ブレイク痴話喧嘩I
「ようこそ、ハイネ様。お待ちしていましたよ」
金髪の女がにっこり笑って頭を下げる。
書記メガネをぶっとばす作戦を思いついて数日が経過し、週末の休暇、私はクライネ本邸を訪れていた。
本邸の中に踏み入ったのは実に四年ぶりである。学園入学前に父と母と兄と食事したのが最後だろうか。本邸には、私より頭が良くて私を利用する意味のある人がたくさんいるから、正直あまり来たくはない場所だ。
玄関ホールで私を出迎えたこの女も、そんな関わりたくない敵予備軍の一人である。
「第三応接室でサカモトがお待ちです。ご案内しますね」
「大丈夫ですよ。家の構造くらい把握してます」
「……かしこまりました」
会話を通してなんらかの洗脳を施してくるかもしれない女の申し出を断り、第四応接室に向かう。
廊下は暗めの茶色で統一されており、等間隔に謎の美術品が飾られている。これらのインテリアはすべて父の趣味で構成されている。センスは遺伝するのか知らないが、それなりに良い趣味をしてるんじゃないかと思う。
暗い廊下を三分ほど歩き、第四応接室に辿り着く。
この家では一人一室応接室が与えられている。左遷状態の私も例外ではなく、第四応接室は私の部屋だ。
ナンバープレートとなんらかの花があしらわれた扉は、この家の中でいちばん気に入っている。私の趣味で作ったんだから、当然と言えば当然だが。
扉を開けると、中ではいつぞやぶりの顔が無愛想に煙草をくわえていた。
相変わらず、無精髭の生えた顔にヨレヨレの服を着ていて、この場に似つかわしくない小汚さだ。
「ハイネ様、お久しぶりです。お元気そうですね」
「お前もね、サカモト。とりあえず、煙草は外で吸ってくれませんか。においがつくので」
「良いにおいじゃないですか」
「関係ないですよ」
ため息をつきながらソファーに腰掛ける。
人の応接室で悪びれもせずスパスパ煙草を吸っているこの男はサカモトといい、私の部下的な奴である。
サカモトは私の幼少期、別邸で使用人みたいな事をしていた。本来は商人として採用されたが、無愛想で傍若無人な部分があり、別邸のある街の出身だったことも相まって別邸に左遷されたのだ。
その時代にサカモトが私の生活資金からいくからネコババしていた事をネタに、私は今もサカモトの手綱を握っている。大した実績もない平社員だが、他派閥にも属していないため多く警戒する必要のない、クライネ商会では貴重な人材だ。
サカモトから煙草を奪い取り、室内に設置された水槽に投げ入れる。見目麗しくはないが、後でサカモトが掃除するから構わない。
サカモトはちょっと不満そうな顔をして、ソファーに腰を下ろした。
「で、何の御用で」
「仕事ですよ。他にあります?」
「ま、ですよねぇ」
なんなりと、と全くやる気のなさそうな顔で続きを促すサカモトに、私は一度頷いて、今回の頼みの内容を手短に説明する。説明が進むにつれ、サカモトの顔からはどんどん面倒くさいオーラが溢れてくる。しまいにはテーブルに突っ伏して、なんらかの呪詛を垂れ流し始めた。
話を終えると、サカモトはようやく起き上がり、頭をガシガシとかいてため息をついた。
「めんどくせぇー……てか前半部分はハイネ様の方が適任じゃないすかぁー……」
「駄目ですよ。怪しまれたら困りますし、私は他にやることがあるんです」
「でもぉー……」
サカモトの駄目なところはここである。
会社員のクセに嫌な仕事を振られるとゴネる。幼児か。
「いいからやってください。でないと懲戒解雇ですよ」
「チッ……あんな端金のために……」
そう思うなら初めから横領なんてやめとけば良かったのだ。私が気づかないとでも思ったんだろうか。
まあ、私にとっては都合が良いから一向に構わない。来世があったら再び横領してもらって結構だ。
「わかりましたよ。終わったら電話するんで」
「寄宿舎じゃなくて生徒会に、あ……」
生徒会の電話は使えない事を忘れていた。
寄宿舎のロビーに設置された電話は周りに人が多いから、仕事の時はあまり使いたくない。しかし、現在寄宿舎以外で私が鳴ってるのに気づく電話は、学園には存在しない。どうしたものか。
「あ〜そっか。ハイネ様リストラですもんね〜」
「うるさい。……まあ良いです。寄宿舎に電話してください。なんかいい感じに誤魔化して喋ってくださいよ」
「うーす」
こいつはなかなか目上の私を舐め腐った話し方をする。私の敬語はこいつ譲りの部分も少なくないだろう。
サカモトは不貞腐れたように爪をいじっていたが、ふとしたように突然こちらを向いた。
「あっ、てか忘れてました。俺、ヨルハ様からハイネ様さまに言伝預かってたんですよ」
「兄上から……?」
ヨルハ・クライネは私の実の兄であり、クライネ商会の若旦那にして次期当主である。兄上はなかなか計算高く、これまでも何度も騙されてきた。
そんな兄からの言伝がある、というのは、私にとってあまり良い報告ではない。
「なんかハイネ様に縁談があるらしいですよ」
「縁談……どこ相手か聞いてますか?」
「それが、件の蓮洲場の長男らしいんですよね」
なんという偶然。
しかしまあ、大口の取引先の子同士が同い年とあらば、そんな話の一つや二つ、降って湧くのも当然かもしれない。
「お見合いくらい行っときます?情報収集も兼ねて」
「やですよ、私あいつ嫌いなんで」
生徒会の関係で何度か食事を共にしたが、あの幼稚で無能なメガネ書記と同じテーブルにつくのなんかもうごめんだ。奴が話すのは他人の悪口だけだから、一緒にいると食事が不味くなる。断って伝言板で名指しの罵倒を受ける方が百倍マシだ。
「でもこれ、結構良い話ですよ?王宮の折り紙付き案件ですし。条件も、ハイネ様の大好きな権力コミコミです」
「そうなんですか。向こうさん、意外と本気かもしれないですね」
王宮に申請して、王情報開示が基準を満たしており、当局によって安全性の確認が行われた縁談は、王宮折り紙付きとして信頼度が上がる。
広い国土の端っこと端っこでも、信頼を持って縁談を組めるようにと先代の国王が整備した制度だ。申請が面倒くさいし有料なので、縁談の本気度をはかる指標としても活用できる。
条件の良さといい、私に対してそれなりに本気の縁談を持ちかけてきたらしい事が推測できた。
だから兄も一応私にまで下ろしてきたんだろう。
「私の優秀さに惚れたんじゃないですかね」
「トール坊ちゃんが?」
「蓮洲場が、ですよ」
サカモトはなぜか、先程とはうって変わって楽しそうにクツクツと笑う。
「じゃ、受けます?」
「受けません」
「もったいない」
「もったいなくありません。あの将来性のない痴れ者と結婚は無しです。するなら就職、ですよ」
そうだ、蓮洲場商会が仮に私という人材を欲してるなら、正規ルートで入ってやるのも手じゃないか。
蓮洲場といえば新進気鋭の貿易会社だ。しかも今ノリに乗ってる東洋系の物産を扱っている。詳しく調べてみる必要はあるだろうが、悪くはない。
「ま、良いんじゃないすか」
サカモトは笑って言った。
私は蓮洲場商会に関する資料を集める算段をつけながら、東洋系物産の供給を握る自分を想像してニヤリと笑った。