人の気持ちからは逃げられない
あれから僕はずっと家にこもっていた。自分として生きる事をやめ、何も成さずに横たわる毎日。
僕はもうこれでよかったのだ。外に出たり、太陽を浴びたり、冒険者をやったりせず。ただ家のほこりみたいにこの場所で朽ちていく。それが幼馴染の人生を奪った僕の正しいあり方。僕はこの暗い暗い中で動かなくなるまで、このまま━━
「ほらあ、また布団被ってる! さっさと起きてください!」
布団を勢いよく引っぺがされ、床に転がり落ちる。目の前の天使が眉をつりあげながら、こちらを見ている。
「今から干すんですから邪魔しないでください! 今日は良い天気ですから外にでも出ていらして!」
片手ずつに掛け布団と敷き布団をかかげながら、天使モニエルは器用に窓を開けて部屋に日光を引き入れる。爽やかな風に目を細めてうんうんと頷いている。
「外なんか出る訳ないだろ、全部お前がやるんだから」
「はあ~! ほんとに頭が痛くなりますわライト様!」
布団を両手に持ったまま、眉間をおさえるモニエル。
「あなた他にする事は無いのですか? いや良いんですよ、この際遊んで暮らすっていうならそれでも。でもあなた遊んですらいませんわよね?」
呆れた態度で喋り始めるモニエル。
「毎日毎日ただ寝ているだけで、その身に内包する素晴らしい力を一切活用していない! 何なんですのあなた!」
理解できないといった様子で両手の布団が嘆息のジェスチャーを取る。
「その気になれば世界を変える事も多くの人を救う事もできる! なのにその体たらくは勿体なすぎるでしょう! さあ服を着替えて、今すぐ広い場所へ旅立つのです!」
「うるさい寝る」
「んも~~!」
聞いてられずに床にうつ伏せた僕に、彼女は歯痒そうにうなる。両手に布団がなければ肩を揺さぶって起こそうとしただろう。諦めてさっさと布団を干してこい。
「世の中にはあなたの力が必要な人達がたくさんいるんですけどねえ……最近大変らしいノウィンの村とか」
ぴくりと、動かないと決めた体が動いてしまう。モニエルはそれに気づく事もなく、布団を持って家の外へと出て行った。
体を起こして部屋を眺める。机の上に一枚の紙。風魔法で浮かせて手元に引き寄せると、そこには「支援募集! ノウィンでの働き手を求めています!」と書かれていた。
「働き手募集か……」
つぶやきながら村の寂れ具合を思い出す。来るわけがない。あの立地が悪く活気も無い村にわざわざ助けに来るお人好しなどいる訳が。
横にもならずただ重苦しい気持ちであぐらをかく。どうせ床でも布団でも眠れない。故郷の事が頭をよぎる内は家の中にじっと転がる事すらままならなかった。
「ほーら、シチューができましたよライト様~!」
大鍋を持ってモニエルが食卓までやってくる。夕飯のシチューが順に食器によそわれ、食欲をそそるにおいがたちこめていく。
「今日は青果店の奥様がたまねぎを一個おまけしてくださったんですのよ! あとね、冒険者ギルドでパーティメンバーが私の戦いっぷりを褒めてくれたんです! いやあこの町の人達はほんとに良い人ですわあ!」
「え? お前冒険者やってんの?」
何処で金を稼いでるのかは気になっていたが、まさかの冒険者とは。しかし考えてみれば即日金を持って返るにはそれくらいしか選択肢が無いのか。主に戦闘のサポートとして呼ばれるのが天使なのだから、なんなら適職とも言えた。
「ライト様も冒険者やるといいですわ! やればやるほどお金になって、やりがいがありましてよ! パーティとの絆! Sランクの夢!」
「そりゃそんな時期もあったけどさ」
今は金も名誉もどうでもいい。僕がほんとに必要とするものが手に入る事は絶対に無いのだから。
「ただ、ギルドでいちゃもんつけられる事もあるんですけどね! 酷いですわまったく! 私は何もしてないのに言いがかりみたいに絡んできて」
次々とその日の出来事を回想する彼女は、今度はぷりぷりと怒りだす。確かにギルドってのは行儀の良い連中ばかりではないからそういう事も起こりがちだが……。
「なあ、もしかして天使である事がばれてるんじゃないか」
「え、それってばれちゃいけなかったんですの?」
あっけらかんと返すモニエル。何だっておい。言ってない僕も悪いけど。
「まあでも大丈夫ですわ! 私はただ仕事をしているだけで、素性を明かしたりもしてませんから! ただの新米冒険者としか見えませんわ絶対!」
朗らかに笑い飛ばすモニエルだが、僕は不安な気持ちが尽きなかった。彼女が天使だとしたら、そのマスターは誰なのか。天使を呼び続けるほどの規格外の魔力、家に引きこもり続ける奇行の理由……いくらでも寄ってくるであろう好奇の視線。
「部屋で食べる」
「こらこらあ! 駄目ですわよ、またそうやって部屋に閉じこもってぇ!」
口うるさい天使を無視してシチュー皿を片手に部屋へと入る。壁の向こうからの呼びかけを遠く感じながら、溜息をついた。何もかも上手くいかない。ただ何にも関わらなければいいだけなのに。
「あれ?」
ふと見ると、部屋の机に見慣れないものが置いてあった。一片15cm程度の綺麗な木製の箱。近付いてみると紙が一枚ぺらりと貼ってあり、手に取ると文字が書いてある。
その文面を見た時、僕は絶句した。
震える手がシチュー皿を落としそうになる。何かの間違いかと思って何度もそれを見返すが、その度に同じ言葉がただ視界の中に揺れる。
こんなものあり得ない。あり得ない僕に向けたメッセージ。
「な、何で……」
口に出して呟いたところで目の前の箱は何も言わない。閉じた部屋の中には一方通行の声しか響かない。だってここには僕しかいないのだから。外の何かを知るためにはまず外に出る必要があった。
他人の事をつぶさに知れるのは外にいる人間だけなのだから。
照り付ける太陽の下、僕は町を歩いていた。ずっと部屋に閉じこもっていたからか、ただの昼が眩しくて仕方ない。空の恵みをわずらわしいとすら感じながら、僕は人の行き交う道を早足で進んでいた。
「一回だけだ……一回だけ、外に出て……そして……」
言い聞かせるようにぶつぶつと呟く。ほんとは出たくない。だが家にいても昨日のあの紙がずっと頭にまとわりついて離れないのだ。
きちんと人並レベルの速度で歩いていくと、冒険者ギルドが見えてきた。冒険者がクエストを求めて集まる場所……久しぶりとさえ言えるその建物に妙な敷居の高さを感じながらも、僕は変わらぬ速度で中に足を踏み入れる。
「だから、違うって言ってるじゃないですか! いい加減にしてくださいません事!?」
と、そこで突然奥の方から不本意そうな大声が飛んでくる。聞き覚えのある声だ。
「そうやって怒るって事は、何か後ろ暗い事があるんじゃないですかモニエルさん?」
「しつこいですわ! なんで受付に来るたんびにそんな事言われなきゃいけないんですの!」
え、声の主はモニエルじゃないか。しかも言い合ってるのは受付のフィリアさん。一体あんな大声で何を……。
「だって、あなたがライトさんの体を買ってお金を払ってるとしか考えられないじゃないですか!」
その言葉を聞いて、本気でずっこけそうになる。何かの冗談かと思ってもう一度顔を上げてそちらを見るが、彼女たちの顔は真剣だった。
「なんでいきなり退職したのかずっと謎だったけど、合点がいきました! よくないですよそういうの! ライトさんが何の生産性も無いヒモになっちゃってるじゃないですか!」
「私だって働けって毎日言ってますわよ! なんですか、こんなピュアピュアな冒険者をつかまえて失礼な!」
「いやピュアピュアって、その露出度の高い恰好は明らかにそういう人の衣装じゃないですか!」
「そういう人ってなんですか!? 天上の世界の素晴らしい衣装なんですけど!?」
「て、天上の世界……!?(意味深)」
二人の言い争いを聞きながら、困惑のままに頭を押さえる。もしかして世間からそう見えていたのか? この数週間くらいずっと? いや、確かに言われてみれば他の関係が何も思いつかないくらいだが……。
「もうつきあってられませんわ、帰ります! 早くライト様にお金と食べ物を届けないと……」
「ほらそれえ! 駄目にしてるでしょ絶対! どう考えても便利な女じゃないですか、ちょっと!」
口論を振り切ってカウンターにきびすを返すモニエル。あわてて木箱の裏に隠れ、建物から出ていく彼女を見送る。
「まったく……ライトさんもいつまでヒモ生活を続ける気なのか……」
ほおづえで溜息をつくフィリアさん。片手でクエストの書類を見ながら尚もぶつぶつと呟いている。
「いや、ヒモじゃないんですけど……」
「うわ!?」
フィリアさんはバランスを崩して書類を落としそうになる。話題の人物が突然目の前に現れたせいで、取り乱したようだ。
「驚かせないでくださいよ、いきなり現れて心臓に悪い! どこがヒモじゃないって言うんですか、女性に生活全ての面倒を見てもらっておいて!」
「え、いやそれはそうなんですけど……でも、対価は払ってるというか……」
驚きつつも即座に正論で切り返す彼女に、一気にこちらがしどろもどろになる。もしかして僕はヒモなのか? 魔力で雇った天使相手でもヒモなのだろうか。
「まあいいです……ここまでやってきたって事はとうとう家にこもるのをやめて、ギルド職員に復帰しにきたって事ですね」
「い、いや、そういう訳じゃないんですけど」
すこし軟化の姿勢を見せる彼女に、僕はバツの悪い気持ちでもごもごと口ごもる。
「今日は人探しを頼みたくて」
「人探し?」
不思議そうな目がこちらに向く。冒険者ギルドは様々な依頼を請け負っており、人探しもその一つだ。
「10歳くらいの女の子……」
目をそらしながらそう口にする。フィリアさんは察したような顔でしょうがなさそうにため息をついた。
「おいしかったですか、あのあめ玉」
「ど、どうしてそれを!?」
心を覗かれたような感覚を覚え、僕はカウンターに詰め寄った。
「知ってますよ。あの子に透明な盾の冒険者の事を教えたのも、あなたが泣かせた後に慰めたのも私ですから」
当然のように言うフィリアさん。そういえばあの子はギルドで僕の事を教えてもらったと言っていたが、その時に受付をしていたのか。
……そう、あめ玉だ。昨夜、あの箱にはただの綺麗なあめ玉が詰まっていただけだったんだ。何の変哲もない誰かからの贈り物としか言えないし、そこに貼り付けられた紙にだって別に何か特別な事が書かれていた訳じゃなかった。
『怒らせてごめんなさい、でも助けてくれてありがとう』
本当に、ただ一言そう書かれていただけ。
「彼女はもう町にいませんよ」
「え!?」
思わず驚きをそのまま声に出す。
「彼女は行商人の娘です。親に付いて昨日の昼にはもう別の町に旅立っています」
事も無げに伝えられるその言葉。考えてもいなかった。会って何て言えばいいかなんて事ばかり悩んで、会えもしない事なんて一つも。
激しい動揺に困惑していた。ただ少しバツが悪いから謝りにいく程度の認識だったのに……今こうして何もできない現実を突きつけられて、僕はもう何の言葉も出てこないくらいにただ愕然としている。
「そうやって後悔するなら初めから悪態なんてつかなきゃいいんですよ」
かけられた言葉に顔を上げる。後悔……。言葉を与えられ、自分の激しい感情の正体に気付く。
「あなたは自暴自棄になるのには向いてません」
何も言えなくなる。他人をよせつけないように無理にでも閉じこもったここまでの数週間。いつもそこにいない人物の事ばかり考えて、気付けばおめおめと外に出ている。
「じゃあどうすりゃいいんですか……」
なんとか絞り出すようにそれだけを口に出す。どうしようもなくて行き付いた先だ。それ以上他にどうすればいいのか。
「自分でもわかってるんじゃないですか? ……安心してください、あの子には私からちゃんと言っておきました」
書類に目を戻しながら、フィリアさんは僕に言う。
「あの人もきっと謝りたいと思ってるって。今はただ元気が無いだけだって」
僕はただ黙ってうつむく事しかできなかった。厳しい顔でやけに穏やかなフィリアさんの声。手がポケットに軽く触れると、中で甘いあめ玉が少しだけ転がった。
「それでですね、今日はDランクのダンジョンを制覇しまして~! ライト様見てくださいよ、この現地調達のオーク肉!」
「そう」
楽しそうなモニエルの話を聞きながら町を歩く。買い物中の彼女に見つかってずっとこの調子だ。僕が外に出ているのが嬉しいのだろうか。
「あ、そういえばギルマスから金貨返されたんですけど、いいですわよね? あの方ギルドに行く度「あいつに返しとけ」ってうるさくて、もうノイローゼになりそうでしたわ!」
「ああそうなんだ」
モニエルを呼んだ初日、ギルマスに渡した違約金か。金で静かになるなら簡単だと思って渡したものだが、結局そうではなかったらしい。
「……えっとお。ところで、あのー、ライト様」
話しながら帰路を進んでいると、モニエルが歯切れ悪そうになる。珍しい彼女の態度に金でも無心するのかと顔を向ける。
「故郷に……ノウィンには、帰られないんですの?」
その一言に足が止まった。ノウィン……勇者の死んだ村。罪を置いてきた場所。
「すいません、探った訳ではなくて! ただ、受付の方と話していたらライト様の出身を知ってしまって……」
彼女は慌てるように釈明する。今日みたいな調子でフィリアさんが喋っていれば、ステラの死について言及するのは想像に難くない。
「私、あなたの力が勿体ないとか世界を変えられるとか言いましたが……ほんとはどうでもいいんですそんな事。ただ元気の無さそうなあなたが心配だっただけ。今は悲しい出来事を忘れたいというならそれでも構わない」
まっすぐこちらを見てモニエルは言う。その眼差しに欺瞞は無い。
「ただ……ほんとに後悔しないんですか?」
問い掛ける言葉。答える事ができない。
「それで、本当に……あなたは大丈夫なのですか?」
何を責めもせず、ただ僕の心にそっと触れるようなその視線。僕は最強だ。振り払って走り去るのは簡単だったはずだ。
僕は治るためにここにいる訳ではなかった。大丈夫であるために家にこもっている訳ではない。罪を告白する事すらできない罪人が、せめて何も成さず終わっていくためにここにいる。
「知った風な口を利くなよ……」
口に出た一言に語気の鋭さはない。彼女から向けられる視線を遮る事もせず、僕はただ受け入れるままでいる。
この町は優しすぎた。
自暴自棄の堕落した人間を見限らない。暴言をまき散らすその心を想いよりそう。僕はここにいる間中、ずっと間違った気持ちでいっぱいだった。いつまでも周りに支えられてずっと生きていけてしまうような、そんな想像が恐ろしくてたまらなかった。
「旅の準備をしてくれ」
「……ライト様?」
特別な調子も無く淡々と告げる。モニエルはその言葉を聞いて僕の顔をのぞきこんだ。
「行くよ、ノウィンに」
天使の笑みが溢れた。僕の手を取り、力強く両手に包み込む。
「はい、わかりました! これから市場で必要なもの全部買っちゃいましょうね!」
そう言い、僕の手を引っ張って市場を駆けまわっていく。伝わってくる安心と信頼。僕の善性を信じ切った顔。
何を喜んでいる。僕は別に故郷が心配だった訳じゃない。心の内の答えを見つけてそこに進み始めた訳じゃない。
お前を呼んだのは失敗だった。逃げ遅れた母娘を助けたのも、冒険者になったのも、全て。
だから僕はノウィンに行くよ。怒りと悲しみにもだえる村民達に囲まれて沈んでいくために。罪を明かす事も出来ない罪人が、せめてその罪による全ての問題を永遠に永劫に解決し続けるために。
必要なものを取り揃えていく天使とのやり取りの最中、僕はもうこんな呑気な生活は終わるのだという事を静かに覚悟していた。暖かいものをここに全て置いて、つんざく寒さの中で死に向かい凍てついていくのだと。
だがそれでも僕はまだ
これから故郷で待っている数々の現実を何一つ正確に想像できてはいなかったのだった。






