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ステルス&食事

 診療所前での一件以来、僕はとにかくマリアに会う事を避けるようになった。仕事は他二人を当てに無断欠席し、昼の間は町の端っこで時間が過ぎるのを待つ。そして誰もが寝ているような時間にそっと孤児院に帰って眠れぬ夜を過ごす。


 そうしている内にもう4日が過ぎたが、今のところは誰からも変な目で見られてはいない。僕を犯人として糾弾しにくるような人もいない。ただそこにいるだけで何もしない透明な存在として町に居座る事に成功していると言える。


「腹減ったな……」


 村の木陰から食事処を観察しながらそう呟いた。腹の減り具合みたいな特にネガティブでもポジティブでもない単なる事実はよく独り言に採用する。何かの言葉を定期的に声として出力する事によって他のあらゆる思考を一時的に遠ざける事ができるのだ。


 そうして持つ者を羨む貧乏人みたいにぶつぶつ言って店を見ていたら、その入り口からマリアが出てきた。その姿が診療所の方に消えるのまでを確認した所で僕はやれやれと木陰を抜けて、店の方へと歩いていった。


「塩パスタ一丁」


「あいよ!」


 昼食にしては大分遅い時間に注文したパスタをフォークに巻き付けて口に放り込む。マリアが平時より少し遅い時間に昼食に来たため、マリアの後に店に入る僕は必然的に更に遅く食べる事になる。いちいち他人のスケジュールに合わせるのは本当に面倒だと思う。だが万が一にも鉢合わせるのは嫌だからこうする他はないだろう。


 シンプルな塩気の効いたパスタを咀嚼する。ズタズタに切り刻んだ麺を空っぽだった胃にどんどん押し流していく。そうして機械的にあごや舌を動かしていると、やる事のない頭が俯瞰的な視点で自分を観察し始める。


 こいつは一体何のためにノウィンにいるのだろう?


 ステラがいなくなった穴を埋めるため、陰ながら村を支えるためにノウィンへと戻って来たはずだ。それが今では診療所の仕事すら休み、ただ自分の心を守るためだけに時間を費やしている。もはや何のために存在しているのかすらわからないし、そもそもノウィンはジョシュア達主導の元に既に上手く回り始めている。


 既に細切れになった麺をそれでも咀嚼しながらうつむいてテーブルの木目をじっと見つめる。少しでも気を抜けばすぐに思考の沼に沈み、こうして延々と考え込んでしまう。思考は苦しみに繋がるというのに、その苦しみを求めるように僕の頭は勝手に色々な事を考え出していく。


 だが店のドアを開けて入った一人の客がそのまま視界の中にまですっと侵入してきた事で、期せずしてその思考は中断された。丸テーブルの向かいの椅子が引かれ、その女はそこへと座る。


「こんな所で何してんの?」


 顔を上げると、そこにはアナスタシアがいた。両腕をテーブルの上で軽く組んでこちらを見ている。


「アナスタシアか」


 少しほっとしてそれだけ言い、またパスタを口に運ぶ。僕は彼女に対して何か言う事は無い。そして彼女の方も黙ったまま僕の食事を見続け、沈黙が生まれる。


「……食事に決まってるだろ。料理店に来て他に何があるんだよ」


「まあそりゃそうだよね」


 空気に負けて僕は最初の質問に答えた。別にアナスタシアは何も言わないのに、なんだか責められているような気にさせられた。


「最近マリアを避けてるでしょ」


 その一言に、フォークを持つ手が止まる。ずっと沈黙したまま店を出てりゃ良かったと思った。そして食事は遠くの町で取るようにして、二度とここに近付かないようにしていればと。


「ねえ、マリアと喧嘩したの? マリア最近嬉しそうだったのにもうずっと落ち込んでるよ」


 問われて、今度こそ本当に黙る事しかできない。「別に」とすら口が動かなかった。もちろんマリアの腹を殴りつけたなんて言える訳が無い。


「マリアと会いなよ。マリア別に怒ってないよ、ただショック受けてるだけ。ちゃんと会って話せばまた元通りに仲良くなれるから大丈夫だって」


 事情の知らない彼女の楽観的な予想が、逆にどうしようもない現状をますます浮き彫りにしていく。元通りになんてなれるわけがない。あんな事をされて綺麗さっぱり忘れてくれるような人間はいないし、そもそもマリアとの関係自体が僕自身のあり得ない妄想によって成り立っていたのだ。もはや自分を善人と信じて他人と対等に接するような真似は僕にはできないだろう。


 遠く幻のようになってしまった数日前までの日常を思い出し、また一つ大きなため息をつく。するとアナスタシアが業を煮やしたようにテーブルに身を乗り出してきた。


「そんな風に怖がってちゃ何もならないでしょ! 勇気を出さなきゃ! せっかくライト最近明るくなったと思ったのに、これじゃ逆戻りじゃん!」


「逆戻りじゃないんだよ!」


 勢い込んで発言したアナスタシアは、逆にこちらの大声にびっくりして身を引いた。そうだ逆戻りじゃない。進んでもいないのに戻る訳がないだろうが。ただ現実から目をそらして馬鹿みたいにはしゃいでいただけで、何か少しでも意味のある一歩を踏み出せていた訳じゃないのだから。


「そんなにマリアと会いたくないの?」


 少し慎重な態度になったアナスタシアが僕の顔色をうかがいながら質問するが、それにも答えない。別に会いたくない訳じゃない。会ってもどうにもならないだけだ。そしてそれを目の前のアナスタシアに説明するのも同じように難しく、もはや言うような事は何も残ってはいないのだ。


 彼女は最初数秒間だけ僕の反応を見ていたが、やがて僕に答える気が無いのだと知ると難しそうな顔で髪をいじり始める。しかしその途中で何かに気付いたようにぱっと目を見開くと、またまた僕の方に向き直ってきた。


「ねえ、じゃあ今日は私と一緒にダンジョン行こっか!」


 え? アナスタシアとダンジョン? 何で?


 何から何まで疑問だらけだが、しかし当のアナスタシアは名案でも思い付いたような顔で嬉しそうにしている。僕が今からダンジョンに行った所で何かの問題が魔法のように解決されたりするものだろうか。

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