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悪女の告白

作者: 冬野ほたる

✻ メリーバッドエンドです。

✻ 後半に人を殺める場面や火をつける場面があります。

✻苦手な方はご注意ください。





 ねぇ? 私の話を聴いてくださる?

 

 ……そんなに無視しなくてもいいじゃない? どうせあと数刻で処刑される女の戯言(たわごと)ですもの。私が断頭台に引き出されてこの牢が空っぽになったら、貴方(あなた)は忘れてしまえばいいのよ。ここに私がいたことも、私が話したこともすべて。最初からなにもなかったように、きれいさっぱりと頭の中から消してしまえばいいのですもの。


 ねぇ? いかがかしら? 

 この現世(うつしよ)での最後の話し相手になってほしいとまでは言わないわ。そんなことは貴方にとっても寝覚めが悪いものね……。ただ、聴いてくださるだけでいいのよ。もしくは聴いてくれるふりだけでもありがたいわ。


 どうして今さら?

 そうね……。どうして今さらこんな話をする気になったのかしら? 今まではどんなに拷問を受けても、なにも話す気にはならなかったのに。不思議ね。処刑を前にして頭がおかしくなったとでも思ってくださってかまわないわ。自分でもわからないのだから。


 聴いてくれるの?

 ありがとう……。貴方は見かけによらずに優しいのね。ふふっ。ごめんなさい。「見かけによらず」には余計なことだったわね。戦で右目を負傷していても、貴方だけはその目で私を憐れんでくれていたことを知っているのよ……。


 そんなに長い話じゃないわ。退屈な話かもしれないけど、牢番として立っているだけより、幾分(いくぶん)はましだと思うわ。でも、決して気分のいい話ではないことは確かね。それは先に謝っておくわ。ごめんなさいね。


 そんなことはいいから早く話をしろって?

 そうね。話の途中で時間がきてしまったら、私も悔いが残るかもしれないわ。貴方も結末まで聴くことができなくて、忘れようにも忘れられない話になってしまうかもしれないわね。


 それじゃあ……ちょっぴりとお付き合いくださいな。悪女と呼ばれた女のつまらない昔話を──




 私が婚約を破棄されたのは殿下に非があったからなのです。

 どうしてかって? 

 殿下はこともあろうに私に濡れ衣をかぶせて、ご自分の心変わりを隠そうとしたのですよ。婚約をただ解消するのでは、婚約者を蔑ろにしてご自分が下級貴族の娘にご執心なことが明るみに出てしまうからです。殿下は道義的に責められることや、我が侯爵家への慰謝料を支払うことやその他諸々の責任を取らされるのが嫌だったのでしょう。だから、なんの落ち度もない私にすべての罪をかぶせて婚約を破棄したのです。


 私にかぶせたその「罪」は、罪と呼ぶには本当に馬鹿馬鹿しいものでした。殿下がご執心の下級貴族の娘──田舎の領地から出てきた男爵令嬢でしたが──その娘に、私が嫌がらせをしていると言い出したのです。どこからか証人とやらの学生も複数人連れてきていました。彼らは殿下の取り巻きの一部でしたでしょうか。あまり、普段はお顔を見ない方たちでした。殿下とその男爵令嬢のふたりは、わざわざ王立学園の卒業式の舞踏会で彼らと一緒に私を断罪したのです。

 

 笑ってしまいますよね。幼いころから何年も何年も(きさき)に成るために努力をしてきた私のことを、卑劣な手段でいとも簡単に切り捨てるのですよ? 情……などなかったのです。

 ……悲しかったと同時に、殿下はこんな人だったのかと……。こんな人のために私は長い時間を無駄にして、さらには辱しめを受けたのだと、一時は絶望しかありませんでした。


 でもね……。ほんの少し考え方を変えてみたのです。人間の本性はそう簡単には変わりません。殿下は、あの男爵令嬢に飽きたら必ずまた同じことを繰り返すでしょう。だったらそんな人間の妃になるよりも、ここですっきりと縁を切れてよかったのではないかと。痛い代償を支払うことになりましたが、これからの人生を無駄にするよりもよほどいいと思うことにしたのです。


 殿下と男爵令嬢との婚約が成立したときに……「本物の愛を見つけた」でしたっけ? そんなことを仰ったようですが、鼻で笑ってしまいますわ。いかにも美しく本物を謳っても、汚くて(むご)い仕打ちを下敷きにして、その上に成り立っている関係です。醜悪な汚泥(おでい)を捏ねてまるめ、口先だけの言葉で飾り立てた擬物(まがいもの)。そんな「本物の愛」ですものね。


 父である侯爵は私を修道院へと送りました。そのことには特になにも思いませんでした。(おおやけ)の場で罪を着せられて婚約を破棄されてしまったのですもの。もう私にまともな縁談は望めません。それに、殿方を信じられなくなっておりましたから。神に仕えて修道院で一生を終える覚悟でしたのよ。


 それなのに……運命は悪戯ですわね。

 修道院へと赴く馬車が襲撃されてしまったのですもの。私を護ろうとした護衛も全員が殺されてしまいました。私が生き残ったのはほんの偶然にすぎなかったのです。賊に刀を振り上げられたときに体勢を崩してしまい、後ろの崖を転がり落ちました。その崖下をちょうど行軍していたのが、隣国の将軍が率いる騎士団だったのです。


 敵国の将軍ですもの。貴方も名前はご存じでしょう? 泣く子も黙る鬼のルーア将軍。有名でしたものね。戦では情け容赦無用の冷徹な鬼神って。お顔も(いかめ)しいですからね。そんな通り名がつくのも納得してしまいます。私も初めてお顔を見たときには思わず泣いてしまいそうになりましたわ。恐ろしくって。ふふふっ。でも、そんな彼がまさか自分の伴侶になるなんて、その時は夢にも想像もしていませんでした。


 ルーア将軍一行に(から)くも助けられた私は、そのまま隣国へと逃げ延びました。崖を転がり落ちてから、三日ほど意識はなかったのです。頭を強く打っていたらしいですわ。このまま意識が戻らないこともあると、()てくれたお医者さまは仰ったそうです。それでも奇跡的に目を覚ますとそこは修道院ではなく、隣国でした。それはそれは驚きました。意識が戻ったときにルーア様は私の顔を覗き込んでいましたから、死んでしまって地獄で目を覚ましたのかとも思いましたわ。今ではもう……それも笑い話ですわね。


 それからルーア様は、身寄りもはっきりとしない私を実の娘のように看病してくださいました。あのときは隣国とこの国の関係は一触即発でしたものね。だから私は記憶を失くしたふりをすることにしたのです。敵国の高位貴族の娘だと知られたら……どんな形で利用をされるのかわかりませんものね。お父様にも迷惑をかけてしまいますし。だけど、ルーア様はすべてを解っていたのかもしれないと……今なら思うのです。剣の腕だけでなく、智力にも長けた将軍様でしたもの。敵国との境界線近くで拾った身元不明の女の言葉などを易々(やすやす)と信用するとも思えません。ルーア様はそんなに甘いお方ではなかったですものね。


 そう考えると……もしかしたら、私を監視する意味もあったのかもしれないですわね。私はルーア様のお屋敷でお世話になることになりました。幸いにも崖から落ちたときには頭を打った以外には、腕の骨を折っただけで済んだのですよ。昔から運が良いのか悪いのか、わからないのです。

 

 腕の傷が癒えるまで……いえ、癒えたあともルーア様は記憶を失ったという私に、親身になって寄り添ってくださいました。私を助けても得をすることなんてなにもないのにです。……とてもお優しい方でした。


 ルーア様はお顔はとても厳めしいのですけど、笑ったお表情(かお)はとても可愛いのです。何事にも真剣で一生懸命で……。そのことに気がついてからは……ルーア様にどんどん心が惹かれていくのがわかりました。親子ほども歳が離れているのに……。不思議なものです。ですが、恋とはそんなものなのかもしれないですわね。


 戦場に出る者の心得だと仰って、ルーア様は独身を貫いていらっしゃいました。いつ命を落とすかわからない。だから家族はつくらない、と。


 私は最初は自分の気持ちに遠慮をしていました。この気持ちはルーア様のご迷惑になってしまう。重荷になってしまう、と。でも……私を動かしたのも紛れもなくルーア様のそのお言葉なのです。いつ何時(なんどき)になにがあるかわからない……。偶然が重なって出逢った私とルーア様ですもの。突然にまた、なにが起こるかなんてわからないでしょう? なにもできないまま、この気持ちを諦めたままで、そのままルーア様を永遠に(うしな)うなんて考えられなかったのです。だから私はがんばりましたよ。恥ずかしいので詳細のお話はできませんが、彼の気持ちを変えることには、妃教育を受けていたときよりも一生懸命だったように思います。


 ルーア様と結婚して、それからは本当に幸福でした。あっという間に数年の時が経って……。この国でかつては殿下の婚約者だったことが信じられないほど、私はあたたかい気持ちに包まれて幸せというものを噛みしめておりました。


 そう……。

 あの戦が起こるまでは。


 運命は悪戯で……そして皮肉なものでもあるのですね。

 ちょっとした運と勝機を逃したあの国は、あっという間に攻め滅ぼされてしまいました。

 私はルーア将軍の妻として捕らえられ、今は王に即位した殿下の(もと)に捕虜たちと一緒に召し出されました。

 そこにはあの国の王族やルーア様やほかの方々の首も無惨に(さら)されていて……。


 ……ごめんなさいね。思い出してしまうとダメね。もう、何年も前のことだというのに……。


 とにかく……そこで再び顔を合わせることになった殿下……いえ、王の顔を私は忘れられません。私を見るなり下卑たおぞましい微笑(わら)いを浮かべたあの表情(かお)を……。  


 私たち敗戦国の捕虜は、それぞれ手柄を立てた将や騎士たちの報奨とされ、下賜(かし)されました。私は表向きは宰相の側室になりましたが、実際は王の慰みもの……。何度、この世を儚んだことかわかりません……。無力感に押し潰されて、現実に抗う気力も奪われました。でも、その度にルーア様のお優しい笑顔が瞼の裏に浮かんでくるのです。彼は私にどんな形でもいいから生きろと言いたかったのかもしれませんね。


 実家の侯爵家がどうなったのかを知ったのは、それから少しあとのことでした。父や母は私が修道院に向かう途中に、賊に襲われて死んだものと諦めていると思っていました。社交界では肩身の狭さを感じながらも、それでも夫婦揃ってなんとか暮らしているものと思っていたのです。


 ふふふ。なんて甘い考えだったのでしょうね……。王は……侯爵家そのものを潰していたなんて……。

 

 貴方もご存じでしょう?

 ライルカーター侯爵家の反逆事件を。

 当時は大変な騒ぎになったのですってね。娘は自業自得で婚約を破棄されたのに、それを逆恨みしたライルカーター侯爵は、当時の殿下と国王陛下を暗殺しようとした……なんて。


 どうして知ったのか? 

 宰相の別邸で私の世話係についた侍女のおかげです。まさか私がその娘とも気がつかずに、ぽろりと世間話として口にしたのです。


 なによりも和を重んじて忠義に篤いお父様がそんなことを謀るはずは絶対にありません。娘の私が婚約を破棄されたときでさえ、国内の結束を乱すからと、国王陛下に必要以上に過激な抗議はなさらなかったのですよ。それなのに……。  


 私はなにも知らなかったのです。

 ……お父様とお母様が断頭台に消えていたなんて。

 そんなことは考えもしなかったのです。

 ……娘と同じに濡れ衣を着せられて、ありもしない「罪」を償わされていたなんて。

 どんなにか悔しい思いをしたことでしょう。どんなにか恨めしかったことでしょう……。

 その間に私は……隣国で幸せに暮らしていたのです。


 お父様とお母様の首も、ルーア様と同じように民衆の前に晒されたと聞きました。そしてライルカーター侯爵家の一門はすべて取り潰されたそうですね……。領地は王家に接収されて、のちにあの男爵家に賜れたとか……。

 

 それを知ったときの私の気持ちがわかりますか? いえ、ごめんなさいね。わかるはずもないのに、そんなことを訊いてしまって。ふふふ。王はどれだけ私を、父や母を馬鹿にすれば気が済むのでしょうね。


 今までは世を儚むことしかできなかった私の中に、そのときに産まれた気持ちをなんと表現すればいいのかしら? 怒り? 悲しみ? 絶望? そうね……そういったものをすべて綯交(ないま)ぜにした強い強い……決意……かしら?


 「真実の愛」を見つけたはずの王と妃の仲はすでに冷えきっていました。妃には愛人がいるとも噂になっていましたね。王は側室にも早々(そうそう)に飽きてしまい、私を嗜虐する玩具(おもちゃ)にしていましたし。


 だから……私はすべてを捨てて、すべてを手に入れることに決めたのです。


 王の好みの女を演じて王を籠絡(ろうらく)すること。それがまず最初にすることです。王の好みは自分の言うことをなんでも信じて頼ってくれる女性なのです。昔から変わらないわ。私は徹底的にそれを演じてみせました。婚約者だった当時はできなかったことでしたが、今ではなんなく演じることができるのですよ。だってその結果として起こることなんて、今の私にはなんの関係もないのですもの。良い結果になろうと、最悪の事態が起ころうと、ね。そんなのどちらでもかまいませんわ。まあ……耳に優しいことだけを聞いていたらどうなるか……。良識のある方なら想像はつきますわよね?


 それに、好みの女性を演じることだけではなくて……。あら、でもこれは聞かないほうが貴方のためかもしれませんね。これから女性を信じることができなくなるのは困りますでしょう? ふふっ。


 王を籠絡するのはいとも容易(たやす)いことでした。ルーア様のお心を変えることに比べたら、なんて簡単なことだったのでしょうね。


 妃は権力を手に入れるとだんだんと傲慢になり傍若無人な振る舞いが増えていったそうです。王の言葉に従わずに、取り巻きたちの甘言に耳を貸す……。本性が現れてきたのでしょうね。私に有りもしない「罪」とやらをかぶせた女ですもの。安い鍍金(めっき)が剥がれてきてもおかしくはないでしょう?


 警戒心を解くように献身的に尽くして尽くして……些細なことでも王を持ち上げて、すべてを肯定して気分を良くして差し上げて……。王はだんだんと……私に依存をするようになっていきました。


 面白いですわよね。

 かつて私にした仕打ちを王はお忘れになったのかしら? ふふふっ。あんなことをしておいて、王のために私が心を入れ替えて身も心も捧げる……だなんて、よくも考えられたものですわ。呆れを通り越して滑稽ですらあります。


 まあ、あの王のことです。自分の気持ちがなによりも優先で、他人のことはそれを満たす道具としか考えていないのですから、本当のところは私にも心を許してはいなかったのでしょう。ですが、砂糖のように甘くて、蜂蜜のように(かぐわ)しい言葉たちには中毒性があるのですよ……。

 貴方もお気をつけなさいね。


 さあ……そうしたらお次はいよいよ、今までのツケを支払っていただくお時間ですわね。


 まずは、妃。

 第一子をご懐妊との噂が流れていましたが、当の王は後宮にも宮殿にも帰らずに宰相の別邸に入り浸っておりました。

 それに、貴方もあの噂はご存じでしょう? 王に子種はないとの噂です。


 今までは妃にも、五人の側室にも子どもはできませんでした。もちろん噂は噂にすぎません。ですからそれが真実なのかはわからない。それでも……疑いの芽を植え付けるのには充分だと思いませんか。囁くだけでいいのです。


 妃の腹の子が王の種ではなかったら?


 考えるだけで楽しいですわね。


 疑心暗鬼になった王の振る舞いはますます妃との溝を広げるばかりで……。そうなると妃も自分の取り巻きたちをさらに固めて、派閥を堅固にしていきました。いざというときに地位を守り、権力を保つためです。

 そんな時に……妃の愛人と囁かれていた公爵が狩りの途中に落馬による事故で亡くなりました。ええ、そうです。王の従兄弟のミハイル公爵です。


 本当に事故だったのか? ですか?

 ふふっ。さあ、どうなのでしょうね……。それは私にはあずかり知らぬことですわ。


 そのすぐあとに妃も毒を煽って、ミハイル公爵のあとを追うように亡くなりましたわね。何者かに毒を盛られたとか愛人の死を悲観しての自死だとか、いろいろと憶測が流れたようですが。結局、王は真相を公表しないまま妃の葬儀を執り行いました。妃の腹に子が宿っていたのかどうかも公表はされないままでしたわね。ですが、もし、王の子種が宿っていたのなら……妃の葬儀だけしか行わないなんて、そんなことはあるのでしょうか? だから……つまり、そういうことなのですよ。


 王の寵愛を失い、結局は裏切り、命までをも落としたお可哀相な妃の家門のその後はしれています。取り巻きの家門もろともに粛清されましたわ。政治的な判断で、さすがに公爵家を潰すことはできなかったようですが。それでもミハイル公爵家は中央からは外されて、閑職に追いやられましたわね。下手をしたらそれこそ王に反旗を翻すと捉えられても仕方のないことを仕出かしたのですから、それだけの処分で済んでよかったのでしょう。いえ、もしかしたら……本当にそのつもりだったのかもしれませんね。

 ミハイル公爵家はこれから先も中央に返り咲くことは難しいでしょうが、まあそれは、どうでもいいことですわね。


 それからライルカーター侯爵家を──お父様とお母様を陥れた面々ですが……。もちろん黒幕は王です。ですが、手先となって動いた者たちにも、その「罪」を(あがな)っていただかないと不公平でしょう?


 ライルカーター侯爵家の顛末を王が自ら私に語ることはないでしょうし、私の口から王に尋ねることはさすがに警戒をされるでしょうから……。私は宰相に尋ねましたのよ。


 教えてくれたのかって?

 ええ。もちろんですとも。

 閨の中で目に涙を浮かべて、さも憐れな様子で「ライルカーター侯爵家の最期を教えてください」と甘えてすがってみたら、いとも簡単に教えてくださいましたわ。ふふっ。ですが……本当に憐れんだから教えてくれたわけではないのですよ。そういうふりをなさっただけです。私ごときに今さらなにを話しても、なにもできることはないと考えていたのでしょう。訊いてもいないことまでもいろいろと教えてくださいましたわ。


 ライルカーター侯爵家の反逆事件に関わった人物たちは、過去の婚約破棄の断罪のおりに嘘の証言で私を辱しめた彼らでした。あの卒業式の舞踏会の件からあとに表舞台からは消えていて、どうやら裏で王からの汚れ仕事を専門に引き受けさせられているようでした。


 一通だけ、私はあのお喋りな侍女に手紙を託しました。宛先の相手は彼らの中のひとりです。手紙には私の名前は記しませんでした。侍女にも絶対に私が書いたことを口に出さぬようにと、手紙を読んだら名前は書かれていなくても誰が送ったものなのかはわかるから、と告げました。


 あの侍女は……。いい()なのですよ。いつもにこにことしていて、億劫がらずにちょっとした用事も引き受けてくれましたしね。ただ……少しうっかりしているところがあって。好奇心も旺盛だし、お喋りな面があるのですよね。ふふふっ。可愛い娘でしたね。彼女にはぜひ幸せになってもらいたいものです。

 

 手紙はどういうことか? 

 そうですわよね。これだけではなにもわからないですわね。

 手紙には一言だけ。「すべてを赦します」と書きました。


 侍女に手紙を届けてもらって数日後に、セリド伯爵家の次男ジョシュアが王にも内密で宰相の別邸を訪ねてきました。手紙を読んで私に会いにきてくださったのですよ。

 

 どうして私からだとわかったのか? 

 先ほどお話ししましたとおりに、侍女は少し抜けている面があるのですよ。

 彼女はうっかりと宰相の家門の紋章が入った馬車で手紙を届けたかもしれないですし、そうでなければ帰りに跡をつけられた可能性もあります。もしくは手紙を渡すときに明言はしなくとも、こちらの情報を口に出した可能性もありますわね。

 なににせよ、ジョシュアは裏の仕事を引き受けているわけですから、警戒心は強いはずです。差出人もはっきりとしない、意味も不明な届け物をそのまま放置するはずはありません。必ずや差出人を突きとめようとするでしょう。


 でもね、これは一種の賭けでもありました。

 もしジョシュアが会いに来てくれなかったら。もしジョシュアが宰相の言葉どおりの人柄ではなかったら……。


 結果的には、私は賭けに勝ちました。


 ジョシュアは、なぜあんな手紙を自分に寄越したのかと尋ねました。おそらく彼はその理由について察しはついていたのだと思います。私の顔を見ても動揺することはなかったのですから。「ルーア様の妻であった私」が宰相に下賜されて側室になったことは知られていますが、「ライルカーター侯爵令嬢であった私」だと知る者はごく一部でした。

 それでも……私の口から直接に聞きたかったのでしょうね。すべての始まりである「私」から、自分の罪悪感から解放してくれる、都合のよい救いの言葉を。


 救いですって。ふふっ。笑ってしまいますわね。


 ジョシュアは非常に信心深く、目の前にいる困った者を放ってはおけない真面目な男だと宰相は話していました。気の毒そうに、本来なら裏の仕事には向かないとも。


 え? 貴方、今、なんと仰って? ジョシュアが優しい……ですって? 本当にそう思っているの? あらあら……。でもまあ、それが貴方の良いところなのでしょうね。


 ジョシュアはただ自分の「罪」を自覚しているだけに過ぎないのですよ。汚れた手を(きよ)めてほしいがために神にすがるのです。自分勝手で傲慢な信心深さは信仰心とはまったく別のものです。目の前の弱者を見捨てられないのも同じ。その者の目にジョシュアが映っているから、棄てる者が自分だと認識されているから、だからこそ切り捨てることができないという卑怯な弱さでしかないのです。


 でもジョシュアが裏の仕事に向かないという宰相の言葉だけには同感ですわ。

 こういう手合(てあ)いは裏切るのですよ。自分だけは助かりたい、救われたい、との一心で。絶対に自分が裏切り者だと悟られないようなら、どんなことでもやるのです。自分の身勝手さを都合よく正義というものに置き換えて。


 なにを企んでいるのだと詰め寄るジョシュアに、私はしおらしく涙を堪えるふりをしながら自分の気持ちを切々と訴えました。

 過去に囚われて生きることは苦しい、と。もう誰を恨んで生きるのも疲れた、と。心を穏やかにこれからを生きていきたい、と。だから貴方たちを赦したい、と。

 その言葉を聞いたとたんにジョシュアの表情はさっと変わりました。


 自分のことを教えたのは誰だと訊くので、宰相だと伝えました。すると瞼を閉じて涙を一筋だけ流したのです。

 なんというか……自分だけが悲劇の主人公にでもなったつもりでいたのかしら? 

 

 それからはジョシュアは何度も何度も宰相の別邸に私を訪ねてきました。もちろん王にも隠れてです。さすがに宰相はジョシュアの訪問に感づいてはいましたが、見て見ぬふりをしていました。


 ジョシュアのために? 

 ふふっ。違いますよ。面倒ごとは知らないふりをするのが一番ですもの。それに宰相は穏やかそうな微笑みを浮かべて、まるで人畜無害な忠犬のように王の片腕を担っていますが、けっこうな狸ですよ。自分に利があるのなら王のことも平然と切り捨てるでしょうね。私とジョシュアの関係を探っていたのだと思います。宰相にとって不利なことになりそうであれば、すぐになんらかの処置はするつもりで。


 ジョシュアは私に赦されようと必死でした。もちろん言葉では、私に対して行った「罪」はすでに赦すことは伝えてあります。それでも彼は、関わった裏の仕事のすべての「罪」を私に赦してもらいたがっているようでした。私が彼を赦すことで、ジョシュアの「罪」が消えて無くなるとでもいうように。血に染まったその手が清廉潔白な輝きを取り戻すというように。


 悲しいくらいに、なんて浅はかで愚かなのでしょうね。

 私は聖女などではありませんのに。むしろ一番遠い場所にいますのに。


 ジョシュアも私に依存をするようになりました。そうなってしまえばあとは簡単でしたわ。


 そしていよいよ……。王の番です。

 え? 

 ジョシュアはどうなったのかって? 


 それはこれからですのよ。焦らないでくださいませね。


 私は……決めていたのですよ。王だけは自らの手で地獄に送って差し上げたいと。


 思えば王には翻弄された人生でした。婚約者に選ばれてからは妃教育を受けることになりましたので、自分の好きなことをする自由な時間もほとんどなくなりました。日傘を差しながら散歩をしたり、親しい友人とお喋りしたり、劇場に流行りのお芝居を観に行くことが好きだったのですが……。


 もともと私は平々凡々な女です。貴族間の力の均衡を取るために、たまたま婚約者に選ばれたにすぎません。妃として、国母として皆の手本となって生きるよりも、自分の愛する人たちと穏やかに生きていきたい……。そんな普通の女なのです。ですが、殿下の婚約者となったからにはそんなことは言ってはいられません。よき妃、よき国母となるために努力をしました。


 結果的には婚約を破棄されたことですべてが(くつがえ)り、私はルーア様と出逢うことになりました。その幸福も再び奪われてしまいましたが……。ね? 運が良いのか悪いのかわからないでしょう?


 王を亡きものとする方法は……貴方だったらどんな方法を考えるのかしらね? 騎士なのだから、やはり剣? 


 剣で身体をひと突きなんて……。とても溜飲が下がるでしょうね。だけどすこし血腥(ちなまぐさ)いのが難点かしら? 

 でも残念ながら、私には剣を扱えるだけの力はないのです。だからなにか、別の方法を選ばなくてはならないわ。


 そうね。たとえば毒薬……飲ませることができるのならば有効ですわね。無味無臭のものが存在するならば、飲み物や食事にそっとしのばせるだけ。簡単そうです。ただ……私には毒薬を手に入れることはできません。それに安物の鍍金を纏った妃とは違って、王は毒には敏感なのです。立場上、幼いころからそういった教育を受けてきたのでしょうし、なにより妃の死因は毒ですから。自分にお鉢が回ってこないように、より一層の警戒をしていましたわ。


 あとは……紐を使うとか。巻き付けた紐で(くび)をおもいっきり締めたのなら……。どうかしら? ああ、でも私の精一杯の力を込めても殿方の力の前にはとうてい敵わないでしょうから、きっと抵抗をされて途中で外されてしまいますわね。  


 さあ、ではどうすればよいのかしら?


 一生懸命に考えましたわ。そして思い出したことがあるのです。ふふ。

 貴方は聞いたことはあるかしら? 蜂に三回刺されると助からないという話を。


 私は幼いころに侯爵家の庭師に聞いたことがあるのです。その庭師は、知り合いの庭師が大きな蜂に刺されてしまって亡くなったと話してくれました。亡くなられた庭師は蜂に刺されたのは二回目だったそうなのですけど……あっという間にこと切れてしまったと。なかには何回も刺されても腫れるだけの方もいるそうですが、全身に症状が出てしまう方も多いそうです。

 お散歩の際にはくれぐれも蜂にはお気をつけてくださいと、庭師は心配してくれました。


 だからジョシュアにお願いをして、あるものを手に入れてもらいました。


 なにかって? もうおわかりでしょう?


 それは……蜂ですよ。

 

 王は山へ狩りに行ったときに大きな蜂に手の甲を刺されているのです。あれは婚約を破棄される前の年の秋でした。


 宮殿の中で厚い手袋をしていましたから、寒いのですか? と尋ねましたところ不機嫌そうに「蜂に刺された」と。しばらく手袋をしていました。手袋を外さなかった間は腫れがひかなかったのでしょうね。


 ジョシュアには大きな黄色と黒の蜂をお願いしましたの。できれば生きたままの蜂が欲しかったのですが、それはジョシュアに反対されました。危ないからですって。刺繍のモチーフにするから実物を見てみたいと頼んであったので、生きていないほうが動き回らなくていいとも言っていましたわね。


 どこかで蜂の巣が駆除された日に、硝子瓶の中に大きな蜂の死骸を数匹入れて、その日のうちに届けてくれました。

 

 え?

 ああ……そうなのですよ。蜂は死んでいても問題はないのです。ただし新鮮な死骸に限りますわね。お腹を押せば毒針が飛び出すのですよ。


 さあ、蜂が手に入ったのなら急がなくてはなりません。

 

 王は私との事を終えると、お気に入りのワインを一杯飲んで寝入ってしまいます。その夜はいつもより多めにグラスに注いで差し上げました。


 深い眠りに入ったころを見計らうと、王の手首にそっとレースのリボンを巻いて、寝台の両端に結びつけました。レースのリボンなどは殿方が本気を出せばすぐに引きちぎられてしまうかもしれませんが、もしも気付かれたときに、一瞬だけでも動きを止めることができたら……その隙に毒針を刺せますでしょう?


 隠してあった硝子瓶を音を立てないように棚から取り出して、厚い布を縫った手袋を嵌めました。瓶の蓋を開けると金属のツマミを使い、蜂を二匹取り出して慎重に手のひらに乗せました。


 恐ろしい顔をした、鋭くたくましい顎を持つ大きな蜂です。ケルベロスは地獄の番犬と云われていますが、この蜂はさながら地獄の使者のようです。ですが、これから王を地獄に導いてくれるのだと考えたらとても可愛くも思えました。


 まず一匹目。お腹を押して王の白い頸に毒針を刺しました。

 その途端になんとも形容し難い呻き声を上げて、王は目を見開きました。すかさずに、そのまま二針目を打ち込みます。

 王は混乱しながらも腕を上げて、頸の辺りを払いのけようとしました。レースのリボンは案外と役に立ってくれて、王の腕は頸までは届きませんでした。王は混乱したまま私の姿をその瞳に映しました。私は素早くタオルを王の顔にかぶせて覆い、その上からボトルの中のワインを注ぎました。それから二匹目の蜂で、今度は王の腹を三回刺しました。王は何かを短く叫びましたが、口を(ひら)くたびにワインに濡れたタオルを吸い込んでいたので、なにを言ったのかまではわかりませんでした。あまり大きな声を出されても困りますから枕を顔に押し当てて、足や手をばたつかせて暴れる王を押さえつけることに、とにかく一生懸命でした。無我夢中でした。どれくらいそうしていたでしょう。


 気がつくと……王は手足を痙攣させていました。それを眺めていると、痙攣もじょじょに収まりました。そうっと枕とタオルを顔からどけてみると……。苦悶に顔を歪めて目を見開いたまま、息絶えておりました。


 あんなに我が物顔で君臨していたのに……。人間なんてあっけないものですわね。

 赤いワインがまるで血のように、髪や顔を伝って頸から滴っておりました。……ふふふふっ。


 タオルを顔にかけることは初めから考えていたのですよ。だってもし王が蜂に刺されても腫れるだけの方だったら……。私は困ってしまいますもの。


 さあ、それでは本当に最後の仕上げです。

 

 蝋燭の火を部屋に移していきました。カーテンや寝台に。最初は白い煙を上げてチロチロと(くすぶ)っていましたが、だんだんと燃え広がっていきました。


 しばらくぼんやりと真っ赤な炎を眺めたあとに、私は「火事です!」と大きく叫びながら廊下に飛び出ました。護衛たちが慌てて寝室に駆け込んだ隙に、私はエントランスホールから宰相の別邸を抜け出しました。


 逃げようとしたわけでも、逃げられると思ったわけでもないのです。

 ただ……あの屋敷から自分の足で出て行きたかったのかもしれません。


 そのあとのことは貴方もよくご存じでしょう?

 すぐに私は捕らえられましたわ。


 ジョシュアたち?

 そうそう。まだお話しをしてはいませんでしたね。


 事を起こす日の夕方に、あの侍女に預けていた封筒があるのです。それはジョシュアたちが王の命によって関わった裏の仕事の一覧です。

 

 もちろんジョシュアは私に仕事の詳細を話していたわけではありません。ですが、好奇心旺盛な侍女は世間の噂にも詳しいのです。ジョシュアの話と侍女の話、ほかにもいくつかの断片を組み合わせると……。ね、少し頭を使えばわかりますわよね。


 侍女には刺繍に使うから揃えてほしい糸や布の種類だといって渡しました。封筒を開けたら……さぞや驚いたことでしょう。最後に一行だけ添えました。知られないようにして、これは貴女の都合がよいように慎重に使いなさい、と。


 侍女はうっかりはしていますが、決して頭が悪いということではありませんのよ。好奇心が旺盛な分、落ち着いてよく考えることができるようになれば、とても優秀な侍女になるでしょうね。


 さあ、この一覧表を宰相に渡すのか、もしくは王に恨みを持つ家門に売り渡すのかは侍女次第です。ふふふっ。


 宰相は王と腹の探り合いをしていた部分もあるのですから、裏側のすべてを知っているわけではないようでした。

 一覧が宰相に渡れば、ジョシュアたちはこれから宰相の犬として一生飼い殺しです。

 侍女が王に一族の誰かを消されていたり、禍根を持つ家門に売り渡せば……。同じように裏で消されるか、表立って糾弾されて社会的に抹殺されるか……もしくは、その両方かもしれませんわね。私は見届けることは叶いませんが、どちらにせよ、あんなにも救われたがっていたジョシュアには救いなど訪れないのです。もちろんほかの者たちにも、永遠にね。

 

 あら……? 今、鍵を開ける音がしましたわね。


 貴方はよい聴き手でしたわ。

 こんな楽しくもない物語を真剣に聴いてくださって、感謝しかありません。


 でも、そろそろ終幕のお時間ですわね。

 靴音が近付いてきましたもの。


 あらあら、そんなお表情(かお)をなさって。世の無情を嘆いているのかしら? それとも、まさかとは思いますが私への憐憫でしょうか?


 ……そんな必要はなくってよ。だってこれはすべて作り話かもしれないのですよ? ふふふふ。


 貴方は本当にお優しい方ですわね。

 こんな女の戯言はすぐに忘れてしまいなさいな。


 私はね、今とても幸福なのです。すべてをやり遂げて、愛おしい旦那様やお父様、お母様に会いに行けるのですもの。でも、早く来すぎだと怒られてしまうかもしれませんわね。


 ああ……ほら、もう時間です。


 では、ごきげんよう。


 貴方の幸福を心から願っておりますわ。



 






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