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神統英雄伝  作者: 夕凪の詩
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出会い


 星を抱いた東の夜空が、薄らと青みがかり始め、夜明けがやってきた。

 東の彼方に連なる、山脈の向こうから顔を覗かせた朝日に照らされて、星々は切なそうに姿を消していった。

 「やった!ようやく着いたぞ!」

 深い森をぬけた小高い丘の上に、一人の青年が立っていた。

 茶色い雨具を頭からすっぽりと被り、鞘に収めた古剣を肩から斜めに担いだ青年は、朝つゆに濡れた頭巾をはずして、毛先のはねた特徴的な灰色の短い髪を、春先のまだ少し冷たい朝の風にさらした。

 寒さで頬を紅潮させた精悍な顔つきの青年は、眼下に広がる広大な街を見下ろした。先進国フィリスティア王国の首都、アイゼンベルグの象徴として街の中心にたたずむ、朝日に浮かんだフィリスティア城を眺めて、青年は嬉しそうに目をまんまるに見開いた。

 「凄いや、あれがフィリスティア城か。なんて綺麗なんだろう…」

 青年は、昨夜から一睡もせずに、アイゼンベルグを目指してひたすら森を南下していった。だが、夜中に森を歩くのは、決して褒められた行為ではない。人の手がかけられていない森の、あってないような複雑にいり組んだ獣道は、一歩踏み間違えれば切り立った谷底に落ちる可能性がある。そして何より、森の中には数多くの凶悪な魔物が餌を求めて徘徊しているのだ。森に生息する魔物のほとんどは夜行性で、日中は姿を現すことがほとんどなく、人の手によって間引きされた森では、魔物に遭遇することは滅多に無い。しかし、この青年が通ってきた森は、昼でも数メートル先が見通せないほどに、暗く深い森だった。そんな森を、青年は運良く魔物に遭遇せず、無事に森を抜けてアイゼンベルグへ到着した。この青年の運の良さもそうだが、一人きりで、しかも、魔物の阿鼻叫喚さながらの鳴き声が飛び交う夜の森を抜け切った彼の精神力は、まさに常軌を逸しているといえる。

 夜通しで森を歩き続けた青年の顔には、やや疲れが伺える。しかし、念願だったアイゼンベルグへの到着とあって、その疲れは体から煙のように抜けていった。

 まるで、絵に描いたような優美な城を眺めていた青年は、みるみるうちに顔を歪ませ、やがて大粒の涙をこぼし始めた。

 「無理して来た甲斐があった。こんなに綺麗な景色が見られるなんて…」

 青年は、とめどなく溢れる涙を腕で拭いとり、ひとしきり感慨にふけてから、真顔に戻り、肩にかけていた古剣を地面に下ろした。

 「雨も上がったことだし――」

 青年は防寒具として着ていた雨具を脱ぎ、ぱんっと音を立てて朝つゆを振り払うと、器用にこぶし程の大きさまで折りたたんだ。それから、腰に下げていたパンパンに膨らんだ茶色い小袋から、同様に折りたたまれた水色のコートを取り出し、代わりに雨を小袋にぎゅうぎゅうと押し込んだ。

 「ようやくこれが着られるぞ。」

 青年は、どこか楽しそうに、取り出した膝丈の水色のコートに腕を通した。

 コートの袖は、両腕とも二の腕あたりで途切れている半袖で、胸ポケットには白い十字線の刺繍が縫われてある。クロスブレイブという、彼の家に古くから伝わる紋章だ。さらに、コートとまとめて折りたたんでいた白いスカーフを、コートの襟を巻き込むように首に巻きつけた。

 「これをつけると安心するんだよね。」

 首に巻きつけたスカーフを両手で軽く叩いて形を整え、肩に担いでいた剣を、コートの腰部分に据え付けてある金具に収めた。

 「さーて・・・」

 青年は空を見上げながら腕を大きく広げ、朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 「もう一息だ!」

 と、アイゼンベルグへ続く街道へ向かって、青年は緩やかな草地の坂を一気に駆け下りた。良く鍛えられた若い健脚を、精一杯前へ前へと進ませ、逸る気持ちが躍動して、駆ける脚がなんとももどかしかった。それだけ、アイゼンベルグへ来ることは、この青年にとっての悲願だった。

 青年の名は、カヲル・Tライトニング。

 フィリスティアの東北に位置するルーベンス地方のリーレン村で生まれ、今年で十八になる。彼には、幼い頃からの夢があった。いつか世界中を旅して、色々なものを見て、様々な経験をして、一人前の立派な男になることだ。そのために、三年という年月をかけてコツコツと準備を進め、母マリアにも、妹のニィーナにさえ何も告げず、山々に囲まれた田舎同然のリーレンを、十日前に飛び出したのだった。

 

 太陽が完全に姿を見せた頃、カヲルはアイゼンベルグの東門の前に立っていた。

 アイゼンベルグは、山一つを切り開いて作られた、円形の街だった。よその国と比べると、首都にしてはどちらかというと小さめの街だが、それでも、カヲルの故郷のリーレンに比べれば、街の広さは湖と水たまりほどの差がある。街の周りには、魔物が街に侵入できないよう、高さ五メートルほどの石造りの外壁が緩やかなカーブを描きながらぐるりと街を囲っている。一説には、外壁の建造には半世紀もの時間がかかったと言われていて、親子三世代に渡り、外壁の建造に携わった者もいるという。東と南の二箇所には、街の出入りに使われる大門があり、そこから、ほかの町へ繋がる街道が、どこまでも伸びている。

 「へぇ、首都ともなると、門を通って街に入るんだ。」

 カヲルが石造りの大門に見とれていると

 「――キミ、そんな所で何しているんだ?」

 門番として駐在している騎士が、ガシャガシャと鉄がこすれる音を立てながら、呆けた顔で門を見上げているカヲルに近づいてきた。

 首から下には、両肩に国旗が描かれた灰色の鉄鎧を身につけ、顔が隠れる形のヘルムを頭に被っている。

 「――あっ。」

 我に返ったカヲルは、近づいてきた騎士にわずかに頭を下げて、朝の挨拶を交わした。

 「こんなに大きな門は初めて見たので、つい見とれてしまって。あなたは国家騎士の方ですか?僕、騎士を見るのも初めてなんです。」

 騎士は、カヲルから特に怪しさを感じなかったのか、ヘルムの顔の部分だけを額側にずらして、色白の顔をあらわにした。騎士は、見たところ四十歳は超えていそうな、優しい顔つきの男だった。

 「いや、我々は地方騎士だよ。怪しい人間や魔物の侵入を未然に防ぐのが、我々の仕事さ。」

 この国の治安を維持している騎士には、国家騎士と地方騎士の二つの機関が存在する。

 地方騎士は、アイゼンベルグを含めた全国各地に配置されていて、主に犯罪行為の摘発、及び取り締まり、街の巡回警備等を行っている。

 一方国家騎士は、国王直属の行政機関で、主に王家の警護、護衛、そして、人に害をもたらす魔物の討伐を行っている。

 「ところで、キミはもしかしてルーベンスの生まれかい?」

 故郷を言い当てられたカヲルは、目を見張って驚いた。

 「どうして分かるんですか?」

 「やっぱりそうか。なぁに、キミの微妙に尻上がりな訛りでピンと来たんだ。俺も、ルーベンスの生まれだからね。」

 「へぇ、そうなんですか。騎士の人って、みんな都会生まれなのかと思ってました。」

 感心するカヲルに、騎士は否定の意味で手を横に振った。

 「いや、逆だよ。騎士は地方出身が圧倒的に多い。国家騎士も含めてね。アイゼンベルグ出身者はみんな、ほとんどが大手の企業に務めたりしている。この街には、仕事が沢山あるからね。まだまだ発展途上の地方に暮らす人々は、だいたい地方に駐在する地方騎士になって、そこからさらに国家騎士を目指したりするのさ。」

 カヲルの生まれ故郷であるリーレンは、ルーベンス地方の中でもより奥まった山の中に位置している。人口も五百そこそこの、小さな村だ。その村で生活をする人々は、ほとんどが農林業等の自給自足生活をしており、あとはちょっとした商店を営むくらいのもので、犯罪発生率一桁の平凡なリーレンで騎士になろうと思うものは、まずいない。

 「僕の村には騎士がいないので、一度見てみたいと思ってたんです。感激です!」

 瞳をキラキラさせる青年を見て、騎士は嬉しそうに笑った。

 「ハッハッハ、そうかそうか。それは何よりだ。ここへは旅行か何かかい?」

 「僕、小さい頃から世界中を旅するのが夢だったんです!色んなものを見て、人として大きくなりたいんです!」

 「ほぉ、若者らしい目標だ。無謀なことができるのも、若いうちだけだからな。中に入れば、きっと驚きの連続のはずだ。まあ、自分の目で確かめてみるといい。ようこそ、アイゼンベルグへ」

 「はい!ありがとうございます!」

 一度会釈をして、カヲルが騎士の横を通り過ぎようとすると

 「キミを見ていたら、初めてこの街に来た頃を思い出したよ。キミ、名前は?」

 足を止めたカヲルは、まっすぐに騎士を見ていった。

 「カヲル・Tライトニングです!」

 「カヲルくんか。いい名前だな。良き旅を」

 「はい!」

 こうして、カヲルは東の大門をくぐり抜け、首都アイゼンベルグへと足を踏み入れた。

 

 アイゼンベルグを外から見るのと、実際に中に入ってから見るのとでは、景色は想像以上に異なっていた。大通りの真ん中に立って街を見回すカヲルは、驚きのあまりに口を開けっぱなしだった。

 敷石が均等に、ビッシリと敷きつめられた石畳の道路、そこを行き交う人々はみな、色とりどりのオシャレな服装に身を包んでいる。

 壁がレンガでできた民家はどこも華やかで、屋根も様々な形をしている。

 百貨店という看板を掲げた、一見小さな山かと思うほど大きな店。

 この国が築いてきた繁栄と技術が、この街には全て存在した。

 そして、何より、一際群を抜いて存在感をかもし出しているのは、アイゼンベルグの象徴たるフィリスティア城だった。カヲルが立っているところから城までは、まだ何十キロも先だが、手が届きそうなほど近くに感じる。

 「――ホントに大きいなぁ…」

 カヲルが城に見とれていると、東の大門の方から、徐々に鉄と鉄が擦れるような騒がしい音が聞こえ始めた。鎧をまとった騎士の一団が、大通りを歩いていたのだ。

 ――あ!騎士団だ。――

 カヲルは、すぐに道の端に寄って騎士団が通り過ぎるのを待った。

 見たところ、門番をしていた騎士とは様相が違う。先程の騎士がまとっていた鎧は、ややくすみがかった銀色だったが、この騎士の一団は、全員が鎧もヘルムも鮮やな純白で、更に、背中には膝の高さまで伸びている真っ赤なマントがヒラヒラとなびいていた。

 ――もしかして、この人たちが国家騎士団なのかな。――

 すると、カヲルはある事に気が付き、眉をひそめた。隊の先頭を歩いている一人の騎士だけが、頭に何も被っておらず、鮮やかな短い金髪を顕にしている。

 ――あの人だけヘルムを被ってない。どうしてだろう・・・――

 やがて、騎士の一団がカヲルの目の前にさしかかった時、カヲルはふと、金髪の騎士と目が合った。

 ――なんだ?――

 その時カヲルは、不思議な感覚にとらわれた。何故か、その騎士から目を離すことが出来ないのだ。同様に、騎士の方も、足は止めなかったが、カヲルが視界から見えなくなるまでカヲルを目で追い続けた。

 ――何故だろう…初めて会ったはずなのに、ずっと前からこの人を知っている気がする。――

 カヲルは、眉をひそめて首をかしげた。

 「おっ、〝紅の盾〟一番隊か。ありゃあ魔物討伐の帰りだな。」

 カヲルの隣でそう言った恰幅のいい中年の男性に、カヲルは尋ねた。

 「あれが、国家騎士団なんですか?」

 「え?ああ、そうだよ。全世界でも指折りの強さを誇るフィリスティア国家騎士団〝紅の盾〟だ。赤いマントを付けているのが証拠さ。」

 「なるほど、それで紅の盾か。」

 カヲルは、遠ざかっていく騎士の一団に顔を向けた。

 「じゃあ、先頭を歩いていた金髪の人も、国家騎士なんですね。」

 男性は、眉を上げていった。

 「ああ、そうだ。ヴェイン・Kクライン。二年前に、史上最年少の若干二十歳で一番隊隊長にのし上がった秀才さ!ウチの息子が彼と同級生で、小さい頃から知ってるんだが、いやぁ、まさかあそこまで出世するとは思わなかったね。うちのドラ息子にも見習って欲しいもんだよ。ハッハッハ!」

 男性は、大口を開けて笑った。

 国家騎士団は、団長を筆頭に、副団長、総隊長、補佐、その下に、第一番隊から第五十番隊までの騎士隊がある。

 数字が低い隊ほど、より腕に覚えがある精鋭が揃っており、魔物討伐などの危険な任務を請け負う。そのため、一番隊隊長を任されているヴェインという騎士の腕は、騎士団の中でも上位クラスの実力ということだ。

 大きな口で豪快に笑う男をよそに、カヲルは不思議そうな顔で、もう一度騎士たちを眺めた。

 「ヴェイン・Kクライン…」

 いくら頭をめぐらせても、やはり、その名前に覚えは無かった。

 一方、魔物討伐の任務を終え、騎士団本部に戻る途中のヴェイン隊長も、不思議な感覚にとらわれていた。

 「隊長、どうかされましたか?」

 と、ヴェイン隊長の後ろを歩いていた部下の一人に問われ、ヴェイン隊長は前を向いたまま部下に尋ねた。

 「さっき沿道にいた青いコートの男に、見覚えはないか?」

 騎士は、少し考えてから答えた。

 「申し訳ありません、気が付きませんでした。」

 「・・・そうか。すまない、なんでもない。」

 

 時刻が昼を過ぎた頃、カヲルは大通りから外れた薄暗い裏路地を歩いていた。

 活気に満ちた街も、道を一本はずれれば、雰囲気はガラリと変わる。大通りの明るい雰囲気と比べて、裏路地はどこか陰気臭い空気が漂っている。

 アイゼンベルグは、カヲルにとってはとにかく広い街だった。初めて来て土地勘がない上に、入り組んだ道が、まるで迷路のように続いているため、自分が今どのあたりを歩いているのかがわからなくなっていた。しかし、そんな半ば迷子のような状況も、カヲルは楽しんでいた。見るものすべてが新鮮で、あてのない散策を存分に楽しんでいた。だが、さすがは国の首都、これだけ人が多ければ、それだけ治安も悪くなるのだろう。裏路地にたむろっている人々は、しばしば目つきが悪かった。そんな中でも、カヲルは臆することなく、裏路地をルンルン気分で歩いていた。角を曲がる度に、その先には何があるのだろうか、それが楽しみで仕方がない。そんなことを考えながら、突き当たりを曲がった時

 ドンッ

 向こうから走ってきた人と、正面同士でぶつかった。

 ぶつかった相手は、短い悲鳴をあげて尻もちをついた。カヲルは、慌てて相手に駆け寄った。

 「す、すみません!怪我はないですか?」

 黄色いキャップを目深に被った相手は、顔上げてカヲルを見た。その相手は、まだあどけなさが顔に残る、幼い少女だった。

 ――女の子!…なんて可愛いんだ。――

 まるで、絵の中から抜け出してきたかのような恐ろしく美しい少女に、カヲルはつい見とれてしまった。

 帽子の下から覗く髪は濃いピンク色で、肌は透き通るように白い。そして、もっとも少女の美しさを引き立たせていたのが、髪の色よりもやや淡いピンク色の、まん丸く大きな瞳だった。妖精や精霊の類いなのではないかと思わせるほど美しい少女は、少し顔が青ざめている。それに、顎も膝もカクカクと震えている。どうやら、何かに怯えているようだ。その少女は、突然カヲルの肩に掴みかかり、震えた声で叫んだ。

 「お願いします!助けてください!」

 カヲルは眉をひそめた。

 「ど、どうかしたんですか?」

 そこへ

 「おーおー、やっと見つけたぜ。」

 見るからに柄の悪い三人の男が、のしのしと歩いてやって来た。

 そのうちの一人、ヒゲをこんもりと生やして、頭に毛が一本も生えていない巨躯の男が、ドスの効いた低めの声でカヲルにいった。

 「おめえ、その娘の知り合いか?」

 事情はよくわからないが、これはただ事ではないと判断したカヲルは、声を低めて聞き返した。

 「あなたたちは?」

 「俺たちゃあな、その女に用があんだよ。」

 と、髭の男はカヲルの後ろに隠れている少女を指さした。

 「その女が俺のダチにぶつかってきてよ。そんでコイツ、左の肘を折っちまったんだわ。」

 髭の男に指をさされた顔色の悪いガリガリの男は、ブスっとした態度で、左肘を押さえていた。

 「だから、病院行くための金を請求したんだよ。そいつからぶつかってきたんだ。それで怪我したら、そっちが金を出すのは当然だよな。なぁ?」

 髭の男は、後ろの仲間に問いかけ、仲間の男ふたりも、ニヤニヤと気持ちの悪い笑顔で頷いていた。

 少女は、腕を抑えている男を指さして叫んだ。

 「嘘よ!軽くぶつかっただけで、男の人の骨が折れるわけないわ!言い掛かりよ!」

 腕を抑えている男は、生え揃っていない薄汚い歯をむき出しにして、怒号を上げた。

 「んだとこのアマ!ぶつかって来ておいて言い掛かりだと!いいからさっさと金よこせや!」

 少女は、体をビクッと跳ねらせて、またカヲルの後ろに隠れた。

 「いやなら、体で払ってくれてもいいんだぜ?へっへっへっ。」

 髭の男は、ヘラヘラと笑いながら少女に近づき、腕を掴もうとしたが、寸前でカヲルが男の腕をつかみ、キッと睨みつけた。

 「乱暴なことは、やめてください。」

 男は、片眉を上げてカヲルを鋭く見下ろした。

 「・・・あぁん?」

 「どんな理由があっても、女性に乱暴なことをしちゃいけませんよ。しかも、まだこんな幼い少女に。」

 髭の男は、こめかみのあたりに微かに血管を浮かび上がらせて叫んだ。

 「やんのかてめぇ!」

 カヲルは、男に胸ぐらを掴まれたが、落ち着いた口調でいった。

 「いい大人なんですから、暴力ではなく話し合いで解決しようとは思わないんですか?僕の村では、そういう人を野蛮人っていうんですよ。」

 「生意気なガキが!おい、その小娘連れてけ行け!」

 「おう。」

 別の男が、少女の服を掴んで無理やり引っ張ろうとしたが、

 「いやだ!離して!」

 と、少女は抵抗した。すると、

 「黙りやがれ!」

 と、男は少女の頬を叩いた。

 「きゃ!」

 青白い顔の少女は、叩かれた頬を押え、恐怖で涙をポロポロとこぼし始めた。すると、突然少女を見ていたカヲルの目の色が変わった。カヲルは、胸ぐらを掴んでいる髭の男の手首を手のひらで打ち上げ、男の手が離れた瞬間に、両手で男の胸ぐらを掴み、腰をひねりながら髭の男を自分の背中に乗せ、その巨体を軽々と後ろに放り投げた。投げ飛ばされた髭の男は、自分よりも頭一つ小さい若者に投げ飛ばされたとあって、何が起きたのか分からないとでも言いたそうな顔で、呆然と空を見ていた。

 その他の男や少女も、その光景を目の当たりにして呆気に取られていた。

 カヲルは、少女を掴んでいる男を睨みつけ、声を低めていった。

 「彼女を離してください。」

 男は、形相で叫んだ。

 「ず、図に乗るなガキ!」

 男は腕を広げてカヲルに飛びかかってきた。カヲルは、左に跳ねて男をかわすと、すれ違いざまに男の腹に膝を打ち込み、間髪入れずに男の無防備な背中に組んだ両手を振り下ろした。さらに、男が地面に腹ばいになって倒れると、カヲルは膝を曲げて全力で跳び上がると、空中で片膝を曲げ、男の背中に着地して膝をめり込ませた。男は短く悲鳴を上げ、地面を転がってのたうち回った。

 「このクソガキめ!」

 さっき投げられた男が、カヲルの首を後ろから腕で締め上げてきた。

 「ぐっ!――えいっ!」

 カヲルは男ごと後ろに跳ね、男を壁に打ち付けると、後頭部で男の鼻っ柱に頭突きを食らわせた。

 髭の男は、ぎゃっ!と短い悲鳴を上げて鼻を抑えた。するとカヲルは、男から離れた瞬間に少しだけ間合いをとり、左足を軸に体を半回転させ、鋭い回し蹴りを男の横っ面におみまいした。パァン!と、何かが破裂するような音が響き渡り、その一撃で気を失った男は、膝から崩れ落ちて地面に横たわった。

 ふぅ、とカヲルが息をつくと

 「危ない!」

 と、少女が叫んだ。とっさにカヲルが横を向くと、腕を折られたと騒ぐ男が、折れたはずの左手でナイフを振り回し、カヲルに向かって走ってきていた。さらに、地面でのたうち回っていた男が、カヲルの右足にしがみつき、身動きが取れないように押さえつけた。

 「いまだ!殺っちまえ!」

 ナイフを持った男は、走りながら喚くような声を上げ、ナイフをカヲルにめがけて振り下ろした。が、カヲルは上手くバランスがとれない状況でも、見事に腰をひねって男のナイフをかわし、咄嗟に腰に収めていた剣を鞘ごと引き抜いて、勢い余って自分の前を通り過ぎている男の後頭部に、鞘の腹を叩き下ろした。気を失って倒れている二人の仲間を、唖然として見ていた男が、ふと顔を上げてカヲルを見ると、カヲルの左足の裏が、目前に迫って来ていた。

 

 カヲルは、少女の叩かれた頬を見た。

 雪をまぶしたような白い肌をしているため、叩かれたところはやや赤くなっているが、腫れは大して酷くない。

 「…少し冷やせば治まりそうですね。よかった。」

 少女が深く被っていた帽子は、叩かれた時の衝撃で頭から外れてしまったようで、帽子の中にしまっていたピンク色の長い髪が出ていた。

 「ほかに怪我はないですか?」

 ふと、顔を上げた少女と目が合った。間近で改めてよく見ると、少女のあまりの美しさに、カヲルは思わず引き込まれてしまった。

 じっと顔を見つめられた少女は、困った顔で首をかしげた。

 「…あ、あの」

 「――え、あっ、ごめんなさい。」

 カヲルは慌てて視線を外し、少女から離れた。頭の裏をかきながら、照れたようにカヲルはいった。

 「ピンク色の瞳なんて、初めて見たので、つい」

 「ああ、母の遺伝なんです。あの、助けていただいて、ありがとうございました。」

 少女は座ったまま、地面に手をついて頭を下げた。

 「いえ。大した怪我がなくて良かったです。あっ、ぼく、カヲルっていいます。」

 と、カヲルは少女に握手を求めた。

 少女も、カヲルの手を握ろうとしたが、ためらうように手を止めた。

 「わ、私は・・・」

 言葉を途中で切り、少女はうつむいた。どうやら、名前を名乗ることに抵抗があるようだが、決心したように、少女はつぶやいた。

 「せ、セフォネといいます。」

 「セフォネ…」

 なにかを諦めたように、少女は目をぎゅっと閉じた。

 「いい名前ですね!」

 カヲルの反応に、少女は目をまん丸に開いて顔を上げた。どうやら、カヲルの反応は予想外だったらしい。

 本来、この少女の名を聞けば、誰もが卒倒してしまうほど驚くはずだ。もしくは、嘘の名前を名乗ったと、図々しいにも程があると、怒りをあらわにするだろう。しかし、山奥の田舎村で育ったカヲルには、それを疑う余地は少しも無かった。

 「セフォネって、たしか、昔の言葉で愛情って意味ですよね。よくお似合いですよ。」

 「あっ…ありがとうございます。」

 「セフォネさんは、アイゼンベルグに住んでるんですか?」

 「えっとぉ、は、はい、一応…」

 「ぼく、今朝初めてこの街に来たんです。広いし綺麗だし、人も沢山いて驚きました!」

 「そ、そうですか。良かったですね。」

 「それに、都会には、こんなに綺麗な人がいるんですね。僕、あなた程綺麗な女性と出会ったの、始めてです。」

 なんの恥ずかしげもなく、カヲルは笑顔でいった。

 言われた少女は、顔を真っ赤にして照れた。

 「そんな…あ、ありがとうございます。」

 カヲルは、路地の端で倒れてる男たちに目をやった。

 「ところで、この人たちをどうしよう。やっぱり騎士を呼んだ方がいいのかなぁ。」

 すると、突然セフォネは焦ったように叫んだ。

 「お願いです!き、騎士だけは呼ばないで下さい!」

 「え、でも…」

 「お願いです…」

 「…」

 なぜそこまでして、少女は騎士に通報して欲しくないのか不審に思ったが、少女があまりにも必死に、カヲルの腕にしがみついて懇願するため、カヲルは騎士への通報を止めることにした。

 「…分かりました。そこまで言うのなら」

 少女は安心したように、カヲルの腕を離した。

 「…ごめんなさい、ありがとうございます。」

 「まあ、この街は暖かいし、ここに寝かせておいても風邪はひかないでしょう。僕の故郷の村じゃ、五分寝てるだけで凍えちゃうけど。」

 「カヲルさんは、どこで生まれたのですか?」

 「ルーベンス地方の、リーレンって村です。周りは山ばかりで、なぁーんにもない村静かなですよ。」

 「そう…羨ましいな…」

 一瞬、少女はうつむいて呟いたが、カヲルには聞き取れなかった。

 カヲルが聞き返しすも、少女は首を振って、なんでもないと微笑んだ。

 「…さて、この三人が起きる前に、ここから離れた方が良さそうですね。もし良ければ、僕が家まで送りますよ。」

 少女の身を案じて、カヲルは少女の護衛を買って出たが、少女は困ったように口を結んだ。

 あからさまに答えに困っているため、カヲルはそれ以上話を進めることが出来なかった。仕方なく、ここは身を引くべきと判断したカヲルは

 「もちろん無理にとは言いません。ただ、あなたのことが心配なだけですから。大丈夫そうなら、僕はもう行きますね。早く今夜の宿を探さなきゃいけないし」

 と、地面に置いていた剣を拾い、腰の留め具に収めた。

 「また、どこかで会えるといいですね。」

 「…え、えぇ。」

 「それじゃあ、お元気で」

 カヲルは軽く会釈をして、踵を返した。すると、

 「ま、待ってください!」

 と、少女はカヲルを呼び止めた。

 「よ、よろしければ、今夜泊まる宿まで案内させてくださいませんか?助けていただいたお礼に…」

 カヲルは、少し驚いた様子を見せた。

 「いいんですか?」

 「はい、ご迷惑でなければ・・・」

 少女は、カヲルの顔色をうかがいながら、返事を待った。土地勘のないカヲルにとっては、願ってもない申し出だが、未だ彼女の正体も知り得ないため、カヲルは少しためらった。

 「・・・い、いかがですか?」

 軽い上目づかいで、少女はカヲルを見た。彼女の様子を見るに、この提案に他意は無いとみたカヲルは、

 「…じゃあ、お願いします。」

 と、素直に少女の好意を受け入れ、少女は嬉しそうに微笑んだ。カヲルは、座ったままの少女を立たせるために、少女に手を差し出し、少女もその手を掴み、ゆっくりと立ち上がった。それから、少女を先頭に、二人は大通りへ向かった。

 大通りへ出る直前に、少女は改めてピンクの髪を帽子にしっかりとしまい込み、つばで目元が隠れるまで、深く被り直した。

 明らかに少女は、身元を隠している。よほど周りに知られては困るのか。ますます、カヲルは不審に思ったが、深く追求をすることも無く、少女の後について行くことにした。しばらく歩いて、二人は一件の宿の前に着いた。

 案内された宿を見て、カヲルは唖然とした。

 「…ここですか?」

 少女に案内された宿は、つい最近出来たばかりの、超高級ホテルだった。路銀の少ないカヲルには、ここでは一泊どころか、夕食を食べることも出来ないだろう。明らかに、身の丈にあっていない。

 豪華絢爛な外観に、カヲルはすっかり圧倒されてしまった。

 案内してもらった手前、無下に断るのは気が引けたが、どう考えてもこの宿に泊まるのは現実的ではないため、

 「…あの、ここは僕には高級過ぎますよ。もっと宿泊費が安い宿に案内してもらえると、ありがたいんですが…」

 と、少女に尋ねた。しかし、少女は焦りを見せ始めた。

 「…そ、そうなんですか…」

 少女は困惑して、周りをキョロキョロと見回りした。これ以上人目に付くのが嫌なのだ。少女は少し黙ったあとに、深く頭を下げてつぶやいた。

 「…ごめんなさい、ほかのお宿は、知らないんです。」

 「…そ、そうですか。」

 さて、どうしたものかとカヲルが考えている間も、少女はすぐにでもここを離れたいのか、辺りを気にし続けていた。それを察したカヲルは

 「…も、もう大丈夫ですよ。あとは自分で探せますから。ありがとうございました。」

 と、頭を下げて感謝を述べた。

  「・・・で、ですが」

 申し訳なさそうなセフォネに、カヲルは笑顔で答えた。

 「お礼なら、もう充分ですよ。理由は分かりませんが、目立った行動を取りたくないんですよね?僕はもう大丈夫ですから。」

 「…分かりました。」

 それ以上、少女がカヲルに礼を提案することはなく、最後にもう一度助けてもらった礼で頭を下げると、少女は踵を返して、再び薄暗い路地へと消えていった。

 ――なんだったんだろう、あの子――

 疑問が頭を離れなかったが、解明する余地もなく、気になりつつも、カヲルは宿を探すために歩き出した。

 

 太陽がそろそろ傾き始めた頃、カヲルはまだ宿探しをしていた。

 何件か宿を訪ねたが、どこも彼の路銀では泊まることは出来ず、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

 途方に暮れたカヲルは、大きな噴水がある公園の長椅子に腰を下ろしていた。

 もう時期暗くなるというのに、噴水の周りでは、何人かの子供がはしゃぎ声を上げて遊んでいる。やがて、母親らしき人が子供を迎えにやってきて、仲良く手を繋いで帰っていく光景を、カヲルはしげしげと見つめていた。

 ふと、カヲルの脳裏に、故郷に置いてきた母と妹の顔が浮かんだ。

 「…お腹すいたなぁ。今頃みんな、どうしてるかな。なんにも言わずに突然飛び出して、母さんやニーナは、心配してるかなぁ…」

 カヲルの故郷リーレンに暮らす住人のほとんどは、村のあちこちに広がる田畑で野良作業をし、あるいは、広い牧草地で、牛や山羊などの家畜の世話をする。カヲルの家も、広い畑を所有しており、自身も畑に出て、芋や葉菜類の野菜を栽培している。ときどき、隣近所の牧場主から、絞りたての山羊のミルクや、家畜の食肉を分けてもらう代わりに、畑で採れた野菜をおすそ分けしたりするのが、村での習わしだった。住民の年齢層も平均的に高く、過疎化が進んで人口自体も少ないが、その代わりにご近所同士の繋がりも濃く、のんびりと暮らすにはもってこいの村だった。

 リーレンには街灯が無く、山の向こうに日が沈むと、ランプなどの灯りがなくては、危なくて外を出歩けないほど、村全体が真っ暗になる。そのため、村の住人は日のあるうちに夕食の準備を済ませ、日が沈むと同時に、家族で食卓を囲むのだ。今頃、村のあちこちの家の煙突から、白い煙が出ている頃だろう。夕食のおかずを作る音や匂いが、している頃だろう。本当なら、カヲルは野良仕事を終えて、採れたての芋や果物が入った籠を背負って、母とともに妹が待つ家に帰っていた頃だろう。

 旅立ちの日、カヲルは夜明け前に、家族に何も告げずに家を飛び出した。村を出て行くには、山をふたつ超える必要がある。そのため、山の雪が溶け始めた頃を見計らって、旅に出たのだった。

 「甘えん坊のニーナは、きっと泣いてるだろうなぁ…」

 長椅子の背もたれに背中を預けて、夕日を受けて茜色に染まるアイゼンベルグ城を見た。

 旅立ちへの後悔はないが、いくぶん、家族への罪悪感が募るのを感じ、チクリと胸が痛んだ。

 「・・・まぁ、めそめそしてても仕方ないか。・・・よしっ!」

 カヲルは、背もたれから体を起こし、一度パシンっと両膝を叩いて立ち上がった。

 「さて、次はどこで探そうかな」

 カヲルが一日で回った区域は、全体のたった二割にも満たない。ある宿の主人に尋ねたところ、今いる東区域一帯は、比較的裕福な家が多く、その分、宿代も軒並み高いのだという。

 逆に、反対側の西、あるいは南西部にあたる工業区域なら、それなりに手頃な値段で宿を取れると言っていた。まだ、希望はある。気持ちを切り替えて、カヲルは大きく体を伸ばした。

 「とりあえず、西側を目指そうかな。」

 と、僅かに顔を見せている夕日を見つめた。

 そこへ――

 ガシャガシャ・・・

 鉄と鉄が擦れるような、騒がしい音が公園内に響き、気づいたカヲルが公園の出入り口の方を見ると、三人の国家騎士が、公園に入ってきていた。彼らは、なにか探し物でもしているのか、どこか焦った様子で、公園内をキョロキョロと見回している。なにやら殺伐とした、ただならぬ雰囲気が漂っていた。

 「なんだろう、事件かな。」

 すると、三人のうちの一人が、カヲルを挟んだ反対側を指さして叫んだ。

 「あっ!いたぞ!」

 騎士が指さした方に首を振ると、見覚えのある人物がこちらに向かって走っていた。あの、ピンク色の瞳の少女だ。

 「――あっ、あの女の子だ。」

 よく見ると、少女のさらに奥から、別の二人の騎士が走っていた。少女を追いかけているようだ。

 少女はカヲルには気づかず、公園の東側へ走っていった。その後を、合流した五人の騎士が追いかけていった。

 妙な胸騒ぎを覚えたカヲルは、居ても立ってもいられず、すぐにそのあとを追いかけた。

 

 騎士に追いかけられている少女は、逃げた末、公園を囲う背の高い鉄格子の塀に追いやられてしまった。

 息を切らして左右に首を振るが、どこにも逃げ道は見当たらない。塀を超えようにも、少女の身長では不可能だ。

 すると、五人の騎士の内の一人、頭にヘルムを被っていない若い騎士が、少女に詰め寄りながらいった。

 「殿下、もう逃げるのはやめて下さい。陛下も心配しておられます。さあ、共に城にお戻りください。」

 「嫌です!もう、袋詰めの生活にはまっぴらです!放っておいてください!」

 「そうはいきません。殿下を無事にお連れせよとの、陛下からのご命令です。さぁ、一緒に参りましょう。」

 と、騎士は少女の腕を強引に掴んだ。

 「いや!離して!」

 そこへ

 「やめろ!」

 突然聞こえた聞き覚えのない声に、騎士達は同時に振り返った。そこでは、険しい顔のカヲルが、騎士達を指さして叫んでいた。

 「騎士ともあろう人達が、小さな女の子に乱暴するなんて!その子を離してください!」

 呆気にとられた騎士たちは、互いに顔を見合わせた。そのうちの、少女の腕を掴んでいる若い騎士が、仲間の騎士に声を低めていった。

 「なんだ、あいつは。」

 わからない、と、騎士は全員首を横に振った。困りはてた別の騎士が、カヲルに言葉を投げかけた。

 「これは我々騎士の任務なんだ。すまないが、邪魔をしないでくれないか。」

 騎士にそう言われ、カヲルの目つきは一層険しさを増した。

 「女の子に乱暴することが任務だって?――騎士の方は、みんな紳士でかっこいい人たちばかりだと思っていたけど、見損なった!」

 声を荒らげるカヲルに、騎士はやや困惑し、声を低くして、いった。

 「君、この方がどなたか分かっているのか?」

 「よく分からないけど、目の前で人が襲われているのを黙って見過ごす訳にはいかない!」

 カヲルは、腰から剣をまた鞘ごと引き抜いた。すると、セフォネは眉尻を下げて叫んだ。

 「やめてカヲルさん!いくらあなたでも、彼らには敵わないわ!」

 しかし、カヲルは剣を構えたまま、騎士たちとの距離をじりじりと縮めていった。少女の腕を掴んでいる騎士は、目を細めて息を漏らした。

 ――せっかく隊長が俺に任せてくれたんだ。こんなとこで失態を犯してたまるか――

 多忙な隊長に代わり、副隊長である彼は、城からいなくなった王女を捜索する任務を隊長から直々に任された。自分が指揮をとり、任務を行うのはこれが初めてであり、ここで邪魔をされ、また王女に逃げられてしまったら、指揮を任された自分の立場がない。若い騎士は最後の警告として、剣を構える見知らぬ男に言葉を投げた。

 「我々国家騎士の任務は、国王陛下直々の命令だ。我々に逆らうということは、国家に逆らうということになる。君は、逆賊と見なされるぞ?それでもいいのか?」

 「目の前の困っている人を助ける、それがライトニング家の掟だ!」

 と叫んで、カヲルは走りだした。

 少女を掴んでいる騎士は、ほかの騎士に指示を出した。

 「…やむを得ない。やれ!」

 「はっ!」

 一人の騎士が、剣を抜いて構えた。

 それを見たセフォネは、自分の手を掴む騎士に訴えた。

 「ゼントやめて!彼を傷つけないで!」

 ゼントと呼ばれた若い騎士は、カヲルに目を向けたままセフォネに答えた。

 「任務を円滑に進めるために、仕方の無いことです。」

 「・・・そんな」

 やがて、カヲルは待ち構えていた騎士までたどり着き、少し手前で地面を強く踏み込むと同時に、剣を頭の上まで振り上げた。気合いの声とともに、カヲルは剣を振り下ろし、それを騎士は剣を横に構えて受け止めた。カヲルと騎士は互いに剣を押し合い、ギリギリと剣と鞘が擦れる音が響く。しばらくの睨み合いが続くと、騎士は前に体重をかけて剣を押し込み、カヲルの剣をはじきいた。この場合、体重がより重い方が有利で、身長も体格もカヲルより大きい騎士の方が優勢だった。騎士は、よろめいたカヲルの首めがけて剣を横に払った。が、カヲルは瞬時に身を屈めて剣を避け、同時に体をひねって剣をふりきり、騎士の脇腹に強烈な一撃をぶつけた。

 鎧の上から攻撃を受けたというのに、騎士は苦痛に顔を歪ませ、打たれたところを押さえながら膝をついて倒れた。

 予想外の展開に、騎士たちはぽかんと口を開けて驚愕していた。

 ゼントは、険しい顔で吐き捨てた。

 「相手が子供だからと油断するからだ!一斉にかかれ!容赦するな!」

 他の三人は同時に剣を抜き、カヲルに向かって走ってきた。

 それでも億さずに、カヲルも走りだし、見事な攻防を決めて、あっという間に三人の騎士をなぎ倒した。

 かすり傷ひとつ負わなかったカヲルは、深く息を吐いて呼吸を整え、剣先をゼントに向けた。

 「さあ、その子を離してください。」

 騎士も少女も、目を見開いて唖然としていた。

 「そんな・・・一番隊の精鋭が、こんな子供に・・・」

 「カヲルさん・・・なんて強さなの」

 カヲルは剣を騎士に向けたまま、一歩ずつ距離を縮めていった。

 「・・・くっ!」

 ゼントは、歯をむき出しにして額に汗を溜めている。

 だが、次の瞬間、ゼントは少女の腕を離し、ほかの騎士の剣よりも刃渡りの長い、柄に装飾が施された剣を抜いて、ニヤリと笑って構えた。

 「キミ、かなり腕が立つようだな。魔物ならまだしも、人間相手で我々国家騎士がここまでコケにされたのは初めてだ。」

 「これでも、村では一番強いと自負してますので」

 ゼントは、唇をぺろりと舐め、カヲルを睨んだまま低い姿勢をとった。

 「…面白い。お相手願おう!私は、国家騎士団一番隊副隊長、ゼント!国家騎士の名にかけて、お前を制す!」

 と勇んで、剣を顔の前に立てた。

「私に容赦はいらない。鞘から剣を抜け。」

そう言われたカヲルは、バツが悪そうにゼントを見つめ続けた。

「どうした、早く抜け。」

「・・・出来ることならそうしたいですけど、この剣は、鞘から抜くことが出来ないんです。」

ゼントは、何を言っているんだ。と言う顔で眉をひそめた。

「・・・まあいい。私にはあまり時間がない。さっさとカタをつけさせてもらうぞ!」

と、そのまま刃先をカヲルに向けて猛突進してきた。

 「やぁああああっ!」

 カヲルの胸めがけ、ゼントは剣を突いたが、剣は左に弾かれ、すかさずゼントは左足を踏み込んだまま、剣を下から斜め上に振り上げた。

 カヲルは咄嗟に手首を返して刃を下に向け、剣を受け止めた。

 ここで、ゼントは一度引いてカヲルと間合いを開けた。

 静かな緊張が、二人の間に漂っている。ゼントは額の汗を腕で拭いとり、再度、腰を下げて刃先をカヲルに向けた。

 対するカヲルは、さっきよりも表情がやや苦しそうだった。

 「だいぶ疲れているみたいだな。」

 身じろぎせず、ゼントはいった。

 「朝から何も食べてないもので」

 宿代の確保のため、カヲルはアイゼンベルグに来てから何も食べてない。いくら若いとはいえ、ここにきて空腹も限界に達していた。

 「申し訳ないが、容赦はしないぞ。」

 「こっちだって、手加減なんて無用です。」

 カヲルにそう言われ、ゼントは口元を上げた。

 「ふふっ、勇ましいな。――いくぞっ!」

 「たぁああ!」

 お互いほぼ同時に踏み出した。

 ゼントは、得意の突きを容赦なく、繰り出していく。

 カヲルは紙一重でさばいていくが、段々と力が入りづらくなり、足元がおぼつかなくなってきた。

 ――ダメだ、お腹が減って力が…!――

 その時、カヲルの剣をさばく手元が微妙に狂ってしまった。

 ――しまった!――

 「隙あり!」

 ゼントはその一瞬を見逃さず、カヲルの剣を横になぎ払い、隙だらけの懐に剣を突き進めた。

 ――やられる…!――

 すると、空腹のせいで無意識に力が入っていた丹田(みぞおち)に意識が集中し、今度は反射的に力を入れると、突然ゼントが正面から突風で煽られたように吹き飛ばされた。

 手から剣が離れ、尻もちをついたゼントは、突然のことで何が起こったのか理解出来ず、目を見開いて、カヲルを見た。

 ゼントはすっかり戦意を失しない、少しも動かずにカヲルに問いかけた。

 「…いま、なにをした。」

 「…えっと」

 カヲル本人も、状況が把握出来ていなかった。真っ直ぐ立ち直して、剣を握っている腕を下ろし、右手でへその辺りを撫でた。

 「…またか。」

 カヲルのその一言に、ゼントは眉をひそめた。

 「またか、とは、どういうことだ。」

 「…前にも一度、村を襲った大きな魔物に襲われた時、同じようなことが起こったんです。」

 そう言われても、ゼントにはさっぱり分からなかった。

 手も触れられていないのに、体が吹き飛ぶなど、魔術か何かの類いかと思う程だった。この、得体の知れない事をやってのけた目の前の男に、ゼントは恐怖すら覚えてしまう。

 「何者なんだ…この男は」

 すると

 「ゼント!」

 と、男の声が響いた。

 ゼントは振り返って声の主を見ると、途端に顔を強ばらせた。

 「た、隊長!」

 そこに立っていたのは、二メートルを越す長槍を背中に担いだ、一番隊隊長、ヴェイン・Kクラインだった。カヲルとゼントが戦っている間に、カヲルにやられた騎士の一人が、彼を呼んできたのだ。カヲルは、ヴェインを見てハッとした。

 「あっ、あの人は…」

 ヴェインは眉をひそめた険しい顔で、未だに座り込んでいるゼントに近寄った。ゼントを見下ろすヴェインの目は、とても冷たく、怒りを含んでいるように見える。そんな目で睨まれたゼントは、体の芯に寒気を感じ、蛇に睨まれた蛙のような怯えた目で、ヴェインを見上げた。

 「あ、あの、ヴェイン隊長――」

 ゼントの言葉をさえぎって、ヴェインはいった。

 「お前は、ここで何をしている。」

 「…あの、それが――」

 「お前に下された命令は、セフォネ殿下を無事に城にお連れすることだったはずだぞ。それが、こんなところに座り込んで、何をしているんだ。」

 ゼントは、ヴェインからカヲルに顔を向けて、彼を指さした。

 「・・・あ、あの男に、阻害をされまして」

 ヴェインは、カヲルに振り向いた。

 鋭い眼光をぶつけられても、カヲルは臆することなく、黙ってヴェインを見つめていた。

 ――こいつ、たしか街で見かけた・・・――

 そして、二人はまたも、あの不思議な感覚にとらわれた。

 ――なぜだ、なぜこの男に見覚えがあるんだ・・・――

 ヴェインはカヲルを見つめたまま、声を低めてゼントに問いかけた。

 「お前、あいつに負けたのか」

 「あ、あの、かなり追い込んだのですが…あと一息のところで、あの男に触れられてもいないのに、体が吹き飛ばされたんです。まるで、突風に煽られたみたいに」

 「…突風に煽られた?」

 ゼントの言っていることの意味は、ヴェインは理解できなかった。だが、国の顔とも言うべき国家騎士が、一人の若者に負けたとなると、騎士団の名前に泥を塗ることになってしまう。

 「…ゼント、立て」

 「はっ、はい!」

 返事と同時に、ゼントはすくっと立ち上がった。

 「やつの相手は俺がする。お前はセフォネ様のそばにいろ。」

 「りょ、了解しました!」

 ヴェインは、ゼントが少女の前に立って、手を広げて守るような姿勢をとるのを見届けると、背中に担いだ長槍を手にしてカヲルに一歩歩みよった。

 異様な空気が、二人の間に流れた。既に戦いが始まっているかのように、張り詰めた雰囲気だった。

 直に日が完全に沈む。公園の中の街灯にもポツポツと明かりが灯り始め、いつの間にか、園内にいるのはカヲルとヴェイン、そしてゼントとセフォネだけになっていた。昼間よりも少し冷たい風が、二人の間を駆け抜けた。とても静かな風だったが、カヲルとヴェインの放つ異様な雰囲気の中では、風の音は強風のように大きく聞こえた。

 槍を地面に立てたまま、低い声でヴェインはカヲルに問いかけた。

 「お前、今朝大通りに立っていたな?」

 同じくカヲルも、剣を持つ手を下げたまま答えた。

 「ええ、そこで僕も、あなたを見かけました。さすが、騎士団隊長ですね。人を前にしてこんなに緊張するのは、生まれて初めてです。」

 緊張による震えを止めるためか、カヲルは拳をぎゅっと強く握りしめた。手にはめているグローブの中が、じんわりと汗で湿ってくるのがわかる。

 「…騎士の礼儀として、名乗っておこう。ヴェイン・Kクラインだ。」

 「僕は、カヲル・Tライトニングです。」

 気がつけば、空腹による腹のムカつきもすっかり収まり、今は体の奥底から熱いものがこみ上げてくるようだった。まだ若い彼だが、目の前に立つ騎士の目を見て、カヲルは瞬時に見定めた。

 この男は、自分より強い。と

 相手の力量を見極められる目を持ち合わせているとは思わないが、それでも、この騎士の強さは、ひしひしと全身に伝わってきた。

 なのに、なぜか、自然と口元が笑っていた。カヲルは、スっと剣を頭上に振り上げ、左足を僅かに前に出した。防御を捨てた、攻撃に特化した構えだ。カヲルは、ヴェインがどのように仕掛けて来ようと、真っ向から勝負をするつもりだった。

 ヴェインも、カヲルの腹づもりには勘づいた。自分が攻めてくることを期待している。ヴェインはカヲルに聞こえないほどの声でつぶやいた。

 「…面白い。」

 ヴェインは、肩の力を抜いて、左手は槍の石突をしっかり握り、右手は、中腹付近に軽く添え、穂先を地面すれすれまで落とした。右足を一歩前に出し、膝を軽く曲げると同時に、左肘を肩の高さまで上げた。上目で鋭くカヲルを睨むと、前のめりになり、全体重を右足に乗せて、飛ぶように強く踏み込んだ。

 カヲルは、膝を軽く曲げてヴェインを待ち構え、ヴェインを凝視した。

 ――来る!――

 その瞬間だった。

 「――なっ!」

 カヲルの視界から、ヴェインが一瞬のうちに姿を消した。

 何が起きたのかを考える前に、かすかな風がカヲルの前方からふわりと吹き、灰色の髪をなぶった。

 「・・・」

 それから数秒遅れて、右の脇腹に、鈍い痛みが広がり始めた。その痛みは、段々と我慢できないほどの激痛に変わり、カヲルは、自分になにが起こったのかを理解する前に、白目を向いて後ろに倒れた。

 意識がぼんやりとする中、遠くでセフォネが自分の名前を叫んでいる声が聞こえる。しかし、もはやカヲルには、声を出す気力も起きず、ただ、茜色からうす青い闇に変わりつつある空を見ていた。

 その空を切り取るように、ヴェインが顔を覗かせ、カヲルを見下ろした。

 「これが国家騎士の力だ。」

 薄ら笑いを浮かべたヴェインの一言を最後に、カヲルの意識は途切れた。

 

 ぐぅぅぅ…

 機嫌を損ねた腹の虫の音で、カヲルは目が覚めた。

 全身が溶けたように怠く、脇腹がズキズキと痛み、おまけに、かつてないほどに腹が空いている。

 「…イテテテ」

 呻きながら、ゆっくり寝返りをうち、周りを見回した。

 カヲルは真っ白な寝具のベッドに寝かされていたが、ここがどこかは分からない。

 見たところ、病院では無さそうだが、部屋にはカヲル以外に誰もいなかった。

 一つだけある大きな窓の向こうからは、よく晴れた青空が見える。どうやら、一晩寝ていたようだ。時折、小鳥が横切っていくのを見ると、ここが階層の高い部屋なのだとわかる。

 痛む脇腹を抑えながら、半身を起こして布団をめくると、着ていた水色のコートとスカーフは脱がされ、上は半袖の白いシャツ一枚だけになっていた。カヲルの剣も、近くには見当たらない。

 シャツをめくって患部を見ると、手のひらほどの大きさのガーゼが貼ってあった。寝ている間に、手当を受けたようだ。

 ベッドから降りたかったが、空腹のせいで足に力が入らない。

 カヲルは、とにかく状況を把握しようと、絞り出すように叫んだ。

 「あのー、誰かいませんかー」

 しばらく待ったが、返事はない。

 「…誰もいないのかな」

 ふと、嫌な考えが頭をよぎった。

 ――まさか、騎士に逮捕されて留置所に入れられてるんじゃ…――

 そんな不安が込み上げてきた時、部屋の扉が開いて、紺色のドレスに、白い胸エプロンを付けた女性が、湯気がたっている銀桶をもって入ってきた。見たところ、着ているドレスから察するに、女性は女中のようだ。

 女中は部屋に入るや、銀桶をベッド脇の台に置いて、黙々と中のタオルをお湯から引き上げてきつく絞った。

 切れ長の目で綺麗な顔立ちの女中は、ぶっきらぼうにいった。

 「今からお身を清めていただき、お召し物を替えて頂きます。」

 と、ベッドの隣に立ち、何も言わずにカヲルのシャツに手をかけた。とたんに、カヲルは顔を真っ赤にして、女中のシャツを掴む手を止めた。

 「じ、自分でできますから!」

 しかし女中は、仕事だからと、表情を少しも崩さずに淡々と世話をこなした。

 仕事一辺倒の女中に観念したカヲルは、彼女にされるがまま、着ていたシャツを脱がされ、上半身を濡れたタオルで拭かれた。終始顔を真っ赤にしたカヲルを気にも止めず、仕上げに、幹部のガーゼを新しいものに替えて、新しい白いシャツに着替えさせた。

 カヲルが着ていた古いシャツを綺麗に折りたたみ、タオルが引っかかった銀桶を抱えて立ち上がりながら、真っ直ぐカヲルの目を見て、女中は軽い口調でいった。

 「それではこれより、国王陛下に謁見していただきます。」

 軽く言われたことだが、その言葉の内容は、ズシンとカヲルにのしかかってきた。カヲルは、おもわず目を見張った。驚きを隠しきれず、どもりながら、カヲルは女中に尋ねた。

 「こ、こ、こ、国王陛下に、謁見?王様に会うんですか?僕が?」

 「はい、そうでございます。」

 カヲルは一度視線を落とし、もう一度顔を上げて、人差し指を床に向けて再度女中に問いかけた。

 「ということは、ここは、お城?」

 と、首をかしげると、女中は軽くうなずいた。

 「はい、そうでございます。ここは、アイゼンベルグ城内でございます。」

 カヲルは、あんぐりと口を開けて固まった。

 「・・・どどど、どうして僕はそんなところに?それに、なぜ僕が王様と?」

 「訳は、陛下より告げられます。今は、とにかく玉座の間へ。陛下がお待ちでございます。」

 と、言われたが、カヲルは面食らった顔をして動けずにいた。まさか、アイゼンベルグについて早々、国王に会う事になるなんて、夢にも思わなかったからだ。田舎育ちの彼は、名前以外、国王がどんな顔をしているのかも知らない。生涯関わることの無い、雲の上の存在だと思っていた。

 「さぁ、参りましょう。」

 カヲルに考える間も与えず、女中は踵を返した。

 咄嗟にカヲルは、手を伸ばして女中を引き止めた。

 「ちょ、ちょっと待ってください!」

 引き止められた女中は、首だけで振り返った。

 「なにか?」

 「あの、僕、昨日から何も食べてなくて、せめて、少しだけでも何か食べさせてもらえると、ありがたいのですが…」

 「それでしたら、既に、お食事の準備が整っております。」

 「…え?」

 またも、カヲルは面を食らった。

 女中に案内され、長い廊をおぼつかない足でフラフラと歩きながら、カヲルは初めて訪れるフィリスティア城の中を、仕切りに首を左右に振って見回した。

 これが、王様の住む城か、と思いながら城内を歩いていたが、部屋を出てからというもの、誰ひとりともすれ違わず、城内は心細さをおぼえるほどに静かだった。

 つかつかと目の前を歩く女中に、カヲルは問いかけた。

 「あの、このお城には、王様以外は誰もいないんですか?」

 女中は歩みを止めずに、前を向いたまま後ろを歩くカヲルに答えた。

 「ほかの召使いの者達も、全員玉座の間にて待機しております。」

 「…そ、そうですか。」

 美人だが、まるで、機械を相手にしているのかと思ってしまうほど、声色に変化がない女中に戸惑いながらも、カヲルは女中の後を追って城内を歩きつづけると、やがて正面の方に、二人の騎士が警護している大きな扉が見えてきた。

 扉の前で女中は足を止め、扉を背にしてカヲルに向き直した。

 「こちらが、玉座の間でございます。」

 「――ここが」

 さすが、玉座の間。ここに来るまでにいくつかの部屋の前を通ったが、この部屋だけ、扉の造りが明らかに違う。

 二人の騎士が挟むようにして立つ両開きの扉は、一面に赤い革が貼り付けられ、隣合う辺以外の部分には、金で作られた枠がはめられてあり、二枚の扉の真ん中には、大きく国旗が描かれている。見るからに、玉座の間と言うに相応しい。

 扉の前に立ったカヲルは、緊張して固唾を飲んだ。

 「お入りください。」

 女中の一言を合図に、扉の脇に立つ騎士が、二人同時に槍の石突を、二度、床に打ちつけた。

 カーン、カーンと、床が鳴る音が廊下に響くと、扉はゆっくりと開かれた。

 「…おわぁああ…」

 カヲルは、思わず感嘆の声を漏らした。

 玉座の間は、縦長の広大な部屋だった。高い天井には、豪華で煌びやかなガラス製の巨大なシャンデリアが等間隔にぶら下がり、外に面した左側の壁には、鮮やかな色ガラスをふんだんに使った窓が張り巡らされ、日差しが様々な色に変わって部屋に射し込んでいる。右側の壁に目を向けると、ざっと二十は超える男女の召使いが、目を伏せて壁に沿うように整列している。大理石の床の真ん中に敷いてある、入口の扉から真っ直ぐに伸びた長さ十メートルほどの赤い絨毯の両脇には、顔をメイスで隠した数十人の騎士が、剣を顔の前に立てて、向かい合うように均一に並んでいた。

 赤い絨毯を辿っていくと、その最奥には、二段の低い階段があり、その上に、誰も座っていない玉座が、ひとつだけこちらを向いて置かれている。玉座のすぐ後ろには、錦で織られた大きな国旗が、天井からぶら下がっていた。

 「お入りください。」

 後ろから改めて女中に声をかけられ、カヲルはハッと我に返り、赤い絨毯に一歩足を踏み入れた。

 ふかふかな絨毯の柔らかさが、靴越しに伝わってくる。まるで、新緑の季節の天然芝の上を歩いているかのようだった。

 両脇に立つ騎士たちは微動だにせずに、剣を構えたまま、カヲルが通過していくのを待っていた。騎士はカヲルが前を通り過ぎると、くるりと九十度回転し、玉座の方に向き直して、隣合う騎士と身を寄せ合うように近づいて、まるで二列に整列した騎士をカヲルが引き連れているような形になった。玉座に近づくにつれ、騎士の列も端が見えてきた。一番先頭にいる騎士だけは、剣ではなく槍を持ち、交差するように互いに向けあって通せんぼをしていた。

 ここで止まれ。ということなのだろう。交差する槍から一歩手前でカヲルは足を止め、階段から二メートルほどのところに立った。

 カヲルが止まるのを確認した先頭の騎士は、槍を床に垂直に立たせて、石突を二度床に打ちつけた。

 それを合図に、玉座の向かって右側の壁にある扉が、音をたててゆっくりと開いた。中から、二人の騎士を引連れた男が入ってきた。

 襟が高く、肩を包むように羽織った白いマントを首元で留め、中には縁が赤い何枚にも折り重なった絹ごしらえの白い衣を纏っている。白髪まじりの黒い顎髭をこんもりと胸の辺りまで生やし、同じく白髪まじりの頭には、金の王冠を乗せている。この男こそ、フィリスティア王国王、セブクティス・E Uフィリスティアその人だった。

 ゆったりと、また堂々とした振る舞いで歩くセブクティス国王は、玉座の前に立ち、同行していた二人の騎士が玉座の後ろに立って槍を床に立てると、国王は玉座に深く腰かけた。

 ――この人が、国王…!――

 カヲルは、思わず息を飲んだ。

 この国王は、恐らく五十から六十の間くらいの年齢だろう。近くで見ると、肌はどちらかと言うと白く、顔には濃いしわもいくつか目立っている。しかし、何よりカヲルが引き込まれたのは、力強さがみなぎる、鋭い瞳だった。まるで、自分の全てが見透かされているかのような、一片の曇りもない真っ直ぐな瞳を、カヲルは思わずじっと見つめてしまった。さすがは国王、その瞳に見つめられたカヲルは、全身が萎縮して身じろぎ一つすることが出来なくなった。まるで、体が石になったようだ。

 カヲルを見つめる国王は、眉をひそめ、よく通る低い声で、カヲルに問いかけた。

 「カヲルというのは、キミで間違いないかね?」

 問いかけられたカヲルは、一度ゴクリと唾を飲み込むと、絞り出すような声で返事をした。

 「は、はい。カヲル・Tライトニングといいます。」

 二人の間に沈黙が走った。

 お互い表情を変えず、しばしの見つめ合いが続いた。むしろ、カヲルに至っては、少しも国王の目から目線をそらすことが出来なかった。国王は、座ったまま体を前に傾けた。

 「キミは、国家騎士を四人も打ち伏せたそうだな。私の命を受けていると告げられても、構わずに立ち向かったと聞いている。それは、私に対する反逆だとも聞いているね。それなのに、なぜ立ち向かったんだ?」

 カヲルは、口をもごもごさせた。緊張のあまりに喉がパサパサに乾いてしまい、上手く声がでない。もう一度唾を飲み込み、深く息を吸ってから、そっと口を開いた。

 「・・・き、騎士に襲われていた少女を、た、助けるためです。目の前で困っている人を見捨ててはいけないと、ち、小さい頃から母に教わってきました。だ、だから・・・」

 国王は片方の眉を上げた。

 「私の命を受けた騎士に逆らったと?」

 カヲルは、肩を震わせてぎこちなくうなずいた。

 「・・・は、はい。」

 「…その行いに、後悔はないのか?」

 カヲルは、今にも泣き出しそうな、か細い声でいった。

 「・・・はい、ありません。」

 「ふむ…」

 国王は、髭を蓄えた顎をさすった。

 すると、国王は玉座から立ち上がり、階段を降りて、カヲルの前に立った。

 間近で見ると、国王の体からひしひしと発せられる威厳と圧力に、カヲルは押し倒されそうになった。背はそれほど高くなく、カヲルよりわずかに高い程度だが、その圧力の大きさは、まるで巨大な塔を前にしているようだった。

 国王は、やや目を細めてカヲルを睨んだ。

 この時、ふと、カヲルは思った。

 ――きっと、僕は反逆罪で殺されるんだ。用意されているという食事も、処刑の前の最後の食事なんだ。最後にお腹をいっぱいにして、満足させてから、処刑するつもりなんだ。――

 カヲルが過ごした、十八年間の短い記憶が、めくるめく、頭をよぎった。

 家族との暖かい日々、友達と広い野原を駆け回ったあの時。

 様々なことが、次々と波のように押し寄せてきた。

 ――きっとこれは、母さんを心配させて親不孝をした罰なんだ…母さん、姉さん、ニーナ、ごめんね…――

 そんなことを考えていると、国王は、カヲルの肩に手を置き、カヲルはビクンと肩を震わせた。

 国王はカヲルを見つめたまま、口を開いた。

 ――お前は処刑だ。――

 きっと、そう言われると、カヲルが覚悟して目をギュと閉じた瞬間だった。

 「やるじゃないかキミ!」

 国王は、目尻にシワが寄るくらいの満面の笑顔で、カヲルの両肩をポンポンと叩いた。

 あまりに予想外の言葉が飛んできたため、カヲルは唖然とした。

 「――え?」

 「いやー話を聞いて驚いたぞ。ルーベンスから来た男に、国家騎士が四人も負けたとな。どんな屈強な大男かと思ったら、なかなかどうして、可愛らしい顔した少年だったわ!ハッハッハッハ!」

 国王は、背中が逸れるくらい仰け反り、口を大っぴらに開けて豪快に笑った。

 状況が飲み込めないカヲルは、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 「いやはや、この度は娘が世話になったな。聞けば、悪漢に襲われていたところを助けてくれたそうじゃないか。その若さで大の男を軽々と叩きのめしてしまうとは、いや大したものだ!」

 大笑いする国王をよそに、カヲルは疑問を顔に浮かべた。

 「…あの、娘さん、とは?」

 「おお、そうだったな。」

 国王は、自分が出てきた扉の脇に立つ女中に、手を招く仕草をした。

 「セフォネをここに連れてきなさい。」

 無言で頭を下げた女中は、国王が出てきた扉から玉座の間の外に出ると、またすぐに戻ってきた。入ってきた女中の後に続いて、鮮やかなピンクのドレスを着た、ピンクの長髪の少女が、暗い面持ちで入ってきた。

 少女は、国王の横に来ると、悲しげな目でカヲルを見た。

 カヲルは、眉をひそめた。その少女に見覚えがあったからだ。

 ――あれ?この人、どこかで見たことあるぞ。それに今、セフォネって・・・――

 考えをめぐらせていると、ある人物が脳裏に浮かんだ。思い出した瞬間、カヲルは短く声をあげた。

 「――あっ!」

 「私の娘のセフォネだ。ほら、お前も挨拶しろ。」

 少女は、一度深く頭を下げてから、呟くようにいった。

 「セフォネ・R Uフィリスティアです。この度は、助けていただき、誠にありがとうございました。」

 カヲルは、目を見張っておし黙った。あまりの衝撃で、言葉が出ないのだ。目の前にいる国王の娘は、カヲルが助けたあの少女だった。

 「…じゃ、じゃあ、あなたは、王女様?」

 少女は、小さくうなずいた。

 その瞬間、カヲルは周りにいる城の召使いが、ビクッと体を震わせるほどの声を張りあげて驚いた。

 カヲルの反応を見て、国王は眉を上げた。

 「まさか、本当に知らなかったとはなぁ。」

 呆気に取られているカヲルに、国王は言葉を繋いた。

 「色々あってな。娘が城を抜け出したんだ。その矢先、悪漢に襲われたところを、偶然居合わせたキミに助けられたというわけだ。まったく、お前はとんだ迷惑をかけたもんだ。彼がいなかったら、今頃どうなっていたか。」

 少女は目を伏せて、はい、と小さくうなずいた。

 二人のやり取りを見ていたカヲルは、かしこまるように尋ねた。

 「えっと、じゃあ、僕がここに呼ばれた訳は…」

 「もちろん、娘を助けてもらった礼を言うためだ。」

 「・・・で、では、反逆罪で咎められる訳では…」

 国王は、驚いた顔であっさりと言い放った。

 「そんなことするわけないだろう。」

 あっけらかんとした国王の顔を見て、それが事実だと確信したカヲルは、腰が抜けたように、その場に座り込んだ。

 「な、なんだぁ…」

 肩を落として、全身の力が一気に抜けるのを感じた。

 国王は、遠くを見るようにカヲルから視線を外し、顎をさすりながら低い声で呟いた。

 「まあ、君が金銭目的で娘を助けるような輩だったら、それなりの処罰を与えるつもりだったがな。」

 と言われ、カヲルは冷たいものが腹の底に落ちた気がした。

 だが、国王は、またカヲルの目をしっかり見すえて柔らかく笑い、こう付け加えた。

 「君の目をみて、そうではないと確信したよ。芯の通った、真っ直ぐな目だ。今どきの若者にしては、良い目をしている。」

 カヲルは、首の後ろをさすって苦々しく笑った。

 「あ、ありがとうございます。」

 すると、安心して気が抜けたのか、すっかり忘れていた腹の虫が、今頃になって騒ぎ始めた。

 やかましい腹を、カヲルは赤面して抑え、それを見た国王は、またも豪快に笑った。

 「ハッハッハッハ!主人に似て、キミの腹の虫も大変正直者らしいな!いや結構結構。おい、彼を応接室へ。」

 執事に案内され、カヲルは玉座の間から移動して、来客が使う応接室に通された。

 そこには、すでに食事の用意がされていた。その、今まで見たこともない豪華な料理の数々に、カヲルは舌を巻いた。

 執事に促されるまま、カヲルは席につき、しばらく目の前の絶景を眺めていると、執事が後ろから声をかけてきた。

 「お料理が冷めてしまいますので、どうぞお召し上がりください。」

 我に返ったカヲルは、返事をして手元にあるフォークを持ち、一番近くにある料理を一つ突いて口に運んだ。何の肉かはわからないが、丸くこねた肉団子を甘辛く揚げた料理で、噛んだ瞬間に肉汁が口いっぱいに広がり、芳ばしい香りが鼻の奥から抜けて脳を刺激していった。

 思わず頬をほころばせたカヲルは、まるで宝物でも食べているかのように、大事に大事に料理を噛み締めた。

 「…お、おいひぃ」

 あまりの美味しさに、肩を震わせ、こみ上げる涙をテーブルに落としていた。

 呆然とみている執事をよそに、カヲルは、お預けをくらった犬が解放されたように、次々と料理を口に運んだ。

 カチャカチャと皿を鳴らして、礼儀作法などあったものじゃない、皿ごと食べるのではないかと不安になるほどの食いっぷりだった。胃袋が、もっとよこせと急かしているようで、むせることもいとわず、喉奥に押し込むように、カヲルは料理を頬張った。

 すると、カヲルが料理に夢中になっているさなか、応接室の扉が開いて、セブクティス国王が一人で入ってきた。

 先程とは違う、身軽な衣服をまとい、国王はカヲルの後ろに立ったが、カヲルは後ろに国王が立っていることにも気付かず、夢中で料理を食べ続けた。

 と、国王はカヲルの肩をがっちり掴んで、横からカヲルの顔を覗き込んだ。

 「なかなかいい食いっぷりだなぁカヲルくん。」

 「んぐっ!」

 驚いたカヲルは、うっかり料理を喉に詰まらせ、胸を叩きながら水を喉に流し込んだ。

 「こ、国王陛下!」

 血走った目で国王を見上げたカヲルは、とっさに席を立ち上がった。

 国王は真っ直ぐたち、後ろに手を組んで、いった。

 「若いウチは、何事も勢いよくやらねばならん。」

 言いながら国王は、カヲルの向かいの席に腰を下ろすと、白いナプキンを首に巻きながらいった。

 「私も食事はまだなんだ。よかったら一緒にいいかな?」

 カヲルは、口の中の食べカスを吐き出さないように口を手で抑えて、ペコペコと頭を下げながらいった。

 「も、もちろんです!はい、もちろんです!」

 無言で食事を始めた国王は、礼儀作法を重んじるように、ナイフとフォークを上手に使い分けて、静かに料理を口にした。その姿には、どこか気品すら漂う。

 感化されたカヲルは、今までの自分の姿が急に恥ずかしくなり、顔を真っ赤にした。そして、いそいそと使っていなかったナイフを手にし、国王の動きを真似しながら食事を進めた。

 その様子に気づいた国王は、食事の手を止めてカヲルにいった。

 「無理に着飾る必要はないぞ、カヲルくん。自分のやりたいように食事を楽しんでくれ。堅苦しく食べても、美味しくないだろう?」

 カヲルは驚いた。

 国王というのは、こんなにも砕けた人なのか。

 自分のような田舎育ちの若造を城に呼び出し、わざわざ姿を見せて直接礼を言うに留まらず、豪華な食事までご馳走してくれて、さらに一緒に食事をしようと申し出た。

 この国王は、カヲルが考えていた国王の人物像とは、かなりかけ離れた人柄だった。

 気がつけば、身にのしかかっていた圧力のようなものはすっかり消えて、とても落ち着いた気分になっていた。

 料理をすっかり食べ終えた頃、女中がトレーに二つのティーカップと、クッキーの入った器を乗せて部屋に入ってきた。

 カヲルは、目の前に置かれたティーカップを覗き込んで、目を細めた。なにやら土のような匂いが混じったツンとした香りのする黒々とした液体が、湯気を立てて並々と注がれていたのだ。

 眉をひそめて、カヲルは女中に尋ねた。

 「あのー、これはなんですか?」

 問われた女中は、驚いて自分の口元を手で覆った。

 カヲルの顔を覗き込むように前かがみになり、おずおずと、女中は問いかけた。

 「コーヒーを、ご存知ないのですか?」

 カヲルは首をかしげた。

 「こーひー?」

 そんなカヲルを見ていた国王は、コーヒーをひと口、口に運んだ。

 「飲んでみるといい。少し苦いかもしれないがね。」

 どうやら飲んでも大丈夫なものらしい。と思ったカヲルは、しばしコーヒーを睨んでから、覚悟を決めてティーカップの取手に手をかけ、おそるおそる、コーヒーを口に含んだ。

 「・・・!」

 その味に、カヲルはとっさに顔をしかめた。

 今まで味わったことの無い苦味が舌を襲い、飲み込んだあとも、苦味はしつこく舌に残っていた。

 口元をゆがめて、カヲルはティーカップを置いた。

 何も言わずに口をもごもごさせるカヲルを見て、国王は笑みを浮かべた。

 「ハッハッハ、本当にキミは正直な男だなぁ。砂糖とミルクを入れれば少しは飲めるだろう。おい、持ってきてあげなさい。」

 と、国王は女中に指示を出し、女中は、かしこまりました。と一礼して、小鉢と、小指の先ほどの大きさのカップを持ってきた。

 国王のいうように、それぞれをコーヒーに混ぜてもう一度飲むと、苦味も薄れ、ほのかな甘みが舌に良い後味を残した。

 安心したような顔をした国王は、ティーカップを置き、いった。

 「ところでカヲルくん。よければ、旅のわけを聞かせてくれないか?」

 カヲルは、ティーカップをテーブルに置くと、分かりました。と笑い、語りはじめた。

 カヲルの話を聞き終えると、国王は残りわずかなコーヒーを一気に飲み干し、女中が注ぐ、四杯目のコーヒーを見つめながら、いった。

 「私はコーヒーが好きでね。つい何杯も飲んでしまうんだ。」

 湯気のたつコーヒーをすすり、白い息を軽く吐くと、クッキーを一枚、ひょいと口に放り込んだ。

 「初めて訪れたアイゼンベルグはどうかな?」

 「はい、見るもの全てが新鮮で、驚きの連続でした。いかに、自分の世界が小さいものだったかを思い知りました。やっぱり、来てよかったです。」

 「それは何よりだ。知識と経験を広めることは、自身の成長に大きく役立つ。きっと、カヲルくんの血となり肉となってくれるだろう。」

 「はい、ありがとうございます。」

 「ただ、故郷の家族に心配をかけるのはよくないな。もちろん帰れとは言わないが、せめて一通、お母さんに手紙を出しなさい。それだけでも、お母さんは安心するはずだ。」

 カヲルは少しうつむいた。国王の言う通り、家族に手紙を出すのが、せめてもの礼儀だろう。

 「・・・はい、ありがとうございます。」

 すると、国王は、コーヒーを横にずらし、テーブルの上で手を組んだ。

 「ところで、カヲルくん。アイゼンベルグには、いつまでいるつもりかな?」

 カヲルは黙り込み、宙を見つめた。

 「そうですね…まだ街の半分も見てないので、十日ほどは滞在するつもりです。」

 間髪入れずに、国王は尋ねた。

 「その間の宿泊先は?」

 カヲルは、ぽりぽりと頬をかいて視線を落とした。

 「実は、貯えがあまりないので、野宿をしつつ路銀を稼ごうかと」

 そのとき、国王の目がキラリと光った。

 「そうかそうか。それはちょうど良かった。」

 カヲルは顔を上げ、どういう意味かと言いたげに首をかしげた。

 「実は、折り入ってキミに頼みがあってね。」

 カヲルは眉をひそめた。

 「頼み、ですか?」

 「おい、セフォネをここに」

 数分後、セフォネが女中とともに応接室へとやってきた。

 相変わらず、暗く浮かない顔をしている。

 国王の横に立ったセフォネは、前で手を組み、ぽつりとつぶやいた。

 「お呼びでしょうか、お父様。」

 国王は自分が座る席の隣の席を指さした。

 「ここに座りなさい。」

 セフォネは静かに返事をして、国王の後ろで待機をしていた執事が引いた椅子に、腰を下ろした。

 セフォネは、ちょうどカヲルの真正面に座るかたちになった。

 視線を落として、見るからに元気がない。

 何か言わねばと、カヲルは固く笑いながら、おそるおそる声をかけた。

 「こ、こんにちは」

 セフォネは顔を上げて、かすかに口元を上げてささやいた。

 「…こんにちは。お怪我の方は、いかがですか?」

 「は、はい!もうすっかり大丈夫です!」

 笑顔でパシンと幹部を叩いたが、治っていない傷は当然のように痛んだ。

 固まったカヲルは、額に冷たい汗をかき、それを見た国王は、声を上げて大笑いした。

 すると、セフォネも、ふふっと吹き出し、手で口元を隠した。

 ――あっ、笑ってくれた。――

 カヲルは、セフォネの笑顔を始めてみた気がした。これまでは、笑ってもどこか沈んだ感じを秘めていたため、素直な彼女の笑顔が、カヲルは純粋に嬉しかった。

 「さて、場が和んだところで、頼み事を説明しよう。」

 カヲルは姿勢を正して、まっすぐに国王を見た。

 「我々王家の人間には、一人に必ず専属の護衛がつく。もちろん、このセフォネにもな。護衛を担当するのは、国家騎士の副隊長以上と決まっている。主に、公務で外出する時に同行して身の安全を守るのが役目だ。

 護衛を任されたものは、一年間その業務に着き、そのほかの仕事を一切請け負わず、護衛にのみ着くことになっている。いつどうなってもいいように、常に城内で待機をしているんだ。」

 相づちを打ちながら、カヲルは聞いていたが、なかなか話の意図が見えてこなかった。

 「だが、今年娘の護衛をしていた騎士が、国許の母が倒れたと連絡を受けて、急遽ふるさとに帰ってしまったんだ。いつ戻るかも分からず、代わりを立てようにも、この時期、騎士は多忙でな。毎日代わる代わる護衛を任せているのだが、おかげで騎士の業務にも支障をきたしているんだ。副隊長以上の騎士は、数が少ないからな。」

 護衛をするのは副隊長以上とは決まってはいるが、セフォネの護衛の任を受けるのは、ほぼ副隊長だった。任命されている間は、副隊長補佐が、副隊長の代役を担う。

 「そこで、頼みというのはな。」

 国王は目を輝かせて、身を乗り出した。

 「是非ともカヲルくん、キミにセフォネの護衛をお願いしたいのだ!」

 「・・・え?」

 「えぇ?!」

 カヲルとセフォネが、ほぼ同時にいった。

 カヲルは、一瞬時間が止まったようだった。目が点になったカヲルは、今の言葉の意味を、必死に理解しようとしたが、言葉が頭の中をぐるぐると回るだけで、理解に追いつかなかった。

 その場にいた全員が驚愕したが、まず始めに声を上げたのは、セフォネだった。

 ガタンと椅子から立ち上がり、焦った様子で叫んだ。

 「お、お父様!一体何を言っているのですか!」

 国王は含み笑いをセフォネに向けて、静かにいった。

 「そのままの意味だが?」

 すぐにセフォネは言葉を返した。

 「急にそのようなことを押し付けられては、カヲルさんが可哀想ではありませんか!それに、護衛をするのは、騎士だけという決まりが――」

 国王は、セフォネの言葉をさえぎった。

 「そのことなら心配いらん。すでに、私の方から団長宛に通告をしてある。」

 「・・・で、ですが、急にそのようなことを頼まれたら、カヲルさんにご迷惑なんじゃ・・・」

 いうや、二人は同時にカヲルに目をやった。

 カヲルは、未だに謎めいた顔をしている。

 「おーい、カヲルくん。」

 国王がカヲルの顔に向けて手を振ると、ハッと我に返ったカヲルは、極力落ち着くよう息を深く吸って、一言一言、置いていくようにいった。

 「僕が、王女様の、護衛を、ですか?」

 「ああ。元の護衛が戻るまでの期間だけだ。もちろん、それ相応の報酬も払うし、その間、城に滞在してもらって構わない。」

 長い王族の歴史の中で、一般市民に護衛を、しかも、王女の護衛を任すなど、前代未聞だった。

 セフォネは、か細い声でいった。

 「で、でも、団長が許すでしょう・・・」

 「あいつも、なかなか砕けたところがある。了承してくれるはずだ。お前も、騎士や城のもの以外の話し相手が欲しいだろう?」

 いわれたセフォネは、顔を赤くして言葉に詰まった。どうやら、内心まんざらでもないようだ。

 国王はカヲルに向き直し、再度問いかけた。

 「どうかな?カヲルくん。」

 不安げな表情で、セフォネはカヲルを見やった。

 腕をこまねいて考えていたカヲルは、しばし悩んだあと、微かに笑みを浮かべて頭を下げた。

 「分かりました。慎んで、お受け致します。」

 「そうかそうか!引き受けてくれるか。いやー、すまないが、よろしく頼む。良かったな、セフォネ」

 国王がセフォネに振り向くと、セフォネは顔を赤くして、手をもじもじとさせていた。

 国王は、にんまりと笑ってカヲルにいった。

 「セフォネも喜んでる。ほら、セフォネ、お前からもなにか言いなさい。」

 セフォネは顔を紅潮させたまま組んだ手を胸にだいて、押し出すようにいった。

 「あ、あの!よろしくお願いします!」

 カヲルもセフォネを見て、にっこりと笑った。

 「こちらこそ、王女様みたいな綺麗な方の護衛ができるなんて、とても光栄です。よろしくお願いします。」

 「・・・」

 すると、セフォネは耳の先まで赤くして、頭から煙をだし、何かが破裂したような音を立てて、恥ずかしそうにうつむいた。

 部屋の中には、国王の大笑いする声が響き渡った。

 こうして、カヲルはアイゼンベルグに着いて早々、セフォネ王女の護衛を任されることとなった。

 ――完

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