天使が来たよ
チュンチュンと鳥の鳴く声がする。隣家から微かに食事の支度をする音がする。夜が明けて何か変わってくれたかというと、日が照って窓から光が差し込んだくらいだ。
ステラからもジョシュアからも逃げてきた僕は、ただ家の中に閉じこもっていた。夜通し家で膝を抱え続けて、朝になってもまだ座り込んで。
「どうすればいいんだ……」
ここまで百回は繰り返した問いをまた口に出す。もちろんどうしようもない。僕は昨日全ての道を全部間違えて、気付けば暗い穴の底にいた。光は刺さない。もう抜け出す事はできない。
幼馴染の少女が死んだ。ジョシュアとアナスタシアは悲しんでいた。僕は悲しめなかった。もう彼らとは同じでない気がしたから。
人を殺した人間は一体どうなるのだろう。
徹夜をすると眠いし、胃が空っぽになればちゃんと腹が鳴る。しかし何かが違う気がした。体の何かの部分が今までとは確実に違う。極度の空腹で頭が回っていないだけかもしれないが。
「どうすれば……僕はどうすれば……」
意味の無いと解っている問いをそれでも繰り返す。何と返してほしいのかもわからない。もはやそう発し続けていなければそこに存在していられないのか、僕は強迫観念的にずっと永遠のように虚空に向かって問いかけ続けていた。
「おいこら出てこい! いるんだろライトさんよお!」
突然家のドアが叩かれて心臓が飛び出そうになる。僕を責め立てるように猛烈な勢いでドンドン戸を叩く、知らない声の男。うろんな精神状態が消え、目の前の現実が取って代わる。
「は、はい……何ですか……」
扉を開くと、そこには想像通りのいかつい顔つきの男がいた。年の頃は50あたり……服の上からでもわかるがっしりした体格。身なりの良さからそれなりに裕福なのがわかる。
「何ですかじゃないだろライトさんよお。あれだけの事をしといて日が変わったら全部忘れちまったのか?」
男の詰問に震え上がる。もう全てが終わっていたのだ。
言った事の白々しさに涙がにじみそうなほど恥じ入る気持ちでいっぱいになる。開けてすぐごめんなさいと叫ぶべきだったのだ。何もかも失い続けて、もうずっと取り返しがつかないままでいる。
「フィリアがどうしてもって頼むから入れてやったのに、たった一ヵ月で辞めるとはなあ!」
「え?」
突然関係ない事を言われて本気で何なのかわからなくなる。一ヵ月で辞めた? フィリアって……ステラは?
「あ、あの、あなたは誰ですか」
「てめえ、本気で言ってんのか! このバリオンの町の冒険者ギルドマスターだよ!」
そう言われて、頭の中にぱっとここ一ヵ月の光景が思い浮かぶ。そうだ、ギルドで働いている時にたまに視界の端を歩いていた人だ。ギルドマスターだったのか。
「す、すいません……ユニーク冒険者だったので……」
「ふん! てめえのような根性なしは許せねえんだ俺は。違約金を要求してやってもいいところなんだぜえ?」
「あ、はい。わかりました」
「あん?」
凄んで言うギルドマスターに僕はそばの机に置いてあった袋を持ってくる。この前のグリフォンの翼を売った金貨50枚も含めた全財産。
「ではこれで」
「は? お、おい待……」
僕は大金の詰まった袋を彼に押し付けてドアを閉めた。きちんと鍵もかける。
「おいこら、何やってんだこら! そうじゃねえだろ! おい、閉めんなって……開けろおい!」
しつこくドンドン叩かれるドアから遠ざかる。ギルドの話でよかった。今は重要じゃないから考えなくていい。
「無一文になっちゃった」
他人事のように目の前の状況をつぶやく。
金なんて欲しくもないが、無くては生きていけない。しかし働く気が起きない。朝食を用意する気も、部屋を片付ける気も、何も。
「生きたくないなあ」
自然と気持ちが声に出た。全て困難なことのように思えた。もはや僕には何もかもができそうにない。
「天使がいたらいい」
口の中にぼそっと呟く。静かな部屋。
「あーあ、天使が来て僕を養ってくれればなあ~~! 天使が来ればなあ~~!」
良いアイデアだったので、一度口に出したら止まらなくなる。何もしない僕を誰かが世話すれば何も問題無い。
「天使が僕の代わりに働いて僕の世話をして、僕が何も動かなくなれば一番良いなああ~~~!!」
良いアイデアの良さがどんどん加速していく。僕なんて動いててもしょうがない。横たわって物を食べて息をして、いつかほんとに動かなくなるまでじっとしていれば、きっと他の皆は今よりはニコニコ生きていられるじゃないか。
何て良いアイデアなんだ。何で天使がいない。何で天使がいないんだおい、何でだよおい。何でだよ、聞いてるだろなあ。 何で 何で 何で何で何で何で何で何で!
何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で!
「呼ぼう」
ガリガリと部屋の床に陣を書く。雑に片手を前に突き出して適当に膨大な魔力をその先に集中する。地へと下りるしるべとなる複雑な魔力パターンの構築が完了し、僕は召喚のトリガーを引いた。
「最下級天使『召喚』!」
手から解き放たれた魔力が陣へと吸い込まれ、まばゆいばかりの光が徐々に人を形作っていく。
聖属性の魔法には召喚というものがあった。天上に住まう天使とかいう存在を呼び、魔力供給とひきかえに一時的に協力させる魔法。Aランクで数分、Sランクでも数十分……つまり僕なら永遠に従わせ続ける事ができるのである。
「お呼びですか地に住まう方! わたくし、モニエルと申します!」
陣の上に現れた、白くだぼついたローブを着た女性。最初人形のようにも思われたその顔には瑞々しい血の気が刺し、こちらを向いて笑みを浮かべている。
「はじめまして、僕はライト」
「ああライト様、なんて膨大な魔力を持つお方! うふふ大丈夫、私はあなたに必要な事をちゃんと理解しておりますよ! あなたが一番喜ぶ事を!」
まだ何も言ってないのに、熱っぽくこちらの手を握ってくるモニエル。よかった流石プロの天使だ、こちらの要求をきちんと理解してくれているのだ。なんて思っていたらその肉感的な体を僕に押し付け、そのままこちらを床へと押し倒してきた。
「は?」
突然の事にされるがままになる。なんだこれ、上に乗られて空っぽの胃がさらにぺたんこだ。胃液が逆流しそうになってムカムカしてくる。
「どうです、ドキドキするでしょう……ねえ、あなたならば私とずっと一緒にいる事もできる。良いんですよ、私との交際を願っても……」
「は?」
何言ってんだこいつ。
突然やってきた女が僕にせまっている。1秒で僕に惚れている。嬉しいと思えばいいのか? 嬉しいって? こんな美人でグラマーな大人の女にもてて、恋人になろうと言ってもらえて嬉しいって?
「喪中なんだが!!!??」
「ひえ!?」
怒りのあまりに爆発してしまう怒号。あまりの剣幕に上に乗っていたモニエルはばっと飛びのく。
「え、え、もち……? 何ですって? え?」
「お前、プロの天使のくせになんだその独りよがりな態度! 交際が何だ!? やわらかおっぱいが何だ!? 明らかにそういうのじゃない時の顔をしてるだろうが!!」
「も、申し訳ありませんでした! 純朴そうな少年に嬉しくなってしまい、つい……!」
こちらの反応にモニエルは大いに動揺しながら、姿勢を正して謝罪する。
「そ、それではライト様、改めて指示をお願いします」
「ああ」
態度を改めたモニエルを面白くもない顔で受け入れる。
「これからずっと僕を養え。金を作って、食事も作って、家の管理もして。僕が死ぬまでそうしていろ」
「は?」
先の動揺を引きずったまま、更に呆然とした顔になるモニエル。
「ちょ、ちょっと一体何を……」
「ああ、それと」
彼女の困惑に付き合わずに僕は言葉を続ける
「あの人にお帰りしてもらって」
片手に指さしたドアの先。先程からずっと何事かわめきながらドンドンとドアを叩き続けているギルドマスター。
「じゃあ帰るまでに全部やっといてね」
「ちょ、ちょっとライト様!?」
僕はそれだけ言い捨てると、開けた窓から外へと飛び出した。なんだかうるさい場所だなと思ったからだ。
しばらく外をぶらぶら歩いて、それでほとぼりが冷めたら家の中に永遠に転がり続けるとしよう。
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