1. ヴァンパイアを追う者
新しく連載を始めました。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
19世紀初頭。
ヨーロッパではナポレオンが皇帝に即位した頃、日本はいわゆる「江戸時代」の最中であった。
まだ、鬼や天狗といった妖怪達が、人間と共存していた時代である。
「ありゃ、なんかねぇ?」
日本海に面した寂れた漁村の小さな浜辺で、破れた網の修理をしていた漁師の妻が、ふと手を止めた。
「船、かのお? 誰か乗っておる」
近くで作業をしていた漁師の一人が、立ち上がって目を細めた。
目線の先には、夕日を浴びて橙色に染まる穏やかな海に、ポツンと浮かぶ小さな黒い点があった。
点は次第に大きくなり、帆のない小さな船とそれを漕ぐ人の姿になった。
船は真っ直ぐに進んで漁師たちのいる浜辺にあがり、そこから男が一人、ヒラリと降り立った。
男は異様な格好であった。
漁師達が見たこともない形の黒い帽子を目深にかぶり、黒いマントの下には黒い鎧直垂の様な物を着ている。
どこぞの偉いお武家様かしら、と大人が止めるのも聞かず、子供達が駆け寄っていった。
男の顔を見上げた子供の一人が「あ!」と声を上げた。
「天狗様じゃ!」
子供達は蜘蛛の子を散らす様に天狗から離れ、親の元へ走っていった。
大人達は怯え、抱きついてくる子供を隠しながら、一斉にひれ伏した。
天狗、と呼ばれた男は、少し困った様な顔をして帽子をとった。
子供達が怯えたのも無理はない。
男は軽く六尺を超えるがっちりとした体躯で、真冬だというのに顔は日焼けしたように赤く、そこに晴れた日の海の様に青い目と、異様に高い鼻が付いている。
短い金色の髪が、ふわりと潮風になびいた。
「怖がらせてすまないが、俺は天狗ではない」
不自然なほど流暢な倭の言葉で、男は村人達に話しかけた。
「あのぅ。では、どちら様で……?」
おずおずと、村長らしき老人が顔を上げた。
「人を探している。……いや、デーモンか」
「はて? 『でぇ門』様ですか?」
首を傾げる老人に、黒尽くめの男は小さく笑みを返した。
「ジパングでは、『妖怪』と言うのだったな。そう言えば、天狗も妖怪だったな。俺は妖怪に見えるか?」
「ひえええ! 滅相もございません!」
老人は曲がった背中を更に丸めて小さく縮こまった。その様子が亀のようで、男は声を上げて笑った。
「そう、怯えないでくれ。何も、あなた達をとって食ったりはしない。俺は妖怪ではない。ただの旅人だ」
笑うと、男は急に幼い少年の様になった。
「わあ、お日様みたい!」
「あ、こら!」
キラキラと輝く髪と瞳が気になったのか、子供達が顔を見合わせて一斉に男の元へ駆け戻ってきた。先程、「天狗様じゃ」と逃げ帰った子供も、キラキラと顔を輝かせながら男の足にしがみついてくる。
何処の国でも子供は順応性が高いな、と、男は苦笑した。
「申し訳ないことを……! こら、サチ、離れなさい! コタロウも!」
子供達の母親らしい女が子供を抱きかかえるが、サチと呼ばれた娘は男のマントから手を離さなかった。
「構いませんよ。ご婦人」
男は、女からサチを受け取ると、左手で抱えた。その力強さと優しさと、明るい笑みに思わず女はポーッと見惚れた。
その夜、男は村人達の好意で村長の家に泊めてもらうことになった。
その村は、村と呼ぶにはあまりにも小さく、30人ばかりが住む集落のようなところだった。村長の話によると、この辺りには似たような村がいくつも散在しているらしい。
泊めてもらう礼にと、冬山で男が雉やウサギを狩ってきたこともあり、普段魚しか手に入らない貧しい村は、祭りの様な騒ぎになった。
男は荷物の中から、酒を一本取り出した。安物の酒な上に、皆で飲むために水で薄めて味など無くなってしまったが、それでも村人達は嬉しそうに酒と肉の宴を楽しんでくれた。
「そういえば」
村人の一人が、雉の足にかぶりつきながら男に話しかけた。
「ここから東に10日ほど行った先に、少し大きな村があるんだが、そこで奇妙な仏が出るんだと」
「仏……? 神か?」
男は首を傾げた。
「いやいや。仏ってのは、死体のことさ。何でも、血が一滴も残ってなくて、干物みたいになってるんだと」
ぴた、と、酒を口に運んでいた男の手が止まった。
「……ほう。いつごろだ?」
「俺が聞いたのは一月前だ。しかも、一人や二人じゃねえ。ずっと前から、もう何人も出とるんだと」
「獣の仕業か?」
「そんな獣聞いたことねえ! それこそ『血吸い鬼』の仕業じゃねえか、って噂になってるよ」
「この辺りには鬼が出るのか?」
「でかい鬼は今まで聞いたことねえがよ、小鬼や狼は時々でるぜ? 異国のお侍さんも、気を付けた方がいいよ」
「忠告、感謝する」
そう言って、男は酒に口を付けた。
◇◇◇◇
男の名は、ラオウルという。姓はない。物心ついた時には、既にその名で呼ばれていた。
ラオウルは彫りが深く、鷲を思わせる風貌だが、笑うと存外可愛らしく、若いことが分かる。
つばの広い帽子と、マントを羽織り、顔以外の全身を黒い布で覆った異様な出で立ち。背中に大きな剣を下げ、腰には弓矢を携えている。荷物は少なく、僅かな水と食料、路銀を小さなリュックに詰めて、かれこれ8年も旅を続けている。
ラオウルは、ヨーロッパにおける対悪魔組織である『教会』に育てられた『狩人』だ。
『狩人』は、人間の身でありながら悪魔と呼ばれる者達と戦う兵士を意味する。
幼い時に両親を亡くし、妹と二人、孤児院に預けられたラオウルは、その才能を見出され『教会』に引き取られた。
ラオウルは、死に物狂いで腕を磨き、16歳という若さで『狩人』となった。
18歳の時、ラオウルは教会から命を受け、ミハイ・アヴェリクスというヴァンパイアを追って旅に出た。
『教会』が最も危険視している悪魔、それがヴァンパイアだ。
旅に出る前「遠い他国に渡ったヴァンパイアの1匹くらい放っておけばよい」と仲間の『狩人』に言わたが、命じられたからには完遂するまで戻れないのが『狩人』だ。
しかも、ラオウルにはミハイを追う理由があった。
最果ての国ジパングでケリをつける、ラオウルはそう誓っていた。
◇◇◇◇
翌朝。
ラオウルは世話になった村人達に礼を言って、海を背に歩き始めた。
(ようやく見つけた)
ラオウルの口元には、歪な笑みが浮かんでいた。
はじめまして。ジュゴンと申します。
和が舞台の作品を書きたくなって筆をとりました。
まだまだ未熟者ですが、楽しんでいただけると幸いです! よろしくお願いいたします。