張り込みサプライズII
「ていうか会長、何しに来たんですか」
「あ、そうそう。密告屋のハイネにプレゼント」
そっと私の右手を取って、会長は何かを握らせた。なぜ子女の肌に正当な理由もなく触れるのだろう。何のつもりだ。
「何です、これ……まさか、カメラ?」
不快に思いながらも渡された物を確認すると、それは掌に収まる程度のやけに小さいカメラだった。私の知っているような、三脚に乗せて使ういかつい鉄塊とは明らかに違うが、本体からとび出た丸いレンズらしき部分から、ギリギリカメラではないかと推測できた。
「うん、最新型。一秒で写真を撮って、その場で現像できる」
「えー……未来……」
現在巷で主に使用されているカメラは、撮影完了に小一時間かかる上に、現像するのにも専門の業者を通す必要がある。それに比べてこのカメラは、あまりに簡単に写真が撮れすぎる。というか、必要な進化いくつかすっ飛ばしたような代物じゃないか。驚きを通り越して呆然とする。
カメラは都合の悪い瞬間を切り取るのにも、機密書類を盗むのにも便利すぎるから、国が開発を統制していると聞いたことがある。が、どうやら王宮研究所ではちゃっかり研究が進められていたらしい。
「いいんですか、国家機密でしょうに」
「うん。外にもらしたらお前、暗殺されると思うけど」
そんな事しないもんね、と笑う王弟殿下にため息をついた。機密情報を背負わせるには、私は利己的すぎるとは思わなかったのだろうか。次期国王陛下がこれではこの国の行く末も案じられる。まあ今のところは外部には持ち込まないことにしよう。暗殺は嫌だから。
「ここを張ってるところを見ると、最初の狙いはトールかな?」
「はい、一番イージーそうなので」
会長は伝言板に目をやりながら言った。
相変わらず、中庭には私たち以外には人っ子一人現れない。書記メガネめ。どうしてやろうか。
ちなみに、トールというのは書記メガネの本名である。
東洋を拠点とする蓮洲場商会の長男であるが、あまりに無能だったので後継は弟に取られたらしい。代わりに、我が国の王宮内部に転がり込んでパイプを作るのに駆り出され、故郷から遠く離れたこの学園に入学したという訳だ。
他に適任がいるだろうと思うが、生徒会に滑り込むくらいの能力はあったのだろうか。まあ、どうせ親の金か親のコネだろうが。
「でもアイツ、特に規則には反してないじゃん」
「いいんですよ、モラルには反してますから」
わざとらしくきょとんと首をかしげる会長に冷静につっこむ。
モラルは明文化されてない。
だが、愚民の目は、明文化された規則に反した者よりもモラルに反した者に対しての方が厳しい。確かに、規則がモラルによって定まるか、規則に反すること自体がモラルに反していると考えられる場合もある。
が、その辺の人を捕まえて聞いたって、違法駐車より恋人の裏切りを手酷く叩くだろう。人が精神的に許容しづらい事を禁じるのがモラルなのだから、当然と言えば当然だが。
会長はクスクスと満足そうに笑って、そうだね、と頷いた。どうやら同意見のようだ。空を見上げながら「ん〜」と言葉を続ける。
「168組、だっけ?」
「さあ、数えた事ないので知らないですけど、そんなもんじゃないですか?」
何かといえば、書記メガネが破局に追い込んだカップルの数である。
先程も言ったように、書記メガネの趣味は伝言板に他人の悪評を書き込む事である。入学して間もない頃は、書記メガネも「王都商人は負け組」「今の王宮官僚は全員無能」「ーーー(教師の個人名)よりはサルの方が賢い」などと、至って普通の根も葉もない暴言を書き込んでいた。
しかし二年前……三年生の半ば頃から、こいつは突然女の悪口ばかりを書き込むようになったのだ。どうでもよかったので理由は忘れたが……たしか、自分の事を好きだと思っていた女子生徒に彼氏ができた、とか。そんなかんじのクソしょうもない理由だった気がする。
「女は無能」「女は感情でしか物を言えない」「女は下等生物」など、もちろんこいつは一般的な女叩きも大好きだ。しかし、特筆すべきは彼氏持ちの女に対する事実無根の悪評だろう。
いくつか男の女に対する愛情が冷めるような事実(嘘)を書き込み、最後に女の浮気(嘘の場合もある)を暴露する。そのせいで男は女を愛せなくなる。そうする事で男が女を振り、そのカップルは破局するのだ。
書記メガネはモテない。
容姿だけでなく性格までロクでもないのだから当然だ。
だが書記メガネはモテないがゆえにカップルを僻み、嫌い、バカにする。カップルに対する劣等感をうまく処理できないガキなのだ。だから、カップルを破局させることで自意識を保っているのだろう。愚かなことだ。
「ひどいよねぇ、せっかく青春してるのに」
「伝言板なんか信じる方も悪いのでは?」
わざとらしく眉をへの字にして彼らに同情する素振りを見せる会長に対して、私は彼らを鼻で笑った。
多少思考しているカップルなら、書記メガネごときの僻み行動で破局するはずがない。
伝言板の書き込みとかいう、確かなエビデンスのない情報に感情を左右されてしまうとは、頭の悪い人間は大変だ。
だが、そうした愚民の頭の悪さと書記メガネの負の感情の奇跡のような化学反応によって、書記メガネは三年生から五年生六月現在までで、168組(会長調べ)のカップルを破局させたという訳なのだ。私に言わせれば阿呆の暇潰しだが、数字を見ればずいぶん立派な業績だろう。
「まあ、でもやっぱりトールがいちばん悪いよ。生徒会の業務が情報を与えてるところもあるし。生徒会には相応しくないかな」
「そりゃそうでしょうね」
精神が幼稚な上無能な人間の居場所は生徒会にはない。
クリーン主義者の会長も、人に迷惑をかける人間が生徒会にいるのを好まないだろう。
会長が伝言板の方に目をやったので、私もつられてそちらを向く。幾人かは何かを書き込んでいる様子だが、やはりそこに書記メガネの姿はない。
時計を見ると、既に生徒会の始業時刻を過ぎていた。
何故か会長はここにいるが、もう今日は書記メガネは来ないだろう。無駄足を踏んでしまった。
そろそろ行かなくて良いのだろうか、という疑問を込めて会長の方を見ると、会長はまだ伝言板を見ていた。
「……と、ころでさ、蓮洲場とクライネって結構関わりあるよね。結構あいつとよく会う?仲良…くないよね?ハイネ、割とあいつ嫌い、だよね?」
「は?何です急に」
「いいから」
いつものニコニコ無利息王族スマイルを崩さず、しかしやけに急いて尋ねる会長に思わずたじろぐ。
確かに、うちと蓮洲場は近しいところにいる企業だ。
「うちの今の主力は東洋産の紅茶で、蓮洲場の商材は紅茶と絹布……」
絹布?
ひらめきの片鱗を目にした気がして黙り込む。
会長が不思議そうに「ハイネ?」と顔を覗き込んできたので、考えをまとめながら口を開く。
「失脚って、別に学園から居なくなってもらってもいいんですよね?」
「……穏やかじゃないね。どうしたの?」
「妙案が浮かびました」
不本意な事に会長にヒントを与えられてしまった。
が、我ながら賢く確実な方法だ。しかも楽しい。脳内が整理されて、ひらめきの輪郭がはっきりとする。いいことを思いついた。
こういういい悪だくみを思いついた時は、こうして腹の底からわくわくするものだ。手足と頭がうずうずしているのがわかる。
今回の作戦は決まった。あとは詳細を詰めて実行するだけだ。
「それじゃ、私はこれから帰って準備するんで。さよなら、会長」
「え?ちょっ、」
会長から支給されたカメラを懐に入れて寄宿舎の方へ歩き出す。スキップしてしまいそうなのを堪えるのにも一苦労だ。
会長の「質問に答えろ!」という声を背中に受けながら、これから起こることへのの楽しい予感に背中を押されて、私は帰路を急いだ。