40.重黒木春陽・小羽 後編
「じえたいさん、おそいね」
「そうね。お外の悪いオバケをやっつけてくれているから、遅いのかもね」
「そっか~。はやくこないかな~。じえたいさん」
1組の親子を懐中電灯の明かりが頼りなく照らし出す。
母親である重黒木春陽と娘の小羽。
小羽はお気に入りのヌイグルミを抱いて、少しつまらなそうにしているが、表情に曇りは無く、普段と何ら変わらない様子。
しかし、本来ならば美人といっても良い整った顔立ちの春陽の表情は冴えない。こんな状況であっても、小羽が見ている前では、優しげな笑顔を何とか浮かべるている。だがもしも、日の光の下であれば、疲労と睡眠不足、先の見えない状況への不安とストレスから、顔に色は無く、目は充血し目元には濃いクマができ、病でも患っているかの如き様相であった。
饐えた匂いのする室内。
既にスマートフォンの充電も切れてしまって、今が何日なのかもわからない。
もしかしたら、救助が来ているかも知れないと作業場から外に出てはみたものの、目にしたのは暗闇とそこで蠢く化け物のみ。
食料も殆ど無い。
春陽はただ気持ちだけが焦るばかりであった。
洗面台に行き、自分は水を飲むと、最後の食料となる、飴とお菓子の小袋を、小羽に差し出す。
「はい。はねちゃん。ゆっくりよく噛んで食べるのよ」
「………………はねおなかへってないよ。おかあちゃんは、たべたの?」
「大丈夫! お母さんはさっき食べたから」
「………うん」
子供なりに気を使った小羽であるが、お腹ぎ空いていないと言うことはなかったのだろう。ポリポリとお菓子を食べ始める小羽に近づく。どうにかしなければ手遅れになってしまうと、小さな頭を撫でながら、作業場を出ることを決意する。
酒乱で女癖の悪い元旦那と別れて、まだ1年だが、それでも2人で頑張ってきたのだ。
春陽は立ち上がって、いざと言う時の為に役に立ちそうな物資を詰め込んだ袋を持ち上げる。
「えっ」
口から溢れたのは掠れたか細い声。
視界がぐるりと回わる。上と下が分からない。
糸の切れた人形のように春陽はその場に倒れこんでしまう。
そう、既に限界は来てしまっていたのだ。
「おかあちゃん?」
小羽は突然目の前で倒れた母親の春陽の元に駆け寄った。
「………………おかあちゃん、どうしたの? ねえ、おかあちゃん」
恐る恐る母親の肩を揺らすが、春陽は苦しそうな表情を浮かべたまま、ピクリともしない。
「ねえ、どうしたの?お、おかあちゃん」
モンスターに追いかけられても、暗闇い部屋の中でも、本当はお腹が空いていても、それでも溢れる事のなかった涙が、ポロポロと頬を伝う。
(おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん、おかあちゃん)
小さな胸の中には例えようの無い不安がドロドロと渦巻く。
だが、止まらない涙を袖で拭いながら、小羽は立ち上がる。小羽は強い子なのだ。
(はねがおかあちゃんをたすけないと)
けれど、一体どうすれば良いのか分からない。
「デミちゃん。どうすればいいのかな」
小羽にとって友達である、ヌイグルミの『デミ』に話しかけてみる。
「そうだ!」
小羽は閃いた。
「じえたいさんにたすけてもらおー!」
既にその目に涙は無かった。
「これでよし!」
準備は万端だ。ヘルメットを被り、誕生日に貰ったポシェットをたすき掛けにして、お友達のヌイグルを背負う。手には懐中電灯一つ。
ドアの前に立ち、一度振り返える。小羽が頑張って掛けた布地の下で床で動かない母の姿。
(おかあちゃん。はねがじえたいさんつれてくるから!)
そして、春陽に絶対に開けてはいけないと言われていた鍵をひねりドアを開ける。既に頭にその注意は無く、ただ大好きな母親を助けなければ、それだけの想いだけでモンスターひしめく暗闇の中にただ1人で飛び出した。
「ん」
小羽が作業場を飛び出して数時間。春陽はぼんやりと瞼を開くが、視点は定まらない。極度のストレスと栄養失調から脳貧血を起こし失神してしまった上に、悪いことに、この数日の睡眠不足も重なり、長い時間気を失っていたのだ。
働かない頭のまま、どうにか身体を起こす。
気持ちが悪く、身体が重い。支える腕に力が入らず、視界は霧がかかった様に見えにくい。
その時、春陽の額からパサリと一枚の上手く畳まれていないハンカチが落ちた。
「?」
よく見れば、身体に何枚か布地が被せてあるではないか。
「………こはねちゃん?」
蚊の鳴くような声で布地と、額にハンカチを置いてくれたであろう、娘の名を呼ぶ。しかし何時もの元気な返事は返ってこない。
床をいざりながら、机にしがみつくようにして立ち上がる。
いない。
「こはね? こはねちゃん、こはねちゃんどこ!」
フラフラと小羽を探して室内を歩きまわる。
その時、ふと出入口のドアが春陽の目に入る。嫌な予感が全身を駆け抜けた。
(まさか)
信じたくない気持ちで、ゆっくりとドアに近づきノブを回した。あるはずの手ごたえがないまま、抵抗なくドアは開く。
ただでさえ顔色の悪かった春陽から表情が抜け落ち、春陽はその場に崩れ落ちそうになる。自分が気を失っている間に、小羽が外に出ていった。その事を理解したのだ。
(駄目よ。はねちゃんを探しに行かないと!)
それでも、諦める事なく、テーブルのハサミを握りしめて、よろめきながらも、既に数時間前の小羽と同様に作業場を飛び出すのであった。
(どこにいるの! どこ………………あれは!?)
寝具コーナーに出た春陽は当たりを見渡すながら、焦る気持ちを抑え、娘小羽の姿を探すが、すぐに暗闇の中で床に転がっていた、ある物を発見する。
それは、乳白色の灯りで床と商品棚を照らす懐中電灯。
(これって、あの部屋で使ってた懐中電灯よね)
拾い上げて、周囲を照らすと、寝具コーナーの中央付近に再び気になるものが目に入る。
覚束ない足取りで、近づき拾い上げる。車でもぶつかったのではないかと思われるくらい、大きく破損した壁と棚の隙間からはみ出していたそれ。
小さなポシェットだ。それはデフォルメされた可愛らしいライオンの型をした、春陽が小羽の誕生日に送ったもの。間違えるはずも無い。
全身を震わせながら、棚と壁の隙間を懐中電灯で照らし、覗く。
「ひっ!?」
その場に座り込む。一瞬押し潰さた頭に見えたのは、半分砕けた子供用のヘルメット。しばらく呆然としたが、小羽はそこに居ないことに意識が回る。
その時、春陽の視界の端に動く影が見えた。
「はねちゃん!?」
座り込んだまま、懐中電灯の明かりを向けた。
……向けてしまった。
落ち着いていれば、明らかに人では無いシルエットだとわかったはずだが、今の春陽には酷な話しであろう。灯りが照らし出したそれは春陽の僅かな期待と希望を打ち砕く。
化け物。
それは、春陽の背丈の倍はあろうかという巨躯。
四つ脚でゆっくりと近づく。特徴的な一つ目の大きく縦に裂けた口には牙が激しく噛み合わさりあった長首のモンスター。
怪物。
そして、今、三つの目が春陽を捉えていた。ゆらゆらと同じ身体から生えた一つ目の顔が三つ。三つ首一つ目の異形。
春陽は本能のまま、逃げなければ! と反射的に立ち上がろうとしたが、身体がついていかない。
それでも、棚に手をつき身体を起こそうとした。だが――――
「きゃあ!?」
破損していた棚はあろうことか、春陽の体重によって傾き倒れてしまった。
――――――春陽の足を下敷きにして。
衝撃と痛み。呻きながら、それでも、娘を思いながら必死に逃げ出そうと何とか顔を上げて、………目の前に巨大な一つ目があった 。
生臭い息が春陽の顔にかかり、髪が揺れる。
視界いっぱいに鋭利な牙と光沢のある喉の奥の闇が覗き込む。
赤が広がった。
「………………えっ?」
死を覚悟した春陽は、気の抜けた声を出した。
生きている。
目の前には、一本の首の根元から血を撒き散らしながら、苦しそうにのたうち周り、たたらを踏む化け物の姿。
そしてモンスターの血で春陽が疑問を浮かべる間も無く、熱く力強い一陣の風が春陽の視界を駆け抜けていく。
「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」
烈火の雄叫びに絶望はひび割れていく。
非常灯の灯に白く照らされる銀の穂先に希望が映し出される。
幼い少女の願いを胸に―――――――――――
――――――――――――――――――――宮崎海斗いざ推参!!
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此れからもお暇があれば今作品よろしくお願い致します。




