがついたしなしなの葉っぱ、一口分の肉がこびりついた骨、少し泥がついた人参のきれっぱし――そして、小さな小瓶(こびん)

 孤児は小瓶を手に取って、首を(かし)げました。

 こんな物を拾った覚えはありません。最後に慌ててゴミ箱から離れた時に、闇雲(やみくも)にゴミを掴んでポケットに入れた時、この小瓶が(まぎ)れ込んでいたようです。

 食べられない物はいりません。孤児は小瓶を放り投げました。

 小瓶は少し離れた廃材に当たってぱりんと割れ、中からもわもわと白い煙が出てきました。

 驚く孤児の前で煙はふわふわと(ただよ)い、やがて大きな人間のような形になりました。

 煙は低く(ひび)く声で孤児に言いました。

「願いはなんだ。三つだけ命じるがいい」

 孤児は一瞬きょとんとし、小さな頭を捻って願い事を考えました。

 欲しいものはたくさんあります。でも手に入るのは三つだけ。

 孤児は精一杯考えて、考えて、一つ目の願い事を言いました。

「幸せになりたい」

 煙は孤児に尋ねました。

「お前にとっての幸せとはなんだ」

 孤児は小枝のような指を一つ一つ折って数えました。

「ご飯がいつでもお腹いっぱい食べられて、暖かいおうちに住めて、お洗濯ができて、お風呂に入れること」

 煙は大きくうなずき、その場でくるりと一回転しました。

 次の瞬間、孤児は立派なおうちの暖炉の前に座っていました。

 念入りに乾燥させた上等な木材で造られた、頑丈そうなおうちです。ぱちぱち(たきぎ)()ぜる暖炉の前にはふわふわのラグが敷かれ、(そば)には安楽椅子が揺れています。

 孤児はしばし呆然(ぼうぜん)として、しばらくしてから立ち上がり、家の中を見て回りました。

 ダイニングには暖かな食事が置かれ、食糧庫には清潔な食材がいっぱいに詰まっています。手前のみずみずしい果実を手に取ってみると、どこからか果実が1つ現れて補充されました。裏手には井戸と洗い場があり、良い匂いのする石鹸(せっけん)が置かれています。裏庭の一角には、高い柵に囲まれた温泉がありました。

「すごい!」

 ふかふかのベッドに飛び乗って、孤児はずいぶんと久しぶりに笑顔を浮かべました。

 背後では小瓶の煙がふわふわと漂っています。

「ありがとう、煙さん!」

 煙は特に応えることもなく、代わりに次の願いを聞きました。

「あと二つだ」

 孤児は困ってしまいました。

 一つ目のお願いで、欲しかったものは全て手に入ってしまったのです。

 孤児は何度も何度も考えて、一つだけ思いついた願いを言いました。

「みんなと仲良くしたい」

「お前にとって、仲良くする、とはなんだ」

 孤児はまたしばらく考えて、こう答えました

「怒ったり、殴ったり、ひどいことをしなくて……ええと……私に優しくしてくれること」

 煙はくるりと回りました。


 とある国に、魔王と呼ばれるものが現れました。

 見た目は子供のようなのに、どんな人間も支配してしまう、恐ろしい能力を持っているのです。魔王の前では、どんな勇敢な騎士であっても剣を放り出して降参してしまうという噂でした。

 王様はその強大な力を恐れ、国中から勇者を募り、魔王を倒してしまおうとしました。

 何百人もの猛者の中から、一人の若い剣士が選ばれました。

 体中に不可思議な入れ墨を入れたその剣士は、自信満々に王様に宣言しました。

「私は魔王の正体を知っております。

 魔王に相対した者たちの証言によれば、奴めの背後には人のような形の煙があったとのこと。

 これはおそらく、古の魔法使いが封じたという魔神でしょう。

 我が家に伝わる書物によれば、魔神は借りを作った相手の願いを叶えるという制約を持つそうです。

 魔王は魔神を解放し、その代償として人を支配するおぞましい力を得たのでしょう。

 しかし私の体に入っている入れ墨があれば、魔神の力を無効化することができるのです」

 王宮の皆の歓声を受け、選ばれし勇者は魔王討伐へと旅立ちました。


 勇者も知らないことですが、魔神を作り出したのは、魔神を封じた魔法使いその人でした。

 魔神と呼ばれる存在は神でも何でもなく、元々はただの雑用係の使い魔でした。

 家事や伝言や庭の手入れなど、現代なら使用人を何人も雇わなければならない雑用の類を、一手に引き受けさせていたのでした。

 姿を煙にすることで、旅行先にも持ち運ぶことができました。

 旅先の宿で魔法使いがごろごろくつろいでいる間に、汚れた衣類の洗濯や、靴の泥落としなどをさせていたのでした。

 魔法使いが煙を小瓶にしまい、その後亡くなってから千年が経ちました。

 煙は魔法使いの魔力の名残で存在し続けていたのですが、それも時間と共にどんどん薄れていきました。今となっては、あと三つの用事しか聞けないほどに。


 冷たい雨が降る中、孤児はぼろぼろになって倒れていました。

 家を訪れる人と仲良くしようとしただけなのに、来る人来る人皆が孤児を恐ろしいものを見るような目でにらみつけて去っていきました。孤児を斬りつけようとする怖い大人もいましたが、煙の力で剣を取り落としてしまいました。誰も孤児に危害を加えることはできませんでした。

 今日突然やってきたお客さんは、お前が魔王かなどと喚き散らし、きょとんとする孤児に鋭い剣を突き立て、家に火を放って行きました。

 お客さんが満足そうに去ってすぐ、雨が降り始めて火を消してくれました。

 立派で暖かい家はすっかり焼け崩れ、炭と燃えかすばかりになってしまいました。清潔な服は血と泥と雨でべとべとです。毎日丁寧に櫛を入れた髪も、ぐしゃぐしゃに乱れてしまいました。

 ひゅうひゅうとか細い息をしながら、孤児は雨の中でも変わらず漂う煙を見つめました。

 最後のお願いだけどうしても思いつかず、今までずっと待ってもらっていたのです。

 願いを叶えたら、煙がいなくなってしまうでしょう。孤児は、独りぼっちになってしまうのが怖かったのです。

 ですが、もう気にすることはありません。

 再び冷たくて、悲しくて、痛くて、苦しくて、惨めな子供に戻ってしまったのです。一度手にした幸福が大きかった分、一層、孤児は暗く深い場所に突き落とされてしまったのでした。

 孤児は最後の願いを口にしました。

「ぜんぶ、おわりにしたい」

「お前にとって、全部、とは何だ」

「なにもかも。ぜんぶ、なくなればいい」

 煙はくるりと回りました。


 その日、地図から一つの国が無くなりました。

 後の歴史家たちは、その謎を解明することはできませんでした。

 本当は、勇者などいらなかったのです。

 誰か一人、何か一言、孤児に優しく手を差し伸べていれば良かっただけだったのです。

 けれどそれは、今や誰にもわからないのでした。


未知のものは恐ろしい。

誰かが少しでも魔王について調べればよかっただけの話。

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24.11.04. ルビを追加し、誤字脱字を修正しました。

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