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仁和に奢ると言われ来た店は、回転寿司だった。
「昼から寿司か?」
「あれ、嫌だった?」
一緒に暮らしている叔母は帰ってくる度に外食に誘ってくる。回転寿司は夜に連れてこられるせいで、昼に入ったことはなかった。
「いや、別に嫌ではないが」
店内はほとんど客がいなかった。平日の、それも昼過ぎだからだろう。俺たちは入ってすぐ、テーブル席に通された。
正面から改めて見ると、この仁和と言う男は夜の繁華街で働いてそうな風貌だ。アンニュイというか物憂げというか、そんな雰囲気すらある。
「寿司、好きなのか?」
そのせいか、どうしてもこの回転寿司にいる姿が似合っていない。
「いや、別に?」
「……ならなんでこの店を選んだ?」
「奢るといえば回転寿司かなぁと」
なんというか、この男、叔母さんに似ている。
「それにしても久しぶりだよ。タッチパネルなんてあるんだね」
「最近はどこの店も端末で注文する形を取っているな……知らなかったか」
「海外にいることも多いし、常にいくつかの仕事を請けているからね。こうやってゆっくりとお店に入るの、もう何年ぶりだろう」
この男は組織でいう、下っ端なのだろうか。
渡されたタッチパネルで何を頼むか考えていたら、仁和は既に注文していたようで、店員さんが運んできた。
客が少ないだけあって、注文してから来るまでが早い。
仁和が頼んだものは、醤油ラーメンだった。
「……寿司屋で醤油ラーメン?」
一口啜った仁和は顔を上げる。
「結構、美味しい」
サイドメニューに力を入れているのか。
「なんでだろうな」
「まぁ、醤油はたくさんあるからね」
その発言がボケや冗談ではなく、本気で言っているとわかってしまった俺は、思わず閉口してしまった。
そして一口貰ったが、本当に美味かった。
***
一通り食べ終わり、緑茶を飲んでいると仁和が口を開く。
「遠慮しないで食べていいんだよ」
仁和はコーヒーを飲んでいる。この男は結局、寿司は一貫も食べなかった。
「親戚みたいなこと言うんだな」
「まぁ、実際オジサンだからね。アラフォーだし」
見た目は30歳くらいだがな。
「別に遠慮はしてないよ。それで、次はどこに行くんだ」
「人を待ってる。まぁ少し待ちたまえ」
それにしても、と俺は顔を上げ仁和を見る。
この灰色スーツの男が魔法使いだとすると、一般人と魔法使いの見分けなど、ほとんどつかないはずだ。魔法を使った時の目を見たが、あの目はしていなかった。
手がかりの少女も行方不明……既に殺されている可能性だってある。だが仁和は「調査中」の身だ。手がかりは持っているはず。それにしては随分と余裕を持ち過ぎているような……
「来たよ」
そう言われ辺りを見渡すが、それらしき人はいない。
「ほら、入り口で止められている人。あれが待ち人」
見ると、遠目から見ても不審者だとわかる人間が入り口で止められていた。
「革ジャンに……ピアスだらけだな」
「全部同じ色の、ね。しかも刺青まであるよ。センスのないやつ」
……正直関わりたくない。
「まぁ、大丈夫。さっさと会計しちゃおう。店員さんがかわいそうだからね」
***
「いやー参ったヨ。人を見た目で判断するの良くないヨナ!」
そういって頭を掻きながら笑うレザージャケットの男。緑色……いや、鶯色だろうか、シンプルなピアスを耳や唇にいくつも付け、首から胸にかけて文字のような刺青が入っている。そして何より、ヨーロッパ系の彫りの深い顔だ。
「はじめまして、陰陽師京会の監視員でそこの仁和の監視を任されてるシルヴァーノだヨ」
いきなり知らない言葉が出てきた。陰陽師……おそらく魔法使いのような存在、その集団が京会だろうか。それにしても……
「監視って……何かしたのか?」
俺は仁和に訊ねる。
「陰陽師の家系の出身なんだ、僕は。いくら京会を出たからと言っても、血縁者であることには変わりないからね……そりゃ監視もされる」
仁和がそう言って話を切り上げようとした時、隣からシルヴァーノが口を出す。
「おいおい、それで説明を終わりにする気かナ? ちゃんと説明すべきだヨ」
肩をすくめる仁和の隣で彼は続ける。
「この男の父親は京会で一番の権力を持っていたんだヨ。それを妬んだ連中がその父親を殺し、勢力を一変させっちまったのサ。ちょうど仁和が14の時にナ!」
思わず眉をひそめる。随分と重い話だと思った。
「つまり……仁和は京会に追われる身なんですか?」
「イーヤ? 仁和はその時、既に魔法協会の人間でヨ。魔法協会の事実上支配下にいる京会としては、もう手を出せないのサ。お陰で弟達も殺されずに済んだみたいだヨ」
兄弟がいたのか……というか、案外自分は仁和という男のことを知らなかったことに気づく。男の個人情報など、さほど深く知りたい訳では無いが、ある程度知っておかないと不味いだろう。
「……聞いてない話だな?」
「聞かれなかったからね」
飄々と答える仁和。あまり触れられたくなかった訳でもなく、本当に聞かれなかったから言わなかっただけのようだ。
「それで、どうして京会の人にコンタクトを取ったんだ?」
追われていないとは言え、あまり関わりたくは無いと思うのだが。
「君の武器を見繕おうと思ってね。『ブキヤ』は拠点を転々としているから、どうしても京会の人間に運んでもらう必要があるんだよ」
「そして京会の幹部連中は君に恩を売る選択をしたのサ! さぁ、車に乗んナ!」
***
車が高速道路に乗るまで車内は静かだった。
「この車、『ブキヤ』に借りたのかい」
助手席の仁和が沈黙を破り、口を開く。
「そうじゃなきゃこんなナンセンスな車乗らないヨ」
運転席のシルヴァーノが鼻で笑いながら答える。
このまま黙っているくらいならと思い、いくつか質問をする。
「外国のご出身、で合ってます?」
運転しているシルヴァーノが答える。
「そうだヨ。イタリア人。けどずっとこっちにいるから見た目以外は日本人サ」
「どうして日本に?」
その質問には仁和が答える。
「僕が陰陽師としての才能がなかったように、シルヴァーノには西洋魔法の才能がなかった。だが陰陽師としての器はかなり良くてね、京会に入ったというわけさ」
「やはり京会は日本人が多いんですか」
「というより俺以外はみんな日本人サ。外人は俺くらいだヨ」
シルヴァーノが答え、仁和がため息をつく。
「かなり排他的な組織だよ。国の監視も干渉も許さないほどね。まぁ、僕がこの国で自由にやれるのは、そのおかげでもあるんだけど」
政府としては、ほとんど干渉できない組織に干渉しうる仁和の存在は重要なのだろう。魔法対策課、と言っていた場所に事後報告でもいい理由がわかった。
「……どうして刺青を?」
「これは必要な術式なんだヨ。俺が陰陽師として生きるための……サ」
バックミラーに映るシルヴァーノの目元。それが笑っているような気がした。
「……もしかして、嘘ですか?」
「おや、バレてしまうとはネ。流石は第六感だヨ」
「完全なファッションだよ」
仁和が呆れたように言う。そういえば仁和は「センスのない」と形容していたか。
「初見の敵はかなり引っかかってくれるんだヨ、ハガネくん。警戒して、どんな術式なのか読み取ろうとするのサ。陰陽術の欠点は初動の遅さだけど、それを補うために必要なんだヨ」
なるほど、と感心しそうになるが、やはりシルヴァーノは笑っている。本当のことを言ってはいるのだろうが、ファッションとしての部分も大いにある気がする。
「……というか、俺の能力知っているんですね。仁和に聞きましたか」
「イーヤ? この男はかなり情報に気を使うからネ。君の名前以外はなんにも聞いてないヨ」
だとすると、なぜ知っているのか。
俺が疑問に思っていると、仁和が俺に質問してくる。
「ハガネ。君が殺した男は魔法を使っていたんだが、どんな魔法だか分かるかい」
俺はあの時のことを思い出す。
「いつ現れたか分からないナイフ……それと、痛覚の遮断か?」
「他には?」
「他?」
身のこなしが武術をやっていそうだと思ったが、それは魔法と関係ないだろう。
「アレを追っていた魔法使いは既に何人も殺されたり、撃退されている。それは君が言った魔法によるものでは無い」
仁和に続いてシルヴァーノが口を開く。
「惑わしは注意していればわかる程度の弱いものだったナ……そして痛覚が無くても、急所を狙えば問題にはならないヨ」
俺はしばらく考えるが、やはり分からない。
「なるほど、何となくだが君の『勘』の発動条件が分かってきたヨ」
そう言うシルヴァーノを置いて、仁和が説明を始める。
「僕も知らない魔法だから、詳しくは分からないが……あの男が切りつけたナイフを『無傷で』躱せた人間は一人もいない。殺された魔法使いはみんな傷だらけで死んでいた」
言われてみれば、全ての攻撃に当たっていた気がする。
「君も、身体の至る所に傷を負っていた。だがその多くは軽傷だった。武術を習ったことも無い少年が、そんな最適な避け方をできるとは思えない。『神の第六感』の可能性に思い当たる人間も少なくないだろう」
「だが、『神の第六感』の情報はほとんど無いのだろう? なら確信する理由にはならない」
「逆だヨ」
またシルヴァーノが口を挟む。
「魔法使いたちは常に『神の感覚』保有者を探しているヨ。その力が強大であると知っているからネ。だから念入りに調べるのサ……特に今回みたいに、非魔法使いが魔法使いを倒した場合はナ!」
俺は深くため息をつく。どうやら、狙われるのは確実らしい。
「アレが魔法使いとは思えないけどね」
小さく呟いた仁和に反応したシルヴァーノが、呆れた口調で言う。
「まーだ言ってんのかヨ? 魔法を使ってんだからどう見ても魔法使いだヨ」
「魔法使い以外が魔法を使うことはありえないんですか?」
父は、俺の知らないだけで魔法使いだったのだろうか。
「ありえないヨ。ただ、魔法具と呼ばれるものはあるネ。陰陽師が使う符なんかがそれにあたるが、それは事前に術を籠めておき、特定の言葉や動作で発動するようにしたものサ。もっとも、それだって術式を籠めているのは魔法使いだからナ」
シルヴァーノは一度区切り、続ける。
「魔素を扱えなきゃ魔法は使えないヨ。そして魔法使いでなきゃ魔素は扱えないネ。だから選民思想を持った奴が多いのサ、魔法使いは。君も気をつけるといいヨ」
俺はシルヴァーノの忠告に頷く。
仁和は静かに、何かを考え込んでいた。