3. 鬼との約束
白鬼は、山を更に上り、道を逸れ、どんどん奥へと進んでいく。
そして、小さな洞窟の入り口で身をかがめ、中へと入った。
しばらく進むと、そこには、たくさんの食料があった。芋も、野菜も、米もある。
「うわあ!」
思わず、シノは歓声を上げていた。
シノとタロを地面に降ろして、「食うがいい」と鬼は言った。
「いいんですか!?」
と、飛び上がりそうな勢いでシノは食料に手を伸ばして、はた、と手を止めた。
「どうした?」
不思議そうな声で、白鬼が尋ねた。
「……せっかくなら、うまいものが食いてえです! 白鬼さま、鍋と、水と、火と、包丁が欲しいです。あと……味噌! 味噌が欲しいです!」
この際だ、と言わんばかりに、シノは鬼に要求した。
一瞬、きょとんと目を丸くした白鬼は、次の瞬間、満面の笑みになった。
「よかろう。しばし、待つが良い」
そう答えると、白鬼はふわっと姿を消した。
しばらくして、白鬼がシノに言われたものを揃えて戻って来た。おまけに、いくつか別のものも増えている。
「わあ! 白鬼さま、タロ、ちょっと待っててくださいね!」
シノは顔の割に大きな目を輝かせて、包丁を握りしめた。
料理をすると言うと、白鬼は火をおこしてくれた。
洞窟の中は意外に広く、思ったより天井も高い。僅かに風を感じることから、どこかに外と繋がる穴が開いているのだろう。
端の方には水も流れており、シノはそこで大根を洗い、葉っぱごと丁寧に小さく刻むと、米と一緒に鍋に入れた。蓋をしてじっくり煮ている間に、焚火にくべておいた芋を取り出し、「熱い! 熱い!」と言いながら皮をむいた。ほあっ、と湯気が立ち昇り、甘い匂いが漂った。となりでタロが舌を出して尻尾を振っている。よだれで口元がベトベトだ。
「はい! タロ、お食べ。熱いから気を付けるんだよ?」
シノは芋を半分に割って、タロの足元に置いた。タロは嬉しそうに「きゃうん」と言いながら、熱そうに芋に齧りついている。
その様子を幸せそうに眺めてから、シノは立ち上がって白鬼の横に座った。シノは芋の残りを白鬼に差し出した。
「はい。白鬼さまの分です」
「おまえが食べないのか?」
白鬼が心底驚いた様子でシノを見下ろした。その顔が、タロが虫に驚いた時の顔に似ていて、シノは笑った。
「私は後でいいです。これは白鬼さまの食べ物だから、白鬼さまより先には食べられないです。……タロにはあげちゃいましたけど……」
「気にするな。……では、半分こにしよう」
白鬼は優しい目になって、半分になった芋を更に半分に割って、シノに差し出した。
ごくり、とシノの喉が鳴る。
村の大人達は、シノが先に何かを食べようとすると、酷く怒って叩いてきた。腹はすいている。昨日の夜、大根の葉を齧ってから、何も食べていない。だが、叩かれる痛みを思い出すと、どうしても身がすくんでしまう。
そんなシノの想いを知ってか知らずか、白鬼は手に持った芋をシノの目の前で振った。
「腹が減っていたのだろう? ほら、遠慮するな。子供はもっと我が儘でいい」
「子供じゃないです! ……でも……ああ! 我慢できない! いただきます!」
「ふふ。それでいい」
両手で芋を握りしめて齧り付くシノを見て微笑みながら、白鬼も芋を齧った。パサパサとしているが、ほっこりとした甘味があった。
白鬼は近くの水瓶からお椀に水を汲むと、胸に芋を詰まらせて「んく! んく!」と慌てるシノの口元に椀を当てた。
するとシノは、心底驚いた顔で白鬼の顔を見つめて息を止めたが、「んく!」と胸を叩いて水を飲み干した。
「んはー! 死ぬかと思いました!」
「あはははは!」
白鬼は声を上げて笑った。焚火の光をキラキラと反射させる白い髪がとても綺麗だ。シノは何だか胸の奥がこそばゆくなった。
「あ! そろそろ粥が出来ました!」
胸に感じた変な感覚を誤魔化すように、シノは鍋の蓋を取った。が、慌てて取ったため、蒸気がシノを襲った。
「きゃあ!」
「どうした!? 火傷したか?」
「ひゃあっ」
シノの後ろから腕が伸びて、片手はシノから蓋を奪い、もう片方の手はシノの身体を抱えて火から離した。
「だ、大丈夫です!!」
「そうか」
白鬼の綺麗な顔が近くにあった。白鬼は、シノの事を10歳にも満たない子供だと思っているのだろう。シノを触る手に遠慮がない。
シノは急に恥ずかしくなり、「味噌をとってきます」と白鬼の腕から逃げ出した。
誰かに優しくされるのも、心配されるのも、抱きしめてもらうのも、初めてだった。
白鬼の手は、大きくて、ゴツゴツと骨ばっていたが、白い指は長くて爪も綺麗だった。それに、お香のようなとてもいい匂いがした。
味噌を器に取り分けながら、くんくんとシノは自分の臭いを嗅いだ。泥と汗とタロの臭いが混じった変な臭いがして、何だか無性に泣きたくなった。
こんな気分も、初めてだった。
くうーん、と、タロが心配そうにシノを見つめている。
はっ、とシノは気を取り直して、味噌を鍋に入れると、木杓子でよく混ぜた。
「出来ました! 大根の味噌粥です」
「旨そうだな」
白鬼が鍋を覗き込んでニコリと笑う。その顔にドキドキと心臓が早鐘をうつが、シノは痛みに耐えて椀に粥をよそった。
「んまー! おいひいれす!」
粥を一口頬張ると、思わず声が出た。ハフハフと息を吐きながら、シノは久々に味わう米と味噌の味を堪能した。
「粥とはいえ、よく噛んだ方がいい。お前は、ろくに食べてないのだろう?」
クスクスと笑いながら、白鬼も粥を口に入れた。タロは粥が熱すぎたのか、椀をひっくり返してベチャベチャと地面を舐めている。
「む……これは美味だな!」
白鬼も感嘆の声を上げた。それがとても嬉しくて、シノも笑顔になった。
「私、お料理は得意なんです! ……作るだけで、食べさせてもらえませんけど」
「お前の村は、子供に厳しいのだな。そもそも、死人が出たばかりの所に一人で寝かせるなど狂気の沙汰だ。……殺したのは私だが」
「ぶほっ!」
シノは思わず粥を吹き出した。
完全に忘れていた。自分が『血吸い鬼』に殺された仏を埋葬したばかりだという事を。
「怯えることはない。私は、子供は殺さない」
「子供は?」
本当は15歳だと言うのは止めよう、とシノは誓った。
「もちろん、お前が大人になっても、私の事を人に話したりしない限り食べたりしない」
「で、でも」
「私が怖いか?」
「いいえ! 村の男衆の方が、ずっと恐ろしいです」
白鬼の質問に、シノは即答した。
白鬼は少し憐れんだ目でシノを見ると、シノの頭を撫でた。
「お前の名は?」
「シノです……白鬼さまは?」
「ミハイだ」
「ミハイ……? 変わったお名前ですね」
「ふふ。そうだな。呼びにくければ、白鬼のままでいい」
とミハイは笑った。
「シノ。時々お前をここに連れてこよう。また飯を作ってくれないか? 私は生き物の血を吸えば事足りるが、私の他に、飯を食べさせたい人がいるのだ。お前は飯を作り、好きなだけ喰うがいい。……どうだ?」
「……はい! 喜んで!」
元気よく返事をした後、ただ、とシノは付け加えた。
「何だ?」
「仏を出すのを、もう少し、ゆっくりにしてください。……埋めるのが大変なんです……」
「ぷはっ! 分かった、分かった。善処しよう」
そう言って、ミハイは朗らかに笑った。
本当によく笑う白鬼さまだ、とシノは思った。
たらふく食べて腹を満たした後、シノはタロと水浴びをさせてもらい、元居たあばら家まで送ってもらった。身も心も満ち足りた気分で眠る布団は、先程よりもずっと暖かかった。
翌朝。
昼前まで眠ってしまったシノは、タロに顔を舐められて飛び起きると、慌てて村まで戻った。
村に着いた頃には夕方になっており、こっぴどく殴られたが、シノは白鬼の笑顔を思い出し、ひたすら耐えた。
その夜、腫れた顔を鉄の鍋に押し当てて冷やしながら、昨夜のことは夢だったのかとシノは固い寝床に横になった。すると、カリッ、と手の甲に何かが当たった。それは、着物の裾に付いた米粒だった。
(……夢じゃない……!)
シノの胸に、じわっと温かさが蘇った。
それからシノは、埋葬の仕事の度に洞窟に行った。
次の日には必ず殴られ、食事も与えられなかったけれど、洞窟の中は温かく、お腹もいっぱいになるので、いつも楽しかった。
……シノは次第に、白鬼のことを慕う様になっていった。
ブックマーク、ありがとうございます!
励みになります。
血吸い鬼と書いて吸血鬼ですね。
ヴァンパイアって、日本じゃ鬼扱いなんですね。面白いです。
次回もご覧いただければ幸いです。
※「転生したら乙女ゲームのヒロインだったけど、一人で魔王を倒します」もよろしくお願いいたします。