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神統英雄伝  作者: 夕凪の詩
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聖剣と先祖

 

 騎士団に預けた剣が、カヲルの元に返ってきたのは、預けてからちょうど一週間後のことだった。一人の騎士が、カヲルに剣を返すために城まで赴いてきた。剣を受け取る際、カヲルは、何かわかったことはあるかと騎士に尋ねたが、様々な分析を試みるも、謎の解明に至る結果は出なかったという。ただ一つ分かったことは、剣身に使われている物質が、一見普通の鋼に見えるが、実際に調べてみると、青い惑星に存在するどの元素にも該当しないとのことだった。つまりどういうことかと尋ねるも、それ以上の答えは返ってこなかった。

 剣がこの日に返されたのは、翌日がカヲルにとって、初めての公務の護衛に着く日だったからだ。詳しい内容は聞いていないが、なんでも、街の外に出て、定例の儀式を行うとの事だった。

 その晩カヲルは早めに夕食を済ませ、明日に備えてすぐに寝ることにした。この城にやって来て、もうすぐでひと月が経とうとしている。この物置のような部屋で寝ることにも、すっかり慣れてしまい、返ってきた剣をベッドのすぐ脇に立てかけ、カヲルはすぐに眠りについた。

 その晩、カヲルは不思議な夢を見た。

 

 気がつくと、カヲルは見渡す限りどこまでも白一色の世界に一人で立っていた。

 「ここは・・・」

 辺りを見まわしても、その世界には、人や建物はおろか、空や草木も地面も無い。

 これは、間違いなく夢の中だという自覚はあった。だが、不思議なことに、まるで現実の世界にいるかのように、意識や感覚がはっきりしていて、自由に声を出すことも出来る。

 「・・・変な夢だなぁ。こんなところ見たこともないけど」

 そもそも、夢の中で自由に動けること自体初めてのことだが、妙に落ち着いた気持ちで、カヲルは歩き始めた。一体どれほど歩いたか分からないが、どこまで行っても、この世界は白一色で、景色は一向に変わらない。しかし、なぜか焦りや不安は感じず、むしろ、故郷の村にいるような、不思議な安心感があった。

 「どこなんだろう、ここは」

 その時、ふと頭の上で、なにかの気配を感じたカヲルは、足を止めて上を向いた。

 「・・・何だろう。」

 そこには、虹色の光を放つ小さな玉のようなものが浮かんでいた。

 とても綺麗な光だった。まるで、ステンドガラスから差し込む光のように、様々な色の光を放ち、時に太陽のように強く、時に月の光のように優しく輝いている。すると、その光は、ゆっくりとカヲルの目の前におりてきた。カヲルは、無意識に胸の前に手を広げ、降りてきた光を、そっと手で受け止めた。

 「・・・あったかい。」

 光から感じられる微かな温もりが、カヲルの手に伝わってきた。まるで、生きているような鼓動を響かせて。

 「あ・・・これは――」

 この温もりに、カヲルは覚えがあった。

 幼い頃、近所の酪農家が世話をしているニワトリが産んだ卵が、ふ化するところに立ち会ったことがある。卵から雛が孵り、その雛を手に乗せた時に伝わってきた、ほのかな温もりと、力一杯動く心臓の鼓動。幼いながらも、生命の誕生というものを体感し、言い知れぬ感動と衝撃を覚えた。そのときの感覚と、よく似ていると、カヲルは思った。

 「そうか。これは…命なんだ。」

 自然とカヲルは、その光をそっと胸に抱いた。母が我が子を抱くように、慈愛に満ちた気持ちで優しく包み込むと、突然その光が、手の中でより強く輝き始めた。

 ――命の・・・輝き――

 光の鼓動は高まり、力いっぱい、命を燃やす輝きでカヲルを照らした。あまりに眩すぎて、カヲルはとっさに目を閉じた。すると、光が手の中で徐々に形を変えていくのがわかった。

 はじめ、重さは感じなかった光が、少しずつ重さをおびはじめ、やがて手のひらから飛び出すほどの大きさになると、ずっしりとした重みを感じるようになった。

 やがて光が収まり、ゆっくり目を開けると、手の中にあるものを見て、カヲルは目を見張った。

 それは、カヲルの剣だった。

 「僕の…剣」

 剣は、まだわずかに光り続けている。

 鼓動は声となって、カヲルの心に語りかけてきた。

 ――そうか…君の名前は――

 

 カヲルは目を覚ました。

 いつもと変わらない朝、いつもと変わらない部屋に、窓から朝日が差しこんでいる。

 半身を起こして、ベッドの横を見ると、剣は昨晩と同じように、すぐ手に届くところに立てかけてある。やはり、あれは夢だったのだ。しかし、まるで現実に起きたことのように、あの光の温もりが手のひらに鮮明に残っている。

 カヲルは剣を手にして、まじまじと見つめた。

 ――・・・あれはなんだったんだろう。――

 夢の最後に、剣が伝えてきた名前。カヲルは、その名を思い出そうとしても、なぜかそこだけが、すっぽりと記憶から抜け落ちている。カヲルは頭を抱えて必死に思い出そうとしたが、まるでモヤがかかったように思い出せない。

 剣ごと手をベッドの上に落とし、深くため息をついた。

 「だめだ、思い出せないや…」

 そこへ

 コンコン。

 ドアをノックする音が部屋に響いた。

 「・・・は、はい!」

 ドアの向こうから、あの無表情な女中の声がした。

 「カヲル様、起きておいででしたら、早めに朝食をお済ませくださいませ。」

 カヲルは、ハッとして時計を見た。今朝は珍しく寝坊をしたようで、朝食の時間をとっくにすぎていた。

 「あっ、しまった!」

 カヲルは慌ててベッドから飛び出し、寝間着から着替えて部屋を出ると、女中が扉の前で待っていた。

 相変わらず無表情だが、かすかに眉間にしわが寄っている。

 カヲルは、汗ばんだ顔で女中に頭を下げた。

 「お、おはようございます。すみません、お待たせしました。」

 女中は、わずかに怒気の含んだ声でいった。

 「お急ぎください。ほかの方はもうお済みですので。今日は公務にご同行されるのでしょう?」

 カヲルは急いで誰もいない食堂で女中に見守られながら朝食を終えた。すぐに部屋に戻ると、見慣れない服が一着、ベッドの上にキレイに畳んで置いてあった。

 女中いわく、これを着て、呼びに来るまでここで待機をしているようにとのことで、カヲルは言われるままに、着方が難しい服に袖を通した。

 ぴっちりとキツめの黒いスボンに、白く薄い布を互い違いに何枚にも重ねた羽織もの。

 上も下も、初めての着心地で、カヲルは少しむず痒くなった。

 ――これが護衛の服なのか?少し動きにくいなぁ・・・――

 ベッドに腰を落として待機をしている間も、カヲルは、あの夢のことが頭を離れなかった。

 あの夢の意味は、なんだったのか。果たして、何を伝えたかったのか。考えれば考えるほどに、疑問は膨らみ続けた。

 ほどなくして、女中がカヲルを呼びにやってきた。

 剣を部屋に残して出ようとすると、剣は持っていくようにと、女中は、剣を収めるための、黒い革製の腰巻をカヲルに渡した。カヲルは腰巻に剣を収め、女中とともに城の一階へ降りると、広いロビーの真ん中では、すでに国王セブクティスと王女セフォネの二人が待っていた。だが、他の護衛の騎士が見当たらない。

 ――あれ?二人だけしかいないのか。――

 ロビーに降りて二人に歩み寄ると、カヲルはすぐに挨拶をした。

 「おはようございます。」

 気づいたセフォネも、笑顔でおはようと挨拶を返し、国王も同様に返した。

 「カヲルくん。その服、良く似合ってるじゃないか。なぁセフォネ?」

 「えっ?」

 国王に問われたセフォネは、微かに頬を赤くし、モジモジとした。

 「え、ええ、似合ってると思います。」

 カヲルは、照れたようにポリポリと頬をかいた。

 「あ、ありがとうございます。ただ、少し動きづらいですね、この服。」

 「ああ、儀式のための正装だからな。少々不便をかけるが、我慢してほしい。」

 「これが護衛の服じゃないんですか?」

 「ああ。今回の公務は儀式だからな。護衛の者にも正装をしてもらうんだよ。」

 なるほど、と、カヲルは納得したようにうなずいた。

 「それと、カヲルくん。君に伝えねばならないことがあってな。」

 カヲルは首をかしげた。

 「君も知ってのとおり、街はまだ復興に手が掛かる状況でな。騎士団が受けた被害も甚大で、状況の建て直しにてんてこ舞いな状態なのだ。」

 確かにそうだと思い、カヲルは頷いた。謎の化け物による襲撃を受け、アイゼンベルグの国家騎士の約三分の一が命を落とした。そのため、少ない人数でこれまで以上の業務をこなさなければならず、地方騎士にも協力を要請せざるを得ない状態だった。

 街に点在する大きな病院では、負傷した街の住人の受け入れが定数を超えて困難になり、病床数が足りない状況だった。そのため、城内に一時的な医療施設を設け、比較的怪我の具合が軽い患者を受け入れていた。つい三日前に、最後の一人が退院し、やっと城内は元の状態に戻った。破壊された民家などの復興は、急速に進められている。しかし、五百棟近くの家すべてが再興されるには、かなりの時間がかかる。その間、家を失い、住む場所を無くした者は、他所の街に住んでいる親戚や知り合いを頼り、それすらも出来ないものは、今も避難所での生活を強いられている。街が以前の姿に戻るのは、当分先になりそうだ。

 「そこでな、今回は君とセフォネの二人だけで行ってきて欲しいのだ。」

 「僕とセフォネ様の二人で、ですか?」

 「ああ。本当は、あの化け物の襲撃があった日の翌日に行く予定だったんだが、これ以上日程をずらすことも出来なくてな。セフォネや騎士団とも話し合って決めたんだ。場所もそう遠くないし、地図も用意してある。儀式自体も難しいことではない。毎年の事だから、セフォネも慣れているしな。よろしく頼んだよ。それに、」

 国王は、ニンマリとした顔でセフォネを見た。

 「セフォネも君と二人きりの方が良いみたいだしな?」

 対してセフォネは、焦ったように顔を赤くしていった。

 「も、もう!お父様!」

 国王は大口を開けて笑った。

 「照れるな照れるな!ほれ、顔までピンクになると、どこが顔だか分からなくなるぞ?」

 からかわれたセフォネは、一層顔を赤くして頬を膨らませた。

 「も、もう知りません!」

 セフォネは、ぷいっとそっぽを向いてしまった。

 「・・・あ、あの、ひとつよろしいでしょうか。」

 「なにかな?」

 カヲルは、やや俯き気味にいった。

 「も、もし、街の外で魔物にでも襲われたら、僕一人でセフォネ様を守り切れるかどうか・・・」

 国王は、自信がなさそうにいったカヲルの肩をポンッと軽く叩いた。

 「君はあの化け物を自分だけの力で倒したんだ。君の実力は本物だよ。もっと自信を持ちなさい。君だからこそ、私は安心してセフォネを任せられるのだ。」

 「・・・」

 それでも不安だったが、国王にここまで信頼をされては、カヲルも腹をくくるしかなかった。

 カヲルは真剣な表情で国王にいった。

 「わかりました。セフォネ様をしっかりお守りします。」

 国王も、頼んだよ。と微かに笑みを浮かべて頷いた。

 「それじゃあ、私もそろそろ次の仕事に向かわねばならん。すまないが、ここで失礼させてもらうよ。二人とも、気をつけてな。セフォネ、あまりカヲルくんに迷惑をかけるんじゃないぞ?」

 国王はニヤニヤしながら、セフォネの頭を大きな手で撫でた。

 「こ、子供扱いしないで下さい!」

 怒るセフォネを横目に、国王は豪快に笑いながら城の階段を上っていった。

 顔を真っ赤に膨らませて、怒りがまだ収まらないといった様子のセフォネに、カヲルは気をつかうような声色で、おずおずといった。

 「・・・えっと、では、行きましょうか。セフォネ様。」

 ハッとしたセフォネは、慌てて笑顔に戻り、カヲルに顔を向けた。

 「ええ、そ、そうですね。」

 二人が城の外に出ると、一台の馬車が、城の前で二人を待っていた。

 その馬車を見るや、カヲルは息を呑んだ。

 カヲルの腰ほどの高さがある四つの巨大な黒い車輪に、客車にも至る所に金の装飾が施された、優雅で気品さえ漂う美しい馬車だった。

 そして、その馬車を引く二頭の馬も、純白を塗りこんだような、美しい毛並みの凛々しい白馬だった。

 いまからあれに自分が乗るのかと思うと、カヲルは少し気遅れしてしまった。

 唖然としているカヲルを、セフォネは怪訝そうに覗き込んだ。

 「カヲルさん、どうかなさいましたか?」

 カヲルは、苦々しく笑った。

 「・・・い、いえ、あまりにも立派な馬車だから、驚いてしまって・・・」

 「・・・ふふ。そんなに固くなる必要はありませんよ。」

 「・・・は、はぁ」

 そして、二人を乗せた馬車は、ゆっくりと進み始めた。

 馬車が東の大門へ続く大通りに差し掛かったとき、カヲルは客車の窓からアイゼンベルグの街並みを見て、悲しげに表情を曇らせた。それは、隣にいるセフォネも同様だった。

 謎の化け物の襲撃から三週間以上が経った。以前の賑やかな街の雰囲気もすっかり鳴りを潜め、崩壊した民家等の建物の回収に手を焼いてる状況だった。

 「・・・早く復興して欲しいですね。」

 「ええ。そのために、お父様や議院会、騎士の方々も、日夜尽力してくれているわ。私にも、何かお手伝いができればいいのだけど・・・」

 それから、アイゼンベルグを出た馬車が、のんびりと街道を北へ進み続けること、およそ一時間。

 ゆるやかに曲がる街道を左に逸れた所に、鬱蒼とした森が顔を出した。馬車は街道から外れ、森へと続くでこぼこの道へ入っていく。眼前に広がる森を、カヲルは身を乗り出して覗いた。

 この森に、カヲルは見覚えがあった。

 ――僕が通った森だ。――

 この森は、カヲルがアイゼンベルグへ来る際に通った森だった。しかし、カヲルの知る限り、森の中に国王が儀式で訪れるような建物は見かけなかった。

 「セフォネ様。定例の儀式って、どんなところでやるのですか?この森の中に、目立った建物は見かけなかったですけど」

 「建物じゃありません。私たちがめざしているのは、お墓です。」

 カヲルは、眉尻を下げて首をかしげた。

 「お墓?」

 セフォネは頷いた。

 「はい。昔、この国が恐ろしい悪魔に襲われて窮地に立たされたとき、命をかけて国を守ってくれた英雄のお墓が、この森の中に建立されてるのです。王家の人間は代々、一年に一度そのお墓をお参りして、国の平和を祈るのが習わしになっているんですよ。」

 「・・・英雄のお墓かぁ。」

 やがて、馬車は森に足を踏み入れた。

 進路となる道は、木が綺麗に伐採されており、ある程度の舗装が施されていた。枝葉に陽の光を遮られた薄暗い森を、右へ左へとカーブを繰り返しながらどこまでも進むと、やがて傾斜がゆるやかな坂を上りはじめた。セフォネは、坂の向こう側を指さしながらいった。

 「見えてきた。あれがそうですよ。」

 カヲルは目を細めて凝視した。葉と葉のあいだに、黒い石のようなもののカドが見える。

 坂を上りきると、これまであった道はなくなり、円形に開けた草地に出た。

 その草地の真ん中に、墓らしきものは建っていた。

 高さはおよそ三メートルほどだろうか。黒い花崗岩でできた、四角く細長い墓だった。

 馬車は墓石の前で止まり、馬車を降りたカヲルは、真っ先に墓の前に立って、その全貌を見上げた。

 「思ったより大きいんだなぁ…」

 「なかなか立派なお墓でしょ。お参りに来るのは年に一度だけど、お手入れは毎月しているんですよ。私、公務ってあまり好きじゃないんだけど、このお参りだけは好きなんです。ここに来ると、なんだか落ち着いた気分になるの。」

 と、セフォネは微笑んだ。

 カヲルは墓を見つめたまま、セフォネに尋ねた。

 「その英雄の名前は、なんというんですか?」

 セフォネはカヲルを見て、いった。

 「タクト。」

 「…タクト」

 

 「あれ?」

 異変に気づいたカヲルは、あたりをキョロキョロと見回した。

 たった今まで、墓の前にいたはずだが、いつの間にか違う場所に立っている。しかし、この場所の雰囲気に、カヲルは覚えがあった。

 「ここって、もしかして・・・」

 そこは、夢の中でみた、白一色の世界だった。

 「セフォネ様!セフォネ様!」

 カヲルの叫び声は、まるで洞窟の中で叫んでいるみたいに、遠くへ遠くへと反響していった。しかし、いくら呼びかけても、返事はかえってこない。

 「おかしいなぁ…確かに森の中にいたはずなのに」

 その時ふと、背後から誰かが近づいてくる気配を感じた。とっさにカヲルは、剣の柄に手を添えて、身構えながら振り返った。そこには、歳は二十五、六歳ほどの、カヲルが普段着ているコートとよく似た上着を羽織った、端正な顔立ちの男が立っていた。

 男は、まっすぐにカヲルを見つめ、何を言うでもなく、微かに笑みを浮かべていた。カヲルは、体勢を保ったまま、男に尋ねた。

 「・・・あ、あなたは?」

 問われた男の笑みは、さらに深くなった。が、それだけで、男は返事をしなかった。言葉が通じないのだろうか、と思ったとき

 ――やぁ。ようやく会えたね、カヲル。――

 突然、男性のものらしき声が響き渡り、カヲルは驚いて周りを見た。

 その様子をみて、男はケラケラと笑った。

 ――ここには、ボクと君しかいないよ。驚かせてすまなかったね。君の頭の中に、直接語りかけてるんだ。――

 カヲルは、呆然と男をみた。

 男の口は、確かに動いていない。しかし、声ははっきり聞こえる。男の言うとおり、頭の中に声が響いているのだ。カヲルは、思わず耳を塞いだ。

 ――ほら、聞こえるだろう?――

 カヲルは耳を塞いだまま頷いた。

 「・・・信じられない。これは、夢?」

 男は首をふった。

 ――夢じゃないよ。――

 言われてカヲルは、自分の右頬を指でギュッと引っぱり、赤くなった頬をさすりながら、つぶやいた。

 「・・・痛い。本当に夢じゃないんだ。」

 ――ね、言っただろう?――

 「・・・それじゃあ、ここは一体どこなんですか?」

 ――ここは、君の精神世界。君の心の中さ。――

 カヲルは、眉をひそめて、自分の胸に手を当てた。

 「僕の・・・心の中?」

 ――ああ。――

 「・・・あなたは、一体?」

 男は、ニッコリと笑った。

 ――僕の名前は、タクト。キミの、直系の先祖だ。――

 とたんに、カヲルは、目が点になった。

 唖然としているカヲルをよそに、タクトは、真剣な表情で言葉を繋いだ。

 ――君に伝えなくてはならないことがあるんだ。話を聞いて欲しい。――

 我に返ったカヲルは、焦ってタクトの話をさえぎった。

 「・・・ちょちょちょ、ちょっと待ってください!あ、あなたがタクトで、僕の先祖?」

 ――ああ、そうだよ。君は、僕の子孫だ。――

 「そんな、なにを根拠に」

 ――僕を見て、なにか気づくことはないかい?――

 「気づくこと・・・あっ――」

 カヲルはあることに気づいた。

 タクトの着ているコートに、大きく十字の模様がある。カヲルのコートの胸ポケットにある模様と、まったく同じものだ。

 「・・・クロスブレイブ」

 タクトは、微かに笑みを浮かべて頷いた。

 ――これで信じてもらえるかな?――

 「ま、待ってください。仮にあなたがタクトだとして、なぜあなたがここにいるんですか?もう、何百年も昔に亡くなったはずですよね?」

 タクトは頷いた。

 ――だから、キミに僕の墓まで来てもらったんだ。そうすれば、キミの精神世界で、キミと話すことができるからね。死んだものが生きているものと会話をするには、生きているものの精神世界に来るしかないんだ。だけど、キミは見込み通りの男だよ。普通なら、精神世界に意識を持ってくることだけでも難しいのに、キミは僕が呼びかけただけで、意識を精神世界に飛ばせた。期待以上の素質だ。――

 カヲルは、にわかに信じられないとでも言いたそうな顔をした。その様子に、タクトは気づいているが、いままでとは違う、真剣さを含めた声色で語り始めた。

 ――時間がない。さっそく話を聞いてもらうよ。先日、キミが住んでいる街を、見たことない化け物が襲ってきたね?――

 カヲルは、なぜそれを知っているのかと聞き返したが、タクトは話を続けた。

 ――奴らは、神の使いだ。世界は今、神によって滅ぼされようとしている。――

 タクトの口から、次々と飛びだす突拍子もない話に、カヲルは困惑を隠せなかった。あまり人を疑わない性分のカヲルだが、今回ばかりは、現実離れしすぎた内容のため、素直に受け入れることが出来ずにいる。

 ――信じられないことだと思う。でも事実なんだ。近いうち、神はこの世界に本格的な攻撃を仕掛ける。この前の神の使いのは、その皮切りに過ぎない。放っておけば、これからさらに酷いことが世界のあちこちで起きてしまう。――

 信じるに足らない、眉唾物の話だが、タクトの真剣な眼差しを見ていると、彼が嘘をついているとは、カヲルには思えなかった。

 「でも、どうしてそんなことを。」

 眉尻を下げたタクトは、少し間を置くと、声を低めて答えた。

 ――人が、人らしい生きかたをしなくなったからだ。――

 カヲルは、怪訝そうに首をかしげた。

 ――キミが生まれた平和な故郷とは違って、世界やこの国のあちこちでは、絶えず人と人との争い事が起きている。戦争や、犯罪、そして、技術や文化が進歩することと引き換えに、傷つけられる自然。人類の繁栄の裏では、数えきれないほどの命が失われている。世界は美しいように見えて、実は、仮初に過ぎないんだ。――

 カヲルは、理解が追いつかないまま口を開いた。

 「それを・・・僕に伝えたかったんですか?」

 タクトはうなずいた。

 「じゃあ、それを、街のみんなに伝えれば良いんですか?」

 ――それもそうだが、それだけじゃない。――

 カヲルは、固唾を飲んでタクトの言葉を待った。

 ――カヲル。キミに、神の襲撃から、世界を守って欲しいんだ。――

 カヲルは、驚きで言葉を詰まらせた。

 「・・・ぼ、僕が、世界を、ま、守る?」

 タクトはうなずいた。

 すると、カヲルは困惑したように首をふった。

 「・・・そそそ、そんな!僕には無理ですよ!突然そんなっ、世界を守れだなんて・・・」

 タクトは、微笑を浮かべた。

 ――そんなことはないよ。キミなら間違いなく、この使命を果たせる。――

 カヲルは、不安そうに眉尻を下げた。

 「・・・で、でも」

 ――カヲル、キミはクロスブレイブの意味を知っているかい?――

 「クロスブレイブの・・・意味?」

 ――揺るぎない信念と正義。これが、クロスブレイブの意味だ。これらが交わることで生まれるのが、真の勇気。キミのなかには、間違いなく、揺るぎない信念と正義がある。まさに、クロスブレイブを背負うのにふさわしい男だよ。だからこそ、〝アマラ〟はキミを認めたんだ。――

 「・・・あっ!」

 そのとき、カヲルの脳裏に光が閃き、心のモヤが晴れた。カヲルは、腰の剣を見てつぶやいた。

 「・・・アマラ・・・そうだ・・・思い出した。僕が夢の中で聞いた、この剣の名前・・・」

 ――すべてを断ち切り、すべてを繋ぐ剣、アマラ。僕がかつて、ともに戦った剣だ。その剣には、未だに僕も知りえない、無限の力が秘められている。必ず、キミを勝利へと導いてくれるよ。――

 「無限の力・・・」

 しかし、 カヲルの不安は消えていなかった。

 「でも、いくらなんでも僕一人では・・・」

 ――それも心配いらないよ。この国のどこかに、かつての僕の仲間の血を引く子孫が、君の他にあと三人いる。彼らを探しだして、共に戦ってもらうんだ。場所は、アマラが教えてくれるから。――

 「この剣が・・・」

 カヲルは、アマラを鞘から抜いて、じっと見つめた。

 「・・・でも、場所がわかっても、その人の特徴とかが分からないと、いくらなんでも探すのは難しいんじゃ・・・」

 タクトは、ふふっと笑った。

 ――大丈夫。君と仲間たちは、目に見えない絆で繋がっている。まるで導かれたみたいに、向こうから姿を見せるさ。現に君は、仲間の内のひとりと、もう既に会っているのだからね。――

 カヲルは、目を丸くして驚いた。

 「え!だ、誰ですか?」

 ――よーく思い出してごらん?初めて会ったはずなのに、なぜか昔から知っているような気がする人が、一人いただろう?――

 言われて、カヲルは、ハッとした。

 「・・・まさか」

 ――ふふっ。彼も、必ずキミの頼れる味方になってくれる。――

 「・・・まだ聞きたいことがあります。なぜ、このアマラだけが、あの化け物を倒すことが出来たのですか?」

 タクトは、その質問を待っていたと言わんばかりに、嬉しそうな顔で答えた。

 ――それは、アマラの刃が極鋼で出来ているからさ。――

 聞いた事のない物の名前に、カヲルは首をかしげた。

 ――極鋼という鉱石を使って造られた武器、それが、唯一神に対抗できる、聖なる武器、アークになるんだ。――

 「その・・・極鋼を使うと、アマラのような力をもつ武器になるんですか?」

 タクトは首を横にふった。

 ――いいや、アマラは特別な剣なんだ。でも、アマラのような武器にはならなくても、極鋼を使って武器を作れば、充分神の使いへの対抗策になる。――

 「・・・それで、その極鋼はどこで手に入るんですか?」

 ――極鋼は・・・人間ではない種族が住む世界にある。――

 カヲルは、今日一番の不可解そうな顔をした。

 その顔を見て、タクトはかすかに笑みを浮かべた。

 ――大丈夫。いずれ分かるさ。まずは、共に戦ってくれる仲間を集めるんだ。――

 少しの解決にもなっていないが、カヲルもほのかに笑顔を見せた。

 「・・・わかりました。」

 ――さぁ、僕が伝えたいことは全て伝えた。キミは、キミの場所に戻るといい。――

 ここで、カヲルはまた不安げな顔を見せた。

 「・・・僕にできるでしょうか」

 すると、タクトはカヲルに歩み寄り、カヲルの肩に手を置いた。

 ――カヲル。自分を、その剣を信じて。キミはアマラに認められたんだ。困った時は、アマラに呼びかけてみるといい。必ずキミを勝利に導いてくれるから。最後まで、諦めちゃダメだ。それに、キミはひとりじゃない。これから出会う仲間たちは、君の強い力になってくれる。

 ・・・決して楽な道ではないけど、でも、立ち塞がる困難を乗り越える力を、キミは間違いなく持っている。なにせ、僕の子孫なんだからね。――

 カヲルの不安げな表情は、スっと明るくなり、力強くうなずいた。

 ――忘れないで。揺るぎない信念と正義を――

 そして、カヲルの視界が光に包まれた。

 

 ――カヲルさん!カヲルさん!

 「・・・あっ」

 セフォネの呼ぶ声で、カヲルは意識をとり戻した。

 一瞬、自分に何が起きていたのか分からなかったが、すぐに、精神世界での出来事を思い出した。

 ついさっきまで、カヲルは自分の先祖に会い、剣のこと、そして、いま世界に起ころうとしていることを聞かされたのだ。一体、どれほどの時間が経っていたのか。

 「ねぇカヲルさんってば!」

 カヲルが横を見ると、セフォネが隣で、今にも泣き出しそうな顔でのぞき込んでいた。

 「・・・セフォネ様」

 カヲルに返事をされて安心したのか、セフォネはホッと肩の力を抜いた。

 「・・・はぁ、よかった。やっと返事してくれましたね。一体どうしたのですか?急に動かなくなって・・・」

 カヲルは眉をひそめた。

 「・・・僕はずっと、ここにいましたか?」

 セフォネは、何を言っているのかという顔で首をかしげた。

 「当たり前じゃないですか。ずっとここにいましたよ。本当に、何があったんですか?具合でも悪いんじゃ・・・」

 ――つまり、体はここにあったまま、意識だけが無くなってたのか・・・――

 セフォネからすれば、たった今まで話をしていた人が、突然魂が抜けたように動かなくなったのだ。それは心配するのも当然だ。

 ――・・・ずいぶん心配しただろうな――

 「心配かけて、申し訳ありませんでした。もう大丈夫です。」

 セフォネは、疑うような目でカヲルの顔をのぞき込んだ。

 「・・・本当に?」

 セフォネに顔を近づけられて、カヲルはかすかに顔を赤くして、焦るように笑った。

 「・・・え、ええ。大丈夫です。さ、さぁ、儀式を始めましょうか。」

 気を取り直して、儀式は粛々と始められた。

 墓の前に置かれた献花台に、セフォネが花束を置くと、神妙な面持ちで祈りを捧げた。

 「この国に、平和と安寧を・・・」

 その隣で、カヲルも同じように祈りを捧げ、やがて二人が顔をあげると、カヲルはセフォネの横顔を見た。

 その表情は、どこか不安そうに見えた。

 「・・・セフォネ様、どうかしましたか?」

 「・・・この国に、一体なにが起きているのかしら。この間の化け物は、あの日以降現れることも無いし、よその国でも、目撃の情報はないようだし・・・」

 セフォネは、表情を変えずにカヲルの剣を見やった。

 「カヲルさんの剣しか、通用しなかったことも気がかりだし・・・」

 カヲルは、眉尻を下げて顔を伏せた。

 セフォネが抱いている疑問の答えを、カヲルは持っている。だが、果たしてそれをセフォネが信じてくれるかどうか、カヲルは不安だった。現実離れした突拍子もない話を、セフォネは信じてくれるだろうか。しかし、遅かれ早かれ、彼女には打ち明ける必要がある。カヲルは、意を決して口を開いた。

 「・・・セフォネ様、実は――」

 すると

 ゴロゴロゴロ・・・

 遠くの空で、微かに雷鳴がとどろいた。さっきまでは透き通る快晴だったのに、いつの間にか遠くの空から、灰色の雲が近づいてきていた。

 セフォネは、怪訝そうに眉をひそめて空を見上げた。

 「変ねぇ、こんな時期に夕立かしら。ひと雨来るかもしれないわね。お参りも終わったし、そろそろ帰りましょう。」

 すっかり言いそびれてしまったカヲルは、焦ったように頷いた。

 「そ、そうですね。」

 雨が降り出す前に、二人は城へ戻ることになり、いそいそと馬車へ乗り込んだ。

 もと来た道を、少し速めに走る馬車が、アイゼンベルグへ着いた頃には、時刻はすっかり昼を過ぎていた。

 馬車を降りた二人が城に入ると、ひと仕事終えたところのセブクティス国王と鉢合わせた。

 「お父様、ただいま戻りました。」

 「おお、戻ったかセフォネ。儀式は無事に済んだか?」

 「はい、滞りなく。私だってもう大人です。これくらいの公務なら一人でも充分ですわ。」

 すると、国王はニヤリと笑った。

 「ほぉー、そうかそうか。ついこの間まで、森の中にはお化けがいるとビクビクして私にしがみついていたのになぁ。」

 セフォネは血相を変えて叫んだ。

 「い、いつの話をしているのですか!」

 「儀式に行った日の夜は、いつも一人で寝られずに夫婦のベッドに潜り込んできたなぁ。」

 「・・・も、もう!それ以上言うと承知しませんよ!」

 「ハッハッハ!では、あとの話はまた今度にするよ。カヲルくんも、ご苦労だったな。初の任務で、疲れただろう?」

 「いえ、体力には自信がありますから。」

 「ハッハッハ、そうか。若い証拠だな。ところで、二人とも腹は空いてないか?」

 セフォネは、相変わらずのふくれっ面で、肯定の意味で頷き、カヲルも、空いていますと答えた。

 「そうか。私も今ひと仕事終えてな。これから食事なんだ。よかったら、三人でどうだ?」

 カヲルは申し訳なさそうに尋ねた。

 「し、しかし、僕の分はもう食堂に用意されているのでは・・・」

 「それなら、料理だけ運んでもらえばいい。部屋も同じ階だしな。気にする事はないぞ。」

 「・・・で、では、お言葉に甘えて」

 国王が食事をする部屋は、玉座の間のすぐ後ろにある。

 カヲルがその部屋に入るのは初めてで、これまでも豪華な造りの部屋はいくつも見てきたが、それでも、王族の使う部屋には毎度毎度驚かされる。

 真っ赤でふかふかな絨毯の、大人が五百人は軽く入れそうな広い部屋の真ん中に、国王が食事で使う足の長いテーブルが置いてある。

 テーブルの目の前の壁は、一面ガラス張りになっていて、階数の高いこの部屋からは、アイゼンベルグの街並みと、フィリスティア一の高さを誇るトミッジ山を一望することが出来る。

 部屋に入るなり、カヲルは感嘆の声を上げた。

 「ハッハッハ、カヲルくんの反応は何回見ても飽きないよ。」

 「・・・すごい景色ですね?」

 「ああ。一番眺めのいい部屋を選んだんだ。階が高すぎると街が見えないし、逆に低すぎると、こんどはトミッジ山が見えないからな。季節ごとに変わる景色を眺めながら食事をするのも良いものだ。」

 国王は、執事に二人分の椅子を用意させて、セフォネは国王の隣に、カヲルは横側に座った。

 やがて、三人の料理が運ばれてきた。

 相変わらず、カヲルに用意された料理は豪華だったが、やはり並べてみると、国王とセフォネの料理は一層目を引く。

 カヲルは思わず、自分と二人の料理を見比べてしまった。

 それに気づいたセフォネは、執事を一人呼びだした。

 「カヲルさんの料理も、私たちと同じものに変えてください。」

 カヲルは困った様子で立ち上がった。

 「す、すみません!つい、お二人の料理を見てしまって・・・気にしないで下さい!僕はこのままで充分ですから!」

 執事も困った様子だった。

 「申し訳ありません。お二人のお料理は、ちょうどの分しか作っていないので、今から追加となると、かなりお時間が・・・」

 さらに、セフォネは訴えた。

 「なら、私もカヲルさんと同じものを食べます。それならなんとかなるでしょう?」

 「・・・し、しかし――」

 国王は、声を低めて諭すように言った。

 「セフォネ。あまりわがままを言って彼らを困らせるな。」

 「・・・でも」

 すると、カヲルは自分の料理と二人の料理のうち、白身魚のフライだけが同じだと気づいた。

 「そ、そうだ、セフォネ様。この白身魚のフライ、セフォネ様のと同じものですよね?お互い二つずつありますし、よかったら、ひとつ交換しませんか?それなら、料理は同じですけど、ぼくはセフォネ様の、セフォネ様は、ぼくと同じものを食べたことになります。これでどうでしょうか?」

 国王は、感心した声色でいった。

 「ほほぉ、なるほど。考えたなぁ。」

 少しの間黙ったセフォネは、微かに笑みを浮かべていった。

 「・・・ふふっ。そうね、そうしましょう。」

 「・・・で、では」

 二人は、白身魚のフライをフォークで刺し、お互いの皿に移し替えた。

 その光景を、国王は微笑ましく、ウンウンとうなずきながらみていた。

 それから、談笑しながらの楽しい食事を終え、デザートも食べ終えたところで、国王は口をナプキンで拭きながら立ち上がった。

 「とても楽しい食事だったよ。私は午後の公務に向かうから、ここで失礼させてもらう。二人は、もう少しゆっくりしていくといい。」

 すると、カヲルは突然立ち上がり、焦った様子で国王を呼び止めた。

 「――あ、あの、陛下!」

 突然カヲルに呼び止められた国王は、カヲルに振り返った。

 「何かな?」

 「実は、お話したいことがあります。」

 真剣なカヲルの表情に、ただならぬ雰囲気を感じた国王は、声を低めて尋ねた。

 「・・・真剣な話なのかな?」

 カヲルは、黙って頷いた。

 「うむ・・・」

 国王は顎をさすりながら、チラリと柱時計に目をやった。

 「・・・十分だけなら。」

 「はい、それで大丈夫です。」

 分かった。と国王は再び席に腰を下ろした。

 「それで、話とは?」

 「はい、実は――」

 カヲルは公務で訪れた英雄タクトの墓での出来事を、国王とセフォネに説明した。先日街を襲った化け物の正体、世界に迫っている未曾有の危機、そして、聖剣アマラのこと。カヲルは、慎重に、言葉を選びながら、簡潔に説明した。

 「――とても信じてもらえないでしょうが、すべて真実です。このままでは、このアイゼンベルグで起こったことが、世界中で起きてしまいます。そうなる前に、何としても食い止めなくてはいけません。」

 説明を聞き終えた二人は、揃って怪訝そうな様子だった。それも仕方のないことだと、カヲルは思った。

 まず口を開いたのは、国王だった。

 「・・・それで、カヲルくんは、これからどうするつもりなのかな?」

 「はい。タクトに言われた通り、英雄の仲間の生まれ変わりを探しに行こうと思います。」

 国王は、腕を組んで小さく唸った。

 「・・・なぁ、カヲルくん。君はとても誠実で、思いやりのある、素晴らしい好青年だ。そんな君が、こんな突拍子もない嘘をつくとはとても思えない。私も、出来ることなら君の話を信じてやりたいよ。だがな、いまの君の話は、あまりにも常識を外れすぎている。たしかに、化け物の正体は未だ不明で、君の剣に関しても、謎がかなり多い。仮に君の話が事実なら、辻褄が合う。だが、一概に信じることは出来んよ。」

 国王の言葉に、カヲルは肩を落とした。

 「・・・そ、そうですよね。無理もないと思います。で、ですが、もしも本当なら、もう時間が無いんです。一刻も早く、神に対抗する手立てを講じないと」

 「・・・」

 国王は相変わらず、腕を組んだまま険しい顔をしていた。

 ――だめだ。このままじゃ、信じて貰えない。――

 カヲルは、セフォネに目をやった。話を聞き終えてからというもの、セフォネは悲しそうに肩を落としている。

 「・・・セフォネ様も、信じられませんか?」

 問われたセフォネは、今にも泣き出しそうな目で、カヲルを見た。

 「・・・私の護衛をするのが、嫌になってしまったの?」

 セフォネから返ってきた言葉は、カヲルの予想とは大きく外れていた。

 呆気にとられたカヲルは、思わず、えっ、と聞き返してしまった。

 「突拍子もない嘘の話をでっち上げて、城を出ていこうとしているのでしょう?」

 とっさに、カヲルは席を立ち上がった。

 「そっ、そんな!僕、そんなつもりはありません!すべて本当の話です!」

 カヲルは必死に訴えたが、考えを変えないセフォネは、席を立ち上がって叫んだ。

 「もういいです!そんな嘘をつかれるくらいなら、正直に護衛が嫌になったと言われた方がマシだわ!・・・せっかく・・・せっかく良いお友達が出来たと思ったのに・・・」

 ついにセフォネは、大粒の涙をこぼしながら部屋を走り去ってしまった。

 「せ、セフォネ様!」

 カヲルはセフォネを追いかけようとしたが、国王に呼び止められた。

 「カヲルくん、君の話が事実なら、それを証明してくれ。でなければ、私も君の味方はできないよ。」

 「そ、そんな・・・僕はただ・・・」

 困り果てたカヲルは、ただ呆然と部屋の出口を見ていた。

 ――証明って言われても・・・どうしたら――

 ゴロゴロ・・・

 再び外で、微かに雷鳴が鳴り響いた。空は先程より分厚い雲におおわれ、今にも雨が降り出しそうだ。国王は、ちらりと外を見てつぶやいた。

 「いかん。いよいよ降ってきそうだ。カヲルくん、申し訳ないが、この話はここまでだ。私も、もう行かねば」

 「・・・はい。」

 国王と執事が部屋を後にし、部屋にはカヲル一人が残った。

 ――どうしよう・・・一体、どうすれば――

 その直後だった。

 うつむいていたカヲルは、突然はじかれたように顔を上げた。

 「なんだ・・・」

 カヲルは妙な異変を感じ、巨大な窓ガラスの向こうの外を見た。空が曇っている、それはさっきと変わらない。窓に歩み寄り、ガラスに手をついて外を眺めてみた。街では、相変わらず復興活動が進んでいる。それ以外は、いつも通りの風景だ。しかし、なぜか言葉では言い表せないような不安が、カヲルの胸に広がった。

 「・・・気のせいかな。」

 すると、いきなり部屋の明かりが、チカチカと点滅を始め、カヲルはとっさに、天井の照明を見た。

 「・・・やっぱり、気のせいじゃない。なにかがおかしい。」

 カヲルは険しい顔つきで、胸を押えた。とても胸がドキドキする。

 外では、ゴロゴロと雷が鳴り続いている。その音は、先程よりも近くに聞こえている。もう一度外を見ると、空を暗雲がおおいつくし、日差しを完全に遮っていた。

 やがてカヲルの不安は、城内にも伝染し始めた。城中の照明が激しく点滅し始め、この異変に、城の召使いたちも騒ぎ始めた。何が起きている。などと、不安な声が上がっている。

 いてもたってもいられなくなったカヲルは、すぐさま部屋を飛びだした。

 ――まさか・・・またあの化け物が――

 逸る気持ちを抑えて、カヲルが城の外に出ると、外はまだ昼間だというのに、まるで墨を溶かしたような雲が空を覆い、夜になったのかと思うほどに暗かった。空を覆う雲は、遠くに見える山脈の向こうにまで広がっている。まるで、地球全体を侵食しているようだった。

 すぐにカヲルは、城門を抜けて、街を駆けずり回った。しかし、どこにもあの化け物の姿は見当たらない。やはり、カヲルの思い過ごしだったのか。だが、明かりの点滅は、街の至るところで起きている。この事態に、街の人々も騒ぎ始めた。それに、カヲルの胸騒ぎは、収まるどころか、徐々に増してきている。ぎゅっとなにかに締め付けられるように、胸が痛んだ。

 ――なんだ。何が起きてるんだ――

 その後、数十分にわたって街を走り回ったが、やはり、化け物の姿はなかった。これ以上の探索は必要ないと判断したカヲルは

 「・・・一度城に戻るか。」

 と、城の方に体を向き直した。そのとき、数名の住人が、城の上の方を指さして、叫んだ。

 「城の上に誰かいるぞ!」

 とっさに城を見上げたカヲルは、眉をひそめた。

 アイゼンベルグ城の、もっとも高い塔の上に、なにかがいる。

 「・・・なんだあれ。」

 しかし、空が暗すぎて、それが何なのかはハッキリわからない。

 ――・・・あの化け物じゃない。あれは・・・人なのか?――

 ときおり、城の真上が雷でピカリと光ると、その影の姿が、一瞬だけ顕になる。カヲルは、目を細めてその影を凝視した。遠すぎてハッキリとは分からないが、城の上に立っているのが、人であることは確かだ。

 すると、その人影は、おもむろに手を空へ向かって伸ばした。

 「なにかする気だ!」

 そして、人影が手を勢いよく振り下ろした瞬間だった。

 ピカッ!

 その人影を中心に、無数のまばゆい光が、流れ星のように暗雲を伝って、四方八方へと駆けていった。

 空が眩い光に包まれた瞬間、

 ドンッ!

 まるで、青い惑星が粉々に砕けたかのような、とてつもなく巨大な音だった。

 暗雲を伝って散らばった光は、凄まじい雷となって、アイゼンベルグの数ヶ所に同時に落ちた。

 その一瞬の出来事に、アイゼンベルグの人々は、凍りついたように固まった。

 音が波のように、反響しながら徐々に消えていくと、次の瞬間、誰かが叫んだ。

 「見ろ!トミッジ山が燃えてるぞ!」

 人々は、次々とトミッジ山を見て、驚愕の悲鳴を上げた。

 フィリスティア一の高さを誇るトミッジ山が、先程の落雷を受けて、火の粉をまき散らしながら、ごうごうと燃えていた。

 まさかこんなことが、現実に起こるはずがない・・・

 神の使いの襲来が、人々の記憶に嫌という程残っている内に、再び街を襲った目を疑うような出来事。次の瞬間、人々は、張り詰めた糸が切れたように、悲鳴をあげて逃げ回った。

 急いで自宅に戻る者、造りが頑丈な建物や、街の外に逃げる者もいた。事態を収拾するため、緊急で国家騎士が出動するも、恐怖にさいなまれ、狂ったように逃げ惑う人々を止めることは、もはや騎士だけではどうしようもなかった。

 そんな中で、一人呆然と立ち尽くしていたカヲルの脳裏に、セフォネの顔がよぎった。

 「――城に戻らないと!」

 押し寄せる人波をかき分けながら、カヲルは城への帰路を急いだ。

 カヲルがいる場所から城までは、大通りを行けばほんの数分で着くが、道は逃げる人々でごった返している。急いで城に戻るなら、この道は避けた方が良さそうだと思ったが、土地勘のないカヲルは、この道以外の城への行き方を知らない。本来なら、とっくに城へ着いているはずだったが、結局城へ着いたのは、それから三十分も経った頃だった。普段は人で賑わっている城門前も、すっかり静まり返り、人の気配が無くなっている。

 ――城の明かりが消えてる。――

 幸い、フィリスティア城に被害はないようだが、城内の明かりが完全に消えている。おそらく、先程の落雷で、停電してしまったのだろう。今頃、城内も混乱しているにちがいない。

 カヲルは、急いで城門をくぐり抜けた。すると、突然カヲルは、慌てて足を止めた。

 城門を抜けたすぐのところに、白い鎧を身につけた男が立っていた。

 ――誰だ?――

 男は、長さが腰まである白い髪を風になびかせて、無言のままじっとカヲルを見つめていた。

 すると、カヲルの顔色がだんだんと青白くなりはじめた。まさに、蛇に睨まれた蛙。カヲルは本能で、この男の恐ろしさを察知したのだ。男との距離は、まだ十メートル以上離れているが、これ以上近づくことも、逃げ出すことも出来なかった。もし、一歩でも近づいたら、一瞬で体がバラバラにされてしまうような気がした。先日街を襲った神の使いの殺気を遥かに凌駕する圧力だった。

 すると男は、少しも表情を崩さずにゆっくり口を開いた。

 「・・・お前は何故逃げない。」

 カヲルは眉をひそめた。

 「この大気を漂う恐怖と絶望感。我の放った雷霆を見受け、己の死を悟った人間どもは惨めに逃げ惑う。獣に狙われた鹿のようにな。だが、お前は何故ここへ来た。恐怖に震えているというのに」

 「・・・じ、じゃあ、まさかあの雷は――」

 鎧の男は、カヲルの言葉をさえぎった。

 「答えろ、人間。なぜお前は恐怖に震えながらも、ここにやって来た。」

 カヲルは、震える顎にぐっと力を込め、押し出すようにいった。

 「・・・こ、この城にいる人が・・・し、心配だから・・・」

 「・・・」

 男は、わずかに目を細め、カヲルに歩み寄った。

 「・・・!」

 カヲルは、とっさに退き、躓いて尻もちをついた。男は、カヲルを見下ろして呟いた。

 「怖いか、我のことが。ならば逃げよ。」

 カヲルは、震えながらも首を横に振った。

 「・・・し、城にいる人を・・・助けないと」

 「ほほぉ、あくまで逃げぬと。――ん?」

 すると、男はなにかに気づいたように眉をひそめた。

 「・・・お前の顔、見たことがある。」

 「・・・え」

 男はしばらくカヲルの顔を見つめると、

 「思い出したぞ。」

 と、口元をかすかに上げた。

 「お前、この国に送ったデーモンと戦っていた男だな。」

 その言葉を聞いて、カヲルの震えがピタリと止まった。

 「・・・デーモンを・・・送った・・・?」

 「その通り。お前が次々と斬り倒していったデーモンをこの街に寄越したのは、この我だ。」

 次第に、カヲルの表情が怒りの色を表し始めた。

 「・・・じゃあ、お前のせいでたくさんの人が命を落としたのか・・・」

 カヲルは、剣の柄を強く握りしめながら、ゆっくりと立ち上がった。いつの間にか、体にしがみつく恐怖も消え、今は目の前の男への怒りで心が満たされている。

 「お前のせいで・・・お前のせいでー!」

 カヲルは、剣先を男に向けて突進した。踏み込むと同時に剣を頭上まで振り上げ、男に斬り掛かろうとしたときだった。男の体が一瞬きらめき、カヲルの腹部に強烈な衝撃がぶつかってきた。まるで、巨大な鉄球が腹めがけて飛んできたかのような衝撃で、カヲルの体は空中でくの字に曲がった。地面に落下したカヲルは、あまりの苦痛に顔をゆがめ、地面にとしゃ物を撒き散らした。

 いま自分に何が起きたのか、理解が追いつかない。カヲルは、苦悶の表情で男を見上げた。男は、奇妙な笑みを浮かべてカヲルを見下ろしている。

 「そら、どうした。かかってくるがいい人間。デーモンを倒したときのように、我にその剣を突き立ててみせよ。」

 カヲルは咳き込みながら、剣先を杖のように地面に立て、ゆっくりと立ち上がって剣を構えた。男への憎しみのあまり、剣を持つ腕に力が入り、剣がカチャカチャと音を立てて震えている。まだ腹部には鈍い痛みが居座っているが、一度深く呼吸をすると、気合いの声とともに突進した。カヲルが突き出した剣は、男へと届いた。が、男は流れるように身をひるがえしてカヲルの剣をかわし、勢いが余ったカヲルの顔を手でわし掴みにすると、前の方へ押し込み、カヲルは尻もちをついて倒れた。その後も、何度も何度もカヲルは立ち向かったが、剣は男にかすりもせず、すべてかわされてしまう。怒りで我を忘れ、剣さばきが単調になってしまい、いつもの戦いが出来ないのだ。男は、始めのうちは楽しむようにカヲルをあしらっていたが、次第に表情が無くなり、呆れたような顔を見せ始めた。膝をついて荒く息をするカヲルに、男は冷たく言い放った。

 「つまらぬ。憎しみを己の力と出来ぬとは、実につまらん。どうすればお前の力を引き出せるのだ。」

 カヲルは、険しい顔で男を見上げた。

 男は、何かを考えるように顎をさすると、後ろに見えるフィリスティア城に目をやった。

 男は、城を見つめたままニヤリと不気味に笑うと、すぐにカヲルに向き直した。

 「お前が心配で戻ってきたというあの城に、我は今から雷霆を落とす。」

 カヲルは、驚愕して目を見張った。

 「な、何を言って――」

 「我の力をもってすれば、あの程度の城など、一瞬で灰となろう。力ずくで我を止めぬ限り、あの城を守ることは出来んぞ。さあ、どうする人間。」

 と言って、男は右手を頭上にかかげた。この男の力が強大なのは、先程の落雷を見て明らかだ。これは単なる脅しではなく、本気でやる気だろう。城の中には、まだセフォネや国王たちが残っている。このままでは、全員殺されてしまう。

 「や、やめてくれ!それだけは!」

 カヲルは両手をついて懇願した。

 「ならば止めてみせろ!惨めな姿を晒すなら、命がけで我を止めてみろ!」

 男の手の上に、光が少しずつ溜まり始めた。

 「くっ、やめろー!」

 カヲルは剣を構え、男へと突き進む。しかし、カヲルの剣が当たる直前で、男がもう片方の手を横に振り払うと、カヲルは突風に煽られたように吹き飛ばされた。

 男は、冷たくカヲルを見下ろしながら、声を低めていった。

 「・・・お前ごときの力では、我に触れることすら出来ぬ。もはやこれまでだ、そこで城が灰と化すところを見ていろ。」

 カヲルは、すがるように手をついて叫んだ。

 「やめろ!頼む、やめてくれ!」

 男は、必死なカヲルをよそに、大きく口を開けて笑い声を上げた。まるでカヲルをさげすむように。

 ――くそ・・・もうダメだ・・・――

 涙を浮かべてうつむいたカヲルは、ふと、ずっと握りしめていた剣を見た。

 その時、幻聴か、記憶が呼び起こしたものか、カヲルの頭の中に、タクトの声が響いた。

 ――カヲル。自分を、その剣を信じて。キミはアマラに認められたんだ。困った時は、アマラに呼びかけてみるといい。必ずキミを勝利に導いてくれるから。最後まで、諦めちゃダメだ。――

 「・・・アマラを・・・信じる。自分を、信じる。」

 カヲルは、決意のこもった目で、アマラを強く握りしめ、顔の前で剣を立てた。

 「アマラ・・・僕に力を・・・やつに打ち勝つ力を・・・セフォネ様を、みんなを、世界を守れる力を!」

 その時、アマラの剣身が微かに輝き始めた。異変を察した男は、横目で光始めた剣を見て、眉をひそめた。

 「・・・なんだ?」

 アマラの光は、徐々に強さを増していき、カヲルの周りをぼんやりと照らしだした。

 ――なんて・・・暖かい光なんだ――

 すると、アマラの光が、弾けたように一瞬で強くなり、空に手をかざす男の体までも照らし始めた。そのあまりの眩しさに、男はとっさに光を集めていた手で目を覆い、とたんに、集めた光は消滅した。

 「・・・この輝きは・・・まさか」

 カヲルは、両手で掴んだ剣を高々と掲げた。

 すると、剣の輝きがより一層強くなり、同時に、カヲルの周りに、凄まじい風が駆けめぐった。

 ――聞こえる・・・剣が・・・命が・・・叫んでる。この剣の名前を・・・!――

 カヲルは、強く叫んだ。

 「アマラー!」

 その瞬間、カヲルを中心に凄まじい突風が轟音ととも吹き荒れ、剣の輝きが空を覆う雲にまで届いた。その突風に煽られ、男はわずかにたじろぐと、白く長い髪を風になびかせながら、剣をかかげるカヲルを見つめた。

 「――風となって、我に仇なす者・・・」

 剣が放つ風と光は、世界を包む暗雲を次々と振り払っていき、どこまでも続く遥かな青い空を取り戻した。

 やがて風と光が収まり、辺りが静かになると、カヲルは剣を男へと向けた。

 「・・・アマラ・・・そうか、そういう事か。」

 と言うと、男は肩を小刻みに揺らして、不気味に笑い始めた。

 「〝我に仇なす風〟・・・修羅の道を征く、我の災いか・・・ふっふっふ・・・」

 どこか楽しそうな様子でつぶやいた男に、カヲルは声を低めていった。

 「お前は、一体何者なんだ。」

 カヲルの問いかけに、男は声を低めて答えた。

 「・・・良かろう、教えてやる。」

 男の目付きが鋭くなり、おもむろに両腕を額の前で交わすと、短い叫び声を上げながら、一気に腕を開いた。すると、男の背中に巨大な白い翼が現れた。

 「・・・つ、翼が生えた。」

 カヲルは、目の前で起きた信じられない光景に驚愕し、目を見開いた。

 男は、わずかに屈んで勢いよく飛び上がると、翼を羽ばたかせて宙に舞い上がった。

 「我が名は、全統神ゼウス!この世界の全てを統べる、神々の王だ!」

 「神々・・・やっぱり、タクトが言っていたのはこいつのことだったのか。」

 「今回はこれで引き下がろう。我に仇なす風が、お前のことだと分かっただけでも、大きな収穫だった。」

 「逃がすか!」

 走り出したカヲルは、飛び上がってゼウスに斬りかかったが、カヲルの剣は宙に浮いているゼウスには届かず、いとも簡単に避けられてしまった。

 「そうだ、抗ってみせよ人間!力の限り、我に立ち向かえ!貴様たちが我らに滅ぼされる、その時までな・・・」

 カヲルは、立ち上がりながら叫んだ。

 「絶対に、そんなことはさせない!」

 「・・・ふっふっふ。逃れられぬ運命に、せいぜい逆らうがいい、我に仇なす風よ。」

 ゼウスは高笑いを上げながら、空の彼方へと消えていった。

 カヲルは、険しい表情のまま、空を睨み続け、どこかへ消えたゼウスへつぶやいた。

 「絶対に・・・そんなことはさせない・・・」

 カヲルは、剣を強く握り続けていた手から力を抜き、剣を鞘に収めた。

 「・・・そうだ、トミッジ山が」

 カヲルは、トミッジ山に振り返った。さっきまで轟々と燃えていたトミッジ山の火は、跡形もなく消え、もやもやと黒い煙が空に昇っていた。山全体に燃え広がる前に、アマラが発した光と風が、山の火を消し去ったのだ。

 「・・・火が消えてる。よかった」

 直後、城の方からカヲルの名前を叫ぶ声が聞こえた。

 カヲルが振り返ると、城の方から、セフォネが心配した様子で必死に走ってきていた。

 カヲルの元にたどり着いたセフォネは、息を切らしながら、カヲルの顔を覗きこんだ。

 「カヲルさん、大丈夫?怪我はない?」

 セフォネは、城の中でカヲルとゼウスのことを見ていた。すぐにカヲルの元へ行きたかったが、王や執事達に止められて、行くことが出来なかったのだ。

 不安そうな顔のセフォネの顔を、カヲルは黙って見つめた。危うく、セフォネが命を落とすところだった。アマラの力が無かったら、今頃どうなっていたか・・・

 それを考えるだけで、セフォネが無事なことが、より一層嬉しかった。

 「はい、僕は大丈夫です。セフォネ様も無事だったんですね、本当によかった。」

 と、微笑を浮かべた。

 「カヲルさん、さっきここにいた人は、何者なの?」

 カヲルは、微かに眉間にシワを寄せて言った。

 「やつはゼウス。あの化け物に、このアイゼンベルグを襲わせた張本人です。」

 「それって・・・カヲルさんが言ってた、この世界を滅ぼそうとしてる神様?」

 カヲルは、険しい顔で頷いた。

 「タクトが言ってました。神が近いうちに、本格的な攻撃を仕掛けてくるって。それが、さっき起きてしまったんです。このアマラの力が無かったら、今頃どうなっていたか・・・」

 セフォネは、雷がトミッジ山に落ちるところも、ゼウスが城を破壊しようとしていたところも、そして、カヲルの剣、アマラが眩く光り、空の暗雲を晴らしていくところも見ていた。まるで悪夢を見ているかのような光景だったが、全てが紛れもない現実だ。カヲルが話した全てのことを、信じるしかなかった。

 「僕はやっぱり、行かなくちゃなりません。早く一緒に戦ってくれる仲間を集めて、ゼウスを止めないと、本当にこの国は・・・いや、世界そのものが滅ぼされてしまう。」

 とたんにセフォネは、カヲルの腕をつかみ、必死な表情で訴えた。

 「無理よ!あんな恐ろしい力を持った相手に、勝てるわけないわ!」

 カヲルは、微かにうつむき、声を低めていった。

 「・・・確かにそうかもしれません。でも、誰かがやらなきゃならないんだ。この剣の力が本物なら、もしかしたら、ゼウスを止められるかもしれない。だから、僕は行きます。たとえ、わずかな可能性しかなくても」

 「カヲルさん・・・」

 カヲルの目は真剣だった。

 これ以上セフォネが説得をしても無駄だと、セフォネは自ずと悟った。

 「・・・どうしても、行ってしまうの?」

 カヲルは、セフォネの目をしっかり見すえて頷いた。

 視線を落としたセフォネは、カヲルの肩を掴む手にぐっと力を込めた。徐々に肩が震えだし、潤んだ目から悲しみの涙が滴り始めたとき、セフォネはカヲルの体に突然強く抱きついて叫んだ。

 「いや!行かせない!そんな危ないことをしに行くなんて、絶対にダメ!」

 あまりに突然のことで、カヲルは顔を赤らめて呆然とした。

 「・・・せ、セフォネ様」

 セフォネは、カヲルの肩に顔を埋めて、震えた声でさらに訴えた。

 「お願いだから・・・行かないで・・・せっかくお友達になれたのに・・・あなたがいなくなったら・・・また、独りぼっちになっちゃうわ・・・」

 セフォネにとっては、これが一番の本音だった。

 カヲルが危険な目に遭うかもしれないという心配も、もちろんあったが、なにより、念願の友達になってくれたカヲルと、離ればなれになってしまうのが、セフォネは何よりも嫌だったのだ。

 「・・・セフォネ様」

 「お願いだから・・・行かないで。一人になりたくないの・・・また淋しい思いをするのは・・・もう嫌なの。」

 セフォネの必死な訴えで、カヲルの胸は痛んだ。これまで、セフォネがどれだけ孤独だったか、カヲルはよく知っている。だからこそ、護衛を引き受け、友達になると決めた時から、セフォネが喜んでくれるよう、笑顔を見せてくれるように接してきたのだ。

 「私が笑顔になれるなら・・・どんな事でもするって・・・言ったじゃない・・」

 「・・・だけど――」

 セフォネはカヲルの言葉をさえぎった。

 「大人気ないわがままを言ってるのは分かってる!・・・でも・・・でももう寂しいのは嫌なの・・・お願いだから、行かないで・・・」

 人の期待を裏切れない質のカヲルの決意は、あまりのセフォネの悲痛の訴えに、わずかに揺らぎそうになった。

 だが、カヲルは一度目をぎゅっとつむると、改めて決意を固め、セフォネの肩にそっと手を置いた。

 「ね、セフォネ様。顔を上げてください。」

 言われたとおり、セフォネは、泣きじゃくった顔をゆっくり上げて、カヲルの真剣な眼差しを見つめた。カヲルは、やや恥ずかしそうに顔を赤らめ、視線をセフォネから外していった。

 「本音を打ち明けると、僕もセフォネ様と離ればなれになるのは、正直淋しいです。・・・最近は、セフォネ様や国王陛下が許してくれるなら、このままずっと・・・護衛を続けたいとも思ってました。」

 突然のカヲルの告白に、セフォネは驚いた様子でぽっかりと口を開け、恥ずかしそうにうつむいた。カヲルは、また真剣な表情に戻した。

 「でも、これはきっと、タクトの生まれ変わりとして、この剣を手にした僕の使命なんです。誰かがゼウスを止めなければ、みんなの平和な日常が、なにもかも壊されてしまう。僕は、みんなが、セフォネ様が幸せに暮らしていく未来を守りたいんです。」

 セフォネは、時どきしゃっくりで肩を揺らしながら、途切れとぎれにいった。

 「でも・・・もし、カヲルさんが死んでしまったら、私・・・」

 カヲルは、セフォネを安心させるよう、かすかに笑みを浮かべて、穏やかな口調でいった。

 「大丈夫。さすがに、今のままでヤツに勝てるとは、僕も思っていません。この国のどこかにいる仲間を見つけたら、またここに帰ってきますから。アイゼンベルグの、セフォネ様のところへ」

 セフォネは、鼻をすすりながら問いかけた。

 「・・・本当に?」

 カヲルは、笑顔で深くうなずいた。

 「ええ、約束です。」

 カヲルは、小指を立ててセフォネに近づけた。

 セフォネは、腫れぼったい目元を指で擦りながらいった。

 「・・・ぐすっ・・・なに?」

 「指切りです。僕の故郷の風習で、お互いに約束を交わすときにやるんです。セフォネ様も、こうやって小指を立てて、僕の小指と結んでください。」

 セフォネは、言われた通りに小指を立て、カヲルの小指と絡めた。

 「じゃあ、一緒に歌ってください。指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ーます。」

 セフォネは、恥ずかしそうに頬を赤らめて、ぼそぼそとつぶやくように歌った。

 「・・・ゆ、指切りげんまん、嘘ついたら針千本呑ーます。」

 最後に、カヲルが、指切った。と言って、お互いの指を離した。

 「これで僕は、なにがあっても、セフォネ様との約束を守らなきゃいけません。だから必ず、ここに帰ってきます。」

 「・・・」

 セフォネは、カヲルの目を見つめた。そして、一度顔を伏せ、少し経ってから、また顔を上げた。

 「・・・わかった。信じて待ってる。約束だからね?」

 カヲルは、笑顔でうなずいた。

 「それと、もうひとつ、お願いがあるの。」

 「なんでも言ってください。」

 「・・・これからは、私の事、セフォネって、呼んで。そうしたら私も、カヲルって、呼ぶから。それと、堅苦しい敬語も、もう無しにして。」

 「・・・そ、そうですか。」

 カヲルは、頬をポリポリとかき、少し考えてから、また笑顔を見せていった。

 「分かった、セフォネ。」

 すると、セフォネも、ようやくいつもの笑顔を見せた。

 「うん。カヲル」

 「じゃあ、お城に戻りましょう。」

 街の住人の騒ぎが、騎士団の尽力で収まりを見せ始めた頃、城や街の電気も、いつの間にか復旧していて、人々は、それぞれの家へと帰っていった。

 

 その日のうちに、セフォネ本人から、カヲルの話が全て真実だったと国王に伝えられた。国王自身も、ゼウスの恐るべき力をまざまざと見せつけられ、さすがに信じざるを得ないといった様子だった。そして、カヲルの旅立ちも、無事に許してもらえたのだった。

 二日後、朝を迎えたアイゼンベルグの空は、旅立ちにふさわしい、どこまでも青く澄んだ空だった。

 荷物をかかえたカヲルは、城の正面口を出たところに立ち、一度荷物を下ろして、後ろを振り返った。

 「陛下、何から何まで用意して頂いて、本当にありがとうございました。」

 夜が明けて間もない時刻だが、セフォネと国王は、カヲルを見送りにやって来ていた。

 「なに、気にする事はない。いつもセフォネが世話になっているほんのお礼だ。それに、どうやら長い旅になるようだからな。備えあれば憂いなしだ。」

 「はい。これで、安心して仲間を探せます。」

 国王は、深くうなずいた。すると、かすかに眉をひそめて、つぶやくようにいった。

 「それと、あのゼウスとかいうものが放った雷のおおまかな被害が、昨夜報告されてな。どうやら、あの雷は、ひとつ残らず、世界中すべての国に落ちたようだ。我が国は大丈夫だったが、ほかの国では、死者も出ているらしい。これから、各国の首脳が集まって話し合いが行われるが・・・本当に、恐ろしい力だ。」

 「ええ、もしかしたら次は、もっと恐ろしい攻撃を仕掛けてくるかもしれません。だから、一刻も早く、対抗できる戦力を作らないと」

 「うむ。もし、道中でなにか困ったことがあったら、遠慮なく知らせてくれ。私も、協力は惜しまない。」

 「はい、ありがとうございます。」

 「カヲル、あの・・・」

 国王の隣にいるセフォネが、カヲルに一歩歩み寄った。

 「これ、よかったら、旅の途中で食べて。」

 セフォネは、ピンク色の布でくるんで、白いリボンで縛ってある小さな包みをカヲルに渡した。

 カヲルが中を見てみると、とてもいい香りのするクッキーが入っていた。

 「これ、もしかして、セフォネが?」

 セフォネは、恥ずかしそうに顔を赤くした。

 「うん、今まで黙っていたけど、実は、こっそり本を読んで、お料理のお勉強をしてたの。実際に作るのはこれが初めてだから、お口に合うと良いのだけど・・・」

 「ありがとう、とってもいい香りだよ。美味しくいただくからね。」

 「うん。帰ってきたら、感想を聞かせてね・・・それと、もうひとつ」

 顔を真っ赤にして、手をもじもじとさせるセフォネは、カヲルに少しだけ腰を落とすように頼んだ。すると、セフォネはカヲルの顎と左肩に手を添えて、カヲルの左頬にそっと唇を付けた。その瞬間、カヲルは衝撃のあまりに顔を真っ赤にして固まり、一部始終を見ていた国王も、驚きの声を上げた。当のセフォネ自身も、今にも火が噴きそうなほどに顔が真っ赤になっている。恥ずかしさのあまり、カヲルを見ることが出来ない。

 「・・・ま、前に、本で読んだことがあるの。ある国の習慣で、戦地に赴く兵士の無事を祈って、頬にキスをするって・・・」

 カヲルは、キスをされた左頬を手で抑えながら、おずおずと礼を伝えた。

 国王は、チラリと横目でセフォネを見た。

 「お前もなかなかやるじゃないか、セフォネ。女中婦長のテッサが見たら、大慌てだな。」

 「ぜ、絶対に言わないでください!これはあくまで、カヲルの無事を祈っての事で・・・」

 「わかっているよ。大事なお友達だものな。だが、ヒザキ団長には伝えねばなるまい。あやつもなかなか、お前をからかうのが好きだからなぁ。良い話のネタができたわ!」

 と、大口でガハガハと笑う国王に

 「お、お父様!そんなことをしたら許しませんよ!」

 と、セフォネは国王の体をポカポカと叩いた。

 そんな微笑ましいやり取りを見て、カヲルは少しだけ安心した。出会ってから今日までの間で、セフォネの雰囲気はだいぶ明るくなり、よく笑うようになった。これで、心置きなく旅に出かけられる。

 「・・・では、行ってきます。」

 「ああ、気をつけてな。」

 セフォネは、また一歩カヲルに近寄り、小指を立てた手を差しだした。

 「約束、忘れないでね。」

 「・・・ふふっ。ええ、もちろん。」

 と、しっかりとうなずき、カヲルも小指を立てて、セフォネの小指に絡めた。

 「・・・それじゃあ。」

 と、カヲルは踵をかえし、城門へ向かって歩き始めた。

 いつまでも手をふり続けるセフォネに、カヲルも、セフォネの姿が見えなくなるまで、手をふり続けた。

 やがて城門を抜け、カヲルは、朝日に浮かんだ街を眺めた。

 早朝ということもあり、人通りが少ないこともあるが、初めてアイゼンベルグへ来た時より、確実に住人は減っている。着実に復興は進んでいるものの、神の使いによる破壊の爪痕は、今も生々しく残っている。さらに、先日のゼウスが知らしめた恐ろしい力も相まって、ここ数日で、アイゼンベルグを出ていってしまう人が後を絶たないらしい。それも、仕方のないことだと、カヲルは思った。

 ――みんなが、安心して暮らせる世界を取り戻さないと・・・――

 空の太陽が完全に姿を見せた頃、カヲルは東の大門まで来ていた。門の上では、太陽が煌々とアイゼンベルグを照らしている。

 カヲルは、手で顔に影を作って空を見上げた。

 「今日もいい天気になりそうだ。」

 大門の手前に立っている二人の騎士に軽く頭を下げ、カヲルはアイゼンベルグの外へ出た。その直後、

 「待っていたぞ。」

 と、男の声で呼び止められた。

 カヲルが振り返ると、国家騎士のヴェイン隊長が、門を支える太い石柱に寄りかかって立っていた。

 「ヴェイン隊長」

 柱から離れたヴェインは、いつも通りの険しい目付きで、カヲルに近づいた。

 「本当に、旅に出るんだな。」

 「はい、セフォネ様の護衛の手配をしてもらって、ありがとうございました。これで、安心して仲間探しの旅ができます。」

 カヲルは穏やかな口調で言ったが、ヴェインの表情は険しいままだった。

 「そんなことより、お前に確かめたいことがあって来た。」

 確かめたいこと?とカヲルは首をかしげた。

 「簡単な話だ。お前が本当に、我々の味方なのかどうかだ。」

 思わずカヲルは、言葉を飲んだ。

 「お前を怪しんでいる者は多い。お前があまりにも、一連の事件に深く関わり過ぎているからだ。偶然この街を訪れたとは思えないほどにな。政府の上層部にも、お前が事件の首謀者なのではないかと疑っている者もいる。」

 カヲルは目を見張った。

 「・・・そ、そんな。僕はただ――」

 ヴェインは、カヲルの言葉をさえぎった。

 「今ここでどんなに弁明しても、その疑いは晴れることは無い。このままお前に姿を消されても困ると判断した上層部は、お前の名前を顔写真付きで、全国の地方騎士に通達した。一連の事件に関わる、最重要人物としてな。」

 カヲルは、眉をひそめた。

 「それって、どういう・・・」

 「お前がよその街で少しでも不審な行動を取れば、即刻身柄を拘束されるということだ。」

 カヲルは絶句した。

 「だから、くれぐれもおかしな行動は慎むことだ。」

 カヲルは、ショックを受けた様子でうなだれた。だが、ひとつ疑問が頭をよぎった。

 「あの、それは、僕に伝えてよかったんですか?もし僕に疑いがかかっているなら、秘密裏に動かないと意味がないんじゃ・・・」

 ヴェインは、少し間を置いて答えた。

 「・・・お前には借りがある。借りを作ったままお前に消えられるのも嫌だからな。これで、貸し借りなしだ。」

 ヴェインの予想外の言葉に、カヲルは嬉しそうに口元を上げた。

 「ヴェイン隊長・・・ありがとうございます。僕を信じてくれて――」

 ヴェインは、カヲルの言葉をさえぎった。

 「勘違いするな。俺だって、完全にお前を信じたわけではない。もし、お前が少しでも変な気を起こしたら、俺は容赦なくお前を叩きのめす。それだけは、肝に銘じておけよ。」

 ヴェインの、鬼気迫る鋭い眼差しに、カヲルは、肝を冷やした。

 「・・・わ、分かりました。」

 ヴェインは、一度軽くうなずくと、顎をクイッと前へ突き出し、

 「もう行っていい。」

 とだけ言い残して、大門の向こうへと姿を消した。

 一人になったカヲルは、深く息を吐いた。

 「ふぅ・・・あの人の前じゃあ、どんな嘘も見抜かれてしまいそうだ。そんなに歳は離れてなさそうなのに、ものすごい気迫だったなぁ。」

 カヲルは、再び東の方を向いた。

 「さて、どこに向かえばいいかは、剣が教えてくれるって言ってたけど・・・どうすればいいんだろう。」

 カヲルは、腰の剣に手を添えた。

 「・・・おーい、どこに行けばいいんだい?」

 まさか答えるはずはないと思いながらも、カヲルは剣に語りかけた。すると、

 「・・・ん?」

 カヲルの脳裏に、ある景色が浮かんだ。赤いレンガでできた家が密集している、夕日の沈む海が見える町だった。

 この景色を、カヲルは一度も目にしたことは無い。

 「まさか、本当に教えてくれたのか?それじゃあ、いま頭に浮かんだ街に行けってことなのかな・・・赤いレンガの家がたくさん見えたけど・・・それに、夕日が沈む海が見えたな・・・てことは、西に向かえばいいのかな。」

 顔を上げたカヲルは、アイゼンベルグに振り返り、様々な思いを馳せた。

 念願だったアイゼンベルグへやって来てからの一ヶ月間は、あまりにも無情に、カヲルの人生を弄んだ。期待に胸を膨らませてこの街を訪れたのが、ずいぶんと遠い昔のように感じる。もう、後戻りはできない。たくさんの人の未来が、自分の肩にかかっている。この先、どんな試練がカヲルを待ち受けているのだろうか。

 カヲルは、茨に満ちた果てしない道を今、歩き出したのだった。

 ――完

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