2
西洞院仁和と名乗る魔法使いと出会ってから、三日たった。今日は俺の退院日だ。
どうやらこの病院の院長には、色々と便宜を図ってもらったようだ。部屋に来る看護師たちとは必要なこと以外会話しなかった。どこからどこまでが話していいことかわからなかったから、実に助かった。
そして今、わざわざ見送りまでしてもらっている。病室が個室の時点で少し思ったが、ちょっとしたVIP待遇だ。
「院長とは知り合いなのか」
病院の出入り口にいた仁和に尋ねる。目の下にあった隈は無くなっていた。
「知り合いというより同僚だよ」
「同僚?」
「こう見えても僕は政府の役人なんだよ。魔法使いが犯罪を犯したりすれば、僕とかが呼び出される。そして彼は魔法の被害者や魔法使いの診察を担当している」
なんでも、政府の傘下にいた方が何かと動きやすいらしい。
仁和が歩き、その後をついていく。
「けど待遇が良いのはもっと別の理由だと思うよ」
「そうなのか」
「彼は早い段階で知っていたんだろうね。まさかあの人と知り合いだとは思わなかった。……早まったかなぁ」
そんな人間、知り合いにいない……と言いたいところだが、実は一人だけ心当たりがある。俺の友人で、昔から魔法の話をしていた男が。
作り話だと思っていたが、あいつも魔法使いなのかもしれない。
「それで、今回の件も政府の指示なのか?」
「違うよ。別のところからの調査依頼でね。魔法対策課からは事後承諾」
政府の組織が、そんなに融通が利くイメージなどないのだが。
「……それでいいのか」
「この国は少し特殊だよ。緩くてもいいから何としてでも、自分たちの息がかかった魔法使いを用意しておきたいんだ。 ……そんな事より」
仁和は立ち止まると小さな紙切れを取り出した。病院の駐車場は全く人気なく、閑散としていた。
「動け、『エワズ』」
紙切れに描かれた文字が淡く発光したかと思うと、空中に浮かび上がり、やがて形を変えていく。そしてそれは大型バイクに変形した。
「……これで、大したことが出来ないって?」
「ちょっと前までは自転車が限界だったよ。さぁ乗って」
仁和からバイクに備え付けられていたヘルメットを渡される。
「まずは君の能力、それを確かめよう」
***
「で、なんでゲーセン?」
ショッピングモールの中にあるゲームセンターは、平日の昼間なだけあってほとんど人がいなかった。
「……そういえば俺、学校サボってるんだよな」
もう二度と登校することはないかもしれない。なにせ俺は人を殺した。
それに関しては後悔はない。ずっと深い後悔を、俺はとっくにしているからだ。
だが、やはり人を殺したのは事実だ。今までと変わらない生活は出来そうにない。まぁ……それでもいいと俺は思っている。魔法使いモドキを追う事は、それ以上の価値がある。
入院中、仁和に父親の話をした。彼はしばらく考え込んだ後、どこかに連絡をしていた。それが誰に対しての連絡か、聞くつもりは無い。俺はただ、知りたいだけだ。
父親の悪意によって、俺は殺されかけ、母は殺されたと思っていた。それが別の誰かの悪意によるものなら、俺はその誰かを殺さずにはいられない。
それでも、少しだけ、もう二度と高校生活に戻れないかもしれないと思うと寂しさを感じる。
「学校の方は心配しなくてもいいよ。君は書類上、未だ病院のベッドの上だ」
両替機でお金を崩していた仁和が言った。
本当に……随分と手を回してくれたようだ。感謝の言葉を言おうとしたが、仁和はそれを遮る。
「そんな事よりゲームしよう」
彼が指さしているのは、穴から頭を出したキャラクターをハンマーで叩くゲームだ。
「……これをやれと?」
「そう。ただし……」
彼は先程購入していたアイマスクを取り出す。
「目隠しをした状態で、ね」
***
「いくら勘がいいと言っても、これじゃ何もわからないぞ」
ゲームセンターで目隠しなんて、明らかに不審者だ。
「物は試しってね。やるだけやってみなよ」
周りは他のゲームの音で溢れているし、視界が塞がれているから何も見えない。
「ほら、もう始まってるよ」
「いや、やっぱりわからないぞ」
「なら、適当に叩いてみなよ」
そう言われ、俺は手に持ったおもちゃのハンマーを何となく振り下ろす。
すると叩いた感触とともに、機械が軽快な音を鳴らす。
「当たった……?」
「その調子で続けて」
ハッキリと場所がわかる訳では無いが、振り下ろそうと思ったところに出てくるようだ。
「なるほど」
思考を停止するわけではない。ただ、体の動きを止めない。逆らわない。思考と行動を完全に分離させればいい。
「出てくる前に分かっているね」
その後も何度かゲームを続ける中で、仁和が言った。
「それにしても速いな」
「見えないから速度は全くわからないぞ」
ただ、何となくコツは掴めてきた。うまく言葉にはできないが、叩くという思考ではなく、叩くという意思を持つ。それを間違えなければ、後は勝手に『勘』が体を動かす。
もっと早くこの力を知れていたら、あの時も間違えなかっただろうに。
「人間の反射速度じゃない……神の第六感としての能力はそれかな」
「……なぁ、この力はいったい何だ? なぜ俺が持っている?」
仁和は少し悩み、口を開く。見えていないが、なんとなくわかった。
「一度休憩にしようか。目隠し、外していいよ」
俺はおもちゃのハンマーを置き、目隠しを外す。
ゲーム機は見たことも無い高得点を表示していた。
***
ゲームセンターの外にあるベンチに座る。仁和は近くの自販機の前にたち、財布を取り出した。
「何が飲みたい?」
「緑茶か水がいい」
そう答えた後、俺は小さく息を吐いた。
魔法。それは俺がこれから関わっていく存在。
俺は確かに、魔法を見た。仁和が『エワズ』と言うだけで、バイクが現れた。非現実的な、だが俺がこれから現実としなければいけない現象。
「たった一言だけでバイクを……取り出しのか? あれは随分便利そうだったが」
目の前に差し出された緑茶のペットボトルを受け取りながら聞く。
「確かに便利だよ。けど色々と手間がかかるんだ、あれ」
仁和は缶コーヒーを開け、一口飲むと続けた。
「あれは文字をバイクにしているんじゃない。バイクを文字にしているんだ。ルーン魔術の応用だね」
「ルーン魔術?」
「そう、古き象徴記号を用いた魔法だよ。かなり特殊だし、君に魔法の才能はないから詳しく知らなくて大丈夫だ」
「俺には魔法は使えないのか」
正直、魔法がどんなものか未だにハッキリとわかってはいないが訊ねる。
「全くね。まぁ、僕もルーン魔術くらいしか、ろくには使えないのだけど」
「それ以外にも魔法の種類が?」
「僕たちは魔法を8種類に分類している。その中の一つが『魔術』だ。そしてルーンは魔術の中のまた一つ……つまり僕も魔法使いとしての才能はないんだよ」
軽い口調で話す仁和は、少し悲しそうな表情をしていた。
「まぁ、そのあたりはいずれ説明するさ。とりあえず君は自身の能力を詳しく知るべきだろう」
「わかった。なら、神の第六感……この『神の』という部分の意味は何だ」
「……君の力はかつて神の能力だった。だがその神が滅んだ時、いくつか消失しなかったものがある。その『勘』がそれだ。神の残滓、といったところかな」
神、それがどこの神話の神を指しているのか俺は知らない。もしかしたら俺の知らない神かもしれない。きっと俺の知らないことだらけなのだろう。だが俺にとって、それは重要なことではない。
「なぜそんなものが俺に?」
「それは未だに、誰にも解き明かせない問題だ。多くの魔法使いはそれを解き明かしたいと思っているだろうね……僕は興味ないけど」
「つまり、狙われかねないと?」
「それと、『第六感』は他人には観測しずらいし、他の感覚と違って使いこなすことは困難だ。だからほとんど情報はない。けれど当代の『第六感』は表舞台に出てきた訳だからね……気をつけるに越したことはないよ」
そういう魔法使いに見つかれば、実験台として狙われるだろう。今までそうならなかったのは、この能力の使い方を知らなかったからか。
「まぁ、その力も使い慣れてきたことだろうし、次の場所へ行こう」
「次は何をするんだ?」
「そうだね、まずは……」
立ち上がり、仁和は財布を弄びながら言った。
「お昼ご飯、食べようか」
どうやら奢ってくれるらしい。