問い
何かを探す目的でなく空を飛ぶのは久しぶりだった。同じ大陸横断でも直線でひとっ飛びなら大分心の負担は軽い。脇に物を抱えて少し変わった姿勢で飛んでいるというのもなんだか新鮮である。
「よしここだ」
眼下の地面に着地し、抱えていた魔物の姫を雑に下ろす。
ここは先程とは別の山……というよりは切り立った崖に囲まれた高い台地、テーブルマウンテンだ。ノウィンから東に離れた沼の中に位置し、人にとって有益なものが無いために誰も寄り付かない場所である。今回人のいない場所探しを思い立った時に真っ先に調べて何も無い事が確認済みな場所だ。
放られた魔物の姫は座り込んだ姿勢のまま僕を鋭く見上げた。足が折れている都合上か、足先を外側に崩している。
「……無粋な場所だな。客を招く時は礼を尽くすものじゃないのか」
飛んでいた時は何も喋らなかった魔物の姫が口を開く。「客じゃないからな」などとわざわざ言うのも面倒くさく、こちらは無言を通す。
「君は一体何者なんだ。ワイアームのあの巨体を動かしてみせたカラクリが全くわからない。力だけではああはならないはずだ。やはりあれはユニークスキルなのではないのか」
「質問するのはこっちだ」
相手の言う事に答える必要もなく、先のワイアームのようにただ絶対的な力の下に疑問を切り捨てる。魔物の姫は少し黙るが、それからまた諦めたようにふっと笑みを浮かべた。
「良いさ、何でも聞いてくれ。どうせ魔物なんて人間に有効利用されるものだ」
おかしそうに自虐的な言葉を口にする。こいつを倒したらどこを素材に使えるのだろうかなどと割とどうでもいい事を考えてしまう。
「じゃあ遠慮なく聞かせてもらおう。魔物を操り、人類に攻撃を繰り返している魔物の姫というのはお前だな」
言っていてまるで何かの審判のようだなと自分で思う。魔物相手にこんな形式的確認じみた問いもなんだか不思議な気分である。
「え? 魔物の姫?」
だがてっきり軽く頷いてくるかと思っていた魔物は、まるで予期せぬ事を聞かれたとでもいうような疑問符付きの反応を返してくる。こちらとしても予想外のその態度に眉をひそめずにはいられない。
「お前が魔物の姫じゃないのか? 人類に仇名す目的で魔物を操っているという、白い髪の魔物だ。半年前にルモーラ、二年前にタロドで目撃されているが」
「ルモーラ……ああ、いやそれは確かに私で間違いない。コボルトとかをけしかけた時だろ」
具体的な話が聞けてほっとする。けしかけた魔物の内訳なんて知らないが、他に似たような事件があったという話も聞かないので本人だろう。
「確かに間違いない……だけど……」
だが魔物の姫は肯定しつつもやはり歯切れ悪そうに口ごもる。何か言いたげな態度だ。
「私って人間にばれてたのか?」
純粋に疑問そうに尋ねる魔物の姫。その口ぶりは先程みたいに冗談で言っている風では無かった。
「目撃例が複数あったらしい。魔物が不自然な集団行動をしている近くに白い髪の怪しい女がいたと」
「そうか……見られていたのか。うまく隠れていると思ったんだがな」
少し気の削がれた声で顔を伏せる魔物の姫。どうも人類圏での自分の噂について知らなかったらしい。一応明確な目撃例は近年かららしいので、相当暗躍できていた方ではあるのだが。
「しかし、フフ……魔物の姫ね」
「なんだ?」
暗躍の失敗に肩を落としているのかと思えば、またしてもなにやら笑い出す魔物の姫。
「いや、人間には私が女に見えたのだなと思ってね」
「は?」
本筋と関係ない所で不意打ちのように面食らう。なんだ、まさか男なのかこいつ? 綺麗で流れるような髪、整った線の細い顔立ち。そういう顔の男だと思えばギリギリ理解できなくも無いかもしれないが……。
……と一瞬軽く驚いたが、それからすぐに向こうが言わんとしている事にピンと来る。そうだ、普段意識するような事でもないのですっかり忘れていたが。言われてみれば当然の事じゃないか。
魔物には性別なんて存在しない。
何故なら魔物は生殖で増える生き物ではなく、ダンジョンによって増える生き物だからである。ダンジョンによって魔物が生み出され、外に出た魔物が更にダンジョンを生成する。魔王のユニークスキルによって原初の魔物達が生み出されて以来、こいつらは現在までそうしてその存在を繋いでいるのだ。故に魔物は性差など必要としないし、男も女も無いのである。
「魔物の王子の方が良いなら、そっちで記録に載せてやるよ」
「そうだな、考えておこう」
王子だか姫だか知らないが、目の前の魔物はこちらの軽口に対して笑って返した。まさかの人違いかとも思わされたが、そもそも何者であるかの共通認識が無かったらしい。結局どんな名称も勝手に人間が付けたものであり、当人達からすれば全て意味の無いものなのかもしれない。
「さて脱線したが、聞くべきことは聞いておこう。お前はワイアームとはどういう関係なんだ?」
「何回か交渉した事があるだけさ。少なくとも友人では無いな。あいつらが重視するのはワイアーム同士の横の繋がりだけで、魔物を含めた他の全ての生き物を利害関係でしか見ていない。もちろん人間に対しても同じ事だ」
相変わらずワイアームに対して批判的な言い草だ。言外に人間との共存関係にも限界があるのだという事を指摘しているように見える。
「お前はワイアームと人間との不可侵状態は続かないと思っているのか」
「当たり前さ!」
わが意を得たりと上半身だけの大仰な身振りで声を上げる魔物の姫。
「むしろ人間の方にこそ聞きたいくらいだ……いつまでもワイアームとの同盟を保ち続けるのか? 仮に世界を統べる力を持つユニーク能力者が生まれたとして、ワイアームを倒しうる強力な魔道具が開発されたとして……その時君達は本当にワイアームを殺さないのか? それが答えさ。ワイアームにとってもな」
先のワイアームとの議論の延長戦のように雄弁に語る魔物の姫。もはや僕には想像し辛いが、確かに高い知能を持った巨大なドラゴンの存在は恐ろしいだろう。「チャンスがあれば……」そう考えてしまっても不思議ではない。
「ワイアームは人間を恐れて手出しを避けているが、奴らはその膠着だっていずれ怖くて仕方なくなるだろうさ。数百年大丈夫だったからって、今後も同じである保証は無い。考えずにはいられないさ、今この瞬間にも自分たちを滅ぼすユニーク能力者が生まれているのではないかと」
「なるほど」
そこへ行くと先程僕がワイアームに力を見せつけたのはまずかったのかもしれない。奴が僕の強さをどの程度と見たのかはわからないが、その判断によっては戦争のきっかけになる可能性もあるのか。
ただ、これも根本的には目の前の魔物の自論に過ぎない。何百年も人間と停戦状態だったワイアームがその程度の事で動き出すかは怪しい所だ。むしろこうしてついつい話に聞き入ってしまっている今の状態の方がよっぽど危険だと言えるかもしれない。
「わかった、じゃあ最後に一つだけ質問だ」
話を切り上げるために改めて前置く。魔物の姫もその言葉に居住まいを正してこちらを見た。
「お前はノウィンの勇者を殺したか?」
「え? ああ……」
念頭に無かった事を聞かれたというように魔物の姫は勢いを無くす。ずっとワイアームの話を続けたかったのか、明らかに期待はずれな様子だ。
「そうそう、私の仕業だ。私がノウィンの勇者を殺した」
軽く笑いながら言う魔物の姫。
「あれは数ヵ月前の事だったか、村はずれを勇者が一人で歩いていてね。運良く背後を取れたもんだから、遠くからマジックミサイルで貫いてやったのさ! いやきっとあの時のギリギリの緊張感は君にはわからないだろうな。あの倒れ伏した男の苦悶の声が途絶えるまでのほんの十数秒の……」
言っている途中で魔物の姫はぴたりと口を閉じた。
視線を空想の勇者から自分の腕の先へと移す。いつの間にか目の前の人間によって掴まれているその手首へと。
「いいか、僕は何も今更新しい情報を手に入れようなんて思ってお前を連れてきた訳じゃない」
魔物など取るに足らない。雁字搦めの最強の僕が唯一何とでもできる相手。情報などほんの一欠片だって必要はない。
「お前を連れてきたのは、ステラを殺したなどという嘘がこの世に存在するのが許せないからだ。世界はあるべき姿であり続けなければならない、ほんの1ミリでも嘘の希望を見せてはならない。だからもう一度正しく答えろ。お前はノウィンの勇者を殺したのか?」
微動だにせずに僕の言葉を聞いていた魔物の姫は、再度の問いの後もしばらくの間は沈黙してこちらを見ていた。そして内の逡巡を反映するかのようにその瞳がいくらか揺れた後、やがて魔物は固い姿勢のままに短く息を吐いた。
「やっていない。私はノウィンの勇者と会った事も無い。ワイアームをその気にさせるために言っただけだ」
先程のような余計な装飾を取り払い、ただ淡々と事実だけを述べる魔物の姫。一つ言葉を区切るまでにも相当神経を使っているのが見て取れた。
「そうか、ご苦労」
嘘は真実で上書きされた。世界の汚染は致命的な被害を残す前に除去され、目の前にはいつも通りの冷たい真実だけが残っている。しゃがみ込んで魔物の姫の腕を掴んでいた僕はその手を放し、おもむろに立ち上がった。
「もう聞きたい事は無い」
先程と同じ事を改めて宣言する。魔物の姫は憔悴したような顔でその視線を上げた。
「私の事を殺すのか」
問いかけのような独白のようなその一言。先程の言葉と同じくらいの淡々とした事実確認。
「たまたま目の前にいただけの魔物に情けなど無い。お前は今まで殺した人間の顔を覚えているのか?」
返す言葉など必要無いが、相手の無意味な呟きに合わせてこちらも無意味な掛け合いに興じる。
「……覚えてないよ。直接人を殺した事なんて無いんだから」
「何?」
返ってきたのは予想外の言葉だった。だがすぐにその欺瞞にも気付く。
「人里に魔物をけしかけて襲わせていたはずだ。殺していないなんてあり得ない」
「そうだな。だからそういう時に何人かは死んでいるだろう」
特に言い返すでもなく認める魔物の姫。そうだ、やはり殺したのだ。人死にの有無まで聞き及んではいないが、魔物に襲われた町に死人が出ないなんて事はあり得ない。ここで本人も言っている通りこいつはきっと人間を殺している。一切の情も憐憫も無しに数々の人間達をきっと殺しているに違いないのだ。
だが殺していないかもしれない。確率はあくまで確率であって、たとえ99.9999%だろうがそれを真実と言い切る事はできない。町に魔物をけしかけて誰も殺していないなんてほとんどあり得ない、殺しているに違いない。だがそれでも殺したとは決定的に違うのだ。
「ふふ……そうだな、考えてみれば私は直接人を殺した事が無い。これは果たして私は死罪に値するだろうか? 罰を与えるにしても少々重いんじゃないか?」
最初に問いに答えた時のように冗談めかした調子で物を言い始める魔物の姫。命乞いをしているのではない。ただ諦めているのだ。
「なあ、人間は罪を犯してから初めて罰せられるんだろう。私はまだ誰も人を殺してないんだ、助けてくれよ。だって誰も殺していない者を殺したら、殺戮者は君の方になるじゃないか」
罪を犯したら罰せられる、誰も殺していない者を殺す、殺戮者は君の方。ただただ死ぬ間際の軽口みたいに言っている魔物の姫の言葉が頭の中にガンガンと反響し出す。何の効果も無いと思っているのだろう、人のような顔で人の言葉を喋りやがって魔物風情が。
僕はその手にありったけの魔力を集中した。誰が見ても解る、他のあらゆる存在を凌駕する真の唯一無二。この世界に突出する最強の力。
僕は目の前の魔物をまっすぐに見る。その漲る魔力を攻撃に転化させれば、全ての存在は跡形もなく消し飛ぶだろう。魔物はもう僕の方を見なかった。その人間の女のような顔を伏せて地面ばかりを見つめ、何も言わずに来るべき時を待っていた。最後に言葉を発してから経ったのは何秒か。ただ灰の過ぎ去ったような土の色だけを延々と見続けていた。
「……わかった」
「え?」
魔物の姫が顔を上げてこちらを見る。その目は何の策謀も感じさせずただ何が起こったかもわからないといった様子だ。
「やめりゃいいんだろ、やめりゃ」
捨て鉢にそう言って、魔物に背を向ける。先程右手に収束させた魔力を攻撃ではない別の形へと転化させる。
「『ウッドジェイル』」
全方位の崖下から無数のねじくれた木が空へと伸び上がり、僕らを三次元的に囲んでいく。何物をも通さない格子状に編まれた植物の檻が台地の周囲に作られたのだった。
「禁固刑なら文句ないだろ。じゃあな」
そう言い、僕は振り返りもせずにその場を飛び立った。魔法で木の格子を動かしてすり抜け、空に浮かび上がる解放感に浸る。
どうせあいつはもうあの場から出られない。今日たまたま遭った一匹の魔物の事などさっさと忘れてしまえばいいさ。ノウィンへの帰路に力のステータスを戻し、僕は無心に魔法の風へと漂っていった。
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