密告屋ジョブチェンジ II
「嫌です。てか無理ですってば」
「でも、お前がやらなきゃいけない事でしょ」
会長はグラスを置き、真面目な顔で笑った。
場の雰囲気が一気に交渉に傾くのがわかる。空気がしんと澄んでいき、時計の音が響く。
「そもそもさ、今回の件の原因はハイネがクリスちゃんに足の引っ張り合いで負けたのが原因じゃん」
「本気で言ってるならぶっ飛ばしますけど」
私はあの女狐には負けてない。
生徒会をクビになったのは会長が意味不明な行動を取ったからであって、私がクリスの策略に嵌ったわけじゃない。私は断じて負けてないし、今回のことは会長の悪手が発端である。それを「ハイネが負けたから」なんておっしゃるとは、さすがは会長。灰色の脳細胞をお持ちのようだ。
睨みつけると、会長は少し肩をすくめて話を続ける。
「そもそも足の引っ張り合いなんて無ければこんな事にはならなかった。そう思わない?」
「……何が言いたいんですか」
足の引っ張り合いなんて、こと政治の世界においてはありふれた話である。私もやるし、会長だってやる。それは足を引っ張らなければ引っ張られるからであり、悪循環ではあるが、この世界で生き残るには不可欠な事だ。
それをなぜ、こいつはここで話に出すのか。話がまるで読めない。
「んー、ハイネさー、今の生徒会をどう思う?」
「は?……まあここ数週間は特にそれはそれはお上手に回ってらっしゃるのでは?」
「じゃなくてさ。どう?四役の奴らとか」
「はぁ……まあ言いたい事はわかりました」
生徒会は実際のところ、悪辣非道の権化である。
生徒会長は小賢しい交渉を得意としている割に、王族なだけあってかわりと潔癖なところがある。また、私やクリスも卑怯な手は使うが、非合法な事には手を出さない主義である。
しかし、他の四人は本当にひどい。
法律・校則・マナーにモラル。あらゆる規則を破りまくっている。選挙は私物化し、予算は横領し、一般生徒は虫けら扱い。とっても口にできないことを数多くやっているのが現生徒会である。最高学府の頂点である生徒会がこんな有様では、我が国の行く末も案じられる、という訳だろう。
ようやく話が見えて来た。面倒な気配しかしない。
時計の音がひたすら響く。
「で、それが何か?」
「うん。お前にどうにかして欲しくて」
嫌な予感を抑えながら続きを促せば、生徒会長は今日一番の笑顔で、予想通りクソ面倒な言葉を発した。
「内部告発とか時代錯誤じゃん?だからお前が外から摘発してよ、匿名で」
会長の言う事は最もである。
本学生徒会では有史以来、足を引っ張るためのスキャンダル報道が横行してきた。しかし近年では役員同士が互いのスキャンダルを握り合うことで、一種の均衡状態が生じている。自分の汚職をバラされたくなかったら、相手の汚職もバラす訳にはいかない、というワケだ。だからこそ役員は汚職に何ら躊躇がない。
しかし部外者による摘発ならどうか?
生徒会役員以外にまともな権力のないこの学校で、一般生徒がスキャンダルを報じることには一切デメリットがない。要するに、一般生徒は無敵の人なのだ。
つまりこの少々潔癖で先進的な生徒会長殿は、どうやら生徒会をクリーンにしようとしているらしかった。
なるほど、意図はわかった。しかし、これには私に一切メリットがない。私は生徒会に汚職があろうがなかろうがどうでもいいし、生徒会役員じゃないから会長の命令を聞く謂れもない。
中指立てて帰ってやろうと思って顔を上げると、会長が有無を言わさぬ笑顔で再び口を開く。
「俺、全ての勝負には責任が伴うと思うんだよね」
会長はにこにこと胡散臭い笑顔をたたえて人差し指を立てた。これは会長が理屈をこねる時の癖だ。誰が乗るかと身構える。
「お前は今回クリスちゃんに負けた。その結果として生徒会を追放された。これに伴って生じた対立を止める責任が、お前にはあるよね?でもお前はそれができない」
要するに、戦争責任は敗者にある、という話だ。
会長は立て板に水を流したようにすらすらと御託を並べ、最後に紙きれを一枚机に置いた。
「これは取引だ。お前の責任は代わりに俺が引き受けるよ。代わりにお前は密告屋をやれ」
会長はそう言い切って、王族らしい威圧感をたたえてにっこりと笑った。
「密告屋」とは、数年前に流行った大衆小説に登場する義賊である。
悪人の悪事を暴いて出版社に高値で売っ払うクソガキが主人公だ。確か金持ちを面白おかしくこき下ろす内容がウケて、演劇にもなったんじゃ無かっただろうか。ちなみに私は金持ちなのでその小説は嫌いである。
小説の密告屋とは違って、会長殿は私に無報酬で生徒会役員の悪事をすっぱ抜けとご命令のようだ。ここまでお優しい業務命令には、お涙もちょちょぎれるというものだろう。
「もちろん報酬は払うよ。お前が生徒会に入ったのは推薦状のためでしょ?」
まるで心を読んだかのようなタイミングだ。
推薦状とは、王宮官僚への推薦状である。
我が国の官僚は少数精鋭主義で、基本的には最高学府である本学の首席卒業者、及び生徒会の任期満了者のみが採用機会を獲得することになっている。
私は成績優秀だが、首席卒業には程遠い。だから、私が王宮で働くには生徒会で任期を満了するより他になかったのだ。しかし、今回の件でクビになってしまったので、私のキャリアプランは丸潰れ。忌々しい話である。
「推薦状は無理だけど、王宮まで代わりの切符を用意してやる」
……言葉だけ聞けば、それは非常に魅力的であるかのように思える。だけど、いかに王弟殿下といえどそんな事簡単にできる筈がない。我が国のお役所の体質は古く、頑固だ。料理人や清掃員ならともかく、官僚の新たな採用枠を用意するだなんて国王陛下にだって不可能だろう。詐欺師もびっくりの怪しさだ。
「下働きとか言ったらぶん殴りますけど」
「まさか!王宮広しといえど、たったひとつしかないポストを約束する」
たったひとつ、という単語に眉を顰める。
王宮に一人でしかいない仕事といえば、王弟殿下も真っ青の高官ばかりのはずだ。現体質の下でそんな職に女が付いた前例なんか当然ない。国王陛下の弟というだけの若造に、そんなものへの推薦を出すことなんかできるはずもない。
となれば新規職?
会長殿が王位を継承した暁に私を新設職に付けてくれるという話だろうか?会長殿は割と先進的で啓蒙的な考えをお持ちだから、その辺の可能性も充分考えられる。
いずれにしろ、憶測だけで話を進められるような取引ではないことは明らかだった。