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あの日、行方不明だった父親が帰ってきた。
俺の勘はソイツを殺すべきだと訴えていた。でも殺せなかった。
自分を信じきれず、父親を信じたかった。
ソレが俺の父親を装った化物とかなら、あの頃の俺でも殺せただろう。だが俺には、間違えなく父親本人だと解ってしまった。
だから俺は殺せなかった。動けなかった。
首を絞められ薄れていく意識の中、叫ぶ母をソレは殺した。俺に見えていたのは、虚ろな目と血、そして満足そうな父親だけ。結局俺を殺さずに、母の後を追った父親。そして俺は生き残ってしまった。
表向きには、父親が一家で無理心中を試み、俺だけが生き残ったことになった。実際、アレは心中だったのだろう。父親の最初で最後のわがままだったのかもしれない。
今思えば優しい父親だった……と思う。寂しがり屋で、母との仲も良かった。
それが本当の姿なのか、偽りの姿なのか、俺には判らない。
結局、家族だろうが人は他人を完全になど理解できない。
***
俺は知らない病室で目を覚ました。ふと、何か違和感を感じたが、寝起きのせいかうまく考えられない。
(俺は……生きているのか)
ゆっくりと部屋を見渡す。窓の外は夜で、蝉の鳴き声が遠くから聞こえる。
どうやらベットは一つだけしかない、小さな個室のようだ。そして隣には、知らない男が立っていた。
灰色のスーツを着た、ホストクラブで働いてそうな風貌の男は、俺と目が合うと口を開いた。
「初めまして、黒叢覇鐘くん」
「……あなたは?」
男は小さく頷く。
「いきなり知らない男がいて驚いただろうが、時間がないものでね。私の名前は西洞院仁和」
そこで一度区切り、彼は続ける。
「いちよう、君を助けたことになるのかな。よろしく」
そう言って握手をしようと左手を差しだしてきた。
(嫌がらせか……?)
俺はあの男に左腕と左目を奪われた。これからは隻眼隻腕で生きていかなければいけない。
そこまで考えて、目を落とすと、そこには両腕があった。
「義腕……」
声に出して、すぐに違うことに気付いた。シーツの感触が左腕でわかる。
「動かしてみてくれ」
仁和と名乗った男に言われるがまま、肘を曲げ、手を握る。痛みもなく動く。
「左目の方もどうだい」
言われてみて、先ほど感じた違和感の正体に気付く。俺はしっかりと両目で見ていた。
「これはいったい?」
義手や義腕ではありえない。
「さて、どこから話すべきか……」
彼は、疲れ切った顔をしていた。よく見ると目の下に隈ができている。
「まずは座っても?」
「……どうぞ」
少し変わっている人だなと思った。
***
「あなたのこと、どうお呼びすれば?」
「できれば仁和と呼んでほしいかな。実家とは絶縁状態でね」
丸椅子に座った仁和が答える。不思議と話しやすい人だと思った。
「わかりました。では仁和さん、この腕と目は、あなたが?」
「そうだよ」
自分の知る現在の科学ではありえない技術。それについて聞こうとすると、それを遮るように仁和が口を開く。
「黒叢くん、どうして『魔法』という概念があると思う?」
いきなり魔法と言われ、何も言えなかった。彼は続ける。
「それは実際に存在するからだ。存在するから『魔法のよう』なんて形容がある。けれどその事実を知る者は少ない。どうしてだと思う?」
「さぁ……使える人間が少ないから、とか?」
「うん、あながち間違いではないよ。正確には使いこなせる人間が少ない」
そこで仁和は少し考えこみ、また話し出す。
「魔法には『魔素』というエネルギーが必要不可欠だ。よく創作物で使われる言葉で言い換えるなら『魔力』かな。だが残念ながらこの世界には『魔素』がほとんどない。圧倒的に不足しているんだ」
「つまり、魔法では大したことができない、と?」
「そのとおり。魔法は科学に淘汰された。だから世間では知られていない。魔法を使える可能性のある人間は、それなりの数いるかもしれないけど、自覚のない人間が過半だろうね」
不思議と納得できる話だった。こんな話をするということは、きっと仁和と名乗るこの男も魔法使いなのだろう。
「問題はそれだけでなくてね。魔素は少し特殊な性質を持っていて、『意思をもつ粒子』なんて呼ばれたりもするんだ。どうやら科学の発達した場所には寄りつかないらしく、科学的に観測できないらしい」
そのため科学的に証明されず、大したことができなかった、と言うわけか。
「けれど近年、その魔素の濃度が急激に上昇していてね。私はその原因を調査しているんだ。そして黒叢くん」
仁和はゆっくりと頭を下げ、言った。
「まずは謝罪を。君が戦ったあの男は私が追っていたんだ」
***
「やはりあの男も、魔法使い?」
「おそらくそうだと思われる」
「おそらく?」
俺は闘った時のことを思い出す。いつの間にか握られていたナイフ。痛覚を感じていないであろう身体。あれは確かに、魔法だった。
「あの男は魔法を使っていた。そういう意味では魔法使いで間違いない。だがあの男らは普通じゃない。だからこそ追っていたんだ」
「……なるほど」
つまりあの男と同じような存在が未だ複数いる訳か。
「俺が助けた少女の行方はわかりますか」
「その質問には簡潔に答えよう。逃げられた」
「そうですか……」
やはりあの少女も男と同じ存在。そして同じ目をしていた父親も、もしかしたら関係あるかもしれない。
「つまり俺のやった事は無駄だったと」
「それはどうだろう」
そう言った後、仁和は頭を掻く。
「これは憶測だから言いたくないんだが……あの男は例の少女を処分しようとしていたんじゃないかな」
「処分?」
「あくまでも憶測だよ? けどあの子、はじめは逃げようとはしてなかったんだよ。なのに僕が君を助けるために魔法を使ったらさ、急に怯えだしたんだ。そして逃げられた。君はかなり危険な状態だったからね……追う余裕は無かった」
「……そうですか」
ならこの仁和という男についていけば、この事件を追っていけば、また会うかもしれない。
「迷惑かもしれませんが、あなたと一緒にその事件を追ってもいいですか」
俺がそういうと、仁和はひどく驚いた表情をしていた。
「……それも君の能力かい?」
「能力?」
「あぁいや、違うのか。えっと、どうして?」
「どうやら自分の過去と関係がありそうなので」
仁和はしばらく目を閉じると、少し困り顔で口を開いた。
「もともと、君には協力してもらおうと思っていたんだ。その左目と左腕、実はかなりの貴重品でね。代金分、この事件を追うの手伝って欲しいんだ。どうやら君には特別な力があるみたいだからね。昔からやけに勘が鋭いと言われないか?」
「えぇ、まぁ。……それが、能力?」
「そう。君のその力、僕たちは『神の感覚』と呼んでいる。中でも君のは『第六感』だろう」
「……それはいったい?」
「簡単に言うと、人の限界を超えた勘の良さを持つ。それとは別にもう一つ能力があるはずなんだけど……まぁ、それは追々わかるだろう」
そこまで言うと、仁和はまた、左手を差し出してきた。
「これからは仕事仲間だ。よろしく、ハガネ。敬語は使わないでいいよ」
「あぁ、わかった。よろしく、仁和」
新しい左手の初仕事は握手だった。